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零章 『世界が分かれた日』

十二話 「RD事変 其の十一 『ヨシュアの憂鬱』」

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「ふぅ…」
 国際会議場、そのスペースの一つに座っていた青年は深い息を吐く。

 慣れない仕事であり、そもそも自分がここにいることに今でも疑問を抱いている。こうして休んでいても、気持ちが張っていてろくに落ち着けるものではない。

 そんな彼の前に紅茶が差し出される。

「お疲れ様です。ヨシュア様」
 紅茶を差し出したのはまだ小学生くらいの少女。浅黒い肌に癖毛の長い金髪をたなびかせた、まるで人形のように愛らしいエシェリータである。

「ありがとう、エッシェ」
 ヨシュアと呼ばれた青年は、エシェリータを労いながら紅茶に手を伸ばす。

「エッシェも疲れたのではないかな? 休んでいてもいいんだよ」
「ありがとうございます。でも大丈夫です。いろいろなものが見れて楽しいですから」
 ぺこっとお辞儀をする姿は年相応に愛らしい。ただ、その顔からは高い知性が溢れ出ており、この場にいることからも普通の少女ではないことがうかがえる。

 そして、その隣にはもう一人、白い服を来た金髪の青年がいた。

「ヨシュアさん、俺たちは何をすればいいんですかね」
「ここにいればいいんだよ、ゼファート。私たちは代理人でしかないんだし」
 隣にいたのはゼファート・ベクトラー。彼はガネリア動乱後、かつてヨシュアが率いていた第三騎士団の騎士団長補佐を命じられており、それなりに責任のある立場にいる。

 とはいっても、まだ若いゼファートに対して周囲はそこまで信頼を寄せておらず、相変わらず大変な日々を送っていた。

 それだけならばよいのだが、今回は連盟会議への帯同を命じられており、ヨシュア以上に当人が一番困惑していたのである。結局、何をすることもなくとりあえず護衛をしているのだ。

「そうですよ、【お兄さん】。あまりきょろきょろしないでください。恥ずかしいです」
「そんなこと言われても…」
 周りは各国の精鋭たちばかりである。その大半は常任理事国に意識を向けているが、ゼファートの挙動不審さにも多少警戒しており、たびたび視線が集中する。

 そのたびにエシェリータは恥ずかしい思いをしていたのだ。そして突き放す。

「べつにお兄さんは来なくてよかったです」
「何を言うんだ。エッシェを一人で来させるわけにはいかない。というか、どうしてお前がここにいるのかわからないよ」
 ゼファートとしては【可愛い妹】を一人で海外に行かせるわけにはいかなかった。たとえ命じられていなくても、ついてきたであろうことは想像に難くない。

「はは、たしかにそうだね。エッシェのほうが立派だ」
「ヨシュアさんまで…まいったな」
 両者はまるで正反対であった。しっかりした妹が落ち着きのない兄を迷惑がっている様子は微笑ましい。

 しかし、エシェリータに関してはヨシュアもゼファートと同じ気持ちであった。彼女という存在をどうしてここに連れてきたのか、それも不思議であった。

(陛下のご指示とはいえ、エッシェはあまりに目立ちすぎる)
 ゼファート以上にエッシェは目立つ。その理由は彼女が子供だからではない。それ以上のものを【表現】しているからだ。

 彼女の帯同はガネリア新生帝国、初代皇帝ハーレム・ベガ・ガーネリアの指示である。今回用事があってハーレム皇帝は出席していないが、その代わりとして第一騎士団長となったヨシュア・ローゲンハイムが代理で出席している。

 しかしながら、今回のような大きな会議において国家元首が出ていない国のほうが少ない。なにせルシア天帝すら出席している会議だ。その意味においてもガネリアの態度に不満を持つ国があるのも事実であった。

 若い筆頭騎士団長はそれほど珍しくはないが、ヨシュアはさらに若く見える。下手をすれば十代に見られてしまうほどだ。これでは目立ってしまうのも仕方がない。

(まったく、ネルカさんが逃げなければ、こんなことにならなかったのに)
 第二騎士団のネルカ・グランバッハはいつもの通りに逃げた。すぐに逃げた。最初から打ち合わせにいなかったという始末である。

 しかし、もともと情勢不安の兆しが見えている東側国家において、防衛部隊を束ねるネルカがいないのは不安につながる。ここはおとなしくヨシュアが出るのが筋でもあるのだ。

(仕方ない。あまり目立たないようにしていよう)
 ただでさえガネリア動乱ではシェイクと揉めていたのだ。あまり目立って、いちゃもんをつけられては困る。ガネリアの立場はまだあまりよくないのだから。

「ローゲンハイム殿、お久しぶりです」
 そんな憂鬱なヨシュアに声をかけたのは、さきほど紅虎に好き勝手されていたシャイン・ド・ラナーであった。

 彼はトラウマを払拭するかのごとく、積極的に周囲に話しかけ悪夢を忘れようとしていたのだ。そしてガネリアスペースにヨシュアの姿を見つけた。

 ガネリアでは二十にも及ぶ国家再編が行われていたので、国際連盟加盟国四つ分のスペースが与えられていた。それも目立つ要因ではある。

「これはラナー枢機卿、お久しぶりです」
 ヨシュアは頭を下げる。その姿にラナーは改めてヨシュアに対して好感を抱くのだ。

 ヨシュアは国家元首の代理人。立場では護衛にすぎないラナーよりも上である。それでも礼を尽くすヨシュアに感銘を受ける。

「お声をかけてくださればよかったのに。私とあなたの仲ではありませんか!」
 とラナーは言うが、【あの状況】で声をかけられるほどヨシュアは心が強くない。嵐の日に初心者がサーフィンに出かけるようなものだ。

「【雷光らいこうのヨシュア】、あなたの噂は広がっておりますよ」
「またそれですか…」
 そう、ヨシュアの知らない間にこの通り名が広まっていた。どうやら発端はラナーとの親善仕合いであるらしい。その時に放った一撃があまりに速かったのでその通り名がついたとか。

 ヨシュアは今も【片腕】である。あの戦いで利き腕の右腕を失くし、武人としては相当のハンデを背負っていた。いくら祖父ジーガンから譲られたハイテッシモが高性能な機体でも、搭乗者が未熟では話にならない。

 そのためヨシュアは、仕事の合間にひたすら鍛錬を繰り返した。それは基本の技、斬る、突く、払うを一日に何万回と繰り返すことであった。技を新しく覚える余裕のない彼には、それしかできなかったのだ。

 その後、ハーレムの指示で半年ほど武者修行に出され、各国の有名騎士と親善仕合いを行っていた。半分は新しくなったガネリア新生帝国の挨拶も兼ねていたが、皇帝自らの書状があったために白騎士と名高いラナーとも対戦ができた。

 ラナーの搭乗機は本来の神機【シルバー・ザ・ホワイトナイト〈信仰に殉ずる白き騎士〉】ではなかったが、剣聖である彼をあと一歩まで追いつめたヨシュアの実力に誰もが驚いた。

 しかし、ヨシュアはこの通り名に困っていた。帰ってくれば国民に定着しているし、事あるごとに「雷光のヨシュア殿と対戦したい」と言ってくる騎士も激増して仕事に支障が出ている。そういう相手にはもれなく【マリリン】が提供され、ぼろぼろになって帰っていくのだが。

 ちなみにマリリンとは、旧ガーネリア帝国、元第四騎士団長のマリー・ザ・ブラッドマン(多重人格者)の【主人格】である。だいぶおとなしくはなったが、大人の女性が幼女言葉で銃を乱射すれば、誰でも恐怖を感じるであろう。ああいう輩には適任者である。

「困りました。いったい誰が言い出したのでしょう」
「ああ、それは私です。どうです? 良い名だと思いませんか?」
「それは…どうも」

 犯人はこいつだった。

 ラナーはいたくヨシュアの剣に感動し、ロイゼンに勧誘したくらいである。当然無理なので断った。ついでにカーリス教への入信も勧めてきたので断固断った。

 同じカーリスの司祭であるマーサ・ハイレーンを連れてくればよかったと思ったが、彼女がいれば玉の輿を狙った可能性もあり、また違う問題が発生したかもしれないので、やはりこの事態は受け入れるしかないのだろう。

「ラナー様、どうぞ」
 そうしている間に、エシェリータがラナーの分の紅茶を用意していた。

「ありがとう、可愛いお嬢さん」
 そう言ってラナーがエシェリータを見たとき、一瞬だが彼の目に驚きの色が宿った。その後すぐに戻り、改めてお礼を言う。

「気の利くお嬢さんですね。娘さんですか?」
「ち、違います。部下の妹です」
 ヨシュアはまだ二十三歳になったばかりである。さすがにこの年齢の娘はいない。

 ただ、ラナーは冗談で言ったわけではない。本当にそう思ったから聞いたのだ。実のところ、この男もどこか【ズレている】のだ。それが紅虎のツボにはまって、遊ばれているだけのことである。

 この男、つまり天然である。

「ところでヨシュア殿、剣聖になりませんか?」
「ぶっ!!」
 突然のラナーの言葉にヨシュアが紅茶を吹き出す。

「何をおっしゃるのですか。無理です」
「いえ、あなたのお力はそれに匹敵する。私が推薦します。ぜひ【剣王評議会ソードマスターズ】にお越しください」

 世界に一人だけいる剣の王者を【剣王】と呼ぶ。

 剣王は必ず存在しなければならず、空席は許されない。それらは常に剣王評議会と呼ばれる、剣聖や有名剣士によって構成された独自の委員会によって選出されるのだ。

 剣王評議会は、各国の意思がいっさい入らない独自勢力である。集った剣士だけが自らの判断で推薦し、票を入れて役員を決める制度が確立している。よって、ここでは国籍や人種は意味を持たない。必要なのは実力だけである。

 剣聖のラナーも当然、そのソードマスターズの一人であり、非公式ではあるがマスター・パワーの赤虎も役員であるという、実に豪華な顔ぶれである。そのラナーの推薦があればヨシュアといえども可能性は十分にあるだろう。

 ちなみに紅虎も剣王評議会の最高顧問として登録されているが、基本的に会議には来ない。当人にとっては剣王などどうでもよい存在のようだ。

「そんな、無理です。それに剣聖は称号ではないはずです。民から認められねばなれません」
 ヨシュアが困惑するのも当然である。

 剣王と剣聖は違う。剣王はただただ強さだけを求められるのに対し、剣聖は民からの支持があって初めて得られるものだ。称号というよりは【尊称】である。

 ラナーも、その剣を人々のために捧げたことによって剣聖の名を得たのだ。彼を有名にしたのは【ラナトーコラムの解放】という事件である。

 ラナトーコラムとは東大陸の南東に位置する国家群の一つで、まだまだ発展途上国である。実態は国というよりは自治領に近い文化レベルにある。

 彼らが主に崇拝していたのは別の宗教で、カーリス教徒は常々非常に苦しい立場にあり、何か事が起こるとカーリス教徒の中から罪人が選ばれるといった横暴も繰り返された。

 これにはラナトーコラムの歴史を鑑みなければならない。ラナトーコラムは、千五百年前にカーリスが派遣した宗教統一を目的とした神聖十字軍によって制圧された歴史を持っている。

 しかし、当時の人員不足により、十字軍の大半は更正プログラムを受けていた受刑者、つまりは罪人によって構成されていた。

 そうしたカーリスの純粋な信仰を持たない彼らは、制圧時に彼らに対して非道な行為を行った記録が残っている。それがカーリスに対する不信感を生み、独立した現在もかつての恨みが非常に強い場所であった。

 そうした中、宗教間の確執によって、貧困区のカーリス教徒たちが強制収容所に連行される事件が起こった。

 当然何ら罪はない一般人たちである。事態を重く見た第一神殿は、使者を送り問題の解決を図った。それが当時のラナー司祭長である。

 その頃のラナーは紅虎との修行を一旦終え、ロイゼンに戻りカーリスの神官騎士として活動を開始していた。彼は貴族出身ではあったが地位は低く、そこまで重要な人物とは思われていなかった。

 第一神殿としては危険な地域に送り込む人材選びに苦慮していたので、それなりに強く、それなりに重要ではないラナーの存在に目をつけたのは当然の結果だったのだろう。

 そう、当時のラナーの評価はその程度だったのだ。

 だが、ラナーは喜んで受けた。紅虎との修行のトラウマ(主に性的な)に苦しんでいた彼は、どんな場所でもいいから独りになりたかったのだ。

 そのため他の従者を一切断り、単独で向かうことになる。さすがの第一神殿も止めたが、彼の固い意思は変わることはなかった。

 もちろん、彼の個人的心情は伏せられていたので、神殿側から見れば「なんという信仰と使命に燃えた男なのだ」と高い評価を受けることになる。

 カーリスにとって自己犠牲こそが最大の徳だからだ。そうして名目上は、信仰のために同胞を守るために単独で向かった敬虔な使徒という扱いになった。

 その後のラナーを襲ったさまざまな苦労を列挙するのはたやすいが、どれも結果として「師匠ほど厳しくない」という理由で切り抜けたことだけ付け加えておこう。

 彼はたった一人で収容所のカーリス教徒を解放し、一ヶ月もの間、暴徒と化したラナトーコラムの民衆から守りきった。その時、ラナーは双方の誰一人として傷つけなかった。

 気がつけば、彼の剣は恐るべき強さを身につけていたのだ。紅虎を相手に毎日戦ってきた彼にとって、民衆の怒りなどそよ風と変わらない。ヨボヨボの老人をエスコートする程度のことだ。

 そうして彼は両者の和解のつなぎ役として貢献し、ロイゼン神聖王国からも騎士団長の地位を与えられる。神殿からは準聖人の位を与えられ、今では枢機卿の立場である。

 こうした【厄介事】をいくつか片づけているうちに、彼は剣聖と呼ばれるようになっていた。剣聖とは、民から認められた剣士、特に弱者のために戦う人間に送られる敬愛の言葉なのだ。

 もっとも、剣王評議会での採決の際には珍しく紅虎もやってきて、散々いびられたのだが。それだけ師匠から愛されている弟子である証拠でもあるが。

「ううむ、残念です。あなたならばと思ったのですが…」
「そんなに私を剣聖にしたいのですか?」
 ヨシュアにはラナーの考えがよくわからない。剣聖はたしかにステータスであるが、正直通り名ができただけでもこの有様である。剣聖にもなればさぞかし大変だと容易に理解できる。

 ラナーにはきっと何か深い理由が…

「剣聖が増えれば、師匠の世話も分担できると思ったのですが…」

「お断りいたします」
 即答である。

 さきほどの光景を見て、進んで関わりたいと思う人間はカーシェルのような変わり者だけだろう。ヨシュアはノーマルを自負している。謹んで断固として断るつもりだ。

「私にはまだまだ遠い世界です。それに私はラナー卿には及びません」
 その言葉にラナーは目を鋭くする。こと剣にかけてはラナーは一流である。女性との関わりがない彼には、剣だけが命なのだ。

 そんな彼だからこそ、これだけは言っておかねばならなかった。

「たしかにあの時は私が勝ちました。しかし、あなたが【本気だったならば】どうだったでしょうか?」
 戦いの後半、ヨシュアの鋭い突きがラナーを襲った。ラナーは直感的にそれが避けられないものだと悟り、敗北を受け入れたのだ。

 しかし、結果は逆になった。

 ヨシュアが寸前で勢いを殺したからだ。ラナーも一流の剣士。無意識にその隙を突いて勝ちを拾ったが。あくまで拾いもの。与えられたものだった。

「私は、恵んでもらった勝利を喜ぶほどお坊っちゃんではありませんよ」
 ロイゼンの観衆は喜んだ。国王も法王も喜んだ。しかし、ラナーはヨシュアの強さを賞賛しながらも、すっきりしない気持ちでいたのだ。

 すでに剣聖であるラナーは名声を欲していない。求めているのは純粋な勝利。できれば死力を尽くして戦いたいと思うのは当然である。いや、それが武人の義務なのだ。

「いえ、あれは…」
 必死で弁明しようとするが、いまさら何を言っても聞いてはくれないだろう。

 ラナーにとってみれば屈辱でしかないのだ。それでもこれくらいで済んでいるのは、ラナーの人格に寄るところが大きい。粗野な人間ならば激怒してもおかしくないのだ。

「どうすればあなたが本気になってくださるのか、あれからずっと考えているのです。またいつか再戦を受けてもらいたいものです」
 その言葉にはヨシュアは頭を抱える。

 今でも多くの人間に勝負を挑まれているのに、ラナーにまで狙われてはたまらない。かといって、勝ちを譲ったのは事実である。ラナーの気持ちは剣士として当然。むしろヨシュアが泥を塗ったのだから、むげに拒むのも無礼になるだろう。

 ただ、ヨシュアにも言い分はある。ヨシュアは最初から勝つ気がなかったのだ。あくまで練習。自分の技がどこまで通用するか試したかっただけにすぎない。

 あの時の戦いも、ハイテッシモのパワーに翻弄されそうになり、慌てて制御したら突きの勢いが死んだのだ。つまりはヨシュアの未熟さゆえの失態である。

 が、それを伝えたところでラナーが納得するわけもない。どうすればよいのかと迷っていたところ、思ってもみない珍客がやってきた。

 ゴールデンイエローの髪を無造作に肩で切りそろえ、緋色のぴっちりとしたフォーマルスーツを着た女性。

 こう言うとやり手の女性秘書官などを想像するが、サイズが小さい。とても小さい。身長もエシェリータよりやや高い程度、ほぼ小学生サイズである。ただ、小柄ながらも身体は引き締まっていることが服の上からでもよくわかる。

「なんじゃ、おぬしもいたのか」

 少女はラナーを見て(見上げて)、気安く声をかけた。

「はい、ローゲンハイム卿に会いにきました」
 ラナーもその少女に声を返す。久しぶりに会う、見知った友人同士の会話のような軽い雰囲気だ。

「わしも邪魔するぞ」
 少女は近くの椅子を引き寄せ、ちょこんと座る。子供用にはできていないので足が少しだけ浮いていた。その状態を気にすることもなく、少女はエシェリータに声をかける。

「わしにも紅茶じゃ。蜂蜜レモンはあるかな?」
「はい、ご用意いたします」
 エシェリータは笑顔でお茶の用意を始める。各スペースには、さすがダマスカスと呼べるさまざまな高級茶やコーヒー、茶菓子などが大量に並べられている。蜂蜜漬けのレモンも完備されていた。

 しかし、兄のゼファートは身を硬くする。

 この国際会議場に普通の少女がいるわけがないのだ。
 ゼファートはその正体を知っている。

(なんでこいつがここに来るんだ!)
 隣のヨシュアに視線を移すと、そっと頷く。ヨシュアも少し緊張しているようである。

「しかし、あなたがこちらに来られるとは珍しいですね」
 ラナーにとっても少女の来訪は意外だったようだ。彼女はあまり目立った行動を好まないし、自国のスペースにいるとばかり思っていたからだ。

 そのラナーの言葉に、少女は煎餅をかじりながら答える。

「紅虎が来たから逃げてきた」
「そう…ですか」
 ラナーの表情が引きつる。さきほどの恐怖を思い出していたのだろう。

 紅虎は、ただ弟子を小突いて抱きしめただけ。あれは彼女にとっての愛情表現なのだが、やられる側としては非常につらい。カーシェルのように激しい熱を持った愛情になるか、ラナーのように恐怖を抱くかどちらかとなる。

 そんな凶悪な人間が来たとなれば、少女が逃げてくるのも当然だと思われた。

「あれには関わらぬほうがいいからな。ろくな目に遭わん」
 少女もうんざりとした口調でぼやく。幸い即座に脱出したので自身は被害を免れたが、残った騎士たちは災難であろう。きっと遊ばれているに違いない。

「なんとかなりませんかね…」
 ラナーとしては何とかしたいのだが、少女は首を横に振る。

「【直系】を止められるやつなどおらぬよ。触らぬ神に祟りなしじゃ」
 紅虎などの偉大なる者により近い血筋の人間を【直系】と呼ぶ。紅虎は、紅虎丸の一二七番目の子供であり実娘である。それだけ血が濃いのだ。

 直系は【純粋種】なので、今の人類よりも格段に覚醒率が高く、武人としての力も比較にならないほど上である。その証拠に剣聖であるラナーも簡単に遊ばれてしまうほどだ。

 嵐が来たら過ぎ去るのを待つしかない。
 自然に対抗するのは愚かなことである。

 そして、さらに困った情報がもたらされる。

「うちの大統領もやられたぞ。まあ、都合の良い乳がなかったので、紅虎のではたいていたがな」
「ししょーーーーーーう! やめてくださいーーーーーー!」

 犠牲者二人目は、シェイク・エターナル連合国家大統領、ベガーナンであった。紅虎の中では、大統領を乳で殴って気絶させるのが流行っているようだ。マイブームなのだ。さっきブームが始まったらしい。

「できれば弟子のおぬしに止めてほしいがな。次はルシアに行くぞ、あの女」
 ダマスカスとシェイクを潰した次は、ルシアを狙っているそうだ。ルシアにまでちょっかいを出したらとんでもないことになる。ラナーは顔面蒼白だ。

「まずい、戦争になります! 止めてきます!」
 ラナーは手短に別れの挨拶をすると、次の獲物を探してうろついている紅虎を止めに行った。最悪は自分が犠牲となる覚悟で。ラナー、つくづく運のない男である。

 しかし、それで戦争が回避されるとなれば尊い犠牲なのかもしれない。

「どうぞ」
「うむ」
 そうこうしていると、エシェリータが蜂蜜レモン入りの紅茶を入れてやってきた。少女は実に嬉しそうに茶を飲む。

「蜂蜜レモン大好きじゃ」
 はむはむとレモンを口に入れている少女は、まさにエシェリータ同様愛らしい存在である。しかし、見た目に騙されてはならない。

「それで、どのようなご用件でしょうか。シャーロン・V・V殿」
 ヨシュアは感情をあまり出さずにその少女、シャーロンに問う。

 シャーロン・V・V。
 大国シェイク・エターナルが擁する最強の武人である。

 彼女は【始末人】とも呼ばれる世界最強の暗殺者であり、シェイク最強の実動部隊【ジュベーヌ・エターナル〈緋色の空の永遠〉】の隊長である。その名を知らぬ武人はいないほど有名だ。

 温厚で平和を愛するヨシュアではあるが、シェイク・エターナルとなれば話は違う。ガネリアは、シェイクと戦うことでその立場を示してきたのだ。

 代理で来ている以上、簡単に仲良くはできない。実際にヨシュアの言葉にも少しばかり険があった。

「すまぬが、蜂蜜レモンを容器ごと持ってきてくれ」
 気に入った。ものすごい気に入ったらしい。エシェリータにそう頼み、彼女が十分離れたのを見計らってからシャーロンは楽しそうに言う。

「【エトール】の人間がいたのでな。ちょっと見物に来ただけじゃ」
 エトールとは、エシェリータのことである。彼女は特別であった。

 それは彼女の【右目】に如実に表れている。

「エトールだから何か悪いのか!」
 その言葉に反応し、ゼファートがシャーロンを激しく睨みつける。

 それ以上の行動を起こさなかったのは彼の成長ではあるが、その視線には敵意が満ちていた。もし相手がシャーロンでなければ殴っていたかもしれない。

「ゼファート、やめなさい」
 ヨシュアが静かに、それでいて強い言葉で制止する。こんな場所で争うなど、ガネリアの評判を下げるだけである。何の意味もない。

 しかも、今の敵意で周囲の武人たちの注意を引いてしまい、数多くの人間の視線が集まっていた。ただでさえラナーとシャーロンという有名どころが集まってきて注目されているのだ。これ以上の面倒は避けたいのが本音だ。

「シャーロン殿、そうした話題には気をつけてください。こちらはまだ戦争の爪痕が残っているのですから」
 ヨシュアは柔らかく、しかしはっきりと述べる。

 ガネリア動乱が起こる前までは、弱さが垣間見えることのあったヨシュアであるが、あの戦いは彼を厳しく鍛え上げた。

 シャーロンを前にしても絶対に譲れないものは譲らないつもりでいる。エシェリータは、ヨシュアにとっても大切な仲間である。侮辱されれば本気で怒るつもりだ。

 そんな気配を察してか、シャーロンは少し意地の悪い笑みを浮かべて謝罪する。

「ふふ、冗談じゃよ。気を悪くしたなら謝ろう。あれはいい子じゃな」
 現在エシェリータは、シャーロンに頼まれた蜂蜜レモン入りの容器を必死に持ち上げようとしているものの、腕力はまさに子供なので、なかなか上がらずに四苦八苦している。

 たかが蜂蜜レモン。されど侮るなかれ。ここはダマスカスなのだ。その容器があまりにも立派すぎて、しかも重いという罠が仕込まれていた。

 そこで仕方なくエシェリータは哀れな無力な幼女を装い、近くの大人を使って運ばせようとしている最中である。実にしたたか。狡猾。えげつない。

 そんなエシェリータにシャーロンは微笑む。

「エトールがまだ残っていたとは驚いた。レクスの子か? あれは未婚だと思ったがな」
「お前に教える必要はない」
 ゼファートは無愛想に答える。敵でもあり、エトールを話題に出して挑発した女に愛想を振りまく必要もない。

「ふっ、嫌われたものじゃな」
「申し訳ありません。彼にとっては重要な問題なのです」
 ヨシュアがフォローに入るもシャーロンの顔は笑っていたので、ゼファートの気質を見抜いて遊んでいるだけのようであった。

 ただ、意図はある。

「ガネリアは【そうした問題】を解決していると聞いていたのでな。少し試してみただけよ」
 ガネリア新生帝国の誕生が宣言された際、ハーレム皇帝は人種や宗教、障害や貧富にかかわらず、すべての人間を受け入れることを表明していた。

「人が人らしく生きられる国にしよう。すべての人が互いを認めあい、許しあえる国にしよう。相手の痛みを自分の痛みとして考えられる国にしよう。すべてを分けあい、与えあう国にしよう」

 ハーレムはそう言った。それはただの言葉ではない。決意である。意思である。絶対に守らねばならない教訓なのだ。

 それを証明するために、ガネリアは積極的に難民も受け入れており、この一年足らずで人口は増え続け、国力も一気に増していた。

 これは簡単なことではない。通常、難民はまったく役に立たないどころか混乱を招くことが多い。教育を施して仕事を与えるにも時間や手間がかかるものだ。普通ならば、国力にはすぐにはつながらない。

 しかし、ガネリアの最大の特徴は、そうしたさまざまな人間にすぐに対応できる点である。

 彼らを単純な労働力として酷使するわけではなく、しっかりと役割を与えて活用するのだ。活躍すれば出世も早く、仮に意欲がなくても生活をサポートする態勢が整っている。

 それができるのも、ガネリアが戦争からの復興を目指して急成長しているからであろう。物や人が溢れ、そこに前向きな活気とパワーがある。戦争という痛みを経験した民は、誰もに優しくなれるのだ。

 そのすべては、ハーレムという最高の【王】がいるからなのだ。彼の言葉は人を惹きつける。勇気を与える。強さを与える。弱った人にも生きる希望を与える力がある。

 それこそ【王】の力。人々を導く者の声なのだ。

「まあ、半分はやっかみじゃ。それくらいは受ける度量はあろう?」
「……」
 ヨシュアはそれに答えられなかった。

 実は、金融市場が凍結された世界の混乱期にあっても、ガネリアだけはまったく動じていない。それどころか国力を倍増させている唯一の国家なのだ。

 潤沢な資金や優秀な人材、有り余る物資が洪水のごとくガネリアに押し寄せる。まるで、【最初から世界の混乱が起こることを知っていた】かのように、すべて準備が整っていたのだ。

 もちろん、戦後復興という言い分はある。ガネリアには人も物も不足していたのだ。早急な手当ては必要な措置であった。

 だが、それが隠れ蓑になったのも事実だ。金や物が動いていても大国の注意を引かずに済んだ。普通ならばシェイクなどが横槍を入れるものだが、それもなかったのだ。

 こうして今や、ガネリアは東側諸国において最大の成長株として注視されており、ようやくにしてシェイク陣営からも強いマークを受けている。

 シャーロンの言葉は、それをネタにしてからかったものである。彼女自身のやっかみではなく、シェイクの民が抱いている感想を述べたにすぎない。

 それを知るからこそ、ヨシュアも言葉が出なかったのだ。
 すべて事実であるから。

「ヘターレ王が死んで少しは楽になるかと思ったのだが、ふふ、そうはいかないようじゃな」
「それは申し訳ありませんでした」
 騎士にとって主君を侮辱するその言葉は、挑発以上のものとなる。

 しかし、ヨシュアは軽く受け流す。かといって不快にもなっていない。ただ自然に振る舞っていた。しかも、感情的になりそうなゼファートに目配せして制止させる余裕まである。

 それがシャーロンには意外でもあり、逆に取っつきにくくもあった。個人的には、ゼファートのような猪突猛進タイプが好みである。そのほうが面白いからだ。

「若いのに固いのぉ。ジーガンのほうが面白かったぞ。あいつならば、遠慮なく罵声くらいは浴びせたであろうに」
「私は祖父にはなれませんから」
 ヨシュアはすでに割り切っていた。自分はジーガンにはなれない。比較されることが多くなることも想定し、できるだけ感情を表さないようにしているのだ。

 そもそも自分に祖父と同じ生き方はできないのだ。それで良いとも思う。だからシャーロンがジーガンのほうが良いと言っても、まったく気にしていなかった。自分は祖父には及ばないことを知っているから。

 実のところ、シャーロンはヨシュアに興味を持っていた。

 ジーガン・ローゲンハイムの孫というだけではなく、ガネリアの筆頭騎士団長であるヨシュア・ローゲンハイムが見たかったのだ。ともすれば、いつか戦う相手かもしれないのだから。

 そして、シャーロンの評価はヨシュアが考えていたものとは逆である。

(良い後継者を育てたものじゃな。いつかはジーガンに並ぶやもしれん。いや、超えるかもしれんな)
 ジーガンは同じローゲンハイムとして、または剣の師としてヨシュアには厳しかった。才能がない凡人とも言い放っていた。

 しかし、それはジーガンが騎士としての務めを果たしていたからの評価である。ジーガンは仮にヨシュアがどれだけ優れていても、けっして褒めたりはしなかったであろう。自分の孫だからこそ厳しくしなければ、民からの信頼は得られないのだ。

 ヨシュアは紛れもなく、名家であるローゲンハイムの資質を色濃く受け継いだ男だ。才気はハーレムには及ばないが、それはハーレムが天才すぎるだけのことである。

 実際、ヨシュアの才覚は、他国の武人と比べても抜きん出ている。そうでなければ、あのラナーが興味を抱いたりはしない。それだけの逸材なのだ。

「蜂蜜レモン、お持ちいたしました」
 エシェリータが大量の蜂蜜レモンを持って戻ってきた。持ってきたのはダマスカスの給仕であったが。

「でかした!」
 シャーロンはエシェリータの頭を撫でつつ、蜂蜜漬けのレモンを一気に三枚、口に放り込む。満面の笑みだ。その笑顔はまさに子供そのものである。

「シャーロン殿は、祖父と戦ったことがおありだと聞いていますが」
 シャーロンと話せる機会など滅多にない。せっかくなので、ヨシュアは昔ジーガンから聞いた武勇伝を確認してみた。

「若い頃の話じゃがな」
 シャーロンは、こともなげに肯定する。まだジーガンがヨシュアと同じ年頃で、第三騎士団を率いていた時代である。

 かつてシェイクは、ハーレムの祖父であるヴァラン王が、ガネリア統一に動き出すことを強く警戒していた。

 そうしてガーネリアの軍事行動が激しくなっていった頃、シェイクも軍を出して牽制したことがある。両者の激突はその時のものだ。

 シャーロンもその時は今ほど有名ではなく、シェイクの外国人傭兵部隊の隊長にすぎなかった。傭兵にとって戦場は職場である。そこで敵将の首を獲って出世を狙うことにした。

 ジーガンの暗殺である。

 だが、ジーガンはその時から才気溢れる若者であった。シャーロンの接近にも気がついていた。というよりは、彼は二週間一睡もせずに部隊を率いていたので、寝ているところに忍び寄って、とはいかなかったのだ。

 武人のタイプが違うので真っ向勝負ではなかったが、互いに決め手を欠いた戦いとなり、結果は引き分けに終わっている。

「おぬしは術は使えるのか?」
「多少は」
「やはりローゲンハイムじゃな。【ハイブリッド】の血筋か」

 通常、戦士・剣士・術士の三つの因子を同時に覚醒させることはできないとされている。が、稀に二つを持ち合わせる人間がいる。それがハイブリッドである。

 ローゲンハイムは、代々ハイブリッドの武人をよく輩出しており、ヨシュアも最近では術の因子もかなり覚醒してきた。ジーガンほどは無理であるが、炎系の術の腕前はかなりのものである。

 それに、ジーガンから譲られたローゲンハイム家五宝の一つである聖杖バイエンドには、術の効果を高める特殊なジュエルが使われているようだ。杖に頼れば、もっと高いレベルの魔王技を使うことが可能である。

 ただ、ヨシュアとしては、まだ剣と同時に扱うことはできないので、術の使用は限定的となっている。それでも剣と術を高いレベルで扱えるハイブリッドであることは、今後大きな武器となるだろう。

「ジーガンは強かったぞ。年を取ってさらに強くなった。おぬしもそのうち追いつくであろう」
 シャーロンはヨシュアが片腕であることも知っていた。それが彼の意思を増強させ、強くしている要因であることも。

 片腕だからこそ一撃に本気になれる。これを外したら後がないと思える。生来的に優しい性格のヨシュアにとっては、片腕であることはメリットなのだ。

 もし彼が両腕だったならば、到底一年でここまで実力を上げることはできなかったであろう。それもまたジーガンが与えた試練だったのかもしれない。

「ありがとうございます」
 今度はヨシュアは素直に礼を述べる。

 シャーロンが気さくな人間であることはわかっていた。だが立場上なかなかそうできなかったのだ。

「なんじゃ、笑えるではないか。最初から笑えばいいものを。そんなところまでジーガンに似なくてもよかろうに」
 無愛想な祖父を思い出し、ヨシュアは笑う。

 ジーガンはいかなるときもけっして笑わなかった。いつも厳しくあった。それがどれだけ国と人民のためになったか計り知れない。

「わしも張り合いがなくなるの…」
 正直、シャーロンはジーガンが死んだと知って、友を失った気分でいたのだ。今や直系を除けば、自分と互角に戦える人間など数えるほどしかいない。それは武人として寂しいことなのだ。

 だが、新しい芽が育っていることに不思議と喜びを感じている。他国の騎士であっても嬉しいものだと知る。それがよしみあるローゲンハイムならば、なおさら嬉しいものだ。

「わしもジーガンと子を作っておけばよかったの」
「いやいや、シャーロン殿、その冗談はちょっと…」
 あの厳格なジーガンである。その冗談はあまり似つかわしくない。

 たしかにローゲンハイムは子供が多い家だが、それはあくまで義務としての側面が強い。子を多く産んでおかねばいざという時に困るし、その中から優れた子を選ぶほうが可能性は高まるものだ。

 事実、王族は大抵側室を設けており、多くの子を産んでいる。ハーレムのように、一子だけが才能をすべて受け継ぐことは稀なことである。今回のガーネリアが特別であったのは否めない。

「なんじゃ、知らんのか? わしはジーガンと寝たことがあるぞ」

「ぶっーーー!」
 ヨシュアがその爆弾発言に紅茶を吹き出す。

「わしの蜂蜜レモンを汚すな。まったく」
 シャーロンはとっさに蜂蜜レモンを持ち上げて保護し、口を尖らせる。

 さすがシャーロンである。その動きは、ヨシュアでもかろうじて見えた程度だ。蜂蜜レモン保護に本気を出すシェイクの始末人である。

「ごほっ、げほっ。少し驚いた…いえ、かなり驚いたもので」
 ヨシュアはシャーロンの姿を改めて確認する。少女だ。いや、幼女だ。どう見ても犯罪の臭いしかしない。

 シェイクでは私生活の充実は当然の権利とされており、結婚するのが一般的である。海外派兵の多い騎士であっても、たいてい結婚はするものだ。

 その中でシャーロンは未婚だと聞いている。その彼女から出たまさかの爆弾発言である。

「まあ、人生いろいろとあるものじゃ」
「いろいろとありすぎですよ」
 さすがのヨシュアでもついツッコミたくなる。どうやらその時の戦いで、互いに認めあう気持ちが芽生えたようだ。

 ジーガンは若かった。シャーロンも若かった。それだけのことだ。

 正直、知りたくなかった情報である。あの祖父にそんな過去があったとは驚きだ。

(おばあ様には内密にしておこう…)
 こんなことが明るみに出たら、ローゲンハイム家の大騒動である。

 これがそこらの町娘ならば、ただの若気の至りであったが、相手がシャーロンであるのは問題である。なにせ敵国の将なのだから。

 まあ、あの祖父にしてあの祖母あり、である。祖母は優しくも豪気な女性なので、そのあたりは受け入れてくれそうであるが、これ以上の重荷は背負いたくないのが本音だ。

「だからおぬしのことも気になってな。若い頃のジーガンにそっくりじゃ。…で、どうじゃ?」
「何がですか?」
「わしと交わってみるか?」

「ぶっ――――――!!!」
 その言葉に、ヨシュアは気が遠くなった。さきほどの爆弾発言を超える、超大型爆弾の投下である。

「遠慮いたします。ぜひとも遠慮させてください」
「もしかして初めてか? 大丈夫じゃ。優しくするぞ」
「いえ、なんと申しますか、遠慮いたします」
「なんじゃ、つまらんな。良い社会勉強になると思うがの」

 そんな犯罪めいた社会勉強は御免である。

 知らないところで狙われていたヨシュアは、今後さらに警戒を強めようと密かに決意するのであった。


「ローゲンハイムとの仲じゃ。もう一つ教えてやろう」
「そういった話はこりごりです」
 これ以上の精神的ダメージを受けたら職務どころではなくなる。もうシャーロンにはお帰り願いたい気分である。

 しかし、当のシャーロンから出た言葉はまったく別のものであった。

「おそらく数ヶ月以内に、うちの軍が動くぞ」
 シャーロンの情報は、数ヶ月以内にシェイク軍がガネリアに侵攻を開始するというものであった。

 その話にはヨシュアも真面目な顔になる。

「どういった状況でしょうか?」
「やっかみだと言ったであろう? 前の時に、こちらもけっこうやられたからな」
 ガネリア動乱時、シェイクは国連軍としてガネリアに介入を図っていた。

 その目的の大部分は、貧困国の国家破綻による経済悪化防止および難民増加の抑止ではあったが、ガネリアの力を削ぐことも重要な目的であった。

 そのためにわざわざ国連に介入して口実を作ったのだ。ルシア介入の噂もあったシルヴァナを牽制する必要もあった。

 だが、【黒の英雄】によってそれらは阻止され、結果的には手痛い反撃を受けることになった。その直接の要因となったのはガロッソ王国なのだが、現在のガネリア新生帝国はそのガロッソも併合している。

「つまり、ガロッソの責任を取れということですか」
「言い分はな。だが、言った通りのやっかみじゃよ」
 世界が揺れている中、唯一国力を倍増させている国がある。その国が自国に対抗する国であったならば、危険に感じるのも当然だろう。

 それが普通の国力増加ならばまだいい。ただの脅威論で済む話だ。しかしながら、ガネリアの成長は、そんな話では済まない。その要因の一つに【黒の英雄の遺産】があったのだ。

 ゼッカーは戦後復興の際、多くの才能ある人間を集めた。その中の半数近くはラーバーン側についたのだが、残りの半分はガネリアに残っている。残った彼らは、ハーレムもまたゼッカーと同レベルの資質を持っていることに気がついたのだ。

 当然ながら両者は別の存在。ハーレムはゼッカーのような知識は持っていないが、カリスマは同じだった。ハーレムは彼らに対して理想を説き、夢を話し、協力を願った。王自らが彼らに助けを求めたのだ。

 それに燃えない人間はいない。優秀すぎて誰からも認められなかった彼らは、ハーレムとガネリアに忠誠を誓い、その力は国に対してさまざまな貢献を果たしていた。

 それに伴ってMG産業も爆発的に活性化していた。新たに加わった技術者が持ち寄った世界最高峰の技術と、半ば実験的なハイテクノロジーを組み込み、戦艦やMGの性能も劇的に向上しつつある。

 人種の融和も進んでいる。彼らは互いの長所を認めあい、互いに適した仕事を役割分担でこなす。マンパワーの点でも発展は著しい。

 さらに彼らには物資があった。一部の土地はまだ回復していないが、もともと肥沃な土地であるガネリアには自給自足の土壌がある。

 すでに蓄えた物資だけでも、仮に三年間何もしなくても、すべての人民をまかなえるだけの食料と資源が集まっているのだ。

 そして、豊かさは豊かさを欲する者たちを呼び寄せる。ガネリアの様子を知った周辺国家は、こぞって同盟の申し入れを行う。ハーレムは快く受け、与える。与えられた者は王者の力を確信し、さらに結束を固める。

 こうしてガネリアは、もはや中堅国家を超えるレベルの存在になりつつあったのだ。シェイク側からすれば、こうした【第三極】の動きは脅威以外の何物でもない。

「ですが、軍事行動とは穏やかではありませんね」
 シェイクはルシアに並ぶ最大軍事国家には違いないが、それゆえに軍事行動には慎重な姿勢を見せることが多い。大きい国家はそれだけ敵も多く、むやみに動けば足元をすくわれかねない。

 このような情勢だからこそ、軍事行動は控えねばならないはずだ。常に国益を考えるシェイクの行動としては、いささか短絡的に映る。

「だから教えているのじゃよ。…【潰してほしい】そうじゃ」
 シャーロンは、さも自然な口調で言葉を紡ぐ。が、それは非常に重要かつ、異常なものであった。

 これはベガーナン大統領からの秘密の頼み事。

 シェイクの大統領が、シェイク軍の行動を阻止してほしいと願うのは、おかしい話に聞こえるだろう。

 しかし、国家とは多様な面を持つ生き物なのだ。必ずしも頭脳と身体が一緒に動くわけでもない。特にシェイクのような大きな存在であればなおさらである。

「こちらも一枚岩ではない。州が力を持ちすぎたということじゃな」
 シェイクには十三の州がある。州とはいっても、もともとは中堅国家であったので、今でも独自の権限を持っている。

 当然シェイク連合軍のほかに州独自の軍隊も存在している。彼らの任務は主に防衛であるが、自らの州の利益のために単独で行動を起こすことがある。

 そもそもシェイク連合軍は、十三に及ぶ州軍に、シェイク外国人傭兵部隊を加えたものである。その時の情勢によって各州軍の割合も変化し、どの州が一番利益を得るかによって負担する兵力も変わってくる流動的なものだ。

 今回ガネリアに敵意を燃やしているのは、ごくごく当たり前のことだが、ガネリアと国境を隣にするシンタナ州である。

 彼らは国連軍としてガネリア動乱時に派兵した経緯があり、かねてからガネリアを敵視していた者たちだ。それが今回の一件を受けて、さらに怒りが膨れ上がったという。

 しかし、それはシェイクの総意ではない。

 あくまでシンタナの問題である。それでも連合国家である以上、州の意思をむげにするわけにもいかず、ひとまず彼ら主体で軍を編成することを承認している。

「私たちは、あなた方と一定の距離を保ってきたはずです。今になってガネリア脅威論を持ち出すのは、どうかと思いますが」
 ガネリア新生帝国に併合された商業国家シルヴァナは、シェイクとも物流があり、旧ガーネリア帝国も裏側ではシェイクとさまざまな取引を行っていた歴史がある。

 同時にシェイクとの交戦は、できる限り控えてきたはずだ。ガロッソ側がメルビア統合を果たした際に揉めたとはいえ、両者の関係は釣りあっていたはずである。

 それを壊すような行動には、さすがのヨシュアも憤慨する。
 しかし、ここにもう一つの要因が加わる。

「ルシアも関わってきたからの。そのあたりも警戒してのことじゃろう」
 ヨシュアもそれを言われると厳しい。

 シルヴァナがルシアと関係していたのは事実だし、ガロッソもゼッカーとの関係でルシア側と交渉していたのも事実だ。

 ガロッソを併合したガネリアにとっては、その責任も負わねばならない。遺産を相続すれば負債も背負うのと同じである。

 しかもガネリア動乱時においては、ルシア帝国とも致命的な亀裂が発生している。現在も折衝を続けているが、問題が問題ゆえに難航しているのが現状だ。

 そのため現在のガネリアの位置は、非常に微妙なものになっていた。このスペースもロイゼン寄りに設置されているのだ。ラナーが来たのは【そうした近さ】も影響していた。

(また戦争か)
 ヨシュアがそう思うのも無理はない。ガネリア動乱はあまりに激しすぎた。フルマラソンを終えたばかりの人間には休息が必要なのだ。多くの人々が平和を求めている。

 だが、そう思っても相手は動くのだろう。おそらく、ガネリア動乱時の国連軍への攻撃を言い分にしてくるはずだ。その他、戦争犯罪と呼べるものも多く発生していた。その責任も問うてくるだろう。やり方はいくらでもあるのだ。

 ガネリアは強い。強くなった。シェイクが一丸となって挑むのならばともかく、州軍の勇み足ならば止められるだろう。しかし、それによってまた人々は苦しむのだ。

 そんなヨシュアの気持ちを察し、シャーロンはとっておきの【飴】を差し出す。苦みに染まった彼の耳には、さぞかし甘いことだろう。

「ただでとは言わん。その代わりに、ベガーナンはガネリアに同盟を申し込む予定らしいぞ」
「本当ですか?」
「わしもシェイクの将。こんなことは冗談では言えぬよ」

 それにはヨシュアも驚いた。

 すでに述べているが、ガネリアはもともとシェイクとは折り合いが悪い。その理由は、ガネリア新生帝国の母体になった旧ガーネリア帝国が、【西側】に属していたことに起因する。

 ガーネリア帝国は西から【移住】してきた民族である。シェイクのように追放された者たちではない。

 そこに大きな違いがあるのだ。ガーネリアにはプライドがあるし、シェイクにはアレルギーがある。まさに水と油なのだ。それが交わることがあるのだろうか。

「わしは頼まれた通りに話しているだけじゃ。それ以外はベガーナン本人に聞くのじゃな。ハーレム陛下がいれば話も進んだじゃろうが…」
 少しばかりシャーロンは残念そうな表情を浮かべた。彼女もハーレムに会いたかったのだろう。

 現在、ハーレムは自国で復興と発展に向けた陣頭指揮を執っている。

 国際連盟の援助がなくても、単独で復興ができる。それこそがガネリアが発展している証拠でもあるのだ。同時に、他国のやっかみを受ける最大の要因でもあるのだが、ハーレムは気にしないようだ。

 今、ガネリアにとって重要なのは、一秒でも早く国を立て直すこと。世界が混乱に陥るのならば、なおさら早いほうがよいのだ。そうした冷静な判断ができるところも、彼の成長を物語っている。

「さて、そろそろ戻るかな。あまりいると変なやつらも寄ってきそうじゃ」
 シャーロンも目立つ女性だ。あまりこの場に留まっていると勘ぐる連中が出てこないとも限らない。シンタナ州出身の高官もここにはいるのだ。

 シャーロンは去り際にエシェリータに向かう。

「わしのメイドにならぬか? ガネリアにいるよりはましだと思うが」
「私がエトールの民だからですか?」
「それも理由じゃが、単に気に入っただけじゃよ」

 シャーロンはエシェリータが気に入ったようである。彼女は気が利くだけではない。その雰囲気そのものが、やはり他とは違うのだ。

 それがエトール人だからと言われれば、シャーロンは否定しないだろう。それも含めての勧誘である。

「お誘いは嬉しいです」
「そうか。無粋であったな。許せ」
 その言葉だけでシャーロンは納得する。彼女が自らの意思でガネリアにいることがわかったからだ。

 目が訴えていた。その【黒と金の目】が映していたのはガネリアであった。

「可愛いメイド服を買ったのじゃがな…」
 少し、いやかなり残念そうにシャーロンは去っていった。

 当人が一番似合いそうな気がするが、そういった発想はないのだろう。あくまでメイドを愛でることに野望を燃やしているようだ。

「素敵な御仁ですね」
 エシェリータは、シャーロンの中に眠る成熟した思念に気がついていた。ラナーもシャーロンも実に人間らしく、深みがあってとても魅力的である。

「まったく、エッシェを欲しがるなんてとんでもない」
 その妹の評価とは正反対に、ゼファートは憤慨していた。

 エシェリータは彼にとって大切な【妹】なのだ。絶対に渡すわけにはいかない。仮に力付くであっても命を賭して守ったであろう。

「お兄さんは過保護すぎます。息苦しいです。ラナー様って素敵な方でした。ああいう人がお兄さんならよかったのに」
「そんな…! 俺はお前を心配してだな…」
 うろたえるゼファートを見てエシェリータは笑う。感情を隠さないゼファートをいじって楽しんでいるのだ。

 一方のゼファートはあまりに素直すぎて、遊ばれていることにすら気がついていない。だからエシェリータも楽しいのだろう。

 シャーロンにも遊ばれたし、ゼファートにはそういった資質があるのだろう。玩具の資質。その意味ではラナーと友達になれるかもしれない。

(レクス殿とは正反対だな)
 そんなエシェリータを見ながら、ヨシュアは【彼女の義兄】との性格の差を感じていた。

 レクス・ベクトラーはゼファートの実兄であり、一年前ガーネリア帝国の六将軍の一人として、ガネリア動乱で活躍した将であった。

 そのレクスは生涯独身を貫いていた。その理由の一つが、【エトールの民を増やさない】ことである。

 卓越した頭脳と知恵を持つエトールの民は、もはや絶滅したとされているほどの稀少な人種である。その存在そのものが宝石であり、さまざまな意味でも狙われる存在なのだ。

 レクスはエトールであることを受け入れたが、もはや必要ない存在であるとも考えていた。だから未婚でいたのだ。

 しかしだ。運命の歯車とは、実に奇妙で奇跡的である。

 ガネリア動乱後、グランバッハが作った孤児院にいたエシェリータが、突如エトールの血を発現させたのだ。

 一時は高熱にうなされて生死をさまよったほどであったが、熱が下がった時には、すでに【黒と金の目】が浮き出ていたのだ。それはすぐにグランバッハ将軍に連絡され、保護の対象になった。

 これに一番驚いたのがゼファートである。エトールの血が覚醒したがゆえに、不遇の人生を歩んだ兄。その兄と同じエトールになってしまった一人の少女。

 兄に命を与えられて生き延びたゼファートは、この時に誓ったのだ。絶対に守るのだと。

 そして、ゼファートの激しい懇願を受けたグランバッハは、エシェリータを義妹として託したのだ。それはまさに宿命とも呼べる流れだったのかもしれない。

 そして、彼女の性格はレクスとは正反対ではあっても、その血はまさにエトールであった。

「やはりシェイクは動きましたね」
 エシェリータの黒金目が光る。

 その目はどこか遠くを見ているようで、浮き世離れした神秘的な光を放っていた。彼女は、シェイクがこうした動きを見せることを予期していた。シャーロンが来たことでそれは確信に変わった。

「どういうことだ、エッシェ?」
 ゼファートが問う。彼にはまったく予測などできなかったことだ。そんな義理の兄に不敵な笑みを浮かべるエシェリータ。

「お兄さんは鈍いですね。今回の市場凍結騒ぎで一番損をしたのはシェイクですよ」
 ハペルモン共和国にある西部金融市場が凍結された際、西側の資金が回収され、東側に富が流れ込むことになった。

 これによって東側バブルが発生したのだが、これに真っ先に飛びついたのがシェイク・エターナルであった。彼らもダマスカスに負けず劣らずマネーゲームは好きなのだ。

 特にギャンブル街で有名な【バイデーンシティ〈愛と欲望の都市〉】のあるセイクリーン州は、株式投機によって多くの利益を上げている。そこはシェイクの財政を担ういわば【ドル箱】でもあるのだ。

 そのセイクリーン州を筆頭に、シェイク側は今回大きな投機に踏み切った。

 急激に物資や人を集めているガネリア新生帝国が脅威に映ったことも理由の一つである。すでに富を得つつあるガネリアの利を奪おうと躍起になって動いたのだ。

 そして、背景にはもう一つの大きな理由がある。

 シェイクがルシアへの対抗心から計画した【大連合国家構想】である。

 これは国力をルシア以上に押し上げるのが目的の、何百年もの長期に及ぶ大計画で、東側国家をすべてシェイクに併合するという巨大な野心である。

 それによって、ルシア帝国を単独で圧倒できるだけの国力を得ることができる。しかし、そのためにはさまざまな国家と融和しなくてはならない。これが一番難しいことだ。

 シェイクとて大国である以上、【強国の務め】は理解している。力を得る以上は、利益を与えねばならないのだ。ルシアのように大国に従う者に褒美を与えねばならない。

 今回はその手始めとして、周辺国家の国債にも大量に手を着けた。発展途上国が多い東側諸国においては、多くの援助が必要だったことと、突然発生したバブルによって開発が進めば、赤字を補填できる見通しがあったからだ。

 こうしてシェイクはガネリアと競い合うように、相手を圧倒する力と量で市場に躍り出た。しばらくはガネリアもそれに対抗していたが、すぐにしぼんでいった。

「ふふ、シェイク側には、私たちが尻込みして引っ込んだように見えたでしょうね」
 エシェリータの言葉通り、シェイクはガネリアの勢いがかげったのを見て、さらに大規模な投資を始めた。だがそれは、ガネリアから見れば愚かなことでしかなかった。

 ガネリアは、これがすぐに終わりを迎えることを【知っていた】のだ。

 ガネリアは新規取引をいっさい停止し、すでに信用を築いた国家と企業だけに取引を限定していた。それで足りないものはガネリアに入った優秀な人材たちの人脈をたどり、裏ルートで仕入れたものも多い。

 シェイクは力で富を得ようとした。
 一方のガネリアは道理と理念を持っていた。その違いが如実に表れる。

 東部金融市場が凍結に至った際、株価の大暴落を受けて途上国の国債リスクが一気に高まった。それでもシェイクは、自らの野心のために金利の高い国債にも手を着けていた。

 結果的にそれが裏目に出てしまい、途上国のいくつかは実質的なデフォルトを引き起こし(表面的には隠している)、シェイクは数多くの負債を抱え込むことになった。

 それだけならばまだしも、そうした破綻寸前の国家が最後に頼ったのは、なんとガネリア新生帝国だったのだ。これがシェイクには面白くない。怒りすら感じるほどだ。

 セイクリーン州はもともと財力があったので持ち堪えたが、シンタナ州の損害は相当に大きかった。州予算三年分に匹敵する大損害を出してしまった。

 当初ガネリアに対抗して大きな投資を行ったこと。ガネリアが失墜したと勘違いして、攻勢を強めようと無理をしたことが祟ったのだ。

 彼らが得たものは、まさにバブルの怖さの再確認であった。残ったのは紙切れと、強欲者のレッテルのみ。

「それでガネリアを逆恨みか? シェイクの自業自得じゃないか」
 ゼファートの見方は、あくまでガネリアのもの。相手からすればまた違う視点があるのだ。

 そして、今の彼らはこう思ってもいる。

「シェイクはあわよくば、今回の一件を帳消しにしたいと考えています」
 今回の混乱をなかったことにしたい。そう思うのはどの国家も同じである。

 そこで自国の失敗を隠し、なおかつ成功したガネリアに敵意を集中させることで、他の東側国家から支持を得ようと考えている。財政破綻目前の小国などは、シェイクの意見に同意するだろう。

 そして、東部金融市場の早期復活と独占支配を目論んでいる。そういった事情が背景にあるのだ。

「でも、ベガーナン大統領はシンタナ州の動きを潰したがっている。どうしてだ?」
 ゼファートにはそれが理解できない。

 シンタナ州がさらに打撃を受ければ、シェイク側としても痛いはずだ。自国の州は身内。体の一部だ。それをあえて潰す理由がわからない。

 だが、エシェリータにはすべてが一本の筋に見える。

「同盟を結びたいというのが一つ。これは信じてよいと思います」
 シェイクは今回の一件で、ガネリアに対する見方を大きく改めることになる。

 シェイクにとって最大の気がかりは、旧ガーネリアが強固な貴族主義を敷いていたことである。それは西側の【ルシアと共通する思想】である。これはシェイク側には絶対に受け入れることはできない。生理的嫌悪があるからだ。

 しかし、ハーレムは皇帝にこそなったが、ガネリア新生帝国は【世襲の放棄】を憲法に明記している。次の皇帝は現皇帝による指名によって選ばれることになっており、一般人でも皇帝になれる仕組みを作っていた。

 選挙で選ばれた議会にも力が与えられ、皇帝への諮問が可能となっている。これだけならば構図はルシア帝国の【元老院】に近いのだが、血による支配が終わったことは非常に価値があるものだ。

 これは民主主義の平等と柔軟性、帝政の安定と権限行使の迅速性を織り交ぜた、ガネリア独自のやり方である。

 権力の腐敗を防ぎ、市民にも役割を与えることで愚民化を防ぐシステムが至るところに配置されている。ガネリア動乱の反省点が生かされたのだ。

 しかし、これには一つだけ弱点がある。

 それは、皇帝の目が確かでなければならない点だ。仮に愚かな人間が指名されれば、簡単に国家は割れてしまうだろう。

 次に選ぶ皇帝には強い権限が与えられるために誤った人選はできない。ただし、現皇帝のハーレムが優れた目を持っていれば、この問題はある程度の期間解決されることになる。

 そして、ハーレムという人間が、シェイクの思想と合うかを確かめたいという思惑がシャーロンからは透けて見えた。

 もしこの問題さえクリアできれば、ベガーナンも同盟を結ぶための根回しがしやすいのだ。人間の奥底にある嫌悪感ほど拭いにくいものはないからだ。

 シャーロンがエトールの話題を振ったのも気まぐれではない。【ガネリアの思想】を探ったのだ。もし本当に融和が進められるようであれば、同盟の可能性もたしかに存在するのである。

「シェイクにとって重要なことは、現在の地位を維持することなのです。仮に私たちと戦うことになれば、それも揺らぎます」
「それはわかるが、同盟にまで至るのが理解できないな」

 現状ではシェイクにも余裕がない。一部の州では、兵士に支払うボーナスも一時停止になっているほどだ。兵士の士気は相当低い。特にシェイクが誇る屈強な外国人傭兵部隊は、報酬が少ない仕事に対して乗り気ではないだろう。

 本来ならば、ここはじっとしておくのが得策なのだ。それが無理ならば、大国としての面子を示す必要がある。だとすれば、わざわざ自国の負けを求めるのは理解しかねるものだ。

 しかし、それもまたエシェリータにはお見通しである。

「あのベーガナン大統領は、相当な食わせ者ですよ。シェイクが動くもう一つの理由は、これが【仕組まれた戦い】であるからです」

 ベガーナンはシンタナ州の動きが抑えられないものだと悟ると、すぐさまガネリアを仮想敵国として動くことを承認した。ただし、それはあくまで【失敗を前提】にしたものである。

 シェイクは大きな負債を負い、今回の派兵でもまた出費がかさむだろう。さらに負けでもすればダメージは計り知れない。大国の面子が台無しである。

 そうなれば、シェイクに寄っていた国家との間にも微妙な空気が流れかねない。本来はリスクである。しかし、これをベガーナンは好機と考えた。

 現在波に乗っているガネリアの成長が将来性のあるものならば、それを利用しよう考えたのだ。

「私たちに勝利をプレゼントすることで面子を差し出したのです」
 ガネリアにとって、シェイクに勝利することは重要な意味を持つ。

 ガネリアには多少なりとも富が集まったが、今まで抱えていた人種的、宗教的なリスクを懸念する声は多い。戦争で疲弊したこともあり軍の再編も始めたばかりである。大軍を率いた際のハーレムの実力も未知数。旧ガーネリア派閥の中にもそうした危惧は存在していた。

 だが、ここでもしハーレムが大きな実績、シェイクを圧倒するという【大偉業】を成し遂げたらどうだろう。

 人々の熱狂はさらに加速し、ガネリアはさらなる高みに踏み入ることになる。そう、中堅国家を超えた【準大国】の領域に入るのだ。

 それがシェイク側からのプレゼント。

 では、見返りは?

「実のところシェイク側に損失はありません。むしろプラスなのです」
 政治体系のアレルギーが解消されれば、シェイクにとってガネリアは実に旨味のある隣国となる。

 国家にとって一番の【客】とは隣国なのだ。互いに交流が生まれれば、ガネリアの富は合法的にシェイクに流れることになるだろう。

 面子を重視して反発すれば、体裁は守られるが損をする。一方感情を抑えて友好を求めれば、プライドは傷つくが利を得る。どちらを選ぶかである。

 そして、ベガーナンは後者を選んだ。

 シェイクが失うのは大国としての面子。といってもその一部にすぎない。そのためにベガーナンは、派遣する軍にシェイク連合軍の名称を与えていない。あくまで州軍によって組織されたシェイク・シンタナ州軍としている。

 ここで重要なのは、「エターナル」の名が使われていないことである。

 シェイク・エターナル。その名の通り、正規の連合軍には必ずエターナルの名が与えられる。これを冠していない軍は、あくまで私兵の域を出ないのである。

 それが負けたところで、ガネリアとの同盟が果たせるのならば些末なことである。シンタナの失敗を連合側が補填する義務はないのだ。だからこそ各州には、強い自治権があるのだから。

 シンタナに確執は残るかもしれないが、シェイク全体は大きな利益を得るだろう。
 敵を味方にしたのだ。当然のことである。

「シャーロン様が、わざわざジーガン様と寝たと言ったことにも意味があるんですよ」
 ただの小話ではある。だが、そこには歩み寄ろうとする相手側の意思が見えた。それは同盟を本気で考えているという相手側の隠れたメッセージ。つまりは【隠語】である。

「そんな馬鹿な。あんな会話に意味があったのか?」
「政治とはそういうものですよ、お兄さん」
 少し小馬鹿にした態度のエシェリータ。ただゼファート当人は、馬鹿にされたことも理解できていないが。

「エッシェ、寝たとか言っちゃダメだ!」
 突然思い出したかのようにゼファートが叫ぶ。思えばエシェリータは十歳なのだ。寝るとかやったとか、実に有害である。

「お兄さん、いまさらです。それに今時の女の子は、ませているものです」
「ダメだ、ダメだ。まだ早い!」
「ぶー、お兄さんは過保護です」

 頬を膨らませて文句を言うエシェリータ。今は黒金目は輝いていない普通の女の子である。ゼファートとも本当の兄妹のようで、こうしていれば微笑ましい。

 しかし、ヨシュアの目には、小さな少女に内包された巨大な叡智が末恐ろしく、畏怖すら感じる。

(これがエトールの力なのか)
 エトールは恐るべき知恵を持っている。それはレクスを見ればすぐにわかるのだが、彼一人では単に個人の能力である可能性も否定できない。

 だから侮っていた。

 エシェリータを見れば、エトールは間違いなく危険な存在であることがわかる。子供ですら、その知恵は一国の参謀に匹敵するレベルである。

 彼女がどの分野に秀でているかはまだわからないが、優れた軍師にもなれるし策略家にもなれるだろう。彼女を連れていくように命じたのはハーレムである。彼にはこのことがわかっていたのだろうか。

(ハーレム様にそこまでの考えがあるとは思えない。ベラ殿だろうか)
 ハーレムは王として優れているが、策略を巡らせることは苦手である。

 とすれば、入れ知恵をした人物がいる。それはハーレムの奥方となったベラ・ローザの可能性が高い。彼女はレクスのこともよく知っていたし、エシェリータの才覚をいち早く見抜いたのだろう。

 だが、あの心優しいベラ・ローザがそうした決断をするとなれば、事はさらに大きくなる。エトールの血を他国に公開してでも、あえて参加させる意味があるのだ。それも重要な。とても重要な。

 そして、次に発せられたエシェリータの言葉が、その疑念を裏付ける。

「ヨシュア様、このまま済むと思いますか?」

 エシェリータの声が少し低くなる。見ると、彼女の目がまた不気味に輝いていた。

「どういう意味だい?」
 ヨシュアは平静を装って聞くが、エシェリータの瞳はそのわずかな動揺ですら見抜いているようであった。

 そして、静かに小声でその名を出す。

「ゼッカー・フランツェン様のことはお話でしか聞いたことはありませんが、今回のことはその方の仕業でしょう」
 エシェリータは、ガネリア動乱においては部外者である。ゼッカーのことも、グランバッハやゼファートに聞いただけにすぎない。

 しかし、彼女は【被害者】でもある。

 彼女の両親は【反応兵器】によって死んだ。そして孤児となったところを保護されたのだ。その意味では、直接的に戦争の悪意を感じ取った人間であるといえる。

 彼女は、その際に一時的に視力を失っていた。エトールの血が目覚めた時に視力も回復したが、それそのものが一つの通過儀礼であったように思えてならない。

 彼女は、【悪魔としてのゼッカーの意思】に対してひどく敏感なのだ。実際に使ったのは違う人間だが、反応兵器を開発したのはゼッカーである。そこには彼が本来描いていた青写真が内包されていた。

 だからわかるのだ。


「今日、ゼッカー様は動きますよ」


 その言葉はまさに予言。
 起こることが始めからわかっているかのように、まるで昨日のことを語る口調。

「なぜならば、この国際連盟会議を仕組んだのも彼であるからです」

 それは最初から決まっていたこと。
 ここにすべてを集めるためにゼッカーが動いたのだ。

 ルシアの天帝が来るように。ベガーナンやカーシェルがいるように。カーリス法王やグレート・ガーデンの超帝が来るように裏でゼッカーが根回しをしたのだ。

 その彼に【協力する存在】のことを、エシェリータは本能的に感じ取っていた。
 それはまるで自分と同じ存在なのだ。

 同じように考え、同じように操作できる存在。
 歴史の影に潜み、人類の動きを操っている大きな意思を持つ者たち。

 全国家に存在し、すべてを制御している賢人の思想を継ぐ者たちをエシェリータは知っている。
 血が知っている。

 なぜならばエトールの民もまたその一族なのだから。

 もっとも、彼らが持っている賢人の遺産に形はない。
 彼らの血そのものがそうなのだから。

 エトールの血は、総体として情報を保持する。
 レクスが死んでも、エシェリータがそれを受け継ぐように、常に知恵は蓄積されていくのだ。

 だから、彼女にはすべてわかるのだ。
 今日、彼という存在が動くことが。

「何の…ために?」
 そうつぶやくヨシュアの言葉は、もはや半ば消えかかっていた。

 ゼッカーがやることなど最初から一つしかないのだ。悪魔となった彼がやることは、あの男と同じことなのだから。いや、あんなまがい物などより、はるかに危険な存在なのだ。

 彼は金髪の悪魔。
 賢人が認めた本物の悪魔なのだから。

「ど、どうすれば。そうだ知らせないと!」
「お兄さん、ストップです」
 混乱するゼファートを必死で止めるエシェリータ。この兄は本当に感情的で困る。さすがに少し苛立つくらいに反応的だ。

 兄を諌めたあと、まるで秘密基地で作戦会議を開く子供のように、にやりと笑ったエシェリータが静かに言う。

「何もしないでください」

 エシェリータはそう提案する。それだけではゼファートが聞きそうになかったので、これが【ハーレムの命令】であることを伝えた。

(やはり陛下は知っておられたのだ)
 ヨシュアは確信した。ここにハーレムが来ないことも、エシェリータを寄越したこともすべてはそれが関わっていたのだ。

「いいですか。これから【何があっても】何もしないでください。ここまで話したのは、お兄さんが勝手に行動しないようにです」
 ヨシュアもそれには同意する。ゼファートの行動は予測できない。さすがに以前よりはましになったが、仮にここで大きな出来事があれば直情的になる可能性がある。

 しかも、ことゼッカー関連であればなおさらである。かつては一緒に戦った仲間なのだから当然ではあるのだが、それではガネリアにとって大きな損害となってしまう。

 だからエシェリータは念を押す。

「お兄さん、約束してください」
「…わかった。陛下の命令ならば仕方がない。それに俺にはどうにもできないことだ。相手があの人じゃな」
 ゼファートはゼッカーの力をよく知っていた。もし本当に彼が敵になったのならば、ゼファートはおろかヨシュアですらどうにもできない。

 彼を止められるのはハーレムだけなのだ。その彼が来ない。それが意味することは、まさにエシェリータが言ったことそのままである。

 何もしなくていい

 それがハーレムの決断である。

「ガネリアの利益になるのは間違いないんだな?」
 ゼファートは改めて確認する。

「はい。すでに問題はそれ以上のものですけどね」
 エシェリータは紅虎が来ている意味もわずかながら理解していた。

 彼女が来たということは、もはや問題はガネリア一国の利益に留まらない。人類を巻き込んだ、もっと大きな流れに至ることは確実であるのだ。

(これから何が起きるのだろうか)

 ヨシュアの憂鬱は続く。
 その不安はいつしか世界を覆ってしまうほどに膨れ上がっていた。

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