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行方不明の子供
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PM1時頃。楠木は例のコンビニに到着した。車を降りた途端店内から店長が出てくる。
「お疲れ様です!聞きたい事ってなんですか?」
相変わらずのテンションだ。刑事ドラマにでも出演している気分なんだろうか。楠木は作り笑顔で聞き込み捜査をする。
「この子供を知りませんか?12日の日曜日昼頃、ちょうど今の時間帯に此処で買い物をしてるんです。」
用意していた写真を見せる。パソコンの画面をスクリーンショットしてコピーした写真だ。画像が粗い為少し見にくい。
時間や購入品、支払い方法まで説明した。
「うーん。僕はその時間、裏で新商品のポップを作ってましたから…。分からないですねぇ。あ、ちょ、ちょっと待っててください!」
残念そうに店長が答える。そして慌てて店内に戻った。するとすぐに50代の女性店員を引き連れて楠木の元に小走りで戻って来た。
店長によるとこの女性は子供が来店した時間に勤務していた。名札には鈴谷と書かれている。気の強そうな中年女性だ。
鈴谷に子供の容姿を伝え、写真を見せる。頷きながら当日の事を教えてくれた。
「はいはい。この子ね。覚えてるよ。ずっと店ん中歩いてんのに中々買わないから最初来た時万引きやと思ったんよ。」
「他にこの子が来た日はありませんでしたか?」
「私が入ってた日やから金曜日やと思うわ。ほら店長が万引き注意したあの日やん。」
鈴谷は店長を見る。「え?」と驚いた表情をしていた。考えても出てこない店長に苛立った鈴谷が状況を説明しようとする。
楠木は一旦会話を静止した。そして2人を車の中に呼ぶ。自らのノートパソコンに入れた防犯カメラのデータを開くと、映像を見ながら説明してくれと頼んだ。
日付を8月12日に合わせる。
「さっきの話、この子で間違いありませんか?」
「そうそう!この子や!今見たらちゃんとお辞儀もして偉いなぁ。」
そして万引きを注意した日の8月10日。鈴谷の出勤時間に時間を合わせた。そこから早送りしながら映像を見る。
「おった!この子!」
画面を指差す。映像の時刻はPM5時25分。サトルが来店した時と同じ時間だ。サトル、老夫婦、子供の順だった。子供は商品を見ながら歩き回っている。
「ずーっとウロウロしてるから店長が注意しに行ってん。『ちゃんとお金持ってきてる?万引きしたらあかんよ。』って。そしたらこの子、男の人指差して『お父さん』言うたんよ。」
鈴谷は「この眼鏡の人やわ。」と言って指を差す。サトルだった。2人は一緒にコンビニに来ていたのだ。その割には距離があるように感じる。サトルはまるで1人で来ているかに見えた。
「あぁ思い出しました。それで僕、店を出てからこの男の人に『ちゃんとお子さん見とかなダメですよ。』って言ったんですよ。そしたら少し怒った顔して、謝って帰りましたね。」
それは余計な一言だろうと楠木は思ったが、軽く受け流した。この店長は正義感が無駄に強い性格らしい。鈴谷も呆れた顔をしていた。
店長と鈴谷に御礼を伝え、次に祈願荘に向かった。
祈願荘での聞き込み捜査は202号室の住民しか出来ていない。楠木は今日、他の住民に聞き込み捜査を行いに来た。
まずは101号室。ドアに付いてるベルを押す。中から「はぁい。」と高い声が聞こえる。その部屋には80代と見られる老婆が住んでいた。
事件当日は朝から夕方までデイサービスを利用していたと話す。朝8時にヘルパーが来て車で通院したとの事。足が悪いのか、玄関には杖が置いてある。
「103号室の子ねぇ。少し派手目の子でしょう?まだまだ若いのに可哀想にねぇ。」
老婆は語尾を伸ばしながらゆっくりと話す。それから身の上話を始めた。
「年金暮らしじゃねぇ、良いお家には中々住めへんのよ。ホンマはこんな古いお家を選びたくなかった。でも不動産屋さんに言われて仕方なくねぇ。此処に住んでる人達は皆んな、貧乏なのよ。そうじゃなきゃ只の変わり者かしらねぇ。」
楠木は老婆の話をそこそこに切り上げて事件の話を始める。最近何か怪しい物音は聞いてないか、不審な者を見てないか。
「覚えてないねぇ。お家の壁が薄いから、物音なんてしょっちゅう聞こえるし…。お隣さんなら何か知ってるかもねぇ。」
楠木はコピーしたサトルと子供の写真を老婆に見せる。
「この2人に見覚えはありませんか?」
「この小さい子は知らんけど、男の人は知ってるわよ。103号室の人と仲良さそうに歩いてんのを見た事あるわぁ。腕組んでね。きっと恋人同士でしょう?ここ1年くらいほぼ毎週末、お家に来てたんちゃうかなぁ。」
老婆が知っているのだ。隣人はもっと詳しいに違いない。話を終えて次の聞き込みに行こうとする楠木を「ねぇ。」と老婆が呼び止める。
「あんた、何か嫌なもん憑いてるねぇ。ちゃんとしとかな、持っていかれんでぇ。」
心当たりがありすぎる。楠木はお得意の作り笑顔で感謝を述べた。あの老婆には何が見えているのか?聞き出したい気持ちを抑える。今は捜査が優先だ。不安になりながら老婆がドアを閉めるまで見届けた。
次に隣の部屋、102号室のベルを押した。返事は無かった。もう一度押す。少し待ったが物音もしなかった。
今日も留守だったか。タイミングが悪い。一旦諦めて階段を上り201号室に向かう。ベルを鳴らすと汗塗れた男性が出て来た。
201号室は大家の部屋だった。祈願荘に住んでいる訳ではない。簡易的なオフィス用の棚が置かれている。その中には入居者の書類が入っていた。他にも掃除道具を置いていて、事務所の様に使っていた。
「他のアパートでも大家やってるんでね。自分の家に置いとくと邪魔になるんですわ。」
大家の年齢は楠木と同じくらいだろう。恰幅がいい体を動かしながらエアコンのリモコンを探していた。冷房の温度を「暑い暑い。」と大袈裟に言いながら下げる。冷たい風がエアコンからゴーゴーと吹き出す。少し温度を下げすぎではないだろうか。
大家は事件当日友人とゴルフに行っていたとの事。その時撮った写真を楠木に見せる。この時はまだ自分のアパートで殺人事件が起きるなんて思いもしなかったと溜息を吐きながら続ける。
「こんな暑い日に死体処理なんて堪らんですよ。いや、僕がするんじゃないですけどね。警察は片付けまではしてくれへんでしょ?そしたら僕らは業者に頼まなあかん。業者はすぐ足元見てくるから金額が跳ね上がるんですわ。」
扇子で顔を仰ぎながら嫌味と愚痴を溢す。楠木は適当に謝罪して本題に入った。大家は藤木との賃貸契約書を探しながら話し始める。
初めて藤木真由に会ったのは約8年前。祈願荘に内見に来た日だ。当時の藤木は25歳。最近の派手な装いとは違い、地味な女性だったらしい。荷物はキャリーケースひとつ分。家具は何も持ってなかったと話す。
大家は仲介している不動産屋から電話で連絡が来て驚いた。何かの間違いではないか。なぜそんな若い子が祈願荘なんかに。余程金が無いのか。
不動産屋はここだけの話と言って大家に教えた。
「彼女訳ありみたいで。男の借金肩代わりして相当お金に苦労してるらしいんです。希望の条件を聞いたらとにかく家賃が安いとことしか言わなくて。空き部屋、まだありましたよね?」
不動産屋は「とにかく明日、内見頼みますね。」と言って一方的に電話を切った。
当時の大家は慌てて103号室を片付けたと言う。年頃の女性が今後住むかもしれない。少しでもマシに見せたいと下心が働いたと笑いながら話した。そして藤木との賃貸契約書を楠木に見せる。
家賃は共益費込みで2万5千円。破格の値段だ。契約更新は2年毎にされている。家賃は直接大家が家を回って集金することになっていた。以前、銀行口座すら持てない住民が居たらしい。
保証人の欄は空白だった。大家曰く保証人を立てられる人間ならば此処には住まないとの事だった。
藤木が祈願荘に住むようになった経緯を聞いた楠木は、老婆に聞いた時と同じ質問をした。
「怪しい人物なぁ。側から見たら此処に住んでる住民全員怪しいわな。引き籠りの若者にギャンブル依存症のおっさん。認知症一歩前の婆ちゃんに酔いどれスナック嬢。碌な奴いねぇ。」
「203号室は昔から空き部屋なんですか?」
「ずっとちゃうわ。10年くらい前まではおってん。住んでた子も当時20歳くらいの若い子やったな。家賃貰いに行った時、施設で育って色々大変やった言うてたわ。保証人も立てれなかった私を受け入れてくれてありがとうございますって。祈願荘では珍しくまともな子やったで。」
祈願荘の住民は全員訳ありらしい。藤木に恨みを抱いてそうな人物を聞くと同時にサトルと子供の写真も見せる。
「子供の方は知らんなぁ。この男は見た事あるで。103号室に来てたやろ。102号室のおっさんから『知らん奴が来てる』ってクレーム凄くて面倒やったわ。」
大家に御礼を言って201号室から退室する。さて、残るは102号室のみとなった。出てくれる事を祈りながらベルを鳴らす。
2回目のベルを鳴らそうとした時だった。祈願荘の入り口から怒鳴り声が聞こえる。
「ワシの家の前で何してんねん!」
赤ら顔の男性がこちらに向かってくる。右手には缶ビールを持っていた。近寄る男性はかなり酒臭い。
この人が大家の言っていたギャンブル依存症のおっさんか。楠木は少しだけ身構える。しかし作り笑顔は崩さなかった。此処の住民の誰よりも丁寧に質問した方が良さそうだ。
「お忙しい中申し訳ありません。お隣で亡くなっていた藤木真由さんについてお伺いしたい事があるのですが、今お時間よろしいですか?」
缶ビールの飲み口を口に近づけながら楠木を睨み付ける。中身が空っぽなのか、舌打ちをしてから缶を握り潰した。
「隣の女か。来てすぐは大人しかったけど派手になってからはめっちゃ煩くなったわ。酒癖悪いんやろな。夜中に泣き喚いて帰ってきたりしとったわ。」
大家に言っても改善されなかったらしい。壁を叩いた回数は数え切れないと話す。藤木に直接文句を言った事もある。その場では謝るが同じ事の繰り返しだった。サトルが来てからは余計に煩くなった。
「男が来るようになったんは1年くらい前や。週末ほとんど部屋に来てたみたいや。散々騒いで迷惑やったわ。男はよく部屋間違えて2階に上るし。階段古いやろ?音がめっちゃ響くねん。耳障りで文句言った事あるわ。『お前の女1階やろが。』ってな。」
サトルは1階と2階を間違える程泥酔していたのか。エレベーターなら止まる階を押し間違えたりもするだろう。しかし階段となるとわざわざ上らないといけない。何か引っ掛かる。
楠木は疑問を抱きながらも老婆と大家に聞いた同じ質問をした。怪しい物音を聞いていないか、不審な人物を見なかったか。そして2人の写真を見せた。
「男は隣に来てた奴やな。子供はわからん。不審な人も知らんな。でも土曜日は凄い煩かったで。女の怒鳴り声やら泣き声やらで悲惨やったわ。あれやったらパチンコの方が静かやで。」
「そんなに大声だったんですね。煩かった時間は覚えていらっしゃいますか?適当で構いません。」
「朝から騒いでたわ。でも急に静かになったな。ドア開ける音がしたからやっと出て行ったと思った。時間は確かえーっと…。ドラマが始まったから昼過ぎやわ。」
その場で調べるとドラマが放送される時刻はPM1時。男性の発言は藤木が殺された犯行時刻と一致している。男性はPM3時からパチンコ店に行っていた。家を出るまでの間、103号室は静かなままだったらしい。
事件の様子が目に浮かぶ。喧嘩の最中に部屋から出て行こうとした藤木。サトルに背後から包丁で刺されたのだろう。驚いて振り向き、ドアに寄り掛かって座り込む。抵抗する事もできなかった。そしてそのまま息絶える。
「喧嘩の内容とか聞こえなかったですかね?」
「ありきたりな台詞やったで。女が『そんなん聞いてない!』とか『嘘吐き!』とか叫んでたのは聞こえたけど、喧嘩の理由まではわからん。」
男性に御礼を伝える。祈願荘での聞き込み捜査を終えた楠木は本部に戻った。到着した頃には日が暮れていた。中に入る前に車の中にて今日の聞き込み捜査で得た情報を見返す。
祈願荘の住民に藤木とサトルを殺害する決定的な動機は見つからなかった。藤木を殺害した犯人は恐らくサトルだろう。ではサトルを殺害した犯人は誰だ。やはり子供が…。
疲労困憊の楠木を眠気が襲った。少し仮眠してから戻ろう。楠木は運転席のシートを目一杯倒し、瞼を閉じた。
「お疲れ様です!聞きたい事ってなんですか?」
相変わらずのテンションだ。刑事ドラマにでも出演している気分なんだろうか。楠木は作り笑顔で聞き込み捜査をする。
「この子供を知りませんか?12日の日曜日昼頃、ちょうど今の時間帯に此処で買い物をしてるんです。」
用意していた写真を見せる。パソコンの画面をスクリーンショットしてコピーした写真だ。画像が粗い為少し見にくい。
時間や購入品、支払い方法まで説明した。
「うーん。僕はその時間、裏で新商品のポップを作ってましたから…。分からないですねぇ。あ、ちょ、ちょっと待っててください!」
残念そうに店長が答える。そして慌てて店内に戻った。するとすぐに50代の女性店員を引き連れて楠木の元に小走りで戻って来た。
店長によるとこの女性は子供が来店した時間に勤務していた。名札には鈴谷と書かれている。気の強そうな中年女性だ。
鈴谷に子供の容姿を伝え、写真を見せる。頷きながら当日の事を教えてくれた。
「はいはい。この子ね。覚えてるよ。ずっと店ん中歩いてんのに中々買わないから最初来た時万引きやと思ったんよ。」
「他にこの子が来た日はありませんでしたか?」
「私が入ってた日やから金曜日やと思うわ。ほら店長が万引き注意したあの日やん。」
鈴谷は店長を見る。「え?」と驚いた表情をしていた。考えても出てこない店長に苛立った鈴谷が状況を説明しようとする。
楠木は一旦会話を静止した。そして2人を車の中に呼ぶ。自らのノートパソコンに入れた防犯カメラのデータを開くと、映像を見ながら説明してくれと頼んだ。
日付を8月12日に合わせる。
「さっきの話、この子で間違いありませんか?」
「そうそう!この子や!今見たらちゃんとお辞儀もして偉いなぁ。」
そして万引きを注意した日の8月10日。鈴谷の出勤時間に時間を合わせた。そこから早送りしながら映像を見る。
「おった!この子!」
画面を指差す。映像の時刻はPM5時25分。サトルが来店した時と同じ時間だ。サトル、老夫婦、子供の順だった。子供は商品を見ながら歩き回っている。
「ずーっとウロウロしてるから店長が注意しに行ってん。『ちゃんとお金持ってきてる?万引きしたらあかんよ。』って。そしたらこの子、男の人指差して『お父さん』言うたんよ。」
鈴谷は「この眼鏡の人やわ。」と言って指を差す。サトルだった。2人は一緒にコンビニに来ていたのだ。その割には距離があるように感じる。サトルはまるで1人で来ているかに見えた。
「あぁ思い出しました。それで僕、店を出てからこの男の人に『ちゃんとお子さん見とかなダメですよ。』って言ったんですよ。そしたら少し怒った顔して、謝って帰りましたね。」
それは余計な一言だろうと楠木は思ったが、軽く受け流した。この店長は正義感が無駄に強い性格らしい。鈴谷も呆れた顔をしていた。
店長と鈴谷に御礼を伝え、次に祈願荘に向かった。
祈願荘での聞き込み捜査は202号室の住民しか出来ていない。楠木は今日、他の住民に聞き込み捜査を行いに来た。
まずは101号室。ドアに付いてるベルを押す。中から「はぁい。」と高い声が聞こえる。その部屋には80代と見られる老婆が住んでいた。
事件当日は朝から夕方までデイサービスを利用していたと話す。朝8時にヘルパーが来て車で通院したとの事。足が悪いのか、玄関には杖が置いてある。
「103号室の子ねぇ。少し派手目の子でしょう?まだまだ若いのに可哀想にねぇ。」
老婆は語尾を伸ばしながらゆっくりと話す。それから身の上話を始めた。
「年金暮らしじゃねぇ、良いお家には中々住めへんのよ。ホンマはこんな古いお家を選びたくなかった。でも不動産屋さんに言われて仕方なくねぇ。此処に住んでる人達は皆んな、貧乏なのよ。そうじゃなきゃ只の変わり者かしらねぇ。」
楠木は老婆の話をそこそこに切り上げて事件の話を始める。最近何か怪しい物音は聞いてないか、不審な者を見てないか。
「覚えてないねぇ。お家の壁が薄いから、物音なんてしょっちゅう聞こえるし…。お隣さんなら何か知ってるかもねぇ。」
楠木はコピーしたサトルと子供の写真を老婆に見せる。
「この2人に見覚えはありませんか?」
「この小さい子は知らんけど、男の人は知ってるわよ。103号室の人と仲良さそうに歩いてんのを見た事あるわぁ。腕組んでね。きっと恋人同士でしょう?ここ1年くらいほぼ毎週末、お家に来てたんちゃうかなぁ。」
老婆が知っているのだ。隣人はもっと詳しいに違いない。話を終えて次の聞き込みに行こうとする楠木を「ねぇ。」と老婆が呼び止める。
「あんた、何か嫌なもん憑いてるねぇ。ちゃんとしとかな、持っていかれんでぇ。」
心当たりがありすぎる。楠木はお得意の作り笑顔で感謝を述べた。あの老婆には何が見えているのか?聞き出したい気持ちを抑える。今は捜査が優先だ。不安になりながら老婆がドアを閉めるまで見届けた。
次に隣の部屋、102号室のベルを押した。返事は無かった。もう一度押す。少し待ったが物音もしなかった。
今日も留守だったか。タイミングが悪い。一旦諦めて階段を上り201号室に向かう。ベルを鳴らすと汗塗れた男性が出て来た。
201号室は大家の部屋だった。祈願荘に住んでいる訳ではない。簡易的なオフィス用の棚が置かれている。その中には入居者の書類が入っていた。他にも掃除道具を置いていて、事務所の様に使っていた。
「他のアパートでも大家やってるんでね。自分の家に置いとくと邪魔になるんですわ。」
大家の年齢は楠木と同じくらいだろう。恰幅がいい体を動かしながらエアコンのリモコンを探していた。冷房の温度を「暑い暑い。」と大袈裟に言いながら下げる。冷たい風がエアコンからゴーゴーと吹き出す。少し温度を下げすぎではないだろうか。
大家は事件当日友人とゴルフに行っていたとの事。その時撮った写真を楠木に見せる。この時はまだ自分のアパートで殺人事件が起きるなんて思いもしなかったと溜息を吐きながら続ける。
「こんな暑い日に死体処理なんて堪らんですよ。いや、僕がするんじゃないですけどね。警察は片付けまではしてくれへんでしょ?そしたら僕らは業者に頼まなあかん。業者はすぐ足元見てくるから金額が跳ね上がるんですわ。」
扇子で顔を仰ぎながら嫌味と愚痴を溢す。楠木は適当に謝罪して本題に入った。大家は藤木との賃貸契約書を探しながら話し始める。
初めて藤木真由に会ったのは約8年前。祈願荘に内見に来た日だ。当時の藤木は25歳。最近の派手な装いとは違い、地味な女性だったらしい。荷物はキャリーケースひとつ分。家具は何も持ってなかったと話す。
大家は仲介している不動産屋から電話で連絡が来て驚いた。何かの間違いではないか。なぜそんな若い子が祈願荘なんかに。余程金が無いのか。
不動産屋はここだけの話と言って大家に教えた。
「彼女訳ありみたいで。男の借金肩代わりして相当お金に苦労してるらしいんです。希望の条件を聞いたらとにかく家賃が安いとことしか言わなくて。空き部屋、まだありましたよね?」
不動産屋は「とにかく明日、内見頼みますね。」と言って一方的に電話を切った。
当時の大家は慌てて103号室を片付けたと言う。年頃の女性が今後住むかもしれない。少しでもマシに見せたいと下心が働いたと笑いながら話した。そして藤木との賃貸契約書を楠木に見せる。
家賃は共益費込みで2万5千円。破格の値段だ。契約更新は2年毎にされている。家賃は直接大家が家を回って集金することになっていた。以前、銀行口座すら持てない住民が居たらしい。
保証人の欄は空白だった。大家曰く保証人を立てられる人間ならば此処には住まないとの事だった。
藤木が祈願荘に住むようになった経緯を聞いた楠木は、老婆に聞いた時と同じ質問をした。
「怪しい人物なぁ。側から見たら此処に住んでる住民全員怪しいわな。引き籠りの若者にギャンブル依存症のおっさん。認知症一歩前の婆ちゃんに酔いどれスナック嬢。碌な奴いねぇ。」
「203号室は昔から空き部屋なんですか?」
「ずっとちゃうわ。10年くらい前まではおってん。住んでた子も当時20歳くらいの若い子やったな。家賃貰いに行った時、施設で育って色々大変やった言うてたわ。保証人も立てれなかった私を受け入れてくれてありがとうございますって。祈願荘では珍しくまともな子やったで。」
祈願荘の住民は全員訳ありらしい。藤木に恨みを抱いてそうな人物を聞くと同時にサトルと子供の写真も見せる。
「子供の方は知らんなぁ。この男は見た事あるで。103号室に来てたやろ。102号室のおっさんから『知らん奴が来てる』ってクレーム凄くて面倒やったわ。」
大家に御礼を言って201号室から退室する。さて、残るは102号室のみとなった。出てくれる事を祈りながらベルを鳴らす。
2回目のベルを鳴らそうとした時だった。祈願荘の入り口から怒鳴り声が聞こえる。
「ワシの家の前で何してんねん!」
赤ら顔の男性がこちらに向かってくる。右手には缶ビールを持っていた。近寄る男性はかなり酒臭い。
この人が大家の言っていたギャンブル依存症のおっさんか。楠木は少しだけ身構える。しかし作り笑顔は崩さなかった。此処の住民の誰よりも丁寧に質問した方が良さそうだ。
「お忙しい中申し訳ありません。お隣で亡くなっていた藤木真由さんについてお伺いしたい事があるのですが、今お時間よろしいですか?」
缶ビールの飲み口を口に近づけながら楠木を睨み付ける。中身が空っぽなのか、舌打ちをしてから缶を握り潰した。
「隣の女か。来てすぐは大人しかったけど派手になってからはめっちゃ煩くなったわ。酒癖悪いんやろな。夜中に泣き喚いて帰ってきたりしとったわ。」
大家に言っても改善されなかったらしい。壁を叩いた回数は数え切れないと話す。藤木に直接文句を言った事もある。その場では謝るが同じ事の繰り返しだった。サトルが来てからは余計に煩くなった。
「男が来るようになったんは1年くらい前や。週末ほとんど部屋に来てたみたいや。散々騒いで迷惑やったわ。男はよく部屋間違えて2階に上るし。階段古いやろ?音がめっちゃ響くねん。耳障りで文句言った事あるわ。『お前の女1階やろが。』ってな。」
サトルは1階と2階を間違える程泥酔していたのか。エレベーターなら止まる階を押し間違えたりもするだろう。しかし階段となるとわざわざ上らないといけない。何か引っ掛かる。
楠木は疑問を抱きながらも老婆と大家に聞いた同じ質問をした。怪しい物音を聞いていないか、不審な人物を見なかったか。そして2人の写真を見せた。
「男は隣に来てた奴やな。子供はわからん。不審な人も知らんな。でも土曜日は凄い煩かったで。女の怒鳴り声やら泣き声やらで悲惨やったわ。あれやったらパチンコの方が静かやで。」
「そんなに大声だったんですね。煩かった時間は覚えていらっしゃいますか?適当で構いません。」
「朝から騒いでたわ。でも急に静かになったな。ドア開ける音がしたからやっと出て行ったと思った。時間は確かえーっと…。ドラマが始まったから昼過ぎやわ。」
その場で調べるとドラマが放送される時刻はPM1時。男性の発言は藤木が殺された犯行時刻と一致している。男性はPM3時からパチンコ店に行っていた。家を出るまでの間、103号室は静かなままだったらしい。
事件の様子が目に浮かぶ。喧嘩の最中に部屋から出て行こうとした藤木。サトルに背後から包丁で刺されたのだろう。驚いて振り向き、ドアに寄り掛かって座り込む。抵抗する事もできなかった。そしてそのまま息絶える。
「喧嘩の内容とか聞こえなかったですかね?」
「ありきたりな台詞やったで。女が『そんなん聞いてない!』とか『嘘吐き!』とか叫んでたのは聞こえたけど、喧嘩の理由まではわからん。」
男性に御礼を伝える。祈願荘での聞き込み捜査を終えた楠木は本部に戻った。到着した頃には日が暮れていた。中に入る前に車の中にて今日の聞き込み捜査で得た情報を見返す。
祈願荘の住民に藤木とサトルを殺害する決定的な動機は見つからなかった。藤木を殺害した犯人は恐らくサトルだろう。ではサトルを殺害した犯人は誰だ。やはり子供が…。
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