十二英雄伝

ぷるっと企画

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零章 『世界が分かれた日』

五話 「RD事変 其の四 『制圧開始』」

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 アピュラトリスの直径はおよそ四千五百メートル。この全三百二十階層の中にはさまざまな施設が存在している。

 地下二九階は制御室に勤める職員の居住区となっている。寝泊まりのできる部屋、これはもはやアパートやマンションに近いレベルのものが用意されており、望めばここで住むことが可能だ。

 地下二十八階には商業区が存在し、地上と同じ物が常時用意されている。娯楽施設も豊富でゲームセンターや人工的な浜辺もあるので、室内にいることを忘れそうなほど快適である。

 今日は国際連盟会議があることが伝えられており、多くの人間が各々の持ち場で業務に携わっている。商業区にもスタッフ以外の人はほとんどいない。

 静かだ。まるで人がいるとは思えないほどに静まり返っている。ただし、その理由は今述べたものとはやや異なる。室内にはすでに【ガス】が充満しており、多くの人間は意識を失っているか身体の自由を奪われて倒れていることだろう。ガスは神経性のもので、ここアピュラトリスの警備システムのよるものだ。

 その中を明らかにスタッフとは異なる人間が駆け抜けていく。倒れている人間がいても視線すら向けずに通り過ぎていく。とどめを刺す必要もなければかまっている暇もない。

「次の階層、地下二十六階からは軍関係者の施設となります。隔壁は操作できますが警備システムは完全に制御できません」
 駆け抜ける者たち、ユニサンたちには常時マレンから情報が伝わっていた。

 すでに警備システムはこちらの手にあり、ほぼ全階層のセキュリティが自在に操れる。このガスを放射したのもマレンの手によるものだ。地下の階層から少しずつ制圧を開始し、現在はこの二十七階までが終了していた。

 地下二十七階は上に滞在している軍の関係者と地下の金融スタッフを分けるための大きな隔壁が存在しているだけのもので、突破は非常に楽であった。

 とはいえ、もしセキュリティを奪えていなければ絶対に破れない防壁なのは間違いなく、最初に最深部を制圧できたことがいかに価値あるものかを物語っている。

 また、地下から始めるのは混乱を避けるためでもあった。こちらの弱点は人員数が少ないこと。塔内に勤める何万という人間のパニックは利用できるが、それは最終手段である。まだ敵に動きを悟られるわけにはいかない。

 その理由の一つが、次の階層からは【システムが別】になっていることだ。

 地下四階から地下二十六階は軍部の防衛隊が詰めているエリアである。万一に備えて重要なシステムは地下十階にある軍部司令室が管理し、アピュラトリスの中では独立したものとなっている。

 現状でも最低限の隔壁操作や施設内のセキュリティ操作はできるが、警備用対人兵器などの操作は司令室が管理している。つまり、これからは道は開けるが敵との交戦が発生する可能性が非常に高いエリアが次々と待ち受けているのだ。

 地下から始まる。それは有利でもあるが、もはや退路がないことを意味していた。成功させるか死ぬか。ユニサンたちには二つの選択肢しかないのである。

 ならば戦うしかない。全力をもって。

「突入と同時に隔離操作を開始しろ。タイミングは任せる」
 ユニサンがマレンに指示を出し、次に自身の後ろを走っている者たちに声をかける。

「一番から五番のロキは結界師の護衛につけ」
 ユニサンたちは全十五名。ユニサンを含む十名は戦闘要員である。戦闘要員は、ユニサン以外はすべて仮面をつけて顔を隠している。彼らを【ロキ〈悪魔の手足〉】と呼ぶ。

 ロキたちも自身の【救世主】に絶対の忠誠を誓い、自己犠牲の覚悟の証として顔という人間が持つ最大の個性を捨てた者たちである。よって、ロキはその場に応じて番号で呼ばれる。それ以外の五人は、坊主頭に黒い袈裟を着た結界師と呼ばれる者たちだ。仮面はつけておらず素顔である。彼らの役割はまた別にあるのだ。

 護衛に命じられたロキは結界師たちの前についた。
 だが、その中の一人、オンギョウジがユニサンに言う。

「拙僧に護衛は不要。楽な戦いではあるまい。一人でも多くの戦力を回すべきであろう」
 同じ坊主でも、彼は独特な凄みを放っていた。顔の右半分が焼けただれているせいもあるが、発せられるオーラが他の者とは格段に違う。相当な修羅場を潜り抜けてきたことはすぐにわかる。

「死なれては困るぞ。お前の役割は俺よりも大きいからな」
「拙僧とて生半可な気持ちで来ているのではない。心配無用」
 オンギョウジたち結界師はこの作戦におけるキーマンである。

 ユニサンたちの最大の役割は、敵勢力の制圧のほかに彼らを【最上階まで送り届ける】ことにある。仮にユニサンたちが全滅しても、彼らが最上階に到達することができれば次のステージには影響はない。むしろ、制圧は彼らの道を開き安全を確保するための行動なのだ。

 ユニサンは少し思案したのち、提案を受ける。

「わかった。任せよう。ここはあんたのほうが詳しいだろうからな」
 慎重にいきたい気持ちはあるが、オンギョウジがこの作戦に選ばれた意味がある。彼が大丈夫だと言うのならば任せるだけのことである。

 地下の軍部エリアの螺旋階段は通常より大きく、MGや戦車が通れるように設計されている。その横幅二十メートルにも及ぶ巨大な螺旋階段を上り終えると、目の前には大きな扉があった。ここを抜けると二十六階である。

「いくぞ!」
 ユニサンが気合いを入れる。マレンのタイミングで扉が開くと、前衛にロキが二人つき、続いてユニサンが飛び出す。

 二十六階は軍部の格納庫および弾薬庫になっていた。ガトリングガンや砲台、刀剣類や爆弾、戦車に至るまで塔の中とは思えないような多様な武器が巨大ないくつもの倉庫に分けられて格納されている。

 倉庫は全二十。一見すれば港の倉庫街のようになっている。ただ、質が違う。古ぼけたものは一つもなく耐久性の高い防壁に電子ロックなど最新の揃えを誇っている。

 ダマスカス軍と戦ううえで気をつけねばならないことがある。まず一つがこれ、最新鋭の武器を使わせないことである。

 武に秀でたロキたちであるが、何百何千という相手に一斉に最新武器で攻撃されれば不利は必至。時間をかけて地上から援軍が来ればまず間違いなく全滅だろう。その意味でも制圧しておかねばならないエリアである。

「マレン、状況は?」
 ユニサンがマレンに問う。ここからは時間との戦いである。優先順位を決めて迅速に動かねばならない。

「武器庫内にいる人間は整備兵の模様。ですが三番格納庫に武装兵がおよそ二百五十人、十五番弾薬庫に同程度の隊がいます。通路にも取り残された兵士を複数確認」
「レベルはわかるか?」
「検索完了。先日配属された後方支援の部隊のようです」

 このエリアは普段はあまり人が来ない場所であるが、今日が国際連盟会議ということもあって兵士が増員されていた。その新しく配属された隊が武器を取りに来ていたのだ。

 データを検索すると、配属された人員の多くは新兵であることがわかった。通常は地下に近いエリアほど安全である。彼らは人数集めの部隊にすぎないようだ。

「兵士ならば強行手段に出る可能性があるな」
 格納庫の入り口はマレンがロックしてある。多くの人間はなぜ扉が開かないのか疑問に感じているだけで特に行動を起こしてはいない。

 しかし、整備兵ならば何かの故障かと思ってしばらくは待つだろうが、武装兵は格納庫内部の武器を使って強引にこじ開けようとする可能性も否定できない。

 新兵なので独断で動くことは考えにくい。されど現在の状況において安全の確保は第一である。地下十五階と地下七階の格納庫エリアにはMG(えむじー)も多数配置されており、ここにも少数ながらMGも戦車もあるのだ。リスクは避けるべきだろう。

「MGが出られると面倒だ。消すぞ」
 ユニサンは万一にそなえて排除の選択を下す。

「了解しました。通信施設は制御下にありますので連絡を遮断します」
 各倉庫の内線は中央の通信室につながっており、そこはすでにセキュリティロックがかけられているので連絡される恐れはない。

 ただし、司令室がこちらに連絡してきた場合は応答がないことを不審に思うかもしれない。マレンが時間稼ぎするにも限界はあるだろう。その前に仕留めねばならない。

「一分以内に終わらす。オンギョウジたちは次の階層付近の階段で待機。欲は出すなよ。素直に隠れていろ」
「承知」
 結界師は【隠行術】を使うことができる。一定範囲内ならば彼らの姿を完全に消すこともできるし、すれ違う人間に見られても意識させないという特殊な術もある。万能ではないが、この広さならば隠れるくらいは十分可能である。

「散れ!」
 ユニサンとロキ、計六名が二手に分かれる。ユニサンは三番格納庫、他のロキ三人は十五番弾薬庫に走る。

 ユニサンもロキも【武人(ぶじん)】である。武人とは、偉大なる者より受け継がれた因子を一定レベル以上に覚醒させた者たちであり、一般的には常人よりも強い肉体と武力を持っている。

 武人のタイプはさまざまな部類に分かれており、戦闘面以外の特技を持つ者も多いが、ユニサンたちはより武に特化した武人である。当然運動能力も高く、風のような速度で目的地に到達することができる。

 格納庫前の大きな通路にはエリア内移動用の車両とともに十人程度の兵士が困惑した表情を浮かべていた。突然扉が閉まり、どうしてよいのかわからないのだ。

 武装は肩に担いだ自動小銃のみ。この距離に近づいても気がつかないレベルの相手であった。彼らの目には一瞬影が通ったようにしか見えなかっただろう。しかし、その瞬間には彼らは生涯は終わりを告げていた。

 まずユニサンが走りざまに一番近くにいた兵士の首をへし折り、それと同時に隣にいた兵士をロキN(ナンバー)6が心臓を剣で突く。その後ろにいた兵士もロキN(ナンバー)8が喉を引き裂いていた。即死である。

 最初に殺された兵士が倒れる音がした頃には、すでに十人いた兵士たちは全員が消されており、瞬く間にユニサンたちは六百メートル先にある三番倉庫に到達していた。階段でオンギョウジと分かれてからおよそ八秒の出来事である。

「俺が先手を打つ。残りを始末しろ」
 ユニサンが三番格納庫の入り口に立つと同時に扉が開放。中にいた兵士たちはようやく開いた扉に対して緊張感のない視線を向ける。無害な、無抵抗な者の顔だ。

 ここに敵が現れるはずがない。もし現れたとしても上の階層が慌しく対応しているはずだ。彼らが新兵であったことも一つの要因であるが、こうした慢心はアピュラトリス全体にいえることである。

 そうした彼らの想像を超えて、そこには拳を引いた黒服の男の姿があった。注意深く見た者ならば、男の周囲に【戦気(せんき)】が展開されているのがわかっただろう。

「はっ!」
 ユニサンは気合いの声とともに掌を突き出す。掌圧は衝撃波に加えて炎の渦を生じさせながら広い格納庫全体に広がった。

 覇王技【炎龍掌(えんろんしょう)】。掌に集めた戦気を【炎気(えんき)】に変えて放つ広域放出技である。威力そのものは当人の拳撃以上にはならないが、渦の力は非常に強いため、相手を吹き飛ばしたり怯ませたりすることができる。

 戦気は生体磁気と精神エネルギーの化合物であり、それ単体でも攻撃や防御のための物理エネルギーとして活用できる。さらにそうして作り出したエネルギーに普遍的流動体という大気に含まれる無限の粒子、俗に言う【神の粒子】を加えることでさまざまな形状および波動に変化させることができる。これが応用技である。

 当人の資質にもよるが、炎や水、雷や風などの性質を帯びさせることが可能である。ユニサンが放った一撃も【気質変化】を用いた技である。

 経験が浅い兵士たちは、完全なる無防備でユニサンの技をくらう。最初の掌圧をもらった三人がその場で圧死し、次に訪れた吹き荒れる炎の渦で全員が吹き飛ばされた。もはや大爆発に近い衝撃だ。それを密室でくらうのだから、たまったものではない。

 直後に飛び込んだロキN6はすでに準備ができていた。剣を抜き【風衝(ふうしょう)・十閃(じゅっせん)】を放つ。

 剣に集めた戦気、【剣気(けんき)】を飛ばすのが【剣衝(けんしょう)】と呼ばれる基本の技である。これは一般にスラッシュとも呼ばれるもので、身体能力では戦士に劣る剣士が間合いを取る場合によく使われる。

 この剣気を風のように操るものが【風衝】。それを同時に十放つのが【風衝・十閃】である。放った数によって二閃、五閃となっていくわけだが、十閃操れる剣士はそう多くはない。

 風衝はユニサンの炎を巻き込むように襲いかかり、兵士たちを薙ぎ払う。一撃で胴体を切断された者もいれば、風によって炎の勢いが増して全身を焼かれた者もいる。どちらにせよ地獄絵図である。

 そこにロキN8がとどめを刺す。広域用の特殊手榴弾を三つほど投げ込み、さらに毒霧を放った。特殊手榴弾は貫通性の高い針を全方位に放射するものである。 毒霧は致死性の猛毒だ。

 扉が閉まる。直後に数回の爆発と悲鳴が起こり、場は静かになった。

「生体反応なし。全滅です」
 マレンから報告が入る。相手のレベルを考えるとやりすぎのようにも思えるが油断は禁物である。一気に殺さねばこちらが危うくなるのだ。

「向こうも片づいたようです。次の階層に向かってください」
「了解だ」
 ユニサンたちはオンギョウジが待っている階段に戻る。彼らも無事だ。この階の制圧に要した時間はおよそ三十六秒。上々の出来である。

 ユニサンたちからは微弱ながら血の臭いがした。オンギョウジは表情を変えなかったが、心の中では鎮魂に思いを馳せていた。

(赦せとは言わぬ。どんな大義があろうと罪であることは変わらぬ。ただ白狼様のご慈悲があらんことを祈る)
 オンギョウジには死した者たちの魂を迎えにきた【白狼の使い】の姿が見える。

 小さな光の玉が、死者から離れた霊体に包まれた小自我(魂)を回収していく。彼らはこれから【ウロボロスの環(わ)】に戻るのだ。この者たちはまだ幸せなのかもしれない。これから起こる惨劇に比べれば。

「行くぞ。できれば十五分以内に司令室に到着したい」
 ユニサンたちは次の階に向かった。


 アピュラトリスの警備は、地上から地下に攻め入る敵を想定して設計されている。配置されている軍も地下上部に対して重きを置いていた。より強いものを上の階層へ。そのため徹底抗戦が可能なように備蓄などはより地下に格納している。大切なものは地下に埋めていたのだ。

 今回はこれが仇になった。まさか相手が最下層から攻めてくるなど誰も考えていなかったからだ。警備システムにはこうした事態も考慮し最低限の迎撃装備は用意されているものの、あくまで最低限である。それは最深部では【防犯システム】の神経ガスしか用意されていないことにも見てとれた。

 それに加えて内部の兵は長年の平和によって緊張感が欠けていた。アピュラトリス自体が外部からの攻撃に非常に強く、戦艦の主砲をもってしても簡単には壊れないように設計されている。

 内部には蓄えや娯楽も多くあり、一年間の籠城も可能である。それだけの期間を守れれば外部から援軍が来るはずであった。なにせアピュラトリスは全世界にとって守るべきものであり、ルシア軍やシェイク軍でさえもダマスカスに味方するからである。

 よって、配備される兵は新兵か退役間近の人間が多く、実戦を経験している者たちは少なかった。

 もちろん例外もいる。アピュラトリス防衛司令官のガナリー・ナカガワ准将である。彼は退役間近でこのアピュラトリスの司令官に命じられた。この役職は名誉職に近い意味合いがある。

 今まで尽くしてくれた軍人に対して、最後はダマスカスの象徴であるアピュラトリスに関わったという名誉を授けるためのものだ。退役後は家族にも孫にも「おじいちゃんはアピュラトリスを守っていたんだぞ」と自慢できる特典がある。

 だが、彼自身はこうした名誉職にまったく興味はなかった。もともとは海軍将校として国防に携わっていたからという理由もある。

 ダマスカスは島国である。周囲は海で囲まれ、その重要性からも国防には力を入れており、実質的には陸軍よりも海軍のほうが人員も多いのだ。ただ、海軍はどの国家においても立場が低いものだ。特に水陸両用の戦艦と魔人機(まじんき)が生まれてからは肩身が狭い思いをしていた。

 海軍という存在がそれによって消されることはないだろうが、彼らの中には強い危機感を覚える者も多い。今後、戦闘の華が艦隊戦からMG戦闘に変わっていくのは間違いない。いや、すでに変わっているのかもしれないのだ。

 ナカガワはまだ幸せだろう。退役してしまえばそういった権益争いからも解放されるし、今回の名誉職も引退後の仕事にもつながっていくはずだ。もう関わることもあるまい。

 しかし、それはあくまで退役後の話である。今はまだ現役なのだ。彼は長年の経験から妙な胸騒ぎを感じていた。今日が連盟会議の日なのだから慎重になるのは当然なのだろうが、こうした日にテロや騒ぎが起こるのは海外では日常茶飯事であるからだ。

 この平和なダマスカスではまずありえないが、海外派兵に加わった彼にはどうにもこの場所は居心地が悪く感じられた。

 そしてもう一人の例外。

 彼はナカガワの居心地の悪さよりも遙かに鋭い嗅覚で異変に気がついていた。司令室の片隅で目を瞑って仁王立ちしていた男は、静かに出口に向かう。その男にナカガワは声をかける。

「ミスターアズマ、お出かけかね?」
 アズマと呼ばれた男。松葉色の着物にマントを被り、一本の【黒刀】を手にした明らかに兵士とは異質な男は、振り返ることなくナカガワに答える。

「ミスターナカガワ、あなたも【飼い犬】なのか?」
 その言葉にナカガワは刺激されなかったが、周りの何人かの兵士は露骨な敵意を示す。上官を侮辱されたと思ったからだ。

 ジン・アズマという存在はアピュラトリスの兵士にとって【余所者】である。そんな彼が司令室にいるだけでも納得がいかないのに、上官に対して無礼な振る舞いを取ることはさらに納得がいかないのである。言葉にはせずとも厳しい視線と空気がアズマに向けられる。当の本人は何事もなかったようにいなしているが。

 ナカガワは彼が言おうとしていることに気がついていた。彼もこの胸騒ぎを感じているのだ。おそらく自身より鮮明に。

「当然君も知っているが、今日は国際連盟会議の日だ。警備はいつも以上に厳重だ。それでも何か起こると思うかね?」
 ナカガワは単刀直入に聞いた。アズマという人物と接したのはこの一週間程度だが、彼の気質はよく理解していた。その意見を聞きたかったのだ。

「貴殿らはこの塔の警備に自信があるのだろう。それもわかる話だ。だが、それはあくまで【箱】としての機能にすぎない」
 アズマもアピュラトリスを間近で見たのは一週間前が初めてであったが、これ自体はなかなか立派なものであった。

 緊急時に外壁に展開される【サカトマーク・フィールド〈富を守りし鏡〉】があれば外部からの攻撃にはほぼ無敵となる。装備を含めて防衛力に関してはまず問題はない。

 だが、内部の兵の質には大きな不満があった。

「ダマスカス軍は戦いの本質を忘れてしまったようだ。このような【家畜小屋】にいれば頷けるものだが」
 その言葉にさらに周囲の敵意は増大するも、アズマには通用しない。

 一般人ならば卒倒しかねない殺伐とした空気であっても、彼にとっては涼やかな風に等しいのだろう。むしろ煽っているようにも感じられる。

「君の言いたいことは理解できる。だが、これだけの警備システムと兵数、それに武器も揃っているのだ。まず問題はないと思うが」
 それはナカガワ自身がそう思いたいものであった。誰が考えても万全の警備だ。アピュラトリス内部の人員は増強されているし、武器を使えば新兵とて使える存在となる。戦いで重要なのは数なのだ。

 地上では新たに配置された防衛部隊が周囲を守っている。交通規制も行っており一般人は半径五キロ以内に入ることもできない徹底ぶりである。

 加えて国際連盟会議場には各国の屈強な護衛もいるし、その配下の各国騎士団も近くに配置されている。MGもすぐに出せる状況だ。

 問題はない。ないはずなのだ。
 だが、アズマに遠慮はなかった。

「武人の生き方は武人にしかわからぬもの。ミスターナカガワ、貴殿がただの飼い犬でないことを祈るのみ。…失礼する」
 そう言ってアズマは出ていった。

「誰が飼い犬だ。あっちは【野良犬】のくせに!」
 アズマが出ていくと、オペレーターたちが罵る。野良犬、それもそうかもしれない。【彼ら】は軍の統制とはまったく関係のない存在なのだ。彼らが従うのは規律や命令ではない。

「【エルダー・パワー〈武を継承する者たち〉】、本当に信用できるのですか?」
 司令室警備の兵もアズマに対して懐疑的であった。いや、エルダー・パワーそのものに対して疑念を感じている。いきなりやってきて横柄な態度を取るのだから当然といえば当然である。

「大統領自らの命令だ。受け入れるしかなかろう」
 一般には知られていないが、ダマスカスには富の国の側面とともに【武の国】としての顔も持っていた。

 ダマスカス建国から数百年間は、アナイスメルの有用性に気がついた各国の権力者たちとの激しい戦いの日々であった。その頃のダマスカスには富を守るという理念ではなく、ただ生き残るためとしての武が必要だった。

 そこで結成されたのがエルダー・パワーという武力組織である。

 これもあまり知られていないが、ダマスカスにはかつて初代剣聖であり【偉大なる者の一人である紅虎丸】が肉体を持って滞在していた時期がある。

 彼は人々に剣を教えた。人を殺めるものではなく自らの心を鍛えるものとして剣術を教えていたのだ。紅虎丸の弟子たちは守るために力を使い、見事ダマスカス防衛に成功する。その後、さまざまな独自の武術がダマスカスで生まれていき、一時期のダマスカスは武の国として栄えた。

 しかし、次第にダマスカスがもう一つの側面、富の国として栄えていくにつれて近代兵器が導入されると、彼らの存在は忘れられたものとなっていった。

 武人の素養があまりなくとも、強力な兵器があれば簡単に補えてしまったからだ。それは現在の各国の軍部にもいえることである。ただし、そうした【生ぬるい環境】は人を脆弱にした。武人としての力が次第に衰え、かつてのような強い人間は少なくなっていく。

 そんな中、エルダー・パワーは都会を離れた山奥でひたすらに自己の鍛錬を続けていた。そう、この四百年間、ただひたすらに武を磨いてきたのだ。

 ジン・アズマという男もその一人。彼は山奥で鍛えるだけではなく、単身海外に渡って傭兵として経験を積んできた経歴を持つ。

 そして、こうした世界の混乱の中、国際連盟会議がダマスカスで開催されることとなり、大統領は万一に備えて彼らにも要請を出していた。

 事実上、エルダ・パワーは独自の勢力であって命令に従う義理はない。が、大統領自らが彼らの長、【マスター・パワー〈至高の武を受け継ぐ者〉】と交渉し、人材を派遣してもらえることになった。それだけ大統領には危機感が強いのだ。

 ただ、それに対して反感を抱く将校や兵も少なくないのが現状である。彼らにも軍人としての誇りがあるからだ。本来ならばナカガワもそうした感情を抱くのだが、軍部の実情を知っている彼の意見は違った。

(彼は本物だ)
 ナカガワはアズマから発せられる気質を懐かしく思っていた。あれは武人本来の気性である。自らを鍛え、律し、向上しようとする強い気持ちの表れなのだ。

 アズマが横柄という言葉は正確ではないだろう。彼は誇り高い【個】であるがゆえに普通の兵士とは異なる存在なのだ。だから兵士の緩みが許せないのだろう。

 そして、アズマが放つ気概は、ナカガワ自らがいつの間にか失ってしまった大切なものである。彼の言う【家畜】であることを知らずのうちに受け入れてしまっていた自分に気がつく。

「万一のこともある。各エリアのチェックをしておいてくれ。なに、一応だ。給料分くらいの仕事はしようじゃないか」
 ナカガワは階層の再チェックを命じる。もしアズマがいなければ杞憂だと見過ごしていたかもしれない。

(感じる。感じるぞ。この気配。戦いの臭いだ)
 司令室を出たアズマは突き刺さるような気配を地下から感じていた。まだ誰もこの異変に気がついていなかったが、敵が放つ湧き上がる闘争心だけは隠すことができない。

 地下から発せられる力は怨念にも似た強い意思であった。絶対に退かない強固な思念。退路を絶った者たちに共通する感覚だ。

(【死期】すら感じる。いいぞ、これが求めていたものだ)
 常に戦いの中で生きてきたアズマには、これだけ離れていても相手の力がわかる。ひしひしと伝わってくる。

 無手で飢えた大型の肉食獣と出会ったとき、殺意を剥き出しのマフィアに囲まれたとき、溺れた大海の底で鮫に囲まれたとき、人はこの感覚を理解できるかもしれない。

 だが、これこそアズマが求めていたものだ。

 今回の派遣はアズマ自身にとってまったく興味のないものであった。富を守ることに何の意味があるのか。少なくとも彼はそう思っていたからだ。俗世に関わることを毛嫌いしていたマスター・パワーの変わりようにも疑問を抱いたほどだ。

 しかし、ここに来てから世界の憎悪がダマスカスに集まっていくのを感じたのだ。その中心地がこのアピュラトリスだとも確信した。

 何かがここを狙っている。
 漠然とした感覚だが、はっきりとした確信である。
 必ず何かが起こる。敵が現れる。

 そしてその敵は間違いなく強敵。自身の武を試すだけの相手であるという直感。それが現実のものとなったにすぎない。

「我の武を試させてもらおう。世界に刃向かう者たちよ」

 アズマは愛用の黒刀を握りしめ、地下に駆けた。
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