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第九章 お菓子の家

141.月夜

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 昼食後。

「暇ねぇ」

 私はやることがない。
 シルヴァニア王国にいたときは、昼食を食べたらすぐに押し付けられた仕事に取りかかっていたこともあるけど、アヴァロン王国では私に仕事はない。
 私は無職だ。
 しいて挙げるとすれば、婚約者としてアーサー王子と仲良くなることが仕事なんだろうけど、アーサー王子は工房にこもりっきりだ。
 強引に自分のもとに連れてきた私のことを、基本的に放置している。
 まあ、別にいいんだけど。

娘達メイド達の様子でも見に行こうかな」

 やることがない私は、たまにメイド達の仕事を手伝ったりすることもあるんだけど、最近は手伝う隙をみせてくれなくなった。

『聖女様にそんなことをさせるわけにはいきません!』

 とか言って、リンゴ達が張り切るからだ。
 そのせいかは知らないが、リンゴ達は『聖女の娘達』と呼ばれて、すっかり私の直属部隊という位置付けと見なされるようになった。
 アーサー王子の配下にいるMMQが他のメイド達に紛れ込んで目立たないのに対して、『聖女の娘達』は目立ちまくっている。
 城の人間達との仲も良好なようだから放っておいているけど、いい加減、私のことを聖女と呼ぶのは止めて欲しい。

「おつかれさま」

 私はメイド達の休憩室に顔を出す。
 仕事を手伝わせてくれないので、せめて休憩中のメイド達に話し相手にでもなってもらおうと思ったのだ。
 私がしょっちゅう顔を出すものだから、王子の婚約者が来たからといって、今さら気を遣うメイドはいない。

「あら?休憩中なのは雌猫ちゃんだけ?」

 休憩室にいたのは、リンゴの妹だった。
 彼女はメイドとして城で働いている。
 シルヴァニア王国に行っている間に、すっかり仕事にも慣れたようだ。

「お姉ちゃんも一緒です!」

 彼女が言うのと、リンゴがやってくるのは同時だった。

「聖女様、いらしていたのですね」
「ええ、お邪魔だったかしら?」
「そんなことはありません。ゆっくりしていってください。」

 一応、邪魔じゃないかと確認しておく。
 尋ねたのはリンゴに対してだが、彼女の妹に聞かせるためでもある。
 姉にべったりなこの妹は、姉との時間が奪われると、何をしでかすか分からない。
 だから、姉が邪魔に思っていないことを認識させたのだ。

「雌猫ちゃん、リンゴが帰ってくるのが遅くなって悪かったわね」

 シルヴァニア王国から戻ってくるのが遅くなったことを謝っておく。
 私の責任じゃないんだけど、彼女にとっては関係ないだろう。
 私が連れていったんだから、私のせいだと思うはずだ。

「お姉ちゃんが無事に帰ってから、許してあげます!」
「こ、こらっ!」

 案の定、リンゴの妹は私の責任だと思っていたようだ。
 けど、どうやら、今はもう恨まれてはいないらしい。
 安心した。
 リンゴが、妹の失礼な言葉を嗜めているけど、私は気にしないでいいと手を振っておく。

「しばらくは、長期間この国を離れる予定は無いから、リンゴと一緒にいられると思うわ。行くとしても、今度は雌猫ちゃんも連れていくからね」
「本当!」
「本当よ」

 喜ぶ妹に水を差さないように、リンゴが声をひそめて私に話しかけてくる。

「よろしいのですか?妹は・・・」
「メイドの仕事も真面目にしているみたいだしね」

 過去に妹がおこなったことを気にするリンゴに問題ないと告げておく。
 もちろん、リンゴの妹の機嫌を取るために、そう判断したわけじゃない。
 シルヴァニア王国に行っている間に監視させていたシェリーからの情報をもとに判断したのだ。
 彼女に『どこまでの仕事』をお願いするかは、まだ決めていないけど、普通のメイドとしてなら問題ないと思う。

「ありがとうございます」

 私の言葉にリンゴが礼を言う。
 その表情は嬉しそうだ。
 妹に厳しいことを言っているけど、彼女も本音では妹と一緒にいたいのだろう。

 そんな感じでメイド達に話し相手になってもらいながら、私は午後の時間を潰していた。

 *****

 夕方。

 私は少し早い時間に夕食を取る。
 この城に来たばかりの頃、夜にこっそり行動するために早めに食事をしていた名残だけど、なんとなく習慣になっている。
 夕食は、兵士やメイドが食事を取る食堂には行かない。
 昼間と違い、食堂でアルコールが提供されるからだ。
 私自身はアルコールは飲まないし、酔っ払いがいても気にしないんだけど、周囲はそういうわけにはいかない。
 万が一、王子の婚約者である私に、アルコールの勢いで失礼なことでもすれば、比喩ではなく首が飛ぶ可能性がある。
 そんな状況では、安心して酔っ払うこともできないだろう。
 だから、夕食時に食堂に行くのは遠慮している。
 なら、アーサー王子と一緒に食事をするかといえば、そういうわけでもない。
 アーサー王子は一度工房に入ると途中で出てくることはないので、メアリーが食事を持っていっているらしい。
 そんなわけで、一人寂しい食事を取った後、私は自室への道を歩いていた。
 陽はすっかり沈んでいる。
 けど、空は明るかった。
 だから、人影には、すぐに気付いた。

「今日は満月ですな」

 そこにいたのは、メフィだった。
 ワイングラスを片手に、夜空を見上げている。

「子供がそんなものを飲んでいていいの?」

 メフィの本当の姿を知ってはいるけど、今の見た目は子供だ。
 だから、そう声をかける。

「メイドのお姉さま方と同じことを言いますな。だから、こうして、こっそり嗜んでいるのですよ」

 メフィは、ワイングラスを傾けて、中の液体を口に流す。
 そういう仕草は、年齢を重ねた男性に似合う。
 子供が真似しても、滑稽なだけだ。
 しかし、メフィにはそんなことは関係がなく、似合っていた。

「今日はどんな用事?」

 わざわざ私が通る道にいたのだ。
 たまたまということは無いだろう。

「いやなに、平穏な毎日だと思いましてな」

 メフィがしみじみと語る。

「不満?」
「いえいえ、平和なのはよいことです」

 私の問いに、首を振りながら、答えてくる。
 いちいち様になっているのが、なんとなく、いらっとする。

「そう思っているなら、シルヴァニア王国のときみたいに、雪は降らせないでよ」
「春の雪ですか。それも風情があってよさそうですが・・・」
「降らせないでよ」

 私は念を押しておく。
 メフィは契約を破らない。
 破らないけど、契約にないことは、することがある。
 だから、念を押しておく。
 それにどれだけ意味があるかは分からないけど、何もしないよりはマシだ。

「わかっておりますよ。贄もありませんからな」

 あっさりと頷くメフィ。
 だけど、安心はできない。
 もっとも、心配もしない。
 なぜなら、メフィが何もしないということは、何もする必要がないということだろうから。

「それに、そんなものを降らせずとも、今夜はこんなに月明かりが降り注いでいるではありませんか」
「・・・そうね」

 今夜は満月だ。
 メフィの言葉通り、いつもより月が明るい。
 美しいと思う。
 美しいとは思うけど、どこか冷たい美しさだと思う。
 なぜなら、満月は人を狂わせる。
 そう言われている。

「知っていますかな?月の光は、夜の眷属を呼び起こします」
「この国には、そんなものいないわよ」
「そうでしょうな。『この国』には、いないでしょうな」
「・・・・・」

 まるで、他の国にはいるとでも言いたげだ。
 そんな物語に出てくるようなものは存在しない。
 そう反論しようと思ったけど、止めておく。
 だって、今夜は満月だ。
 狂う人間がいても、おかしくはない。
 そして、狂った人間は、普通の人間とは違う。
 違う存在になるのだ。

「この国に来て迷惑をかけないように言っておいてよ。メフィのお仲間でしょ」

 私は軽口でメフィに応える。
 メフィは返事なんか期待していないだろうけど、それでも会話は大切だ。
 それはメフィに対しても変わらない。
 いや、メフィに対してだからこそ、会話が大切だと言えるのかも知れない。

「おや、仲間ではありませんよ。私の故郷は、月の光が届かない場所にありますからな」

 メフィも軽口で応えてくる。
 何気ない言葉。
 だけど、そこに含まれている情報は重要だ。

 メフィは、夜の眷属と言った。
 メフィは、この国にはいないと言った。
 メフィは、仲間ではないと言った。

 私は頭の片隅に、それらの言葉を残しておく。
 ただの戯言なら、それでいい。
 でも、たぶん違う。
 それが判ってしまい、私は溜息をつく。
 そんな私を楽しそうに眺めながら、メフィはワイングラスを傾ける。

「夜の眷属、あるいは、それを退治しようとするものは、いったい何を降らせるのですかな」

 ワイングラスの残りを一息に飲み干してから、メフィは立ち去っていった。

「私もワインでも飲めば、気楽に酔えるのかしらね」

 飲むなら白ワインがいい。
 メフィの飲んでいたような赤ワインは、なんとなく飲む気にはならなかった。
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