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第十九話 葵邸

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「よし、忘れ物ないね?」

 引っ越し業者が葵邸に向かったので、私たちも辻さんの車を待つすがら、最終チェック。

 うん、ピカピカだ!

 短い間だったけど、色んな思い出が詰まった家だったな。

 ……ほとんど飲み会と、夜の営みばっかりな気がするのは気のせいだね、うん。

 次はどんな人が住むのかな。きれいに使ってくれる人に住んでもらえるといいね!

 ハルちゃんとミドリさんから、お屋敷のことを色々聞きながら時間を潰していると、辻さんが来ました!

 では、新天地へ向かいましょう~!


 ◆ ◆ ◆


 降車して、改めてお屋敷の威容を見上げる。

 今日から、ここに住むのかー。キンチョーするなあ。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 エントランスに、ずらりと使用人のみなさんが並び、ご挨拶。

「もー、大袈裟だってー。ただいま。荷物だけ置いたら、お父様にご挨拶に行くね」

 ハルちゃん苦笑。

 男性の使用人さんが荷物を運ぼうとするのを、「それぐらい、自分でやるからいいよ」と彼女が断ると、目を白黒させておりました。

 ハルちゃん、すっかり庶民派になったのねー。

 私は逆に、ポーターしてもらうなんて初体験なんで、恐縮しながらもお願いしました。

 ミドリさんも、自力。いやん、これじゃ私だけ傲慢みたいじゃない。

 ともかくも、私の居室として、客間があてがわれました。

「ありがとうございました」

 荷物を運んでくれた使用人さんにお礼を述べると、さっそく、家具を開封。

 この広~い洋間に、ちゃぶ台は……。とりあえず、畳んで立てかけとこ。

 おふとんも、隅っこに置いて……。

 テレビは、後で配線を頼もう。

 食器とか掃除機は、とりあえずそのままで。

 服は、タンスにしまう。

 ふむ。我ながら、荷物少ないねー。あとは、タブレットぐらいだ。

 私も、吾文さんと奥さんに、ご挨拶しなきゃ。

 ええと、これベルを鳴らしてくださいって、辻さんが言ってたっけ。

 ちりんちりん。

 間もなく、ノックの音。ドアを開けると、辻さんとは違う執事さんが、うやうやしく立っていました。

「吾文さんと奥様に、ご挨拶に伺いたいのですけど……」

「かしこまりました。こちらへ」

 彼の先導で、邸内をてくてく進んでいく。

 そして、扉の前に着くと彼がノックし、「紅様をお連れしました」と、呼びかける。

 「入ってもらいなさい」と返事があり、執事さんが扉を開けると、病床に伏している吾文さんと奥様が、頭を下げる。吾文さんの場合、頭を上げる、だけど。

「今日から、お世話になります。あれから、お加減はいかがでしょうか?」

 深々とお辞儀。

「良好……とはいえないが、以前よりは、右手の自由が効くようになってきた」

 と、ゆっくり右手を挙げる。

「紅さん、あの時は慌ただしくて、自己紹介できてませんでしたね。妻のうららです」

 麗さんが起立して、改めて礼をするので、こちらもお辞儀。

「もうすぐ、昼時だ。我が家の料理を愉しんでほしい。こま

 吾文さんが執事さんに呼びかけると、彼が「はい。それでは、失礼いたします。旦那様、奥様。紅様、こちらへ」

 と、再びてくてく。

「そういえば、ハルちゃ……ハルさんの姿が見えなかったですね」

「旦那様が、きちんと食事を取るようにとおっしゃいましたので。今、着替えられて、ダイニングで紅様をお待ちしていらっしゃるかと」

 ダイニングに着いたのだろう。狛さんが、扉を開ける。

 おお! 漫画に出てくるような長テーブル! けど……。

「ハルちゃ……さんがいませんね?」

「なにやら、厨房が騒がしいですね?」

 狛さんも首を傾げ、次なる扉を開けると、「いけません、お嬢様! 我々がお叱りを受けます!」という、悲鳴というか懇願が、耳に飛び込んできた。

 何の騒ぎかと中を覗くと、エプロン姿のハルちゃんが、包丁でなにやらお野菜を切っている。で、それを囲むように、コックさんたちがわちゃわちゃと。

「お嬢様、何をなさってらっしゃるのですか!?」

 狛さんも近づいて、困った声を上げる。

「あ、狛さん、おねーさん! わたし、何か料理しないと落ち着かないもので、一緒にお昼を作ろうかと」

「いえ、我々におまかせを! お嬢様!」

 いやはや、アクティブなお姫様だねえ。

「皆さん困ってるでしょう? 気持ちはわかるけど、今は皆さんの料理をいただきましょう?」

「んー……おねーさんが、そう言うなら……」

 不承不承といった感じで、包丁を置くハルちゃん、ホッとする皆さん。お騒がせしました。

 というわけで、テーブルに着席。

「ミドリさんは?」

「さっそくお仕事。今は、お掃除してるんじゃないかな。一緒に食べたかったのに」

 ちょっと、切なそう。私も、ご一緒したかったなあ。

「あとで、お父様にお願いしてみよう、うん」

 父娘おやこ仲はすっかり修復されたようで、甘えるようになったのね。ふふ。でも、あまり困らせちゃダメよ?

 ややあって、料理が運ばれてきました。

「ポロネギのクリームソースがけでございます」

 あれ? これだけ?

「おねーさん、まだ運ばれてきますから」

 ああ、いわゆるコース料理なのね。さすが葵家……。

 ぱくっ……やだ! めちゃ美味しい! さすがというか、なんというか……。ミドリさんも料理上手だけど、さすがプロねえ。

 こんな感じで、次々頃合いを見て運ばれてくる料理を、平らげてしまいました。

「ごちそうさまでした……。ハルちゃん、こんなすごいの毎日食べてたのね……って、嫌味っぽいかな、ごめん」

「いえ、気にしないでください。実際、贅沢だなって思ってますから。でも、シェフの皆さんには悪いけど、わたしは、ミドリさんの料理のほうが好きかな。それこそ、贅沢でしょうか?」

 ばつが悪そうにする彼女。

「ううん! 愛する人の手料理に勝るごちそうはないよ! 歯を磨いたら、お屋敷を案内してくれる? ミドリさんと出会うかも」

「そうですね! では、私も歯を磨くので、しばらくしたら迎えに行きますね」

 こうして、ハルちゃんに私の部屋まで案内してもらう。

 いやはや。私こそ、贅沢に溺れないように気をつけなきゃなー。

 客間の洗面所で歯を磨きながら、自戒するのでした。
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