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第九章 お菓子の家

142.予感

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 春にアヴァロン王国に戻ってきてから、数十日が経過した。
 今は初夏に入る一歩手前。
 そんな季節だ。

「お茶会なんて、ひさしぶりね」

 シルヴァニア王国へ行く前は、毎日のようにお茶会を開いていた。
 シルヴァニア王国でも、メンバーは違うけど、よく開いていた。
 けど、シルヴァニア王国から戻ってきてからは、めっきり開くことが無くなっていた。
 その理由は色々ある。

 アダム王子が産まれた双子に会いに行くのを優先したことも理由の一つだし、
 アーサー王子が工房にこもって出て来ないことも理由の一つだし、
 師匠が新人料理人に夢中なのも理由の一つだ。

 メフィは誘えば付き合ってくれたかも知れないけど、メフィと二人でお茶会というのも盛り上がらない。
 だから、めっきり開くことが無くなっていた。
 もっとも、お茶会は作戦会議という意味合いもあったから、それが開かれないということは、それだけ平穏だったということでもあるのかも知れない。
 けど今日は、そんなお茶会を開いている。
 だからといって、何か対策が必要な事態に対する作戦会議という訳じゃなく、単に参加メンバーの都合があったというだけのことだ。

「今日は朝からヘンゼルとグレーテルが寝ていてな。ドリゼラに部屋を追い出されたのだ」
「『カリバーン』の量産試作品が完成したからね。職人達に引き継いできたんだよ」
「オリバーくんは、今日は忙しいらしいのじゃ」

 そういうことらしい。
 なんにせよ、特に議題があるわけでも無いから、まったりとお茶を楽しんでいた。
 実はお茶会に参加するメンバーの中で、私が一番暇を持て余している。
 特定の仕事を持っていないからだ。
 だからと言って、積極的に仕事をもらおうとは思わない。
 シルヴァニア王国のときみたいに、仕事に追われるのは遠慮したい。
 そんなことを考えていたら、ふと、思い出した。

「そういえば、シルヴァニア王国から種や苗を売って欲しいって連絡はあった?」

 シルヴァニア王国で仕事を押し付けられていたとき、ヒルダにはそのための予算を確保させていた。
 今年の作物の植え付けは、もう始まっている。
 シルヴァニア王国はアヴァロン王国よりも涼しい気候だから、植え付けの時期は遅いだろうけど、もう始まっていてもおかしくない。
 それに、種や苗は事前に準備するものだろう。
 そう思って聞いたのだが、アダム王子には心当たりはないようだ。

「種や苗?いや、そんな話は聞いていないな」
「商人が勝手に取り引きしているということは?」
「少量の取り引きともかく、大量の取り引きなら、記録に残るはずだ。関税の問題もあるからな。それに違法な品物という訳では無いし、密輸する手間をかけるほど商人も馬鹿ではないだろう」
「そうよね」

 だとすると、注文が来ていないということだ。
 大丈夫なのかな。
 別に私が心配するようなことじゃないんだけど、あの国はリンゴ達の故郷でもある。
 彼女達の家族がみすみす飢えに苦しむのは、気分のいいものではない。
 けど、だからと言って、以前のように種や苗を配るかというと、そんなことをするつもりはない。
 私自身の目的のためとはいえ、一度は手助けしてあげたのだから、その後の判断はあの国の人間に任せるつもりだ。
 だから、私はただ傍観する。

「なんだ?種や苗の注文が大量に来る予定でもあるのか?植物だから、確保しておくなら、確証がないと難しいぞ」

 私の言葉が気になったのか、アダム王子が尋ねてくる。
 そして、彼の言葉にあった内容は事実だ。
 植物は成長する。
 苗なら特に成長は早い。
 植え付けるタイミングを逃すと、狙い通りに収穫できるようには、育たない。
 そんな苗を買う人間などいないから、売る側も余分な苗を仕入れたりはしない。
 だから、苗が欲しい場合は、事前に注文をしておくものなのだ。
 突然、店を訪れて売って欲しいと言っても、いつでも品物が置いてあるというものではない。
 けど、その注文がシルヴァニア王国からは来ていない。
 ならば、アヴァロン王国としての対応は決まっている。

「来るはずだったんだけど、来ていないなら、種や苗を確保しておく必要はないわ」

 私は聖人君主じゃない。
 ましてや、聖女でもない。
 だから、救いを求めていない人を救うつもりはない。
 救いを求めてきても、救うとは限らない。
 だって、人に救いを与えられるほど、私は救われているわけじゃない。

「そうか」

 アダム王子は、すっきりしない顔をしていたけど、それでも私の言葉に頷いた。

 *****

 それから、さらに数十日が経過した。
 季節はもう初夏だ。
 外で活動すれば、うっすらと汗をかく。
 そんな季節だ。

「結局、来なかったわね」

 お茶会の席で、私はぽつりと呟く。

「え?なんのこと?」

 耳聡くそれを聞いたらしいアーサー王子が、私に問いかけてくる。
 けど、私はそれに答えるつもりはない。

「なんでもないわ」

 だって、もう時期は過ぎている。
 別のルートから入手したのなら、それでよし。
 入手していないなら、よくはないだろうけど、どうしようもない。
 もう、そういう時期だ。

「そういえば」

 私の話はそれで終わり、アダム王子が話題を変える。

「シルヴァニア王国から使者が来るそうだ」
「シルヴァニア王国から?」

 今さら何の用件だろう。
 エリザベート王女はプラクティカルと婚約したから、今さらアダム王子やアーサー王子との婚約の話じゃないだろう。
 襲撃事件の賠償については、シルヴァニア王国側から使者を送ってくることは無いと思う。
 解毒薬は、必要とする人間が全員殺されてしまったから、シルヴァニア王国には必要無くなってしまった。

「数日後に着く予定だ。何も無いとは思うが、一応、知らせておこうと思ってな」
「今度は結婚式の招待かしらね」
「縁起でもないことを言うな」

 結婚式を縁起でもないとか、アダム王子もひどい言い草だ。
 まあ、私もそう思うけど。
 エリザベート王女の結婚式の料理は、食べる気にはならない。
 ヒルダが上手くやっていれば、食材にアレが使われることは無いはずだけど、あくまで上手くやっていればの話だ。

「でも、本当にどんな用件だろうね。僕やシンデレラの議決権を狙って暗殺者を差し向けてくるなら分かるけど、正式な使者を送ってくる用件というのは思いつかないよ」

 アーサー王子も用件は思いつかないようだ。
 ただ、口には出さないけど、使者が暗殺者という可能性を疑っているのかも知れない。
 警戒するのはよいことだと思う。
 けど、おそらく違うだろう。
 私は、そう考えていた。

「暗殺者に狙われるとしたら、アーサーだけじゃないかしら。私の議決権はヒルダに委譲してあるわけだし」
「え?もしかして、それで議決権を委譲したの?なら、僕の議決権も委譲しておいてよ」
「それじゃあ、エリザベート王女やプラクティカル王子が暴走したときの抑止力にならないじゃない。手が出せない場所に議決権を持つ人間がいることに意味があるんだから」

 ちなみに、今の言葉も本気で言っているわけじゃない。
 アーサー王子が狙われることは、たぶん無い。
 他国の王族を暗殺するリスクを犯すとは思えないし、他国の人間がシルヴァニア王国の内政について口を出したところで、余程のことでなければ賛同する人間はいないだろう。
 実のところ、アーサー王子、ファイファー、フィドラーが持っている議決権は、抑止力という意味しかないのだ。

「シルヴァニア王国か。あの国の温泉はよかったのう。オリバーくんと一緒に入りたいのじゃ」
「そうね。温泉への招待なら行ってもいいかしら」
「シンデレラ!?ダメだよ、危ないよ!」
「・・・・・ちっ」

 やっぱり、温泉のある村だけでも、こっちの国に移しておくべきだったかな。
 侵略と見なされるかも知れないけど、それだけの価値はあると思う。

「まあ、使者の件は父と俺で対応する予定だ。念のために伝えただけだから、それほど気にするな」

 アダム王子が、話を切り上げる。
 言われなくても、気にするつもりはないんだけど、そういう訳にはいかないんだろうな。
 そんな予感がしながら、私はお茶を一口飲んだ。

 *****

 数日後。
 予定通り、シルヴァニア王国の使者がアヴァロン王国を訪れた。
 今頃は謁見の間にいるはずだ。
 けど、私は謁見の間にはいない。
 当然だ。
 私はアヴァロン王国の政治に関わっていないのだから、話を聞いても仕方が無い。
 それに、権利もない。
 私は第二王子であるアーサー王子の婚約者でしかないのだ。
 そして、アーサー王子は政治には関わらず、趣味に走っている。

「ちょうど使者が来ている頃ね」
「そうだね。父上と兄上が対応しているはずだよ」

 いつものお茶会。
 でも、参加しているメンバーは、いつもより少ない。
 アダム王子がいないのだ。

「面倒な話じゃないといいわね」
「面倒な話だとしても、僕とシンデレラに関係する可能性は低いだろうけどね」

 そうなんだろうけど、第二王子として、それでいいのか。
 そう思うけど、それが許されているんだろうとも思う。
 アダム王子は趣味に走って、自分の作りたいを作っている。
 けど、それがもたらす影響は趣味の範囲に収まるものじゃない。
 特に今作っているアレは凶悪だ。
 下手をすれば、国境が変わる。
 そこまでは行かなくても、戦争になったときに、有利になることは間違いない。
 だからこそ、王様もアダム王子も、アーサー王子に自由にさせているのだろう。
 私みたいな、ただの貴族の娘を婚約者とすることを許しているのも、それが理由なのかも知れない。

 ・・・・・

 アーサー王子におねだりしたら、温泉がある村が手に入るかな。
 なんとなく、そんな危険なことを考えてしまう。
 もちろん本気ではないけれど、あながち不可能じゃなさそうなのが、怖いところだ。
 でも、そんなことをすれば大陸中を巻き込んだ戦争に発展しかねない。
 うっかり口にしないように注意しよう。
 万が一、本気にされたら困る。
 私は、傾国の美女になる気はないのだ。

 ・・・・

 まあ、そんな心配はいらないか。
 私は自分のことを美女と思うほど自意識過剰じゃない。
 そんな他愛のないことを考えていたら、お茶会をしている部屋の扉が開かれた。
 顔を見せたのはアダム王子だ。
 使者との謁見が早く終わったから、お茶会に顔を出しに来たのだろうか。
 もうそろそろお開きにしようと思っていたんだけど、お茶を一杯飲むくらいの時間なら延長してもかまわない。
 そう思ったのだけど、どうも様子がおかしい。
 アダム王子は他の人間を連れてきていた。

「おまえに客だ」

 そう言ったアダム王子の視線は、私の方を向いていた。
 どうやら、アーサー王子の言った『低い可能性』が、現実になったようだ。
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