上 下
95 / 240
第六章 眠り姫

095.おもてなし

しおりを挟む
「私のことを捜しているときに、定期的にトレメインの屋敷に通っていたんじゃないの?」

 私が呆れたように言うと、一通り吐いて少しはすっきりしたのか、アーサー王子が返事をしてきた。

「普段はこんなに馬車に酔わないんだけどね。最近、徹夜が続いて少し寝不足だったから」
「だから、寝ろって言ったじゃない」

 なんだか、すっぱい匂いが漂ってくる。
 そのせいだろうか。
 妊娠すると、すっぱい物が食べたくなると聞いたことがあるな。
 義理の姉ドリゼラは、どうなんだろうか。
 そんなことが思い浮かんだ。

 ・・・・・

 変な想像をしそうになって、咄嗟に頭を振る。
 あまり深く考えない方がよさそうだ。
 別のことを考えよう。

 ・・・・・

 そういえば、アーサー王子の部下のメイド達にはMMQって名前があるな。
 私も部下の娘達に名前をつけた方がいいだろうか。
 この旅が終わっても残っているようなら、つけてもいいかも知れない。
 どんな名前がいいだろうか。

「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」

 あの娘達は、最初に会ったとき、身体能力の高さから獣のように見えたのを覚えている。
 そこから連想して狼なんて名前に入れたらどうだろうか。
 格好良い気がする。
 もしくは、忠誠心の高さから犬とか。

「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・う」

 みんな女性だし、雌犬部隊とか。
 ダメだ。
 雌犬と呼ばれる人物は、すでに王妃のところにいるし、そもそも、あまりいい呼び方じゃない。
 自分の部下を雌犬と呼ぶって、どんなセクハラだ。
 私は別の名前を考えようとする。
 けど、それはすぐに中断されることになる。

「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・うぷっ」

 先ほどから、ちょくちょく聞こえてくる音が気になって仕方がない。
 もう胃の中は空だろうに、吐き気は止まらないらしい。

「おーい、大丈夫?」
「・・・・・う・・・・・」

 何かを答えようとして口を開くけど、それが言葉になることはなかった。
 答える元気もないようだ。
 そんなやりとりを見ていたメフィが、代わりに口を開く。

「ふむ。口を開くのも辛そうな人間に大丈夫かと聞き、馬車を止める気もないとは・・・なかなかの嗜虐趣味ですな」
「人をサディストみたいに言わないでよ。だって仕方がないじゃない。いちいち馬車を止めていたら間に合わないだろうし」

 出発してから気づいたんだけど、シルヴァニア王国に近づくほど雪が積もっている場所が増えてきている。
 馬車が進めないほどじゃないんだけど、それでも進む速度が遅くなる。
 迷惑な季節に招待状をくれたものだとは思うけど、パーティーの目的が誕生日を祝うことだから、別の季節に変えるということもできないのだろう。
 そんなわけで、日程的にそれほど余裕があるわけじゃない。
 馬車に酔ったからといって、止めていたら間に合わなくなる可能性があるのだ。
 娘達の出身の村に寄る予定を省略すれば、もう少し余裕はあるんだけど、私は省略するつもりはない。

「・・・・・・・・・・うぷっ」

 けど、青色を通り越して、白色になり始めているアーサー王子の顔色を見ていると、さすがに可哀相な気がしてくる。

「もう少しでリンゴの故郷の村につくから、そこまで我慢して。ほら、横になっていていいから」

 時間は早いけど、今日はその村で宿を取る予定だ。
 別にアーサー王子のためというわけじゃなくて、娘達も家族と一晩くらい過ごしたいだろうから、それぞれの故郷の村で同じようにする予定だ。
 だから、アーサー王子にはそこまでは我慢してもらう。

「シ、シンデレラ」
「ドレスに吐かないでよ」
「う、うん」

 アーサー王子の頭を自分のふとももの上に置きながら、それだけはお願いしておく。
 我慢させる手前、馬車の硬い座席は気の毒だと思ってそうしたのだけど、吐瀉物をまき散らされるくらいなら、馬車の床に寝かせようと思う。

「あ、あの」
「辛いなら無理に喋らなくていいから、静かにしてなさい」
「わ、わかった」

 メフィに言われたからじゃないけど、体調の悪い人間に無理に喋らせる趣味はない。
 その体勢のまま、村につくまで、しばし馬車に揺られていた。

 *****

 馬車が止まった。

「聖女様、着きまし・・・・・失礼しました」

 リンゴが馬車の扉を開けて声をかけてくるけど、なぜかまた扉を閉めてしまう。
 なんだろう。
 別に失礼なことはされていないけど。

「着いたんでしょ?すぐ行くわ」

 アーサー王子の頭をふとももからどかして、馬車の外に出る。
 顔色はよくなっていたみたいだから、もう枕の役目は必要ないだろう。
 ちなみに、吐かれることは無かった。
 村にも着いたし、一安心だ。

「寒いわね」

 馬車から出ると、迎えてくれたのは一面の銀世界だ。
 どうりで外の景色を見ていたのに、村に着いたことが判らなかったわけだ。
 雪で覆われただけで、全く景色が違う。
 足が埋まるほどではないけど、雪が見覚えのある景色を隠している。

「あの・・・」

 私が風景を眺めていると、リンゴが声をかけてくる。

「もしかして、お邪魔してしまいましたか?」
「?そろそろ足が痺れてきた頃だったから、ちょうどよかったわ」

 別に何かを邪魔されたということはない。
 むしろ、足の痺れから解放してくれて、お礼を言いたいくらいだ。

「じゃあ、宿を借りることができるように、村長に話してきてくれる?」
「わかりました」

 リンゴが私の指示に従い、村の中に歩いて行った。
 さて、どんな反応をされるかな。
 配った種や苗が上手く育って収穫できていれば歓迎されるだろうけど、育たず枯れていたら余計な手間をかけさせたとして恨まれているかも知れない。
 そんなことを考えながら、リンゴが戻ってくるのを待った。

 *****

 結果から言うと、歓迎された。
 というか、崇拝された。
 拝まれたときはどうしようかと思ったけど、なんとか普通の客として扱ってもらえることになった。

「マッチ売りの女性から聞いてはいたけど、本当にこんなことになっているなんて・・・」

 私は最初の村で着いたばかりで、すでに帰りたくなっていた。
 念のため、防寒具の下には、以前来たときと同じ赤いドレスを着ていたんだけど、それを見せるまでもなく私のことに気づいたらしい。
 リンゴが村に入ってしばらくした後、村にいる全員じゃないかと思う人々がこちらに向かって走ってきたときには、さすがに身の危険を感じた。
 護衛の騎士も剣を抜きそうになったくらいだ。
 そして、私の手前で止まったかと思うと、一斉に膝をついてこちらを拝んできたときには、身の危険を通り越して魂が抜けかかったんじゃないかと思う。
 というか、雪が積もっているけど、村の人達は膝が冷たくなかったのかな。
 そんな、どうでもいいことを考えてしまうくらいには、現実逃避してしまった。

「聖女様は我々の命の恩人です。村人の誰一人飢えることなく、冬を越せそうです」
「それは、よかったわね。だから、歓迎の料理はこちらが渡した食材だけを使ってね」

 当然のように村の人達は歓迎してくれた。
 それはいいんだけど、冬の備蓄を使いつくしそうな勢いで歓迎の料理を作ろうとするものだから、それはさすがに止めさせてもらった。
 それが原因で飢えることになったら本末転倒だ。
 もともと村には泊めてもらうお礼に食糧を渡す予定だったから、歓迎の料理にはそれを使ってもらうことにする。
 本来なら冬の備蓄の足しにしてもらうつもりだったけど、その必要は無さそうだった。

「しかし、それでは我々が納得できません。感謝の気持ちを伝えさせていただきたいのです」
「そうは言われてもね・・・」

 感謝してくれるのは嬉しい。
 人から感謝されることなんて、これまでの人生で無かったんじゃないだろうか。
 だから、嬉しいというのは本音だ。
 けど、だから何かをして欲しいかというと、何も思いつかない。
 そもそも、こちらが行ったことのお礼として何かを返してもらうなら、それはただの対等な取り引きだ。
 感謝されるようなことじゃなくなると思う。

「体調の悪い人間もいるから、ゆっくり休息を取らせてくれた方が嬉しいけど」

 そう言いながら、アーサー王子を指す。
 顔色はよくなったようなんだけど、今度はなんだか顔が赤くて、ぼーっとしているように見える。
 寒さで風邪でもひいたのかな。
 どこまで軟弱なんだ。
 そんな感じで私が見ていると、村長が察してくれたようで、別のことを提案してくれる。

「ならば、温泉などはいかがでしょう?」
「オンセン?なにそれ?」
「おや、聖女様は温泉をご存知ないのですか?」

 聞いたことがない。
 休息したいと言ったら提案してくれたのだから、ゆっくりできるモノ?コト?だとは思うんだけど。
 なんだろう。
 今年は豊作だったとはいえ貧しい村だ。
 お金のかかるものではないと思う。
 お金をかけずに休息を取れること。

 ・・・・・

 マッサージの一種だろうか。
 マッサージなら知っている。
 トレメインの屋敷にいた頃に、仕事に疲れた使用人達が互いにやっていた。
 私は仲間に入れてもらえなかったから、体験したことはないけど。
 そんな予想をしてみたけど、どうも違うらしい。

「温泉とは地面から湧き出る湯のことです。暖を取るためや湯を沸かす燃料を節約するために使っているのですが、身体を浸すと芯から温まって疲労が取れますよ」
「それってお風呂!?」

 思わず叫んでしまった。

「貴族が入る風呂のように上等なものではなく、屋外にあるのですが・・・似たようなものだと思います」

 私の勢いに押されながらも村長が説明してくれる。

「景色のいい屋外で入ることができるなんて、むしろ最高じゃない!」

 今回の旅は冬だから、川で水浴びはできないだろうと諦めていた。
 さすがに自殺行為だ。
 けど、村長の話では、温かいお湯に身体を浸すことができるという。

 森で生活していた頃、毎日のように川で水浴びしていた。
 だから私は、外で身体を清める気持ちよさを知っている。
 城のお風呂も嫌いじゃないけど、屋内だとどうしても窮屈な気がしていたのだ。
 それが今回は、外でお風呂に入ることができそうなのだ。

「最高のおもてなしよ!!」
「よ、喜んでいただけたようで、何よりです」

 村長が引き気味なのも気にならないほど、私は浮かれてしまった。
しおりを挟む

処理中です...