上 下
233 / 240
第十四章 ヘンゼルとグレーテル

233.ヘンゼルとグレーテル(その14)

しおりを挟む
「ふぅ」

 身体にロープを巻き付けた状態のお兄さまを白い馬の背中に乗せます。
 わたしも荷物を入れた袋と一緒に白い馬の背中によじ登ります。

「それじゃ、しゅっぱーつ!」

 わたしがかけ声をかけると、白い馬が歩き始めます。
 わたしは馬に乗る練習をしたことがありません。
 でも、この馬は賢いので声をかけるだけで言うことを聞いてくれます。

「お兄さまが起きないように、揺らさないように歩いてね」

 さすがに人間の言葉で返事はしてきませんが、言うことを聞いてくれたようです。
 まったく揺れなくなりました。
 できればお兄さまには、森に入るくらいまでは眠っていて欲しいところです。
 ここで暴れられたら、目的地に到着することができません。
 しばらく、夜の散歩が続きます。

「ふぁあ」

 いつもなら眠っている時間です。
 わたしも眠くなってきました。
 馬の背中は暖かく、まったく揺れないので、眠っても落ちることはないと思います。

「ねぇ。わたしも、ちょっと眠っていい?」

 わたしは馬に尋ねます。
 わたしの言葉を聞いて、馬は軽く首を前に揺すりました。
 頷いてくれたようです。

「あなたも疲れたら休憩していいからね」

 わたしはそう声をかけて馬の背中にもたれかかります。
 背中の毛がさらさらしていて気持ちいいです。
 その感触を楽しんでいると、いつの間にか瞼が閉じていました。

 *****

 ゆさゆさ

「うぅん・・・」

 ゆさゆさゆさ

「うぅん?」

 身体を揺らされる感覚に目が覚めます。
 瞼を開けて、あれ?と思います。
 いつものベッドではありませんでした。

「ああ、そうだった」

 馬に乗って森を目指しているのでした。
 あまりに乗り心地がよくて、そのことを忘れていました。
 でも、歩いていてもほとんど揺れないのに、先ほどの揺れはなんだったのでしょうか。
 その理由はすぐにわかりました。

「あ、お兄さま、おはようございます」

 お兄さまが目を覚まして、身体を揺らしていました。
 先ほどの揺れは、それが原因だったようです。

「むーっ!むーーーっ!」
「今、ほどきますね」

 どうやら馬は、休憩を取らずに歩いてくれたようです。
 すでに周りは木々に囲まれていました。
 ここまで来れば、お兄さまが大きな声を出しても問題ありません。
 わたしはお兄さまの猿ぐつわをほどきます。

「ぷはっ!グレーテル、ここはどこ!?」

 ほどくと同時にお兄さまは尋ねてきます。
 わたしは素直に答えます。

「森ですよ、お兄さま」
「森!?」

 お兄さまが驚いた声を上げます。
 でも、驚くのは早いです。

「駆け落ちにきたのです。二人っきりですよ、お兄さま」

 わたしは、とっておきの秘密を教えます。
 サプライズというやつです。
 喜んでくれるかと思ったのですが、お兄さまの様子がおかしいです。

「森って、まさか魔女の森!?」

 わたしの言葉より、この場所について気にしているようです。
 身体を激しく揺らします。

「いけない!すぐに戻らないと!グレーテル、これをほどいて!」
「ほどきますから、暴れないでください、お兄さま」

 このままだとお兄さまが馬から落ちてしまいます。
 わたしは仕方なくロープをほどくことにします。

「はい、ほどけましたよ」

 ロープをほどくと、身体が動くことを確認して冷静になったのか、お兄さまが暴れるのをやめます。
 そして、わたしに話しかけてきます。

「・・・グレーテル、今、色々聞くのはやめておくよ。だから、すぐに森を出て帰るんだ」
「でも・・・」
「ここは危険なんだ!」
「ひっ!」

 お兄さまの見たことがない怖い顔に、わたしは身体がすくみます。
 お兄さまが怒ったときも、こんな顔は見たことがありません。

「もう一度確認するよ。ここは魔女の森なんだね?」
「そ、そうです」
「そうか・・・」

 お兄さまは何やら考え込みます。
 顔は怖いままです。
 お兄さまと二人きりだというのに、わたしは話しかけることができません。
 わたしが何もできずに固まっていると、お兄さまの方から話しかけてきました。

「グレーテル、ぼくの拳銃は持ってきている?」

 銃というと、お兄さまが誕生日にプレゼントされた拳銃のおもちゃのことでしょうか。
 それなら一緒に持ってきています。
 お兄さまが大切にしているのは知っていたからです。

「それなら、荷物に入っています」

 わたしが答えると、お兄さまが荷物の中を探します。
 そして、すぐに目的のものを見つけます。

「よかった、弾も持ってきてくれたんだね」

 わたしを褒める言葉。
 だけど、ちっとも嬉しくありません。
 今のお兄さまからは、何を言われても責められているようにしか、聞こえません。
 わたしが泣きそうになっていると、それに気付いたのか、お兄さまが少しだけ声を和らげて話しかけてきます。

「あのね、グレーテル。この森には・・・っ!」
「きゃっ!」

 突然の揺れ。
 そして流れていた景色が止まります。
 急に馬が止まったのです。
 どうしたのだろうと、馬の様子を見ると、視線が一点を見つめていました。
 その視線を辿ると、前方に数人の人影が見えました。

「木こりさん?」
「走って!」

 お兄さまが叫びます。
 そして、それに応えるように、馬が方向を変えて走り出します。
 これまでのような揺れのない歩きではありません。
 激しく揺れながら、ひたすら速く走り出しました。
 わたしとお兄さまは、しがみつくので精一杯です。

「追いつかれる!」

 お兄さまの言葉が耳に入ってきます。
 後ろを見ると、人影が走ってついてきていました。
 馬と同じ速さで、いえ、それよりも速く走っています。
 あんなに速く走る人を、わたしは知りません。

「グレーテル、目を閉じていて!」

 反射的に言われた通りにします。
 直後、大きな音が連続して鼓膜を震わせます。
 そして、ゆっくりと揺れがおさまります。
 馬が走るのをやめたようです。
 わたしは、そっと目を開けます。

「お兄さま?」

 お兄さまは緊張した顔で、後ろを見ていました。
 わたしも同じ方向を見ます。
 すると、先ほど追いかけてきていた人影が倒れていました。
 わたしが目を閉じている間に何があったのでしょう。
 疑問に思っていると、微かに焦げ臭い匂いがしました。
 その匂いを辿ると、お兄さまの手元から漂ってきていました。
 正確には、拳銃のおもちゃからです。

「これで倒れてくれたらいいんだけど・・・」

 お兄さまが呟きます
 それにつられるように、わたしは再び後ろを見ます。
 すると、人影のうちの何人かが起き上がろうとしているところでした。

「ダメか!」

 お兄さまが拳銃の引き金を引きます。
 すると、同時に大きな音が響きました。
 先ほどの音と同じです。
 そして、後ろから何かが倒れる音が聞こえてきました。
 見ると、人影が倒れています。

「時間稼ぎにはなってる!今のうちに逃げて!」

 お兄さまの言葉と同時に、馬が勢いよく走り出します。
 わたしは振り落とされないように、慌ててしがみつきます。

「グレーテル、しっかりつかまっていて!」

 お兄さまが、強く抱きしめてくれます。
 普段なら喜ぶところですが、今はそんな気持ちにはなれませんでした。
 胸はドキドキしているのに、心に満ちるのは幸せな気持ちではなく、不安な気持ちだけでした。
しおりを挟む

処理中です...