もしも、記憶力日本一の男が美少女中学生の弟子を持ったら

青キング

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世界四位の実力と和菓子の箱

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両者がトランプを手に取る――まではよかった。

 小牧が最初の四枚を記憶し終えた時、アブラヒムは三枚ずつでありながらもすでに七枚目の記憶に入っていた。

 ルートの六カ所目に来て、小牧はふと向かいのアブラヒムの手元を見た。

 うわ、速すぎます――。

 アブラヒムの残り枚数は小牧よりあきらかに少なく、すでに40枚目に入っている。

 小牧が一瞬とはいえ動揺している間にも、アブラヒムは目で追うのも無理に思えてしまうスピードで二枚ずつトランプを送り進めていく。

 アブラヒムの記憶スピードを見た小牧は性急さに駆られて、自分の指の動きがもどかしいぐらいに、トランプを繰るスピードを速めた。



 アブラヒムがトランプを伏せる。

 25秒67。



 その約三秒後に、小牧も52枚見終わった。

 28秒98。



 小牧は練習でも35秒を切ったことがないため、今回のタイムは成功すれば大幅な自己最速タイムの更新となる。



「では、回答開始」



 記憶時間の一分が終わり、休みなく刈谷が声を上げた。

 両者が回答用のトランプをテーブルに広げる。

 アブラヒムは物慣れた手際で迷う素振りもなく、順調に左手にトランプを重ねていく。

 小牧もアブラヒムほどではないが、一枚ずつ探しながら着実に回答していく。

 しかし。三十六枚を過ぎたところで、小牧の手が止まった。

 ルートの十カ所目において、ストーリーが蘇ってこない。

 整っていた彼女の呼吸は、この時突然乱れた。

 思い出せないことに、俄かに焦る。

 向かいの席では止まることなく回答のトランプを積み重ねていっている。

微かにトランプがテーブルを擦る音さえ気になり始めた。



 別の事を考えちゃダメだ、思い出すことに集中しないと――。



 小牧は自分に言い聞かせた。

 回答の残り時間は、大体一分半と見積もり、冷静さを取り戻すため、小牧は目を閉じる。使ったルートを一から辿り直すことにした。

 耳にこびりつくような雑音と生じていた焦りが沈静していく。

 ルートの一カ所目から、ゆっくりと観察するように各プレイスでストーリーを蘇らせていった。



 そして、十カ所目。

 ぼやぼやと靄のようなものがプレイスに浮かんでいるだけで、ストーリーは蘇ってこない。

 小牧は片肘をついて、前髪の先を指で弄り始める。記憶を懸命に絞る。

 おかげで靄のようなものが晴れた。

『白鳥』が、『鳩』を追いかけている。



 ああっ、スートリーが足りない――。



 だが。蘇ったストーリーは一部でしかなく、十一カ所目、十二カ所目、十三カ所目においても靄が立ち込めている。

 二枚を思い出したに過ぎず、小牧はぬか喜びさえも感じられなかった。



「残り三十秒」



 思い出せず苛立つ小牧の耳に、残り回答時間を告げる刈谷の声が突き刺さる。

 わずかしかない残り時間が、苛立ちを自棄に変えた。



 もう、ダメ。思い出せない――。



 余っている十四枚のトランプを、無作為に積み重ねていった。

 三分が終わる頃には回答用トランプは斜めに置かれ、小牧はテーブルに肘をついて頭を抱え込んでいた。



「答え合わせをします」



 刈谷が告げ、アブラヒムの回答用トランプを手に取る。

 小牧の回答用トランプに、蟹江が手を掛けた。



「答え合わせするぞ」



 頭を抱え込む小牧に、覗き込むようにして蟹江が言う。

 小牧はさらに下を向いて、蟹江から顔が見えないようにする。



「いじけるなよ」

「いじけてません」

「いじけてないなら、片方のトランプ持てよ」



 小牧の肘のすぐ外側に置かれていた記憶用トランプを、小牧の肘の内側に移動させる。



「師匠、ごめんなさい」



 蟹江がトランプの一番上を捲ろうとした時、唐突に謝った。

 それも泣き出す寸前のような小さい声で。



「師匠がいつも通りやればいいって言ったのに、あたし急いじゃって……」

「見てたからわかってるよ」



 小牧の普段の練習を見ている蟹江には、今のスピードカードで彼女が終盤ストーリー作りを疎かにしたことは如実にわかった。

 28秒98という著しく速くなったタイムを見る必要もなく。



「リコール、シナイノカ?」



 向かいの席で刈谷の手を借りて答え合わせをしているアブラヒムが、トランプに目も向けずに声をかけてくる。

 目を向けていないのは、五十二枚ミスなしだと確信がある故だ。



「ほら、回答するぞ」



 蟹江は慰める声音で再び小牧に促した。

 今度は弱く頷き、抱えていた頭を少しだけ持ち上げた。記憶用を手にする。

 間隔を合わせて二人はトランプを捲っていく。

 三十八枚までは再現できていたが、そこから後は偶然にも記憶用と一致した二枚を除いて、十二枚が一致していなかった。



「ボクノカチダネ」



 小牧に勝利したにしては、喜びの窺えない当然という顔をしてアブラヒムは小牧と蟹江に告げた。

 ふとズボンのポケットからスマホを取り出し、画面を見る。



「オー、コンナジカンカ」



 わざわざ口に出して時刻を確認した。



「カエラナクテハ」



 スマホを元のポケットに仕舞うと席を立つ。



「ソレジャ」

「なあ、アブラヒム」



 蟹江は廊下に歩き出そうとしたアブラヒムを呼び止めた。

 足を止めて、アブラヒムが振り返る。



「ナニ?」

「どうして小牧と対戦を申し出たんだ?」



 尋ねる蟹江に、アブラヒムは意味深長な笑みを浮かべる。



「イゴコチイイト、セイチョウシナイ」



 アブラヒムの言葉が小牧の現状を示している、とすぐに蟹江は気付いた。

 初めての大会で好成績を残し、周囲から特別視されて……悔しさを知らずにいる。



「なるほど」



 蟹江は得心して、アブラヒムに笑いかけた。

 自身の意を汲み取らせたアブラヒムが、期待を孕んだような口調で続ける。



「マタチカイウチニタイカイデアオウ。タノシミニニシテル」

「そうだな」

「ソレジャ」



 アブラヒムは軽く片手を挙げて、部屋を出ていった。

 彼の足音が聞こえなくなった途端、あの師匠、という小牧の遠慮がちな声が蟹江の耳を打つ。



「アブラヒムさんの言ってたことって、どういう意味ですか?」

「あいつの言ってたことか。そうだな、簡単に言えばお前に対する激励だな」

「はあ」



 実感の湧かない顔で小牧は首を傾げる。



「なあ小牧?」

「はい?」

「アブラヒムに負けて悔しいか?」



 蟹江の問いに、小牧はちょっと怒った表情になる。



「当たり前ですよ。世界レベルを見せつけられましたし、十四枚も失敗しましたし、それになにより、師匠の言うことを聞けなかった自分が悔しいです」

「今、居心地悪いだろ?」

「はい。なのであたしもっと頑張ります。もっと速くなって、居心地の悪いところから抜け出したいです」



 両手を握り拳にして、小牧は自分を励ますように言った。

 見たことない小牧の決意が見られて、蟹江はアブラヒムへの感謝の情を覚えた。




 アブラヒムに案内する形で刈谷メモリークラブに来ていた蟹江は、アブラヒムが帰ってから目的がなくなり小牧と共に帰途に就いた。

 自宅まで送り届けてください、とせがむ小牧を家まで送ってから、蟹江がマンションに帰ると、自室の玄関灯の下に人影があった。

 蟹江が近づきながら目を凝らすと、実に見知った人物であることがわかった。

 その人物は蟹江の姿に気付くと、非難するような目つきで睨んでくる。



「陽太、遅い!」



 和菓子の入った箱を提げて黒髪を背中で揺らす弥冨が、ツリ目をさらに鋭くして不機嫌に叫んだ。



「いつまで待たせる気だったの?」

「そもそも俺は、お前が待っていることを知らなかった」



 蟹江は冷静に切り返す。

 容易く弥冨は言葉を詰まらせて、深い溜息を吐いてから話題を変える。



「仕方ないわ、約束してたわけじゃないもの。許してあげる。それよりも今日の事、どう言い訳してくれるの?」



 まるで言い訳することを前提とした口ぶりで尋ねる。

 蟹江はなんのことやらと頭を捻った。



「今日の事って?」

「今日の事は今日の事よ。あの子と二人で買い物してたでしょ」

「ああ、買い物なあ。他の人が見たらそう見えるだろうな」

「どういうこと?」

「あれは小牧のルート作成を手伝ってたんだよ」

「口実としては認めるわ。けど、あんたに少したりともあの子に対する異性的な感情はなかったの?」



 弥富はちょっと言いにくそうに訊く。



「ないな」



 蟹江は即答した。



「師匠が弟子に惚れるなんて言語道断だ。師弟関係が続かなくなる」

「ふーん」



 自分から訊いておいて、弥冨はあまり関心なさそうな声を返す。

 反応とは裏腹に胸の内では、師弟関係じゃない私に惚れる可能性がゼロじゃないってことね、と自己解釈した。

 途端に、ツリ目を和らげて口元に笑みを広げる。



「それで、陽太」

「なんだ?」

「これ」



 和菓子の箱を両手で、蟹江に見やすい位置に持ち上げる。



「あんたのために買ったんだけど、今から一緒に食べない?」

「へえ、それはありがたいな」



 好物の『権藤』の和菓子を前に、蟹江は素直に喜んだ。

 しかし、あっでも、と顔から喜びを消して、気づかわしげに弥富を見る。



「夕食前に和菓子なんて食べたら、太らないか?」



 弥冨の目尻が再び、睨むように鋭くなる。



「私が太ってるっていうの?」

「いや、そういうわけじゃないけど」



 蟹江が横に首を振るにも関わらず、一層態度を激する。



「太ってるって思うなら、正直に頷きなさいよ。気分悪い」

「だから思ってないって、むしろ……」



 スタイル良いよな、と続けようとした蟹江の口を遮ろうとするが如く、弥冨は和菓子の箱を蟹江の眼前に突き出す。



「もういい、全部あんたにあげる。じゃあね」



 当惑ぎみに蟹江が箱を受け取ると、憤然とした足取りで彼の横を通り過ぎ、マンションの出入口に繋がる階段を降りていった。

 呆然と和菓子の箱を手にしたまま、蟹江は弥冨の去った方を眺める。

 褒めようとしてるのになんで怒られなきゃならないんだ、と蟹江の頭の中は女心への疑問が湧いて絶えなかった。
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