十二英雄伝

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零章 第三部『富の塔、奪還作戦』

三十九話 「RD事変 其の三十八 『夢の終わり』」

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「あまり面白味はありませんでしたが、少しは楽しんでいただけたでしょうか」

 巨大モニターには再び金髪の悪魔の姿が映し出される。この【デモンストレーション】前と今とでは国際会議場の空気は大きく変わっていた。今では誰も金髪の悪魔をさげすむ者はいない。疑う者もいない。

 誰もがバーンの強さを見たのだ。見せつけられた。ここにいる武人たちは一流の者たちばかり。誰もが名だたる騎士たちばかり。その彼らが言葉を失う。

(強い…あまりにも)
 ヨシュア・ローゲンハイムも映像で見たオブザバーンの強さに言葉が出なかった。どう考えても自分より強い。おそらくは彼の祖父、ジーガンですら敵わない相手である。

 ジーガンは強かった。今でもヨシュアの憧れであり目指すべき存在である。が、そこをさらに超えている。映像での戦いでさえ実力の半分くらいしか出していないことはすぐにわかった。

 ゼルスセイバーズは非常に優秀な特殊部隊に見える。お世辞ではなく実際にかなり練度の高い部隊であったのだ。もしヨシュアが単独で彼らと戦えば苦戦は免れなかったに違いない。少なくとも全力を出さねば打破できない相手であっただろう。

 それを文字通り一蹴した。善戦しているように見えた時もあったが致命傷は皆無。クリーンヒットもない。それは子供の練習生と免許皆伝の老練たる師範が戦うようなものである。

 ホウサンオーの質はヨシュアたちでさえ畏敬の念を感じてしまうほど崇高なものである。ガガーランドの根源的な強大さは、もはや大自然に対する畏怖に近いものがある。その深みを見せつけられて、この場にいる武人はただただ沈黙している。せざるをえない。

(エッシェの言葉は当たってしまった。さらに最悪のほうに)
 エシェリータが予言した通り、ゼッカーは動いた。それも本気で。彼が率いている武人たちの質を見ればゼッカーがいかに本気で挑んでいるのかがわかる。

 ガネリア動乱の時の彼は本気であったが、あくまで【英雄】としての戦いである。強さは強さであっても、それは弱い者たちを励まし勇気づける、けっして諦めない強さだ。

 戦闘経験の少ない少数の一般兵を率いて戦うことは誰であっても大変だ。それでも彼は自らの才能をすべてもちいて、その崇高な心をもちいていくつもの劣勢を覆してきた。

 理不尽な暴力に屈しないために。
 人の平等を守るために。
 本当の正義と愛を目指すために。

 それだけを心の支えにして彼は弱者を守ってきた。しかし、悪魔となったゼッカーが振るうのは【本物の暴力】である。ホウサンオーやガガーランドといった存在は、まさにそのためだけに用意された道具なのだ。

 同じ少数でもその質が桁違いに違う。彼が本気で選び、本気で成し遂げるために送り込んだ恐るべき悪魔の手足たちは、彼の意思を百パーセント実行できる存在である。

 彼が素人ではなく超一流の武人を率いればどうなるか。それがこの答えなのだ。彼の慧眼、知謀、魅力を存分と振るうことができる。誰もそれを止められない。悪魔は本気で世界を焼くつもりでいる。ヨシュアはその意味をよく知っている。その才覚を間近で見ていたのだから。

「二時間待ちましょう。その間に我々の要求を吟味していただきたい」
 金髪の悪魔はザフキエルを見据え、あくまでも要求を押し通すと宣言する。

「それでも答えが同じならばどうする」
「さて、そのときはどういたしましょうか。富の塔を破壊してすべての人間に金銀財宝を分け与えるのも一興かもしれません」

 金髪の悪魔は薄く笑い、こう続ける。

「それともあなたがたを力づくでねじ伏せてみる、というのも面白いかもしれません。彼らを使ってね」
 その笑みに感情は宿っておらず、作り笑いなのはすぐにわかる。悪魔が決断する際はいっさいの迷いなく、いともたやすくやってしまうだろう。

 それが斬首台のロープであろうと、ためらうことなく切ることができる。かけられた首が罪なき少女のものであろうと、だ。彼は目的を実行するためならば何でも行う。いかなる犠牲をも払う。

 だからこそ悪魔なのだ。

「では、良きご返答をお待ちしております」

 映像が切れる。モニターが真っ暗になると同時に会議場の電源は復旧。巨大な室内は真昼間のように明るくなるが、そこに爽快な青空はない。あるのは重苦しい空気のみ。多くの者がどう対応してよいかわからないでいるようだ。

 金髪の悪魔の発するエネルギーは王気とは違う独特のものだ。されど、あらがいがたい圧迫する力である。抵抗することが罪であるかのように、甘美で芳醇な魅力を醸し出す麻薬に似ている。それに抵抗するだけで対峙する者は疲れてしまうのだ。

 なんという魅力、なんという存在感。たとえ恋人や家族のことを忘れられたとしても、もう二度と誰もが悪魔を忘れることはないだろう。人々の魂の奥底に彼は刻み付けられたのだ。

 先手は悪魔が取った。それだけは間違いない。

「ふぅ…」
 ダマスカス大統領、サバティ・カーシェルは椅子に深く腰を下ろしてため息をつく。目の前で塔が占拠された様子を見せつけられた挙げ句、陸軍が壊滅する様子も見せつけられたのだ。ショックを受けるのが当然だろう。

「さて、どうしようか。まずは損害の確認かな。陸軍の残存兵力は?」
 しかしながらカーシェルはすぐに立ち上がると、隣にいたバクナイアに声をかける。

「周辺部隊は見ての通り、ほぼ全滅です。今動かせる兵力は五万弱でしょう」
 バクナイアも努めて冷静にそう答える。

 アピュラトリス防衛部隊は再編成しても、しばらくは使い物にならないだろう。損害が大きすぎるし、オブザバーンに刻み付けられた恐怖は簡単には消えない。すでに兵士としては役に立たない状態に陥っているに違いない。

 それ以外で今動かせるのは各都市の防衛に当たっている部隊、首都グライスタル・シティの外部を守っている部隊と、近隣都市を防衛している部隊、それと外周に収まりきらなかった予備戦力の部隊。彼らをすぐに動かせば五万の兵を集めることができる。MGと戦車もそれなりにある。

 ただし、いくら数を揃えても【ああいった特機】には効果が薄い可能性がある。ナイト・オブ・ザ・バーンは一振りで千の兵を倒してしまう。ドラグ・オブ・ザ・バーンもしかりである。部隊が恐慌に陥れば雪崩式に部隊は壊滅していく。こうした相手に数で臨んでも損害が増える一方だろう。

 さらには悪魔たちがどうやってこちらに兵を送り込んでいるのかも不明。相手の手の内がわからないうちに不用意に動けば、またそこを狙い撃ちされる恐れがある。無人機であっても一般兵にとっては脅威だ。軍が移動した隙に各都市に送り込まれれば、ろくな抵抗もできないまま市民が犠牲になる。

 そうなればダマスカス国の存亡の危機である。ただし、無人機ならばまだ抵抗できることはゼルスセイバーズで実証済み。各都市に防衛部隊がいれば一方的な展開にはならないだろう。

 かといって国の中心たるアピュラトリスがこの有様である。どちらを優先すべきかは明白なれど、簡単に大軍を動かせる状況ではない。

「となると、武刀組の選択肢は悪くなかったってことだ」
 カーシェルは頭の中でさまざまなシミュレーションをしてみる。

 一番良いのが大軍をもちいて圧倒することである。実際のところ相手がナイト・オブ・ザ・バーンであっても十万の兵で間断なく攻め続ければ勝機は十分ある。戦気は無限ではないし、戦気が尽きれば自己修復もできない。燃料が尽きれば搭乗者の消耗も大きくなるだろう。

 ホウサンオーもそれを知っているからこそ、場所を移動するなどの手段を講じている。自己の弱点を知っているからだ。そして、個の限界を知るからである。問題は今述べたように彼らを囮に使われること。金髪の悪魔がそれを利用しない手はないだろう。

 となればもう一つは、大戦力以外の対応策。これはゼルスセイバーズがすでに示している。特機に対して特機を当てる。簡単に言えば相手エースに対してこちらもエースで勝負する方法である。この考え方自体は悪くない。今回はただ単純に力負けしてしまったにすぎないからだ。

 彼らに匹敵する個を当てれば、戦局は十分ひっくり返せる可能性があった。

「うーん、武刀組がダメだと、あとうちで使えるものは何があったか…」
 カーシェルはまるで何事もなかったかのように平静、あるいは少しばかり陽気に独りごちる。心なしか楽しそうといってはおかしいが、さきほどの沈んだ顔が嘘のようである。もしカーシェルという男を知らない者が見れば虚勢に見えるだろう。ショックを隠すためにこうした姿勢を見せているのだと。

 だが違うのだ。

 彼のオーラを見ることができる人間には、まるで波紋一つ立っていない湖畔のごとき静けさを垣間見るだろう。

 たしかに彼はショックを受けた。その瞬間はつらい思いをした。しかし、今はもうすっかり気にしていない。所詮過去は過去にすぎない。それはもう過ぎ去ったのだ。そう簡単に割り切れることがいかに難しいか、正常な精神をもった人間ならばすぐにわかるだろう。

 昨日あったこと、一週間前にあったこと、一年前、十年前にあったこと。そのほとんどは忘れるものだが、嫌な記憶はこびりついてしまうものだ。その負の記憶に囚われて人生を無駄にする者がいかに多いことか。

 しかし、カーシェルはそこが普通の人間と違う点である。陸軍の敗戦はショックであったが、すでにショックを乗り越えている。その速度が異様に速い。嘆いたところで何も変わらないとはいっても、薄情や冷淡すら通り越すほどの速度である。

(さすがカー坊、切り替えが早いね)
 紅虎もカーシェルの割り切りの良さには驚くことがある。これは出会った時からもそうだったし、一緒に旅をしているうちにさらに磨きがかかった能力である。

 そう、こうしていると【ただの大統領】に見えるが、彼もれっきとした【紅虎の弟子】なのである。凡夫を紅虎が弟子にするだろうか。カーシェルには大きな仕事があるからこそ鍛えたのだ。

 それは武ではない。残念ながらカーシェルの武人としての才能はやや優秀程度の評価であり、身を守れるくらいの技は教えたが一流とは言いがたい。それよりも【知質ちしつ】。人間の機微や感覚といったものに際してカーシェルは非常に優れていた。それはリーダーとしての資質である。

 それが常人とはまったく違うレベルの割り切り、切り替えとして発揮されている。問題を解決する際、彼はその他の余計な情報をけっして頭に入れない。それが一番の得策だと知っているから。

 だからこそ、こうした案が簡単に出る。

「では他国軍の力を借りようか。せっかくここにいるのだし」

 カーシェルは事も無げにそう提案する。その提案には誰もが頷くほどの説得力がある。この場にいる五大国家の兵力があれば話はまったく変わってくるのだ。

 しかしだ。ダマスカスの軍人はどう思うだろうか。ここはダマスカス国であり、ダマスカス軍が責任をもって守っている。今目の前で同胞がやられたのだ。簡単に受け入れられることではない。

 陸軍出身のバクナイアも内心ではそう感じる。悔しいし、やり返したい。仲間がやられて黙っているなどできない。それが普通の感覚だ。だが、バクナイアはカーシェルという男をよく知っている。この男はおそらく究極のリアリストなのだということも。

 すでにアピュラトリス防衛部隊が壊滅し、バクナイアが頼ったゼルスセイバーズも呆気なく全滅した。先手を打たれたダマスカス軍に現状を打破する力はない。それはアピュラトリスを占拠された時点で決まっていたのだ。

 ダマスカス軍は、侵入させないための防御力や継戦能力には優れていても相手を撃破する能力には長けていない。そもそも必要がなかったからである。アピュラトリスを守れれば彼らの勝ちという構図が、彼らから殲滅力という力を奪っていた。

 守るものはなくなった。次に必要なのは【奪い返す力】。力づくで相手を倒し、奪還する力。それがダマスカスにないのならば、得意とする者に頼ればいい。そんな単純な発想である。

「まずは場所を変えよう。敵に盗み聞きされても困る。カメラのない部屋がいい。第四会議場がいいな」
 バクナイアに異存がないことを確認し、カーシェルは場所の移動を指示する。この場所はすでにハッキングされている。モニターから悪魔が消えたとはいえ、そう見せかけて覗いている可能性も高い。

 カーシェルは各国の主要人物と護衛団、その他各陣営がリストアップした重要人物だけが入れる場所を指定する。それが第四会議場である。

 第四会議場はこの第一会議場の四分の一程度の大きさであるが、MGがゆうに何機も入れるくらいのスペースがある。普段は民間にも貸し出しており、さまざまなシンポジウムが開かれている一般的な国際会議場である。

 そのため過度なセキュリティは存在せず、持ち込まない限りはカメラなどの監視装置はない。防衛力という面では第一会議場には数段劣るが、各国が引き連れている武人の質を思えばさしたる問題ではないだろう。

 主要人物の移動が行われる。厳選されるとはいってもその数は多く、移動するさまはまるで大名行列のごとくであった。すでに緊急事態であるため護衛団も神経を尖らせており警備もかなり厳重である。会議場の外に配置されている各国騎士団でも、敵が攻めてきた場合にそなえて戦闘準備が進められていた。

 余談であるが、運ばれるルシア天帝の偶像に紅虎がまたちょっかいを出そうとしていたので、さすがにラナーが身を張って止めていた。空気を読まない恐ろしい女である。

 そして、五大国家が第四会議場に移動している間、少々意外な人選が行われた。

「ローゲンハイム君、君も参加してくれないかな」
 ガネリアのスペースで考え事をしていたヨシュアに声をかけたのはベガーナンだった。突然のことだったのでヨシュアはしばらく言葉の意味がわからずに呆けてしまった。なにせ相手は五大国家の元首なのである。シャーロンが話しかけるのとは次元が違う。

「私が…ですか?」
 ヨシュアは改めて周囲を見回す。第四会議場に呼ばれたのは常任理事国の五大国家の人間が大半である。その他の中堅小規模国家は彼らの決定を待つという立場であり、一部の有力者を除く多くの国が第一会議場のスペースに残っている。

 それはガネリアも同様。発展してきたとはいえ所詮中小規模国家の域を出ていない。現状ではロイゼン神聖王国側についているので、彼らの決定を受けてからどうするかを考える立場にあるのだ。

「私ではお役に立てそうにはありませんが…」
 ヨシュアの言葉は謙遜ではなかった。彼はあくまで騎士である。戦闘面において少しは尽力できるかもしれないが、この場には自分より勝る武人が数多くいる。紅虎しかり、ジャラガンしかり、シャーロンしかり、当人は対等に考えているかもしれないが剣聖のラナーも当然ヨシュアより格上である。

 また、知謀の面においては言うまでもない。それならばむしろエシェリータのほうが圧倒的に上だ。むろん彼女を出席させるつもりはないので、現状ではガネリアができることはほとんどないのだ。エシェリータは何もするなと言ったが、もともとヨシュアたちには何もできないのが実情である。

 しかし、ベガーナンの意見は違う。

「そうかな? 僕にはね、君の意見が必要なんじゃないかなと思うんだ。たぶんきっと間違ってないと思うね」
 そんなヨシュアの心を見透かしたようにベガーナンは愛嬌のある笑みを浮かべる。こうして間近で見るのは初めてだったが、その朗らかな雰囲気は彼を年齢以上に若く見せていた。そんなベガーナンは腕組みをしながら考える仕草をする。

「あの悪魔君だが、僕はどうも見覚えがある気がするんだ。いや、顔は見えないから見覚えというのはおかしいかな。でもあの雰囲気は知っているんだね」

 すでにシェイク側の密偵も動いているのでベガーナンにも情報は入ってきていた。特機タイプは初めて確認されるものであるが、無人機はガネリア動乱で使われたものであることは確認済みだ。遠い他国ならば他人事であるが、シェイクはあの戦いに少なからず影響を与えている。

 まだ一年程度しか経っていないのだ。ベガーナンは直接関与はしていないが映像や資料はほぼすべて確認していた。シェイクの軍事関係者ならば、見た瞬間にガネリア動乱を思い出すのは自然なことであった。

 ただし、ベガーナンにはガネリアに対してそれ以上の思い入れがある。
 
「非公式だが、君たちに増援を送っただろう? あれは僕の指示だからね」
 ガネリア動乱時、ハーレムがヘターレ王に対抗して抵抗軍を作った際、非公式ではあったもののシェイク側からも協力の申し出があった。ハーレムはシェイクの介入を牽制しつつもそれを受諾。数人の強力な武人とシェイク製MGなどの提供を受けている。

 これはガネリアに敵対しようとするシンタナ州などの勢力に対して、ベガーナンが抑止力として送ったものである。同時にガネリアの未来を担うであろう若き王に対して友好な関係を得るための政治的手段である。

「つまりだ、君たちと僕は少なくとも敵対する関係ではないはずだ。むろん、すべてを信用する必要はないけどね。それはお互いに無理だからさ」
 こうして笑いかけるベガーナンは、まるで旧知の友のように見えるから不思議である。

(これがベガーナン殿か)
 ヨシュアもその不思議な雰囲気に引き寄せられる。まったく印象は異なるが、どことなくハーレムに似ているところがある。そう、自然と人を引きつけてしまう何かの力が働いているように。

 ベガーナン。その存在は旧ガーネリア帝国においてもよく知れ渡っていた名前である。国境を面するガネリアにとって、この連合大国はどうしても無視できない存在だ。むしろ敵対しつつ依存していると言ってもいい。

 旧ガーネリア帝国の周辺には多くの貧困国が存在しており、ガーネリアが援助するにしても物資はある程度シェイクを経由して仕入れねばならない。その陸路の中継地にあったのがシルヴァナで、あの国が商業の国として栄えたのは至極当然のことである。

 現在シルヴァナもガネリアの一部であるが、従来のツテを頼りにシェイク側との関係は続いている。いや、ガネリアが中規模国家として成り上がるためには続けねばならない。

 忘れてはならない。シェイクは世界を二分するだけの力を持ち、ルシアに抵抗できる唯一の最大国家なのである。ガロッソ連合が彼らと渡り合えたのは相手が様子見であったことと、何よりゼッカーがいたからである。もし本格的な戦いとなればガネリアはシェイクに勝つことはできないのだ。

 シェイクはガネリアの活力を欲している。ガネリアもまたシェイクの資源を欲している。この点では両者は協調関係にある。ただし、相互理解しにくい相手であるのも事実である。

 これはガーネリア自体がもともと西側、つまりはルシアに近い国家であったことに由来する。ガーネリアの生来の物の価値観が貴族主義的、血統主義的なのだ。

 一方のシェイクは自由の国である。そうした血統主義に嫌気が差した者たちが集まって作られた国なのだから反発するのは当たり前。彼らが愛するのは自由と発展と実力主義的繁栄なのである。

 しかしながら、現在のシェイクではそうした自由が悪い意味で氾濫してしまっている。

 自由主義あるいは資本主義の格差はスラムを生みだし、同時に傲慢で貪欲な人間を野放しにする。代議士たちは資金によって票を確保しなければ当選できず、利害関係の調整で時間を取られ、肝心の政策そのものが進まないという構造的問題を抱えている。

 そのうえ連合国家である。各州のやり方、意見を聞かねばならず、国として大きく動くのが難しいことも多い。実際シェイクの対外活動は、各州が独自に別々の判断で行うことが圧倒的に多い。それをシェイク連邦が追認する形だ。

 その長である大統領の役割は限られており、独自の政策を打ち出そうとしても上手くいかないのは仕方のないことである。結果として大統領になるよりは州知事になったほうがやりたいことができるともいわれている。

 という流れが今まで続いていた。
 だが、ベガーナンという存在が現れてシェイクは変わりつつある。

 彼は不思議と人の心を掴むのが上手い。いつの間にか敵も味方に変え、完璧ではないにしても今までにはなかった政策を実現させている男なのである。貧困、飢餓対策、経済格差是正、医療保障制度の確立など、今までの自由主義を抑制することでバランスを取る政策を打ち出している。

 これには当然ながら反発もある。シェイクは実力主義で成り立つ国だからである。力ある者が富を得て何が悪いのか、という意見が根強く残っているのだ。

 悪魔とルシア天帝のやりとりにあったように、力ある者が富むことは間違ってはいない。シェイクでは富を得た者は【与える権利】を得たと考えられているからだ。

 経済的な成功を果たした人間には、それを他の同胞に分け与える権利があるのだ、と考える。【義務】ではない。【権利】だ。ここに彼らの考え方の根本がある。強制ではなく、あくまで当人の自由意志によって自ら行うべきと考えているのだ。

 それに対するベガーナンは、権利を義務に変えることに尽力した人物であるといえる。義務になるということは、何を意味するのだろうか。それは【役割】であり【責務】であり、それ自体が【差別的】になるということである。

 これはつまり西側で言うところの【貴族の義務】である。

 貴族の義務とは、正しく与えること。最初から立場が確定されているがゆえに欲求や恐怖、疑念によって間違えることなく、正しく物的、精神的富を民に与えることである。

 これが本来の貴族主義の在り方、存在意義である。より進化した優れた者が富を正しく運用する。物的格差を生み出さないように管理するシステムである。これをシェイクに導入しつつあるのがベガーナンという男である。

 こう考えると、彼は【バランサー】としての大きな資質を持った人物であるといえる。

 紅虎とアダ=シャーシカの諍いを簡単に止めたように、彼には天性の調停の資質がそなわっているのだ。何か事が起きれば、その正反対の要素を組み入れて最終的に元通りにする。そういう能力である。

「安心してほしい。他意はないよ。ただ【経験者】として君の率直な意見を聞いてみたいだけさ」
 ベガーナンは柔らかい笑みを浮かべる。たしかにそこに他意があるようには見えない。すでに大まかな流れを知っているからこそガネリアを味方に引き入れたいという理屈はわかる。経験者という言葉も、実際に悪魔と触れ合ったことを指し示しているのだろう。

「しかし…」
 まだヨシュアは迷っていた。というよりは、まだ困惑していると言ったほうが正しいかもしれない。

 ゼッカーが本気で動いたこと。彼があそこまでしたことを認めたくないのかもしれない。ヨシュアもまたゼッカーという存在に惹かれる部分が多くあった。彼は紛れもなく偉大なる英雄だったのである。尊敬もしていたし、同情もしていた。だから割りきれない思いがあるのだ。

(アリエッサ様が生きていれば違ったのだろうか)
 アリエッサと一緒にいたゼッカーの顔が今でも強く脳裏に焼き付いている。もしハーレムと一緒にガネリアに残ってくれれば、これほど心強い味方はいなかった。そう思うと心が痛むのは一人の騎士として、人間として当然のことなのだ。

 誰もが描く夢の理想郷。ハーレムとゼッカーが共に手を取り合ってガネリアを導く姿。偉大なる獅子王が人々を導き、偉大なる黒の英雄が人々に寄り添い支える。その傍らには太陽の少女であるアリエッサがいる。

 ハーレムが間違えればゼッカーが止める。ゼッカーが先走ればハーレムが戒める。偉大なる二人の人物によって、人々は活気と安らぎを得る。暮らしは豊かになり、芸術は栄え、自然環境も戻っていく。もう飢えることはなく、水不足に苦しむことはない。差別されることもなければ、自分をおとしめることもない。ただただ、そんな世界。

(私はまだ夢を見たいのだ。それの何が悪いのか)
 ヨシュアは輝ける未来を誰よりも期待していた一人である。だから頭ではわかっていても感情がついてこない。もっとも近くにいた人間だからこそ、彼の中ではゼッカーを敵とは認識できない。したくない。

「ヨシュア様、どうぞ行ってらっしゃいませ」
 葛藤するヨシュアの背後から、覗くようにエシェリータの頭が出てきた。陰に潜みながら話は全部聞いていたようである。こういうところは抜け目ない少女だ。

「おや、噂通り可愛らしいご婦人だね。君のことはシャーロンから聞いているよ」
 ベガーナンはエシェリータの目を見る。エトールの民特有の黒金こっきんの瞳だ。その闇の瞳はどこまでも深く深く続き、覗き見る人間の心を見透かすように広がっていく。闇の中で人は丸裸になってしまう。その剥き出しの心で隠し事はできない。

「綺麗な目だ。シャーロンが持ち帰りたいといった気持ちもわかるかな」
 それは本当の気持ち。人は美しいもの、珍しいものを見ると欲しくなる。当然の気持ち。

「ああ、もちろんそういった趣味はないから安心してね。僕は彼女と違うから」
 ベガーナンは少女趣味もメイドを集める趣味もないと強調。シャーロンと一緒にされたくないという思いが相当にじみ出ているので、彼も彼女の趣味にはあまり賛同していない様子である。

 シャーロンは若い娘(六歳以上~)を集め、自身のメイドにしている。メイド服やロリータファッションを愛し、それを着た彼女たちを愛でることに人生の半分を費やしていた。遠征先から戻ったときなどは、自身の館にこもって彼女たちの奉仕を堪能するらしい。

 といっても彼女は同性愛者ではなく、単に可愛いもの好きにすぎない。これは人形を愛でる感覚に近いだろうか。可愛いものを愛し、傍に置いておきたいという感情。それが実際の人間なので歪んではいるが、単純な愛情の一つでもある。

 そうした言葉に惑わされず、エシェリータはじっとベガーナンの目を見つめ続けていた。大切なのは表現や表面ではなく中身。その本質。誰もが黒金の目を見ると怯む。単に異様なだけでなく、その目がすべてを見透かすことを本能的に知っているから直視できない。

 怖いのだ。自分を知られることが。

 自分の中に眠るものを悟られるのが怖いのだ。その中には潜在的な差別への怖れが宿っている。差別されることを怖れる人間は誰かを差別することで安堵するからだ。愚者は自ら愚者であることをそうして証明する。エトールは長年虐げられ続けているため、そうした人の負の感情に敏感なのである。

 しかしながら、これは愚者に限ったことではない。たとえばラナーがエシェリータの目を見た時、その中にはどうしても一瞬だけ【畏れ】が存在した。もともと彼が信仰心の強い人間であり、特別なものを敬う人間であったことも大きく影響しているのだろう。

 ラナーは分別のある人間であり、紳士であり、正義感の強い善人である。だからこそエシェリータを見ても普通の人間と同じように扱った。過剰反応してエシェリータを傷つけないように、である。

 それでも少なからず怯えがある。彼が紅虎に感じる神聖視に近い怯えだ。違うもの、変わったものに対する特別な視線がある。これが普通なのだ。善人、聖人という存在でさえ、心の中には必ず不完全性を持っているものである。それを一瞬で見抜くのがエトールの瞳。

 エシェリータの瞳が、ベガーナンを射抜く。
 本質を見極めようと貫く。
 ベガーナンはそれを正面から受け止める。

 そして、エシェリータは視た。

(この人は私を怖れない。それどころか…)

 ベガーナンはエシェリータを差別している。

 エトールという存在をしっかりと認識し、エシェリータを普通の子供としては扱っていないのだ。正確には【区別】している、と言ったほうがよいだろうか。

 たとえば何らかの障害者がいるとしよう。彼らは誰しも普通の人間として扱われたいと願っているし、そう接するのが社会の礼儀であるともいえる。

 ラナーがやったように、世間一般の他の少女と同じように扱うことは素晴らしいことだろう。ロイゼンの騎士として、一人の人間として立派な振る舞いである。だが、やはり障害を持っていることは事実なのだ。できることとできないことには明確な差がある。

 ベガーナンという男は、むしろそこを積極的に認める。そうした障害は社会においてカバーしていく問題である。できる仕事は与え、できないことはできる人にやらせる。それを無視して障害者を健常者と同じく扱い、無理な仕事を押し付けるほうが悪質であると考える。

 誰にもやれることとできないことがあり、お互いがカバーしあって一つの社会を形成していく。だからこそ最初に【正しい認識】が必要となるのだ。誰がどのような能力を持っており、どのような性格をしているのか。その結果、どういうものが向いているのか。その認識があって初めて効率的な社会が生まれる。

 だが、人間という生き物はそれが簡単にはできない。

 誰しも自己の劣等感に苦しみ、できないことを認めたくないものだ。同時にできないと思われたくないもの。それが自尊心というものである。そのせいで、欠陥が事実であってもついつい過剰反応してしまう。

 それそのものが自己差別になっていることも知らずに。

 一方のベガーナンは【区別という認識】をもちいてすべてを見ている。エシェリータに対してもエトールという特別性を認識し、隠そうともしていない。

 それはある意味において【完全なる平等】であり【対等】を意味する。両者の違いを認識し、受け入れて認めることで役割をしっかりと決める。それこそ色眼鏡のない対等の関係であるとベガーナンは考えている。

 その証拠にエシェリータに対しても、大人としての愛嬌は見せながらもけっして侮っていない。尊敬、礼節、素直な愛情。大人には見栄があるので、子供に対してそれを行うのはなかなか難しいものである。

 それも大国の大統領が敵国の人間にそう接するのはもっと難しいだろう。たいていは表面だけ笑顔で中身は真っ黒。あざ笑っているものなのだ。

 だがこれがベガーナン。

 ルシア帝国と並ぶ世界最大国家シェイク・エターナルの連合国家大統領。ザフキエルとはまったく対照的な【王の資質】を持つ男である。そうした強い理性と力を垣間見たエシェリータは確信を込めてヨシュアにこう言う。

「合格です。予想以上にベガーナン様は信用できる御方です」
 その声はヨシュアにだけ聴こえるように小声だった。

(エッシェが他人をそう評価するなんて珍しい)
 ヨシュアはエシェリータの言葉に若干の戸惑いを覚えた。彼女は年相応の少女の純粋さも持ちあわせているが、エトールの血ゆえに人間の暗黒面に敏感だ。どうしても人間は欲望を抱くし、満たされない願望が行動に表れてしまうものだ。

 エシェリータはそれを見逃さない。
 そして彼女いわく、それがもっとも出るのが【目】であるという。

 目は口ほどに物を言うともいわれるほどに、目はその人物を物語ってしまうものだ。エトールの黒金の瞳はそれを見抜く。その中に宿っている本質を見いだすのだ。ヨシュアも初めてエシェリータと出会った時、目をじっと見られたものだ。そして一言「合格です」と言われたのだ。

 普通の相手ならば幼い少女ゆえの遊びかと思うが、レクスを知るヨシュアには笑えなかった。その中に深い叡智を垣間見たからだ。

 ヨシュアはそれが怖かった。
 叡智の奥深さに恐怖したのだ。

 ヨシュアであってもこうなのだから、ベガーナンの心の強さ、信念の強さがいかに超越しているかがうかがえるというものである。そして、そういった人物であるからこそ信用できる。彼は隠さない。自分の利益も相手の利益も包み隠さず提示する。裏があれば、全部は話さずとも裏があると相手に言う人間だ。だから信頼される。

(夢は夢。純粋な時間は終わったのだ)
 楽しい夢を見て起きた朝は、また同じ夢が見たくて二度寝したくなる。しかし、同じ夢が見られるとは限らない。次見るものが悪夢かもしれない。ならば現実を生きるほうがよいだろう。ヨシュアは再び現実を見ることを決めた。

 今の自分はガネリアの筆頭騎士団長であり、目の前にいるのはシェイクのトップ。もう個人の夢など語れる状況ではないのだ。守らねばならないものがある。自分にはその責務がある。

「ゼファート、私は状況を確認してくる」
 ヨシュアはエシェリータの感性と叡智を信頼して申し出を受諾する。ただ、ゼファートはまだ心配そうな顔をしていた。それはシェイクのことではなく、何よりも悪魔のことである。

「あの人があの機体を出したのは、こちらを巻き込む思惑があったんですかね?」
 ゼファートは映像を見た時から疑問に思っていたことがある。なぜリビアルやバイパーネッドを見せたのか、ということだ。ゼッカーの行動にはすべて意味がある。とすればそこには【思惑】があるのだろう。

 一番の危惧はガネリアが巻き込まれることである。実際にそこからガネリアとの関係を割り出されてこうして声がかかる事態になっている。シェイクは事情をよく知っているが、それ以外の国家からすればきな臭い話である。余計な情報が行き渡れば厄介なことになる恐れもあるのだ。

「我々が関与していないことは事実だ。そこは貫けばいい」
 ヨシュアもその懸念はあるが、実際に関わっていないのだから仕方ない。少なくともガネリアは無関係であるし、今や中堅国家としての道を歩みだしている強い国だ。強引な手段で、あえてこちらを敵に回す国はそう多くはないだろう。

「しかし最悪のことは考えおく。エッシェは任せるよ」
 ヨシュアはゼファートにエシェリータを任せる。ガネリアにとって一番守らねばならないものはヨシュアよりもエシェリータである。彼女だけはどうやっても代えが利かないことを考えると優先順位はヨシュアを上回るのだ。

「もちろん、エッシェは死んでも守ります」
 当然、ゼファートも同じ気持ちである。ただし、それは一人の兄として。その気持ちは嘘偽りないものである。

「できればお兄さんも死なないようにしながら守ってもらいたいですけど」
 守ってもらうエシェリータは、相変わらずの兄に対してため息をつくのであった。それが本気だとわかってしまうから困る。

「大丈夫だ。死んでも守るから」

 ぐっと親指を立ててスマイルするゼファート。


「お兄さんはやっぱり不合格です」


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