いとしのきーちゃん

みなはらつかさ

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いとしのきーちゃん

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 ぼくには物心のつく前から、ずっと好きだった人がいる。その人は彼かも知れないし、彼女かも知れない。そしてさらに言えば、人間ですらない。でも、ここはとりあえず人であり彼女、当時からの愛称で「きーちゃん」としておこう。

 きーちゃんと出会ったのは保育園。卒園する時、ぼくは彼女とはなれるのがいやでいやで、それはもう大いに泣き叫んだものだ。園長先生たちは困ってしまって、「ここに来ればいつでも会えるから」といって、ぼくを何とか納得させた。

 こういうとき大人は平気でうそをつくものだけれど、先生たちは本当にいい人で、ぼくとの約束をずっと守り続けてくれた。ぼくは暇さえあれば保育園で待っているきーちゃんに会いに行く変わり者だった。

 小・中学のころはしょっちゅう会いに行けていたけれど、やがて遠くの高校に進むと同時に家族で引っ越し、彼女に会いに行くのが難しくなってしまった。それでも恋心は冷めやらず、週に一回、彼女のようすをたずねる手紙を送り続けた。そして、返信で彼女の無事を知ると、それはもう、なんともいえない安どをしたものだ。

 大学へ進むと高校時代よりは時間の余裕が生まれたけれど、距離はより遠くなり、やはりレポート提出や就活の時期にはどうしても手紙を出し続けるのが高校時代以上にむずかしくなってきた。そんな中でも、月に1回は手紙を書くのを欠かさなかった。

 小さな会社に就職し、最近独立して子供のころからの夢だった小さな和菓子屋を始めたものの、本当に時間を作るのがむずかしくなって、出す手紙も三月にいっぺん、半年にいっぺん、一年にいっぺんと年を追うごとに減っていったけれど、必ずきーちゃんのことが書かれた返事がきたものだ。

 ぼくが35になった夏、経営に早くも行きづまりを感じていたころ、保育園からの返信が来なくなった。不審に思って何通か立て続けに送ってみたけれどなしのつぶて。

 これにはさすがにいても立ってもいられなくなり、急きょ休業して新幹線に飛び乗り、懐かしの故郷へと帰ってきた。20年たっても変わらないところと、変わったところがあるのが感慨深い。

 さすがに20年も経っていると道を忘れているもので、スマホに映る地図を頼りに夕方に目的地にたどり着くと、思い出と変わらない姿のままの保育園で、子どもが数人まばらに庭で遊んでいた。保育園は無事みたいだけど、きーちゃんはどうなったのだろう?

「すみません。お手紙を送っていたKです。先生方はいらっしゃいますか?」

 園内に呼びかけると、ご年配の女性が奥から出てきた。ああ、このお顔を忘れるはずがない。M先生だ。当時の園長先生は引退されていて、娘さんであるM先生があとを継いだと話に聞いている。あれから20年。すっかりお年を召しているが、向こうもぼくのことがわかったようで、優しげに声を返してきた。

「あらまあ、Kくんこんなに立派になって……」

「お久しぶりです、M先生。手紙のお返事がなかったもので、心配になって来てしまいました」

 我ながら大げさだっただろうかと思い、頭をかく。

「ごめんなさいね心配かけてしまって。ここね、今月いっぱいで廃園するの」

「廃園!?」

 思わずうら返った声をあげてしまう。

「ほら、いま少子化でしょう? ここを続けていくのが難しくなって。それでKくん……あらごめんなさいね、もうKさんよね。Kさんへのお返事が送り送りになってしまって」

 どんな言葉を返したらいいかわからなかった。廃園前にここへ来れたのはきーちゃんの導きなのだろうか。本当はきーちゃんのことを聞きたかったけれど、園の一大事にきわめて個人的な話を切り出すのも気が引けて言い出せずにいた。

「つもる話もあるでしょう? もうすぐあずかり時間が終わるし、よかったら職員室で待っていてもらえる?」

 たしかここは夜6時で終わりだったっけ。あと30分ほどか。

「お言葉に甘えさせていただきます。お土産に、うちで作っているおまんじゅうを持ってきました。みなさんで召し上がってください」

 職員室に通され、出されたむぎ茶をちびちびすすりながら時間をつぶす。そういえば、保育園の職員室って入ったことなかったな。なんだかいろいろともの珍しい。庭に目をやると、男の子と女の子がおままごとをしているのが目に映った。懐かしい感じに、なんだか30年前にタイムスリップしたような感覚になる。

 子どもたちの遊びをぼーっと眺めていると、親御さんが子どもたちを迎えに来て、先生がご挨拶をする。懐かしいな、ぼくも母さんが迎えに来ると、帰り際にいつまでもきーちゃんやみんなに手を振って別れを惜しんでいたっけ。

 ほどなくして、みんな迎えが来たようだ。腕時計を見ると、18時を少し回ったか回らないかというところ。

「おまたせ」

 M先生のほかにもうひとり、30代前半と思しきエプロン姿の女性が職員室に入ってきた。

「はじめまして、Sです。5年前からこちらで保育士をしてます」

「どうもはじめまして、Kと申します。かつてこちらでお世話になっていました」

 立ち上がり、お辞儀と挨拶を交わす。

 その後は、つもる話に花が咲いた。過去の思い出話にはじまり、園長先生の現在のことや今後の身のふり方のこと。そして――。

「ほんとにMさんきーちゃん大好きだったものねえ。そうだ、きーちゃんね」

 M先生が切り出してくださった。やはり、廃園を前にしてぼくからは言い出しにくかったので、とてもありがたい。きーちゃんはどうなるのだろうか。

「今日来てもらったのも、何かのご縁だと思うの。もしよければ、Kさんに引き取ってもらおうかと思うのだけど……どうかしら」

 ぼくがきーちゃんを? それはむしろありがたい話だけれど、なんだかこっぱずかしいような申しわけないような、えも言われぬ心持ちになってしまう。

「はい。私がいただいてよろしいのでしたら、ぜひお願いします」

 とはいえ、やはりここは正直になろう。誰も損をしない話なのに遠りょしなくてもいいと思うのだ。当然、配送代はぼくが持たせてもらう。

「ありがとうKさん。きーちゃんも喜ぶわね」

 M先生が安堵の表情になる。こうして廃園に向けてひとつひとつの事がらを片付けてらっしゃるのだなあ。ぼくが資産家かなにかだったらここを続けさせてあげられるのかも知れないけど、悲しいかなぼくはただの小さな和菓子屋の店主にすぎない。

 都市部では待機児童が問題になっているのに、こうして地方ではひとつの保育園が消えていく。世の中ままならないものだ。

「Kさん、きーちゃんに会っていくでしょ?」

 さらに小一時間ほど話しこんで話も終わろうかというころ、M先生からご提案をいただく。もともとぼくはそのために来たようなもので、先ほどの申し出に続きありがたいことこの上ない。

「よろしいのですか? もうずいぶんと遅くなってしまいましたが」

 うれしい気持ちを抑えつつ、一応は遠りょする。

「いいのいいの。どうせあとは記録をつけるだけだから」

「では、ご厚意に甘えさせていただきます」

 あと片付けと戸締まりをするというSさんを残し、M先生に連れられ保育室に向かう。先生が電灯のスイッチを入れると、室内が光で満たされる。

「きーちゃん……!」

 12畳ほどの部屋の右奥すみに彼女はいた、木で作られた高さ1メートルぐらいのきりんの木像。それが、ぼくの愛しのきーちゃん。木像といっても木彫りとかではなく、横幅60センチぐらいの「h」字をした姿。横、正面、後ろの4方向から見た姿が描かれていて、大きな瞳とちょっと短足なのがチャームポイント。先代園長先生の力作だ。

 くつを脱いで室内に上がり、20年ぶりに彼女を抱きしめる。このやすらぎは、なんと表現したらよいのだろうか。ああ、きーちゃんよく無事だったね。でもところどころ退色したり塗料がはげてしまって、時間の流れを感じさせる。子どもというのはものの扱いが乱暴だから、本当にほとんど変わらない姿に安心する。

「ありがとうございました。きーちゃんも変わりないようで安心しました。そろそろおいとまします」

 名残惜しい気分だけれど、あまり長居するのも申しわけない。それに、数日内には我が家にきーちゃんがやってくる。

 去り際には互いにぺこぺことお辞儀をしながら別れを惜しんだ。駅前で遅い夕食を済ませて予約済みのビジネスホテルに着いたころには、すっかり夜更けになっていた。

 きーちゃんが家にやってくるという喜びと廃園の心配がごちゃまぜになってなかなか寝付けなかったが、それでも旅の疲れもあってかいつの間にか眠りに落ちていた。

 ◆ ◆ ◆

 旅から帰ってきた翌日の日曜夜9時。旅は心の疲れをいくばくか取りのぞいてくれたようで、久々に心に余裕のある夜を送っているが、同時にそわそわしっぱなしだ。なにしろ、うちにきーちゃんがやってくるのだから。

 わが家は店舗の二階をそのまま住まいにしている。間取りは2LDK。ひとり暮らしにはいささか広すぎる気もするけれど、店のバックヤードも入れるとこの大きさになってしまう、どうにも捨てられない本が多いのもあって、寝室でない方は書斎兼事務室にあてている。

 夕食のたまごサンドとカプチーノを片手に書斎のノートパソコンで帳簿をまとめていると、ふいにインタホンが鳴った。応対すると、宅配便の配達だという。これはもしかすると……!

 配達員から荷物を受け取る。……ああ、この大きさ! 形! 送り主! 間違いない、きーちゃんだ!

 子どものころクリスマスにもらったプレゼントを開けるような気持ちで包みを解いていく。

 きーちゃんが、おととい故郷で見たものと変わらない、愛らしい姿をあらわした。お嫁さんを家に迎え入れる気持ちって、こんな感じなのだろうか。

 きーちゃん! 昔のように遊ぼう!

 そう思ってきーちゃんを抱きしめたけど、ぼくはたいへん悲しい事実に気づいてしまった。

 子供のころ、ぼくはよくきーちゃんの背中に乗って遊んでいた。でも、今のぼくが乗ったらきっときーちゃんは壊れてしまう。

「ねえ、きーちゃん。ぼくはどうやってきみで遊んだらいいのかな」

 切ない気持ちのあまり、きーちゃんに問いかける。

『Kくん、わたしのまわりにお花をかいてあげて』

 夢? まぼろし? どこからともなく美しい声でぼくにささやく声が聞こえた。

 これはきーちゃんの声だ! そう感じ、カラーペンを取り出してつたないチューリップやひまわりといった花々を、きーちゃんの足元に書き足す。

 子どもの心に返って、夢ごこちできーちゃんとふれあった。

 ふいに、背中を雷のようなひらめきが走り抜けた。

(きーちゃんのおまんじゅうを作ってみたらどうだろう?)

 こういうキャラクターまんじゅうは、すでにいろいろある。ただ、それの一歩先をいって「物語」をそえてみたらどうかと思ったのだ。

 思いついたらすぐに行動に移すのがぼくの性分。さっそくきーちゃんや花、そしてさらに思いついたきーちゃんのことが大好きな青い小鳥のデザインを考えていく。この小鳥は、ある意味ぼくの分身だ。

 話のすじ書きは、とても愛にあふれたものにしよう。ぼくのきーちゃんへの思いをそのままあらわそう。

 やがて、八つ折り本用の絵本が書き上がった。気づけばもうスズメがさえずっている。一眠りしたら、金型の店に発注しよう。このおまけの絵本は、毎週内容を変えていこう。そんなことを考えながらぼくはベッドにもぐった。

 ◆ ◆ ◆

 きーちゃんまんじゅうは若い女性を中心にものすごいヒット商品になった。あれから15年。つぶれそうだったぼくの店は今では日本有数の店になっていた。そんな今でも、きーちゃんの物語は毎週ぼくが書き下ろしている。

 ご恩返しというわけでもないけれど、M先生たちに資金を出して、ふたたび保育園を続けていただけるようにもなった。

 きーちゃんは幸運を招く像としてものすごい値段で買いたいという人がいくらか現れたけど、ぼくは決して手放さなかった。だって、こんなにも愛してる人と別れたくないのだから。

 社長室でほほえむきーちゃんにはげまされながら、ぼくはあらたな物語を書きはじめた。
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