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第四章 塔の上

072.おもてなし

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 いつもの食堂。
 そこでエミリーと昼食を食べる。
 けど、今日はいつもと少しだけ違う。

「なんか混んでいるわね」

 見かけるのは、兵士やメイド。
 そこはいつもと変わらない。
 いつもはいない団体が来ているというようなことはない。

「特別メニューが好評みたいですよ。この照り焼きって料理、美味しいですよね」

 エミリーが手元の料理を食べながら教えてくれる。
 それが特別メニューのようだ。
 料理長が、渡した調味料を使って、試行錯誤して作ったらしい。
 良い香りだけど、私は別のメニューを食べている。
 調味料に『混ぜ物』が入っていることを知っているから、念のためだ。
 師匠の話だと、効果があるのは男性だけで、女性には影響はないということだったけど、それでも気にせず食べるほどは割り切れない。

「特別メニューが好評でも、食べる人数は変わらないんじゃない?なんで混んでいるのかしら?」
「数に限りがあるから、いつもは食堂が空いてから食べにくる人も、早めに来ているみたいですね」

 なるほど。
 人数は変わらないけど、集まるタイミングが揃ったから、人口密度が高くなっているのか。

「それに、いつもは自室で食べるような役職が上の人も、食べに来ているみたいですね」

 人数も増えていたのか。
 特別メニューの人気は相当なもののようだ。
 しかし、わざわざ食べに来るくらいなら、自分達の料理人に作らせればいいのに。
 そう考えたのだけど、エミリーが教えてくれる。

「調味料に限りがあるから、レシピを教えてもらっても、意味は無いって考えているみたいですね。その調味料を取り寄せられないかって話も出ているみたいですよ」

 そこまでか。
 しかし、そんな話を聞くと、私も食べてみたくなってきた。
 明日あたり、食べてみようか。
 そんなことを考えていると、エミリーが声を少し抑えて話を続ける。

「でも、実は混んでいる理由は、それだけじゃないんです」
「なにかあったの?」

 声を抑えるということは、趣味と実益を兼ねた噂話だろう。
 彼女の裏の仕事を知っている今となっては、その情報が重要な内容である可能性があることは判る。
 たまに、私にとっては、どうでもいい情報であることもあるけど、情報なんて使う人しだいだ。
 別の人にとっては重要であることもある。
 私は先を促す。

「最近、夫婦喧嘩が増えているらしいんです」
「夫婦喧嘩?」

 それが何故、食堂が混む理由になるんだろう。

「この食堂って夕方もやっているじゃないですか。普段は家で食事を摂る人が、奥さんと顔を合わせたくないという理由で、この食堂で夕食を摂ることが増えているみたいなんですよ。それがまた、特別メニューが美味しいらしいって評判に繋がっているようです」
「へぇ。風が吹けば桶屋が儲かるってやつね」
「なんですか、それ」
「師匠から教えてもらった諺よ。風が桶が壊れるから、桶屋が儲かるって話らしいわ」
「なんで、風が吹くと桶が壊れるんですか?それに、そんなものまで壊すような台風並みの強い風なら、桶以外も壊れそうですけど」

 そう言えば、なんでだろう。
 理由を聞いた気もするけど、そこまで覚えていない。

「確か、一見すると全く関係がない物事に影響が及ぶことがあるって喩えだったはずからだ、なにか理由があるんじゃない?ほら、台風だと床下浸水することもあるから、水を汲みだすために桶を使いまくって壊しちゃうとか」
「うーん、そう考えると、関係ありまくりな気がしますけど」

 エミリーは納得がいっていないようだけど、今は諺の由来はどうでもいい。
 それより興味があるのは、夫婦喧嘩が増えている理由だ。
 それを尋ねてみる。

「家庭の事情ですから、そこまで知っているわけないじゃないですか・・・・・と、いつもならなるんですけど、実は今回は知っています。理由が同じですから、噂になっているんです」

 普通、夫婦喧嘩なんてものは、あまり聞こえのよい話ではない。
 はっきり言って、家庭の恥だ。
 醜聞だ。
 それなのに噂が広がっているということは、他人に相談したい事柄があるということだろう。
 私はそれに予想がついている。

「夜の生活が上手くいっていないみたいですね」

 実戦経験はないけど、私も子供じゃないから、それが何を指しているのかくらいは判る。

「マンネリってこと?」
「違いますよ。旦那さんが『その気』にならないそうです」

 それは、奥さんは怒るだろう。
 自分に魅力が無くなったと言われているようなものだ。

「それで浮気しているんじゃないかって話になって、夫婦喧嘩になるみたいですね」
「人気の娼館でもできたとか?」
「そんな理由なら、ここまで夫婦喧嘩は増えていないと思いますよ。誠実な旦那さんなら、そんなところにはいかないでしょうし」
「どうかしらね」

 男性は愛情と性欲が別って聞くし。
 奥さんを愛していても、魅力的な女性がいれば抱きたくなるらしい。
 そしてその魅力は、性格が悪くても、性的な魅力があれば充分だそうだ。
 女性にも愛情と性欲が別の人はいるかも知れないけど、数は少ないと思う。
 性的な魅力は、女性は外見から分かりやすいけど、男性は外見から分かりづらいからだろう。

「でも、ホントに違うみたいですよ。どうも、その・・・・・旦那さんの『準備』ができないのが原因だそうです。兵士と付き合っているメイド仲間が言っていたから、確かな情報です」
「そうなんだ」

 私は平静を装い、そう相槌を打つ。
 別に話の内容に恥ずかしがったわけじゃない。
 作戦が順調なことを知って喜んでいることが、顔に表れないようにしたのだ。
 他人の不幸を喜ぶのは、いけないことだ。
 夫婦喧嘩の原因を仕掛けたのは私と師匠なわけだけど、兵士達に迷惑をかけたいわけじゃない。
 ただ、手段として利用させてもらっているだけだ。
 恨むなら彼らのトップであるアダム王子を恨んでもらおう。
 彼が私を王妃に会わせなければ、その王妃が私にあんなことをしなければ、こんなことをしようとは思わなかったわけだから。

「しかし、意外に気付かないものね」

 私はぼそっと呟く。

「なにがですか」
「なんでもないわ」

 耳聡く私の呟きを聞いて尋ねてきたエミリーに誤魔化しつつ考える。
 兵士である男性の『準備』ができなくなったのは、つまり勃たなくなったのは、特別メニューを食べ始めてからのはずだ。
 客観的に考えれば、因果関係に気づくだろう。
 けど、調味料が切れるまでの期間限定という魅力もあるせいか、気付いている人間はいないようだ。
 いたとしても、毒としての被害は出ていないし、それどころか味自体は好評なわけだから、本気に受け取る人間はいないだろう。
 それに女性には影響がないわけだから、男性がそんなことを言ったとしても、言い訳にしか聞こえないだろう。
 作戦を成功させる上で、都合のよい状況になっているようだ。

「私も明日、特別メニューを食べてみようかな」

 その方が状況にも有利に働くだろう。
 私が食べた分だけ別の人が食べないことになるわけだけど、一人くらいで作戦には大きな影響は出ないし、私も食べることで疑いを持たれないことにも繋がるだろう。
 決して、食べてみたくなったという欲求に負けたわけじゃない。

 *****

 午後のお茶会。
 参加者は、アダム王子、アーサー王子、師匠、メフィ、そして私。
 給仕はメアリー。
 つまり、いつものメンバーだ。

 ちなみに、最近、シェリーには別のことを頼んでいるから、給仕はしていない。
 シルヴァニア王国出身の元工作員である彼女には、シルヴァニア王国から連れ帰った四人の教育を任せている。
 使い物になるには、もう少しかかるらしい。

「あの肉じゃがって料理、美味しいよね。シチューとはまた違って、なんて言うか、素材の味を引き出している感じで」

 アーサー王子が、そんなことを言い出した。
 それを聞いて、アダム王子が嫌そうな顔をする。

「男の尊厳を踏みにじるものが入っているのを知っていて、よく食べる気になるな」

 大袈裟な。
 まあ、アダム王子にとっては、人生の9割くらいが奪われる気分かも知れないけど。

「ははっ。まあ、食べた日の翌朝はちょっと寂しかったけどね」

 アレか。
 男の人特有の、朝に発情するっていう生理現象のことか。
 アーサー王子が苦笑しながら、アダム王子に答えている。

「徹夜明けに何か食べるものが無いかって聞いたら出してくれたんだよ。煮込み料理で、作り置きがあれば、すぐに出せるからじゃないかな」

 しかし、アーサー王子は意外に豪胆だな。
 必要なら、毒すらあおるんじゃないだろうか。
 もちろん、解毒剤を用意した上でだろうけど。

「俺は絶対に食わないからな。目立った被害は出ていないが、最近、兵士が訓練に身が入っていないらしい。騎士団長が愚痴っていたぞ」

 対して、アダム王子は意外に小心者のようだ。
 一回くらい食べてみればいいのに。
 私も食べたけど、料理長の特別メニューは確かに美味しかった。
 兵士が訓練に身が入っていない原因は、単に精力が減退して、やる気が出ないだけだろう。
 それに、メイド達にそんな話は聞かないから、朝のアレが無いことによる精神的なものじゃないだろうか。

「ふむ。効果は順調に出ているようじゃな」

 話を聞いていた師匠が満足そうに頷く。

「最近は夜に王妃がいる塔に登る男も見かけなくなったのじゃ」

 師匠がご機嫌で報告してくる。
 師匠には、そちらの監視をお願いしていたのだ。
 寝るのが遅くなる面倒な役割だけど、騎士団長が寝取られたことに対する王妃への仕返しが師匠の目的だから、快く引き受けてくれたのだ。
 師匠からすれば、これで目的が達成できたことになるだろう。

「それでどうする?料理長に渡した調味料は残り少ないみたいだから、数日中には特別メニューは終わりそうよ。追加する?」
「いや、もういいじゃろ」

 私が仕返しを継続するか尋ねるけど、師匠はもう満足したらしい。
 まあ、毒ではないとはいえ、知り合いも利用するところに、いつまでも薬を盛るのは気分がいいものじゃないから、私としてもそちらの方がいいけど。

「特別メニューが終わったら、また王妃が男を連れ込むかも知れないわよ」
「まあ、今更じゃろ」

 やっぱり、そちらの理由はついでだったらしい。
 じゃあ、これで今回の作戦は終わりかな。
 そう思うけど、なんとなく、しっくりこない。
 今回、私は何を得たのだろう。
 まだ、何も得ていない気がする。
 一時的な嫌がらせをしただけだ。
 私が自分のために利益を得るなら、この状況を利用して王妃と交渉することだけど、どうしようか。
 あの王妃はなんとなく苦手だ。
 できれば近づきたくないという思いもある。
 逃げるようで癪だけで、これで満足するのも一つの選択肢だろう。
 そんな風に葛藤していると、アーサー王子が声をかけてきた。

「そうそう、シンデレラ。その王妃から、お茶会の誘いだよ」

 どうやら、私は逃げることができないらしい。
 状況は私に有利なはずなのに、なぜか私は蜘蛛の巣に捕らえられた気分になった。
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