裸足の願い

蒼山 サキ

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無縁塚の親子

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 佳音が亡くなりひかりの家で暮らしていた光は孤独だった。施設にいる他の子供達と馴染めず1人で絵を描いたりして過ごす事が多かった。子供部屋にある自分の机が光の居場所だった。
 机には佳音と一緒に撮った写真が飾られている。写真の中の2人は笑っていた。大好きな母親にもう会えない悲しみが心を蝕んでいく。
 ある日施設長が光に母親の墓参りに行こうと声を掛けた。近くの和菓子屋で御供物を買い、山の中腹にある寺に向かう。寺を抜けた先にある無縁塚の前で止まった。雑草が生い茂り、砂埃で汚れている。
 光が無縁塚に来るのは2回目だ。初めて来た時は佳音の納骨式の時だった。光は小さくなった母が納骨堂に入れられる時、離れたくないと言って大声で泣いたのは半年前の事だった。

「お母さんはね、此処で光ちゃんをずっと見守ってくれてるのよ。」

 施設長が言った言葉が忘れられない。何故近くで見守ってくれないのか。何故こんな暗い場所に入れられてしまうのか。何故死んでしまったのか。当時5歳の光にはまだ理解できなかった。
 無縁塚の前で施設長の真似をしながら手を合わせる。意味は分かっていないけれどそうした方が良い気がしたからだ。
 火の点いた線香からユラユラと揺れる煙が昇る。独特の匂いが辺りに漂い始める。光はぼんやりと煙を眺めていた。
 施設長はそんな姿を見ながら光に問い掛ける。

「光ちゃん、お父さんに会ってみない?」

 2年前に癌が発覚して電話をしてきた佳音が光の父親の存在を話していた。その父親とは5年前に別れたっきり一度も連絡を取っていない。父親は光の存在を知らない。
 話を聞いた施設長は驚いた。そもそも施設長は佳音が出産した事すら知らなかった。話に付いていけない。その上、佳音が癌で余命宣告を受けたと話すのだ。頭の中が混乱して前頭葉辺りが熱くなる感覚がする。とにかく1度直接話をする約束をして電話を切った。
 久々に会った佳音は痩せ細り顔色も悪く話す事も辛そうだった。その後ろから光が顔を覗かせていた。

「この子を…光を預かってください。それで、もし私が死んだらこの子の父親に連絡してほしい。光には私みたいな、無縁塚に入るような人生を送ってほしくない。血の繋がった家族の元で暮らしてほしいの。」

 佳音は痛む体に鞭を打って頭を下げていた。父親の連絡先が書かれたメモを渡す。何故父親と別れたのか聞いたが佳音は俯いて何も話さなかった。
 自分の娘が産まれた事すら知らない相手になんて頼ってもいいのか。それで光は幸せになるのか。でも家族に会わせてあげたい気持ちもある。血の繋がった、たった1人の家族に。佳音の死後、施設長は葛藤していた。
 しかしこのままでは光が天涯孤独になるかもしれない。父親がまともでなければ、その時保護すれば良い。施設長はメモに書いてあった連絡先にメールを送った。返事はすぐに返ってきた。
 父親はすぐにでも光に会いたいとメールに書いていた。日時を決める前にする事がある。光に父親と会いたいかどうかを聞かなければならない。その為に施設長は光を墓参りに誘い出したのだった。
 父親に会いたいかと聞かれた光が振り返る。困惑した表情を浮かべていた。精神的に不安定で児童精神科に通院している光にはまだ荷が重かったのだろうか。顔を前に戻し、無縁塚の前で座り込んで俯いている。

「パパに会えるの?光、パパに会ってみたい。」

 座り込みながらぽつりと答える。これで佳音の願いが叶うかもしれない。施設長は淡い期待を胸に父親に連絡した。

 後日、光と父親の篠田悟はひかりの家で初めて対面した。サトルは信じられないという顔をしていた。無理もない。5年間も光の存在を知らなかったのだ。

「ほ、本当に僕と彼女のむ、娘なんですか?」

 施設長はサトルにDNA検査を勧めた。戸籍で2人が親子関係にある事は証明できない。DNAでなら証明できると思ったのだ。もし違っていたらという不安もあったが、佳音の言葉を信じる事にした。
 検査をしてから約2週間後に結果が届いた。99.99%の一致。2人に血縁関係がある事が証明された。
 それからはサトルがひかりの家に来て少しずつ一緒に過ごした。光は最初こそ動揺していたが、徐々にサトルに懐いていった。
 外出の日は一緒に公園で遊び、帰りにファミレスに行った。一時帰宅では色んな場所に出掛けた。
 父親と一緒に過ごす光はとても楽しそうだった。きっと佳音も天国で喜んでいるだろうと施設長は思っていた。

 2人が出会って5年が経った。今年の一時帰宅はサトルが車で迎えに来た。2人はまず墓参りへ向かった。光に道を教えられながら佳音が眠る無縁塚を目指す。去年の一時帰宅では墓参りに行かなかった。佳音が他界してから初めての宿泊。光の心労を考慮しての事だった。
 無縁塚の前に辿り着くとサトルは涙を流していた。かつて愛した人が眠る墓だ。

「こんな所に居たんだね。本当に探したんだよ。なんで急に消えたの?僕の何がいけなかったの?」

 光は戸惑った。それに大人が泣いている姿を今まで見た事がない。こんな時に自分はどうすればいいのか分からなかった。
 サトルは一頻り泣いた後、フラフラと立ち上がり光に向かって「行こっか。」と声を掛けた。頷いて後ろに付いて歩く。駐車場に到着して車に乗った2人はファミレスで昼食を食べた後、サトルの家に向かった。家に到着した時刻はPM3時過ぎ。1年ぶりに入った家は、前来た時と何も変わっていなかった。光は持ってきたリュックサックをキッチンラックに置いてソファに座る。
 少し居心地が悪い。墓参りに行った時からサトルの様子がおかしかった。あまり話さず、目も合わない。光は自分が何かしたのではないかと不安だった。
 一息つかずにサトルが「少し出掛けよう。」と言った。黒色のボディバッグに荷物を入れ始める。光もお気に入りのノートと筆記用具をリュックサックから出そうとしたが「忘れたらダメだから置いていきなさい。」と言われた。近場に出掛けるのかなと思い、荷物は持たずに出掛ける事にした。
 家を出てエレベーターに乗る。

「あれ?車じゃないの?」

 駐車場と反対方向に歩くサトルに光は尋ねた。

「今日は電車に乗るよ。大丈夫。すぐ帰ってくるから。」

 バスに乗り、西宮駅で電車に乗り豊中駅で降りた。改札を通り歩いていく。光は何処に向かっているのか知らなかった。途中でコンビニに寄ってサトルがいっぱいお菓子や食べ物、飲み物も買っている。いつもなら「何が食べたい?」と聞いてくれるのに今日は1度も聞かれていない。光はサトルに少し恐怖心を抱いた。
 会計が終わったサトルを追い掛ける。店を出た途端、店員から注意を受けた。光は怯えて声が出ない。慌ててサトルを指差して「お父さん。」とアピールした。店員はサトルに注意をして店に戻っていった。
 コンビニを出た2人は無言のまま歩く。話し掛けたいが何を言えばいいのか。サトルは自分のせいで怒られたから機嫌が悪いのか。何故いつもと違うのか。光には何も分からなかった。
 2人の距離がどんどん広がる。光は必死に歩いたが途中で疲れてしまった。サトルは振り向いて「早くおいで。」と急かす。話し掛けてくれた事に少し安心して走って追いかけた。
 到着した建物は古くて鬱蒼とした雰囲気が漂っていた。光はお化け屋敷みたいだと思った。サトルは気にせず入っていく。集合郵便受けに「103」と書かれたボックスのダイヤルを回す。中から鍵が出てきた。
 奥に進み103号室の鍵を開ける。ゴミ捨て場のような臭いがした。思わず顔を歪めてしまう。サトルは無表情で部屋に入っていく。光も慌てて部屋に入った。

「パパ、このお家は何?何でここに来たの?」

「ごめんね。少しだけ待っててね。家族になる前にしっかり終わらせたいんだ。」

 押入れからハンガーに掛かっているスーツを取り出す。軽く埃を払って着替え始めた。光は何も言えずただサトルが着替え終わるのを見ていた。

「これ食べてていいから。僕が帰ってくるまで此処で待っててね。」

 スーツに着替えたサトルが部屋から出ていく。部屋に1人残された光は言われた通りにした。コンビニの商品が入った袋を漁る。飲み物やお菓子が沢山入っていた。その中からホットスナック売り場にあった唐揚げを選んで食べた。冷めていたが美味しかった。
 少しだけと言っていたのにサトルはまだ帰ってこない。壁に掛かっている時計を確認する。時刻はPM9時。サトルがこの部屋を出てから約2時間が経とうとしている。
 光は何か時間を潰せるものを探した。自分の娯楽はサトルの家に置きっぱなしだ。部屋の中にテレビが置いてないか見渡す。だが周りにあるのはゴミばかりだった。

「なーんもない。パパ、何処に行っちゃったんだろ…。すぐに帰るって言ったのに。」

 敷かれている布団に寝転び不貞腐れる。外からサトルと女の人の笑い声が聞こえる。起き上がり時計を確認するとAM1時50分。光はいつの間にか眠ってしまっていた。
 玄関の鍵が開く。光は慌てて掛け布団を頭まで被り、寝ているフリをした。2人は大きな足音を鳴らしながら廊下を歩いている。酒臭いサトルが光が寝ている布団の前で胡座をかいて座る。

「佳音ちゃーん。起きて。帰るよー。」

 サトルはよく光の名前を間違えていた。いつもはすぐに気付くのだが酔っているせいか気付く様子が無い。光に向かって「佳音ちゃん。」と呼びながら体を揺する。
 何故母親の名前を呼んでいるんだ。私の名前は光だ。間違いに気付くまで絶対に反応してやらない。
 散々待たされたあげく名前を間違えられた光は、サトルに対して怒っていた。
 無視を続けていると静かになった。耳を澄ませると小さく鼾をかいている音が聞こえる。光の横に並んでサトルは寝てしまっていた。女の人は既に酔い潰れている。光はどうする事も出来ずに朝になるのを待った。

「パパ、パパ!起きてよ!」

 静かにサトルの体を揺する。日が昇り朝になったがまだ起きない。お腹が空いたのでコンビニの袋に入っていた菓子パンを食べた。なるべく音を出さないよう慎重に。知らない女の人を起こさないように。
 菓子パンを食べ終えた光はジュースを飲む。机に置かれていた生温いジュースは余計に喉を渇かせた。台所に向かい水道の蛇口を捻る。ひんやりと冷たい水が出てきた。光は手で掬って水道水を飲む。
 早く帰りたかったが1人では帰られない。起きない2人を眺めながらぼんやりと過ごしていた。
 突然ピンク色のスマートフォンから着信音が鳴った。慌てて布団に戻る。
 光は呼吸を整えながら女の人が通話をしている声を聞く。謝っている。何故謝っているのか分からない。とにかく静かにしていよう。サトルが起きるまで布団から出ないと決めた。
 どれくらい寝たふりをしていたのだろうか。時計を見ていないから時間が不明だ。しかし顔を出して確認する勇気が出ない。
 動けないままの光にサトルが小声で声を掛ける。

「ごめんね、光。もう少しだけ寝ていてね。」

 自分の名前を間違えずに読んでくれた。優しく頭を撫でられる。温かい手だった。安心して涙が出そうになる。
 安心したのも束の間、父親が壊れたおもちゃのように話し出した。光の心は一気に恐怖で染まる。

 きっと今、怖い夢を見ている途中なんだ。目覚めたらいつもの優しいパパに戻ってるはず。起きろ、起きろ、起きろ!

 体を丸めて目を瞑り、耳が赤くなるほど塞いだ。全身からは汗が止まらない。目覚めようとしているはずなのに段々と力が抜けていく。薄れゆく意識の中で光は「ママ。」と呟いた。

 サトルが何か話している声で目が覚めた。悪夢が終わったのか。光は布団から起き上がり声の方へ顔を向けた。薄暗くてよく見えない。今度こそ確認しようと思い、玄関に向かって歩く。
 玄関の前でサトルが立っている。赤く染まった右手には包丁が握られていた。奥にはぴくりとも動かない女の人が座り込んでいる。床に赤い液体が広がっていく。悪夢はまだ終わっていかったのか。
 呆然と立ち尽くす光の前で屈み込む。ずっと見つめ合っている。目を逸らす事が出来ない。硬直状態の光にサトルが包丁を持ったまま延々と話し続ける。
 サトルの言葉が耳に入ってこない。聞こえてきたのは包丁が床に落ちた音だけだった。
 痛い。突如、強い力で肩を掴まれた。今まで見た事の無い顔をしている。その顔がゆっくり近付いてきた。言い表せないような嫌悪感に涙が出てくる。

 これは夢だ。悪夢なんだ。早く起きないと。

 現実逃避していた光の目に落ちている包丁が映る。手を伸ばして掴む。ぬるりと滑りそうになる包丁をしっかり握った。そして刃先をサトルの背中に向ける。
 鈍い感触が手に伝わった。サトルの力が抜けて床に倒れ込む。

「佳音ちゃん…。一緒にあの部屋に、帰ろう…。」

 サトルが履いているスーツのポケットから何かを取り出す。光に見せつけようとしたが握り締めたまま、息をしなくなった。

 光は納得した。パパも夢を見ていたのか。長い長いし夢を。私の事を佳音と呼んでいたのは、ただ間違えていただけじゃなくて、夢と現実が曖昧になっていたからなんだ。パパは私を愛してなんていない。パパが愛していたのは、ママだけなんだ。パパが家族になろうとしていたのは私じゃなくてママだった。私は最初から娘として「光」として見られていなかったんだ。私は死んだママの代わりだったんだ。

 冷たくなっていくサトルの下で光は静かに涙を流した。誰にも愛されていない悲しみが死体と共に重くのしかかる。このまま潰れて死んじゃいたいと思った。
 何処に居ても孤独だった。ひかりの家に居ても、サトルと居ても孤独だった。孤独じゃなかった時は母親、佳音と居た時だけだった。
 大好きだった佳音との思い出が浮かぶ。昔料理している佳音の横で一緒に歌った「カレーライスのうた」を鼻声で歌った。鼻が詰まって歌いにくい。それどころか一晩中圧迫されているせいで呼吸をするのも辛くなってきた。
 体の上で放置された死体に蝿が集っている。それに臭いも酷くなっている。光の顔にも蝿が止まった。払う気力は無かった。

 まるで私も死んでるみたい。でも、どうせこのまま死ぬのなら…。

「ママの所に行こう。」

 動かなくなったサトルの下から抜け出す。着ている鯨のTシャツには血がべっとりと付いていた。

「本当はイルカのTシャツが欲しかったんだけどなぁ。」

 去年の夏。初めて行った水族館でイルカショーを観た光は、優雅に泳ぐイルカの姿に心を打たれた。今回の一時帰宅でイルカのTシャツを着たかったが何処にも売っておらず、鯨で妥協した。「遠目から見たらイルカだよ」なんて言って施設長は笑っていた。
 光は鏡を見ながら思い出に浸っていたが、この姿で外には出られないと考え洗う事にした。洗濯機の使い方がわからず、諦めて手で洗う。
 洗面台が赤く染まっていく。水と洗濯用洗剤を使って血を落とそうとしたが中々落ちない。力一杯擦っても無駄だった。そして白色だったTシャツは、薄いピンク色になってしまった。
 洗う事を断念した光は、他に着れる服がないか探した。部屋には服が沢山散らかっていたが光のサイズに合う服は見当たらない。
 押入れを開けるとハンガーに掛けてある白いTシャツを見つけた。昨日サトルが着ていた服だ。着てみるとワンピースのようになった。ズボンに付いた血も隠す事が出来る。
 着替えた光はびしょ濡れになったTシャツを押入れに突っ込んだ。もう必要の無い物だ。未練も無かった。襖を閉めた時、下の隙間に挟まってしまったが気にせず放置した。
 電車の切符を買う為には金が必要だ。光はサトルのボディバッグを持って行くことにした。
 準備が終わり、部屋から出ようとする。玄関に置かれていたサンダルは女の人の血で汚れていた。Tシャツと同様、代わりになる靴を探したが置いてなかった。水と洗濯用洗剤で洗うと少しだけ血が落ちる。

「これくらいでもういいや。」

 サンダルは元々汚れていたからか、Tシャツ程血が目立たなかった。気を取り直して玄関に向かう。103号室の鍵を取り、寄り掛かっている死体の横を通ってドアを開けた。雨が降っていたので立て掛けてあるビニール傘を持つ。鍵を閉めて集合郵便受けに入れた。

 雨が降る中、死に場所を求めて母親の眠る墓を目指す。父親を殺した事なんて忘れていた。自分を愛してくれていたのはたった1人の母親だけ。母親の墓に辿り着けるなら、それ以外どうでも良かった。
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