十二英雄伝

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零章 第三部『富の塔、奪還作戦』

四十二話 「RD事変 其の四十一 『奪還作戦会議③』」

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 †††

(とんでもないことになってきた)
 エルダー・パワー剣士序列九位でカーシェルの護衛をしていたアミカ・カササギは、事がどんどん大きくなるさまに動揺を隠しきれない。

 彼女にとって世界とは小さなものだった。ダマスカスの片田舎に生まれ、そのままエルダー・パワーの里に招かれた彼女にとって世界とは、自分が暮らすごくごく一部の場所であった。しかし、この場には多様な民族、多様な国家の人間がひしめきあい、物の考え方も生活様式もすべて異なっていた。

 ルシアの人間はすべて色白かと思えば、雪の中で暮らしているがゆえに日に焼けた人間も多い。堅物というイメージも強いが、移民も多いためか、さまざまな考えを受容している様子が意外であった。

 シェイク人は派手好きで大雑把かと思えば、予想以上にマナーを守り物静かで知的だ。ベガーナンは愛嬌もあるし、シャーロンも偉ぶったところはない。その他の高官も凄みはあっても良識をもった対応をしている。

 ロイゼン人はもっと形式にこだわるかと思えば、多くはフランクで笑顔を絶やさず、一部の騎士(ラナー)においてはものすごく突飛である。カーリス教団にしてもエルファトファネスによってよく統率されており、誰もが慈善と礼節の模範を示そうとしている。

 ガーデン人は技術の国であり、もっと工場臭さをイメージしていたが、実際に来た者たちは清楚な東方衣装を身にまとい独特な神秘さを醸し出している。アダ=シャーシカは完全に異質であるものの、それ以外の者は他国の者ともよくしゃべっているようである。

(私は今、どこにいるのだろう?)
 アミカは自分がどこにいるのか、ここで何をしているのかさえ忘れそうになる。人という存在があまりに多様であり、自分の常識などまさに非常識であったことを知るのだ。おそらく実際にその国に行ってみれば、また多くの多様さを垣間見ることになるのだろう。

 ただ、そうであってもなお人間。

 人が人であることに変わりはなく、その美しさも醜さも同じなのだ。これだけ多くの人間がいても完全なる調和は望めない。各国ともにさまざまな事情に縛られており、一見協力しているように見えても、やはり裏側の本心では難しさを感じているのがアミカにはよくわかる。緊張、不安、牽制、損得勘定。そうした心の火花が至る所で散っているのだ。

 それは悪魔が現れてから顕著になった。悪魔は人を惑わすものとはよく言ったもの。まさにその通りになっている。結局は薄氷の上に建てられた小屋。支柱の一本でも失われれば倒れ、そのまますべてを呑み込んで壊れていく運命さだめにある儚いものである。

 勝利。それしかない。唯一この絆を維持するためには、価値があるかもわからない勝利を掴むしかない。

 だからカーシェルはこう言うのだ。

「アミカさん、チェイミーさん、君たちにエクスペンサー技術次官の護衛を頼みたい」
 カーシェルは改めて二人にそう伝える。おちゃらけた様子ではない。真面目で真剣な顔に強い意思を感じさせる。

「私たちは大統領の護衛です。このような状況で離れれば何があるか…」
 アミカはむしろ今こそ自分たちの力が必要なのだと思っていた。シェイク軍が防衛の準備を進めているのを見て、この会議場も安全ではないことを悟る。カーシェルはダマスカスの大統領。今回の会議における最大のターゲットになりうる立場である。

 現在ダマスカス軍は混乱の中にある。カーシェルを守れるとすればエルダー・パワーであるアミカたちだけであろう。

「心配してくれるのは嬉しいよ。でもね、もう私に価値なんてないんだよ」
 カーシェルは自分自身にさほど価値を認めていない。単純にそう思うのと同時に実際にもう価値はないのだ。

「この国はね、アピュラトリスだけに頼って生きている。大統領なんてそれを動かすためのパーツにすぎないのさ」
 カーシェルは悲哀をまったく見せず、ただただ淡々と述べる。それが事実だからである。

 大統領の代わりなどいくらでもいる。ルシアのように純血主義ではないダマスカスにおいて、大統領とはあくまで金融を滞りなく進めるための部品である。壊れれば代わりを用意するだけのこと。それはダマスカスという国を象徴しているようでもあった。

 ただし、一つだけ交換できないものがある。

「アピュラトリス。あれだけ存在すれば問題ないのだ」

 富の塔。その中枢である石版や神の脊髄と呼ばれるマザー・モエラ。そしてすべてを握るアナイスメルという存在。どのような犠牲を払ってもそれだけを守ることができればダマスカスは揺らがないのである。

(なんと寂しいことか)
 アミカはカーシェルの言葉に空虚さを感じた。自分が住むこの国。自分の故郷であるダマスカスとは、このような国だったのだろうか。すべてのものが消耗品のように扱われる。大統領でさえそうなのだ。一般の民の価値などたかが知れるではないか。それがあまりにも痛く感じる。

「護衛って、背負って運ぶデスか?」
 心を痛めているアミカとは対照的にチェイミーがすっとぼけた発言をする。狙ったものではなく素の発言だから恐ろしい。

「ははは、逆なら幸せだろうけどね。残念ながらそうじゃない」
 チェイミーを背負えるならば、あの豊満というよりは凶悪な胸が背中に当たって、むしろ息苦しさすら感じる圧力であろうが残念ながら違う。

「ちなみに君たちはMGの操縦経験はあるのかな?」
「うっ!」
「なるほど、あまり得意ではなさそうだね」

 カーシェルの言葉にアミカは少しだけ後ずさる。身体がこわばったのは一目瞭然。その様子からカーシェルはアミカがさほどMG戦闘経験がないことを察する。

「申し訳ありません。あまり好きではないのです。本当はいけないことなのですが…」
 アミカは申し訳なさそうにうなだれる。エルダー・パワーでは当然ながらMGの操縦訓練もある。武人である以上、MGを使わねばならない状況は必ず生まれるからだ。ただ、アミカは対人戦闘ばかりに集中しており、いつもMG訓練では良い戦績を残せていない。それがトラウマになっているのだ。

「アミカ、ウマくないデスからね。でも、ワタシいますよ!」
 チェイミーのMG操縦技術は高くもなく低くもないが特に苦手意識はない。ようやく自分の出番が来たことに喜ぶチェイミー。彼女がジャンプするたびに凶悪な胸が揺れ、カーシェルの視線も慌ただしく上下する。

「では、私は待機で…」
「いや、ぜひアミカさんもお願いしたい。これは最重要任務だ。恥ずかしながら現状では君たちが一番優れているからね」
 ものすごく嬉しそうに待機を申し出たアミカをカーシェルが一刀両断する。ゼルスセイバーズを失ったダマスカスには手駒が少ない。なにせあの部隊こそが戦闘力では一番だったのだ。

「正直、私も彼らと大差ないと思われますが…」
 アミカは戦闘を見ていて、メイクピークやクウヤの実力の高さを理解していた。おそらく自分とそう大差ないレベルである。むしろMG戦闘経験ではメイクピークのほうが上だろうし、才能ではクウヤのほうが上だと判断している。

 あれだけの武人が軍にいたことに驚きすら感じるのだ。それが一瞬で倒された。その事実もまたショックである。もし自分があの場にいたら同じ運命をたどっていたに違いないのだ。命が惜しいとは思わないが、あれだけの差がある相手に自分が役立つとはどうしても思えない。

「君たちは兵士じゃない。勝つ必要はないんだ。むしろできるだけ戦闘は避けてほしい。こちらの目的は彼を送り届けることだからね」
 カーシェルはアミカとチェイミーを安心させるように優しく語る。ゼルスセイバーズが完敗したのはいくつかの要素がすべてマイナスに向かったからだ。

 まず彼らが軍属であること。陸軍がやられてその借りを返さねばならなかったこと。主催国のダマスカスとして犠牲を覚悟で攻めねばならなかったこと。同時にゼルスセイバーズに欲があったこと。

 こうした条件が彼らを攻撃一辺倒にさせてしまった。単純に戦闘力で負けている相手に正面から戦えば不利になるのは当然のこと。剣と剣がぶつかれば、強いほうが勝つに決まっているのだ。

 一方、エルダー・パワーは守ることに長けている。ひたすら戦闘を避けて防戦に徹すれば十分持ちこたえることができるだろう。

「ただ、君たちはあくまでゲストだ。拒否する権利はある。だからお願いになってしまうのだが、どうだろうか」
 カーシェルとしてもエルダー・パワーの人材を好きに使えるわけではない。あくまでマスター・パワーから借り受けたにすぎず、損害が出れば責任を取らねばならないだろう。

 かといって時間的制約もある。今すぐ手配できる武人の中に彼女たち以上の者はいないのも事実であった。唯一、かつて激情鬼と呼ばれた女性ならばとも思ったが、ルシアとのやり取りに追われるバクナイアを見て断念する。もう退役しているのだし、これ以上バクナイアに心労をかけるわけにはいかない。本気で倒れてしまうかもしれない。

「私は…」
 アミカは迷った。これだけの武人たちに囲まれて少しばかり自信を失っていたのだろう。エルダー・パワーに席を持つとはいえ自分より優れた人間は山のようにいる。それは嬉しくもあり怖かったのだ。

 そんな彼女を後押ししたのは、たった一つの感情。

「我々でよろしければお引き受けいたします。やらねばならないことがありますから」

 アミカはこの瞬間だけ強くあろうとした。なぜならば、仲間がいるから。自分たちの家族もきっと戦っているのだろうから。

(確かめねばならない)
 仲間の安全。そしてこの戦いの真意。アミカにさえ今回の一件が偶然で起きたのでないことはわかる。何かが裏にあるのだ。そうでなければマスター・パワーが自分たちをここに派遣などしないだろう。

「ありがとう。本当に助かるよ。パーサ、【あの機体】は動かせるんだよね?」
 アミカの答えを受けてカーシェルは秘書のパーサ・マイルドミッチに尋ねる。

「そう報告を受けておりますが、あの機体はSランクに該当しますので外部の者を乗せるのはリスクが伴います」
 パーサはトレードマークの黒縁メガネの位置を直しながら書類に目を通す。

 機密には程度に応じていくつものランクがつけられている。最低のEランクは知られてもかまわないようなもの。たとえば議員の趣味などが該当する。これがDランクになると議員による海外出張における支出金などになり、Cランクになると各派閥会議の発言履歴など、より機密性が高まるものになる。BやAともなれば、もはや一般人では閲覧不可能なものばかりである。

 そしてSランクは国家機密の中でも最上位のものであり、政府の意思決定機関の中でも特定の人物にしか情報が与えられない。カーシェルが提案したものはSレベル。パーサが苦言を呈するのも当然かもしれない。

「かまわないよ。SSSトリプルエスのアピュラトリスが危ない時期に、たかだかSランクのことでかまっていられないだろう?」
 カーシェルは迷わずそう答える。状況が状況なのだ。今優先すべきはアピュラトリスである。今は使えるものは何でも使う。それがカーシェルのやり方である。

「では、サインをお願いします」
 パーサは手早く関連書類を出し、カーシェルに手渡す。Sランク以上の情報を外部に公開するには大統領のサインが必要であった。

「君は相変わらず形式的だね」
 カーシェルはサインがあまり好きではなかった。これを書くときはだいたい責任を取る時なのだ。その時はよくても後から問題が出ることもしばしばだ。

「規則ですから」
 パーサはこんなときでも表情一つ変えず、いつもどおりに対応する。ちゃんとヘインシーも大統領にサインを求めに来たので、これは外せないものなのだ。当然直筆でないといけない。

 ちなみにサインだが、当人だとわかれば何でもよいので、カーシェルはハートマークの中に「紅」と書かれたサインを使っている。まさに紅虎愛が垣間見える瞬間である。ただし、初老の男性がハートマークを使うのは珍しいので初見の場合は誰もが驚くだろう。

 そして書類のサインを確認したあと、パーサは関連部署に電話をかける。

「二十分以内に用意できるそうです」
「さすがうちのスタッフは優秀だね。では、アミカさんとチェイミーさんはエクスペンサー次官と格納庫に向かってくれたまえ」
 カーシェルは近くにいた兵士に命じ、アミカとチェイミーの案内を任せる。ここから格納庫まで歩いて二十分程度。着く頃には準備が終わっているだろう。といっても【機体そのものに問題】があるわけで、そればかりはどうにもならないものだが。

「あの、本当に大丈夫でしょうか?」
 アミカはカーシェルから離れることにまだ不安があった。マスター・パワーから与えられた任務を途中で放棄してもよいのかまだ迷っているのだ。

「大丈夫さ。紅虎姉さんもいるしね」
 カーシェルはあえて紅虎の名前を出す。アミカが紅虎に憧れているのはすぐにわかったし、そばには実際に紅虎がいる。それはアミカを勇気づける魔法の言葉となるだろう。

「それよりも次官を頼むよ。彼がこの作戦の希望、言ってしまえばダマスカスの未来を担う存在だからね」
 カーシェルの言葉は真実である。もしヘインシーが失敗すればもう打つ手はない。いくら外周の敵を排除できてもアピュラトリスが失われてしまえばダマスカスは終わりである。

 あの石版が損傷あるいはパーツが一つでも損失すればアナイスメルに干渉できなくなる。たったそれだけでダマスカスは終わるのだ。今まではそれができないから油断していたが、相手は常識を打ち破る存在である。何かしら方法があるかもしれない。その前に奪還しなくてはならないのだ。

「未来、希望。ダマスカスの…運命」
「アミカ、かったいデスよ。カチコチでーす!」
 カーシェルの言葉はアミカには相当プレッシャーだったようで、思わず身体が硬直したのがわかった。

 アミカはエルダー・パワー随一の真面目女であり、こうした場面にはあまり強くない。普段勉強はできてもテストでは緊張して実力が出せないタイプである。それでも彼女が席持ちになれたのは、それ以上の努力をしたからである。ただ、いまだにこうしたシチュエーションには弱いのだ。

(うん、姉さんとは真逆のタイプだね。それも可愛いのだけど)
 普段自信満々の紅虎とは完全に逆のタイプである。カーシェルも本番には強いタイプで、むしろ困難に直面すると冷静になるので、アミカのような人間の気持ちは理解しがたい。

 が、今はアミカたちに頼るしかない。

「実はこれから君が乗る機体は、赤虎さんにプレゼントしようと思っていたものなんだ」
「え? マスター・パワーにですか?」
「ああ、良い機体は良い武人に使ってもらいたいからね。できれば君たちとは今後とも付き合いを続けたいと思っているんだ」

 エルダー・パワーは裏側の存在である。通常は表舞台に出てくることはない。しかし、カーシェルはエルダー・パワーとの協力を望んでいた。これからのダマスカスは彼らとの協調なしに生きていくことは難しいと感じたからだ。

 その先駆けとして、カーシェルはマスター・パワーである赤虎が使うことを前提とした機体を開発した。それを試作ベースとしてエルダー・パワーが使えるようにさまざまな機体を開発中である。

 エルダー・パワーは武人としては超一流であるもののあくまで生身が主体である。MGもあるが、どれもが何世代も前の旧式ばかりである。アミカがMG戦闘で良い成績を残せなかったのは、MGが古すぎて反応が遅いこともあるだろう。武人にとって一瞬の遅れは致命傷になる。

 そして今後、ナイト・オブ・ザ・バーンのような強力な機体を持つ敵が現れれば、エルダー・パワーでもおそらく対応できないだろう。武人として一流のエルダー・パワー。装備と資金力に優れるダマスカス軍。これらが合体してこそ真なるダマスカスになる。そうカーシェルは考えていた。

 メイクピークからも同じような打診があったのをカーシェルはよく覚えている。今になって思えば、メイクピークは常々ダマスカスの脆弱さを指摘していた。もし議会の人間が彼の進言を真面目に聞いていれば結果は変わったかもしれない。

 ただし、この計画は当然ながらエルダー・パワー側の了承がなくてはならない。彼らは今のダマスカスを快く思ってはいないのだ。

「君たちから見れば我々がやっていることは愚かかもしれないね。事実そうだろう。でも、すべては道具の使い方なんだと思う」
 カーシェルからすればすべてが道具である。それはいくらでも代わりがいるという悪い意味に捉えることもできるし、使えるものは何でも活用するという良い意味にも捉えることができる。

 事実、世の中とはそういったものなのだろう。
 使う側の人間の心がけ次第で道具は善にも悪にもなるのだ。

「今後この国がどう変わっていくかはわからない。ただ、これからの時代を支えるのは君たちのような若い世代だ。少なくとも彼らを守らねば国は成り立たない。だから今は力を貸してほしい。大丈夫。君たちならばやれるさ。赤虎さんの家族なんだから。それは私の家族でもあるんだよ」

 すべては紅虎丸からつながる大家族。ダマスカスという国は、紅虎丸の子供たちによって作られた国なのだ。今がどうあろうとその絆だけは変わらない。その志は何も変わっていないのだ。

(家族…)
 そのカーシェルの言葉にアミカの心は奮える。アミカは都会の人間と初めて会い、どこかでぎこちなさを感じていた。生活習慣も違うし考え方も違う。何もかもが不自然で気持ち悪さすら感じていた。

 しかし、家族という言葉。

 どんなに異なっていても心の奥深く、血すら超えた場所で自分たちはつながっている。それは霊のつながり。同じ霊から生まれた存在から作られる一大霊的家族の絆。それがアミカを包むのだ。

「イッてきまーッス!」
 尻を振りながら大声で別れを告げるチェイミーに若干アミカが引きながら、ヘインシーを含めた三人が出ていく。彼らの働きにダマスカスの未来がかかっていると言っても過言ではない。


「ルシアに指揮権を渡したのは賭けでしたね」
 アミカたちが出ていったのを見送ったあと、パーサが会議でのカーシェルの行動をそう評価する。

 ルシアが指揮を執れば確実に被害は大きくなる。世界最大の軍事国家の攻撃はダマスカスの比ではない。そうなれば場合によっては都市にもダメージがいきかねない。

 それ以上にダマスカス議会での反発も大きくなるだろう。防衛に失敗したあげく、他国の軍に自国を踏みにじられるわけである。批判しないほうがおかしい。

「ちなみに現在の情勢では弾劾決議はギリギリ免れられるとは思いますが、この作戦の結果いかんでは微妙なところです」
 パーサが頭の中で計算をしながらそう答える。

 カーシェルは比較的国民に人気のある大統領であるが、派閥では変わり者や変人として異端に属する部類である。そんな彼が大統領になれたのは個性(キャラクター)が国民に受けたことと、地道な買収工作によるものである。

 それは金銭や利権にとどまらない。紅虎の弟子という立場も利用して【隠れ紅虎ファン】や【偉大なる者信仰者】の支持を取り付けたからである。

 偉大なる者に憧れる地上人は多い。この富の国ダマスカスでさえ、いや富の国だからこそ、富では買えないものへの強烈な憧れが存在する。ある富豪に至っては、ある日突然偉大なる者への信仰心が目覚め、自分の全財産を慈善に使ったほどである。そういった者たちを取り込み、カーシェルは地盤を固めていったのだ。

 それもアピュラトリス次第。

 どうあってもこの国はアピュラトリスなしでは生きてはいけないのだ。この作戦が失敗すればカーシェルの立場も大きく揺らぐだろう。また、それだけでは済まない可能性も大いにある。

「そのときはまた旅に出るかな」
「無償で一生働いてください。そのほうが効率的です。これからダマスカスは揺れます。覚悟しておいてください。ですが、それはさらに強くなるための試金石です」

(やっぱりパーサちゃんはいいな)
 カーシェルに秘書は何人かいるが、いざという時に心から信用できるのは彼女だけだ。こうして大統領に対して臆さず意見が言える人材は貴重である。何よりも彼女は先を見ている。勝っても負けても人は生き続けねばならないことを知っているのだ。それが何よりも美しく見える。

 といっても、大半はカーシェルのセクハラまがいの発言に嫌気を差して辞めていってしまうわけなので、結果的に頼れるのが彼女一人なのは言うまでもない。



   ††† 



「あんた、本当にやる気?」
 心を静めて戦いに備えているラナーに声をかけたのは、ほかならぬ紅虎であった。

「ええ、本気ですよ」
 ラナーの声は今まで紅虎になじられていた時のものとは違って強く、たくましさすら感じさせるものであった。すでに気分は戦闘モードのようだ。そんな弟子に対して紅虎は素直な意見を述べる。

「正直に言って【あの子】のほうが上よ」

 紅虎は実にストレートに現状を分析する。残念ながら今の実力ではラナーよりもホウサンオーのほうが上であるのは間違いない。剣技だけならばラナーとて恐るべき鋭さを持っているが、武人にとってもっとも重要なものは【経験】。それは総合力として大きな違いを生み出すものである。

 当然、ラナーもそれは理解している。

「おっしゃるとおりです。ただし、状況は常に変わるものです。今の私には強力な剣と盾があります」
 けっして朽ちぬ聖剣シルバート、いかなる攻撃も防ぐ神機シルバー・ザ・ホワイトナイトの盾。この二つの聖なる武具があれば実力差はかなり埋められる。

 だがしかし、それは所詮武器の差。そんなものは本物の力にはならないこともラナーは知っている。そう、もっとも決定的な違いがもう一つあるのだ。

「何よりも心に宿す想いが違います。残念ながらあの御方は墜ちてしまったようです」
 ラナーにはいまだなぜ彼がそこにいるのか、どうしてあのようなことをするのか理解できていない。それでも責任を放棄したことには変わりない。あの黒い剣士は【責任を放棄した責任】を取らねばならないのだ。

「今時ソードマスターズの掟なんて流行らないわね」
 紅虎は呆れたというより、うんざりという顔で言う。

 初代剣聖である紅虎丸が剣王評議会を作ったわけではないものの、彼の弟子がそうした先駆けとなったのは事実である。もともとは剣の組合のようなもの。言ってしまえば剣術愛好者が集まる友好と情報交換の場から始まったものである。

 それがいつしか剣王という剣の頂点を決める組織になってしまった。それそのものは必要だから生まれたのだろう。ただし、本来の剣の理想形からは程遠いものになったのも事実である。その意味においても紅虎はソードマスターズから距離を取っていた。

「師匠があの組織を嫌っている理由は知っています。けっして綺麗事ばかりではないですから」
 組織が生まれれば規律が生まれる。何事も秩序あってこそ安定するものだから当然のことだ。しかしながら、どうしてもそこには裏の側面が生まれてしまう。それは地上人類があまりに【未成熟】だから。

「今回の会議と同じです。まるで厚化粧をしたご婦人のようだ」
 ラナーは、女性嫌いな彼らしい皮肉をもって国際連盟会議を痛烈に批判する。誰もが本性を隠して上辺だけ綺麗に繕っている。それは最初から醜さを隠そうともしない人間より遙かに醜悪である。自分たちだけは綺麗だと思っているその偽善が何よりも醜いからだ。

「だからロイゼンを巻き込んだの? そういうところは変わらないわね」
 紅虎はラナーがどうしてあんな行動を取ったのか理解していた。

 正直、ラナーはこうしたやり取りに辟易していた。各国ともに本音でぶつからず、本当に大切なことをなおざりにしている。今こうしている間も混乱は続いているというのに自国の利益ばかりを考える者たちがあまりに多い。

 それはロイゼンも同じこと。ヒューリッド王子は立場上仕方がないとはいえ、その立場というものすらラナーには理解できないでいるのだ。だから巻き込む。ロイゼンという国に責任を取らせるために。

「他国が思うほどロイゼンはけっして美しい国ではありません。改善すべき場所はいくらでもある」
 ロイゼンは大きな国ではあるが【島国】である。島国特有の傾向性は時に閉鎖的な時勢を生み出すものである。そのもっとも最たるものが、ほかならぬカーリス教であるとラナーは考える。それは批判ではなく、真なる信仰心を持つラナーだからこそ感じる不満なのだ。

 正義。ほかならぬ正義。

 それは【潔白】の中に存在しなければならない。何一つ染みのない清廉としたものの中に真なる信仰心は生まれる。同時に今のカーリス教徒および神聖騎士団が失っているものである。

 それは自己犠牲。
 人が持つもっとも美しい徳性である。

 あの時とて、ラナーが動かねば他の者は動かなかっただろう。それを見て仕方なくエルファトファネス法王が動くなど、本来あってはならない。それがラナーにはなさけなく思えるのだ。

「潔癖ね。悪いとは言わないけど、あまり強くすると壊れるわよ」
 紅虎は初めてラナーを心配する言葉をかける。

 紅虎も幾多の地上の人間を見てきた。その子らは自分が背負う責任や使命にまっすぐに向かい合った。向かい合いすぎたがために潰れていった。

 どのような資質があろうと、どのような強さを持とうと、所詮は人間なのだ。それは物質世界の地上にあっても上位霊界である愛の園にあっても変わらない。人には息抜きも必要である。勢いよく飛び出す日もあれば休む日もある。時代や人の進化もそれに準じている。

 なぜならば、それが【パターン】なのだ。

 人には人の進化のパターンがあり、この地上もまたすべての次元の世界と連動している巨大なシステムの一部だからだ。それを強引に壊すあるいは直そうとすれば、それに対して大きな反動が生まれる。それが振り子の法則である。

 だが、ラナーはそれを見過ごせない。

「見つけてしまった以上、直さねばならないのです。今すぐに。だから私は彼と対峙しなければなりません」
 紅虎の忠告を受けてもラナーの心は変わらない。いや、受けたからこそラナーはそう答えるしかないのだ。

「困った子ね、坊やは」
 紅虎がラナーの頭を撫でようとすると、ラナーはそれをそっとかわす。ためらいがちに、惜しむように。それでも心を振り絞って。

「私はもう子供ではありません! だから私は勝つのです! あなたの目の前で彼に勝つ!」

 ラナーが赤面しながらそう宣言する。

 もう子供じゃない。

 それはまるで子供が子供扱いされて怒る様子にそっくりであった。

(やばい。こいつ、かわいい)
 その様相に紅虎の母性本能がさらに刺激される。思いきり抱きしめたくなるが、もしそうしてしまえば天帝の偶像しかり上半身の骨々が砕け、ラナーは出陣する前にリタイア確定である。

 紅虎はものすごくがんばってその衝動に打ち勝つ。がんばらねば打ち勝てないのが恐ろしい。

「と、とにかく私は勝ちます。私の正義と信仰のために。師匠はここで見ていてください!」
 ラナーは自分の言動に対して恥入り、さらに赤面しつつもそう述べる。今、自分が何を言ったのか理解したからだ。

 そして何を求めているかも露呈してしまったからだ。あまりにも恥ずかしい言葉であったが、ラナーはそれでもかまわないと思った。信仰とは、求めることでもあるのだから。

「あの子は強いわよ。私よりね」
 そんなラナーだからこそ、そう忠告する。これから対峙する相手はおそらく今までで最強の相手となるだろう。いくら強くても紅虎は人を殺さない。そもそもそんなことは思わないし、しようともしない。だが、そんな紅虎とは違って本気で殺しにくる相手。戦場で出会う敵と戦うのだ。

「必ず勝ちます。勝たねばならないのです」
 ラナーはそう言って格納庫に向かう。その先に待っているのが栄光であることを信じて。

「死ぬんじゃないわよ。シャイ坊」
 紅虎は見送ることしかできなかった。この戦いは彼ら自身の戦いなのだ。彼らが決め、彼らが求めたもの。だから手出しはできない。


「うむ…、あっちは盛り上がっておるの」
 そんな二人を見つめるのは、グレート・ガーデンの元首であるアダ=シャーシカである。

「完全に置いてけぼりですな。まったくもって誰もかも薄情でありますよ」
 お付きのポーターがアダ=シャーシカを扇であおぎながら愚痴る。

 アダ=シャーシカがポーターと話している間に会議はどうやら終わってしまったようだ。五大国家の一つであるのに完全無視である。それは無視というよりは腫れ物扱いといったほうが正しいだろう。

 誰もがアダ=シャーシカを刺激する前に終わらせたいと願い、必要最低限の取り決めだけ行ったあとはハブシェンメッツ率いる戦術チームにすべてを任せてしまった。ハブシェンメッツとしては不運であるが、アダ=シャーシカが絡んでくれば面倒なので仕方がない措置であった。

「哀しいのぉ。こんな乙女を腫れ物扱いとは。ああ、哀しいのぉ」
「姫様、この雌豚め」
「なにぃい!?」

 アダ=シャーシカはふと耳に入ってきた言葉に反応し、ポーターを凝視する。

「ひぃぃ、違います! 違います! わたくしめではありませぬぞ。けっして姫を雌豚などと!」
「言っておるではないか!」
 アダ=シャーシカが鉄扇でポーターの肘関節を叩く。ここは痛い。直撃すると痛みで腕が痺れるほどだ。そしてポーターも痛みでもんどり打ってひっくり返る。とんだ災難である。それでも「違うのですぅ」と連呼しているので違うのかもしれない。

 では、ポーターでないとすれば誰か。
 それはもう、残るは一人だけである。

「今のは私です」
 もう一人の人物、アビラ=ウンジャである。十三人の天使、サーティーンズの一人であり、天使第二位に座する【燃ゆるかんむり】の異名を持つ武人である。

 中性的な顔立ちと体型に加え甲冑袴を着ているので性別がわかりにくいが、その声はボーイソプラノのような声変わりしていない少年のものであった。ただ、それをもってしてもやはり性別はわかりにくい。男性だとは思うが確証がない。そんな雰囲気である。

 ただ、そんなことを忘れるほど彼の違う側面が強調される。

「ポーターはヒツジさんでしたね。スケプヒツジさん」
 スケプヒツジさんとは、どうやらスケープゴートのことのようである。と言いつつ、濡れ衣で犠牲になり床に転がっているポーターをうっかり踏んで「なんで生肉が?」とか言っているので何がなんだかわからない。

「スケープゴートはヤギであろう?」
 アダ=シャーシカがつっこむ。たしかに残念。ゴートはヤギである。

「ヒツジさん…じゃない!」
 アビラ=ウンジャは少なからずショックを受けたように目を見開き、うなだれる。うなだれた拍子に持っていた祭儀用の槍の柄がポーターの腹を圧迫する。

「ぎぃやぁぁ! アビラ=ウンジャ様、突いてる! すごく突いてますぞぉぉ!」
「ヒツジさん…ショック」
 ポーターの叫びにまったく興味を示さずうなだれ続け、さらに圧迫し続けるアビラ=ウンジャ。寡黙で神秘的な存在と他国から一目置かれていたが、わりとしゃべっている。どうやら寡黙なのではなく、会議中は単に何も言うことがなかったようだ。

 むしろ彼の頭の中では常人では理解できない世界が展開されており、アニメ調にデフォルメされたザフキエルやカーシェルがお花畑で仲良くピクニックしていたらしい。それに夢中で完全無表情だったようだ。それはそれで恐ろしい。

 ところで最初に言った「雌豚め!」は、アビラ=ウンジャの中では「よっ、この乙女!」「よっ、イケてるね!」みたいな感じのニュアンスで使われているらしいことが後で判明した。

「アビラは妾のために戦ってくれぬのかえ?」
 紅虎とラナーのやり取りを見て、アダ=シャーシカもさりげなく聞いてみる。彼女も困ったご婦人ではあるが、これもまた普通の人間であることには違いない。紅虎を見てちょっと羨ましいと思ったりもしていた。

 一応、天使たちも彼女の子供のような存在なので、さりげなく熱い展開を期待していたりする。が、彼の答えはこうである。

「だが断る」
「なぜじゃ? せっかくのパレード。お前様も出たいと思わんかえ?」
 グレート・ガーデンとしてもここで遅れを取りたくはない。当然、主導権争いというよりアダ=シャーシカの個人的興味が中心であるが。

「だって、羽座はねざ持ってきてないし」
 羽座とは、アビラ=ウンジャが乗るMGである。コックピット内部に天使を模した羽がついていることから当人はそう呼んでいる。機体の正式名称はケルブ・フォン・ケルブ。【司るもの、それは力。生命もちて燃えよ生命の冠】という意味である。

 また、各天使の機体のコックピットにも同じような羽のデザインが施されており、アビラ=ウンジャが羽座と呼んでいたのをきっかけに「天使の機体=羽座」という俗語が生まれてもいる。恐るべし、不思議ちゃんの影響力。

 その羽座であるが、実は持ってこようとしたのだが、入国の際に審査で引っかかって本国に戻された経緯がある。本来こうした会議においてグレート・ガーデンには使節団特権があり、ある程度の持ち込みは審査なしで通すことができる。ただ、普段は公の場に出ないサーティーンズは事前登録がなされておらず権利の取得が間に合わなかった。

 これはアピュラトリス防衛を含めた厳戒態勢が大きく影響しており、外部からの持ち込みにダマスカス側が過敏になっていたことも挙げられる。その証拠にルシアの主力艦隊も直接寄港せずに公海上で控えている。いくら常任理事国とはいえ、この状況では余計な軋轢は控えるのが得策であった。

 ただ、MG一機程度ならばごり押しで持ち込めたはずであるも、アビラ=ウンジャは無理と聞かされた際には「ごちそうさまでした」と言って素直に諦めていた。ごちそうさま=了解または終了、なのかちょっと理解できないが、彼の中ではもうやる気がなかったらしい。

「つまらんのぉ! 妾らも参加したいぞ! したい、したい、したいのじゃ!!」
「おお、陛下! おいたわしや! アビラ=ウンジャ様、なんとかなりませぬか!」
「だって、姫様が決めたこと」

 アダ=シャーシカは駄々をこねるが、アビラ=ウンジャが言う通り、彼女自身の決断がすべての発端である。

 今回、グレート・ガーデンはほとんど戦力を持ってきていなかった。特にMG関係の装備は数えるほどしかない。それはアダ=シャーシカが武装よりも【華やかさ】を重視した結果である。

 ある意味では彼女なりのサービスだったのだ。彼女の感覚では今回の連盟会議は【お祭り】でしかない。他国はどうせつまらぬことしかやらないのだから、少しでも目の保養をさせてやろうというアダ=シャーシカなりの心遣いである。

 その証拠にグレート・ガーデンの東方民族衣装を着た者たちの大半がダンサーで、この会議中もさりげなく舞を披露して場を和ませていたのだ。参加者は厳選しろと言われていたので、ちゃんと優れたダンサーだけを厳選したところも評価してほしいと思っている。

 だが、この真面目な会議で完全場違いな光景はまさに異端であり滑稽。その対比があまりに痛々しかったので誰もつっこまなかったにすぎない。会議記録にもまったく彼らは出てこないので、いかにグレート・ガーデン陣営が浮いていたかを思い知る。

「こんなに面白いことになるのならば、他の天使も連れてくればよかったのぉ」
「まったくでございますな。ルシアの尻をせっついたら楽しかったでしょうに」
「ほっほっほ、怒るかの! ザフキエルも怒るかえ!?」
「そりゃまあ、怒るでしょうな」
「いい! それはいいのぉおおおお!! ルシアに恨まれるのは、実に愉快じゃ! あ~~~~あ、ほんに楽しい祭りになったことじゃろうに…残念至極よ」

 もしアダ=シャーシカたちが参加した場合、その標的は誰になるか。それはルシアである。塔に向かって攻撃を開始するルシアの尻を突いて驚かす。その時、天帝がどういう反応を示すかを見るのが楽しみなのだ。

 相手が怒って突っかかってくれば退く。そしてまた前を向いたら尻を突く。単なる嫌がらせ。だが、最悪に近い迷惑な嫌がらせである。これこそアダ=シャーシカが恐れられる最大の理由であった。

 彼女は混沌を求める。ラナーとは対照的に白黒はっきり分かれるのを嫌うのだ。その理由も簡単。一方が強すぎたり圧倒的だとつまらないからである。それでは早く終わってしまう。楽しい祭りが終わってしまう。だからギリギリまで引き伸ばす。そういう思考である。

 ただ同時に、彼女は飽きやすい。【玩具】に興味がなくなれば、あっさりと見限ることもある。その時々を享楽的に楽しめれば満足なのだ。だから彼女は常に新しいものを欲していた。そのための技術国家であり芸術大国なのである。

 グレート・ガーデン、偉大なる箱庭。そこはまさに彼女の玩具箱とも呼べる世界。彼女を喜ばせるために作られた国なのである。

「まあ、よい。お手並み拝見といくのも乙じゃな」
 アダ=シャーシカもいまさら強引に作戦に割り込むつもりはなかった。彼女にしてみればこれも劇の一つ。【喜劇】にすぎない。素直に傍観するのがよいと判断する。

「それで、アナイスメルのほうはどうなっておるのかえ?」
 それより重要なことは、やはりアナイスメルである。アダ=シャーシカはポーターに話の続きを促す。

「まだよくわかりませぬな。なにぶん長いこと使われていないものですから」
 ポーターもいろいろと情報を集めてはいるのだが、アナイスメルについてはわからないことが多い。

「【天国】とは違うのかえ?」
「システム上は似たものでありましょうが、意図が違うようにも思えますな」
 アダ=シャーシカの問いにポーターは少しばかり真面目な顔で答える。天国。それは人が生み出した妄執の産物。かつて人が犯した取り返しのつかない過ちの一つである。それによって人類は一度滅亡してしまったのだから。

「少なくとも天国同様、霊域を操作する類のものであることは間違いありませぬ。扱いを間違えれば危険でありましょうな」
 アナイスメルの本来の使い方はまだわからない。ただ、天国と同じく人々の魂がそこに囚われるのは間違いない。それは一つの【霊域】として存在し、独自の発展を遂げる可能性すらある。

 そして、アダ=シャーシカの興味は、おのずと彼に移っていく。

「金髪の悪魔かえ。敵となるか味方となるか、しばし劇を楽しませてもらおうかの。妾を退屈させるでないぞ! ほっほっほ!!」

 アダ=シャーシカが扇で口元を隠しながらほくそ笑む。人類史上、ここまでアナイスメルが露出したことは初めてである。グレート・ガーデンにとってもその秘密を解き明かす絶好のチャンスであった。


 そして最後にアビラ=ウンジャが締める。


「よっ、この雌豚!」


 それは作戦の開始を告げるには、あまりに哀れみと虚しさに満ちた言葉だった。


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