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二章 学院生活・前半
70.蠢く気配
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時間は巡ってゆき、暑い夏の日も、夏休みも、あっという間に過ぎていった。
そうして熱気がすっかり引いて、空の色にも、風の匂いにも、どこか秋の気配が漂い始めたある日。
ゼスメリア魔法学院の三年生後半が始まり、私はいつもの仲間たちと森にいた。
学院の建物から少し東にある、「精霊樹の森」と呼ばれる森。森の前には、様々な授業で使う訓練場もある。
三年生になってからというものの、ちょくちょく使うようになってきた森である。
「・・・なあ、もうちょっと遊び混じりでもいいんじゃないか?真面目すぎると魔力もカタくなるって」
と、ぼやくのはライド。頭にかかった汗を指で拭いながら、雷を帯びた短杖をぶんと振ってみせる。
「試験前だぜ?さすがに遊び気分じゃやばいって」
マシュルが真顔で返す。水の精霊を帯びた球体を空に浮かべ、操作の練習中だ。
「・・・でも、気持ちはわかるな。緊張しすぎると、魔法も逆に暴れるよ」
シルフィンが笑って言う。赤い瞳が光を受けてきらめく。私と同じく、炎属性の彼女は私の最も信頼する友人の一人だ。
「・・・そっちのほう、さっきから変な感じがしない?」
と、シルフィンが小さく呟いた。
「変な感じ?」
「音が・・・いや、音じゃない。なんていうか、耳の奥で響くような・・・圧?」
私は眉をひそめ、視線を森の奥へと向けた。確かに、何か・・・空気が重い。
「マシュル、感知できる?」
「・・・ああ。ちょっと待ってな」
彼は足元に魔法陣を展開し、掌を地に添えると、水の波紋が土の上を滑るように広がった。
しばし沈黙の後──。
「・・・おかしい。あの先にある区域、封印されてるはずなのに・・・開いてる」
「開いてるって、それ・・・」
ライドの声が緊張に変わったその時、私の胸の奥がじわりと熱くなった。
あの感覚──以前夢で見た、“黒い影”の気配。
「・・・私たち、行ってみた方がいいかもしれない」
誰がともなく頷き、私たちは訓練場を抜け、精霊樹の森の奥へと進んでいった。
木々の影が次第に濃くなるにつれて、私たちの言葉は少なくなった。
ただ、風の音だけが耳を撫でるように通り過ぎる。
そして──
「あった。ここ・・・本来は封鎖されてる“結界区域”のはずだ」
マシュルが呟いた先にあったのは、淡く歪む結界の膜が破れ、内部が露わになった一角。
空間が、異様に冷たい。
「・・・何かが、いたんだ。最近まで」
シルフィンが、足元に落ちたローブの一部を拾い上げた。刺繍の文様は、学院の上級生のものだった──。
「・・・“ルナフェイズ”って名前、聞いたことある?」
私の問いに、三人が目を見合わせる。
「あ、知ってるかも。確か・・・何百年か前に、この学院の生徒だった女の子の名前だったはず」
「そうなの。その子が・・・ここに?」
「わからない。でも、あの“夢”と似た空気を、ここから感じるの。あの黒い影の底から──」
言い終わるより早く、空気が一変した。
ぐわ、と音がして、影のような何かが地面から立ち上がる。
「下がって!」
私が叫んだ直後、ライドの雷撃がその影に突き刺さった。
だが影は音もなく裂け、すぐに再び形を成していく。
「こいつ・・・ただの魔物じゃない! まるで・・・精神体?」
マシュルが震えた声を出す。私たちは自然と背中を合わせて構えを取った。
「いくよ、合わせるよ!」
私とシルフィンが同時に魔法を放つ。炎が大地を舐め、雷がそれを走った。
マシュルの水が凍てついた壁を張り、影の動きを封じる。
そして──
「もう十分だ」
その声とともに、空間の中心に闇が渦巻き、メジェラ先生が現れた。
「まったく。勝手に足を踏み入れるから・・・封印が破れたじゃないか」
黒檀のような魔力が空間を覆い、メジェラ先生が影を指先一つで粉砕する。
そのまま、私たちを見下ろして言った。
「ルナフェイズの名を知ったようだな。もし彼女について、詮索するつもりならば・・・覚悟しておけ」
それは、どうも私に向かって言っているようだった。
──空が、静かに暮れ始めていた。
夕空に赤みが差し、森の上空を染め始めた頃。影の精が粉砕された余波で、周囲の魔力は渦巻き、草木はざわつくように揺れていた。
私たちはしばし立ち尽くし、メジェラ先生の紫の服が風に揺れるのを見つめていた。
「・・・戻れ。ここはまだ、お前たちには早すぎる場所だ」
先生の声は静かだったが、どこか冷たさと警告を孕んでいた。
「でも、先生。ここにいたのは・・・“ルナフェイズ”って人の・・・魔力じゃないんですか?」
私の問いに、メジェラ先生はほんの一瞬、目を細めた。
「・・・彼女の名を、どこで知った」
「ここに落ちていたローブに、名前が・・・それと、夢で──」
「夢?」
先生の声色が変わった。まるで探るように、私を見つめる。
「お前、夢を通して“何か”を視ているのか?」
「・・・はい。前にも・・・闇の中に、誰かが立っていて。名前を呼ばれるような感覚があって・・・」
先生はゆっくりと目を閉じた。その瞬間、空気が変わったように思えた。
「“夢の底”に触れる者は、過去にもいた。ルナフェイズもまた、そうだった」
「じゃあ・・・彼女は、夢を通じて何かを見ていたんですか? 異世界とか・・・」
マシュルが口を挟むと、先生は微かに頷いた。
「ルナフェイズは、“門”を開こうとした。だが、それは世界の理に触れる愚行であり、同時に──選ばれた者にしかできぬことでもある」
「選ばれた・・・?」
シルフィンが呟く。先生の目が再び私を射抜いた。
「ベルナード。お前の中にも、素質がある。“夢と魂”に深く繋がる因果が・・・」
私の心臓が高鳴った。
理由はわからない。けれど、名前を呼ばれた瞬間、胸の奥が熱くなったのだ。
「今はまだいい。ただし・・・これから先、見ることと知ることを恐れるな。お前は──“扉”なのだからな」
メジェラ先生の言葉は、夜風のように冷たく、けれど確かに私の胸に残った。
「さあ、もう日が暮れる。戻れ。今夜は、夢に何かが現れるだろう」
そう言い残し、先生は闇の中へと溶けるように姿を消した。
学院に戻る道すがら、私たちはほとんど口を開かなかった。
ただ、誰もが感じていた──“ルナフェイズ”という名前が、私たちの未来に深く関わってくることを。
そして、この学院が秘める「何か」が、静かに目覚め始めていることを。
私は空を見上げる。
茜色の空が、まるで血のように滲んでいた。
そうして熱気がすっかり引いて、空の色にも、風の匂いにも、どこか秋の気配が漂い始めたある日。
ゼスメリア魔法学院の三年生後半が始まり、私はいつもの仲間たちと森にいた。
学院の建物から少し東にある、「精霊樹の森」と呼ばれる森。森の前には、様々な授業で使う訓練場もある。
三年生になってからというものの、ちょくちょく使うようになってきた森である。
「・・・なあ、もうちょっと遊び混じりでもいいんじゃないか?真面目すぎると魔力もカタくなるって」
と、ぼやくのはライド。頭にかかった汗を指で拭いながら、雷を帯びた短杖をぶんと振ってみせる。
「試験前だぜ?さすがに遊び気分じゃやばいって」
マシュルが真顔で返す。水の精霊を帯びた球体を空に浮かべ、操作の練習中だ。
「・・・でも、気持ちはわかるな。緊張しすぎると、魔法も逆に暴れるよ」
シルフィンが笑って言う。赤い瞳が光を受けてきらめく。私と同じく、炎属性の彼女は私の最も信頼する友人の一人だ。
「・・・そっちのほう、さっきから変な感じがしない?」
と、シルフィンが小さく呟いた。
「変な感じ?」
「音が・・・いや、音じゃない。なんていうか、耳の奥で響くような・・・圧?」
私は眉をひそめ、視線を森の奥へと向けた。確かに、何か・・・空気が重い。
「マシュル、感知できる?」
「・・・ああ。ちょっと待ってな」
彼は足元に魔法陣を展開し、掌を地に添えると、水の波紋が土の上を滑るように広がった。
しばし沈黙の後──。
「・・・おかしい。あの先にある区域、封印されてるはずなのに・・・開いてる」
「開いてるって、それ・・・」
ライドの声が緊張に変わったその時、私の胸の奥がじわりと熱くなった。
あの感覚──以前夢で見た、“黒い影”の気配。
「・・・私たち、行ってみた方がいいかもしれない」
誰がともなく頷き、私たちは訓練場を抜け、精霊樹の森の奥へと進んでいった。
木々の影が次第に濃くなるにつれて、私たちの言葉は少なくなった。
ただ、風の音だけが耳を撫でるように通り過ぎる。
そして──
「あった。ここ・・・本来は封鎖されてる“結界区域”のはずだ」
マシュルが呟いた先にあったのは、淡く歪む結界の膜が破れ、内部が露わになった一角。
空間が、異様に冷たい。
「・・・何かが、いたんだ。最近まで」
シルフィンが、足元に落ちたローブの一部を拾い上げた。刺繍の文様は、学院の上級生のものだった──。
「・・・“ルナフェイズ”って名前、聞いたことある?」
私の問いに、三人が目を見合わせる。
「あ、知ってるかも。確か・・・何百年か前に、この学院の生徒だった女の子の名前だったはず」
「そうなの。その子が・・・ここに?」
「わからない。でも、あの“夢”と似た空気を、ここから感じるの。あの黒い影の底から──」
言い終わるより早く、空気が一変した。
ぐわ、と音がして、影のような何かが地面から立ち上がる。
「下がって!」
私が叫んだ直後、ライドの雷撃がその影に突き刺さった。
だが影は音もなく裂け、すぐに再び形を成していく。
「こいつ・・・ただの魔物じゃない! まるで・・・精神体?」
マシュルが震えた声を出す。私たちは自然と背中を合わせて構えを取った。
「いくよ、合わせるよ!」
私とシルフィンが同時に魔法を放つ。炎が大地を舐め、雷がそれを走った。
マシュルの水が凍てついた壁を張り、影の動きを封じる。
そして──
「もう十分だ」
その声とともに、空間の中心に闇が渦巻き、メジェラ先生が現れた。
「まったく。勝手に足を踏み入れるから・・・封印が破れたじゃないか」
黒檀のような魔力が空間を覆い、メジェラ先生が影を指先一つで粉砕する。
そのまま、私たちを見下ろして言った。
「ルナフェイズの名を知ったようだな。もし彼女について、詮索するつもりならば・・・覚悟しておけ」
それは、どうも私に向かって言っているようだった。
──空が、静かに暮れ始めていた。
夕空に赤みが差し、森の上空を染め始めた頃。影の精が粉砕された余波で、周囲の魔力は渦巻き、草木はざわつくように揺れていた。
私たちはしばし立ち尽くし、メジェラ先生の紫の服が風に揺れるのを見つめていた。
「・・・戻れ。ここはまだ、お前たちには早すぎる場所だ」
先生の声は静かだったが、どこか冷たさと警告を孕んでいた。
「でも、先生。ここにいたのは・・・“ルナフェイズ”って人の・・・魔力じゃないんですか?」
私の問いに、メジェラ先生はほんの一瞬、目を細めた。
「・・・彼女の名を、どこで知った」
「ここに落ちていたローブに、名前が・・・それと、夢で──」
「夢?」
先生の声色が変わった。まるで探るように、私を見つめる。
「お前、夢を通して“何か”を視ているのか?」
「・・・はい。前にも・・・闇の中に、誰かが立っていて。名前を呼ばれるような感覚があって・・・」
先生はゆっくりと目を閉じた。その瞬間、空気が変わったように思えた。
「“夢の底”に触れる者は、過去にもいた。ルナフェイズもまた、そうだった」
「じゃあ・・・彼女は、夢を通じて何かを見ていたんですか? 異世界とか・・・」
マシュルが口を挟むと、先生は微かに頷いた。
「ルナフェイズは、“門”を開こうとした。だが、それは世界の理に触れる愚行であり、同時に──選ばれた者にしかできぬことでもある」
「選ばれた・・・?」
シルフィンが呟く。先生の目が再び私を射抜いた。
「ベルナード。お前の中にも、素質がある。“夢と魂”に深く繋がる因果が・・・」
私の心臓が高鳴った。
理由はわからない。けれど、名前を呼ばれた瞬間、胸の奥が熱くなったのだ。
「今はまだいい。ただし・・・これから先、見ることと知ることを恐れるな。お前は──“扉”なのだからな」
メジェラ先生の言葉は、夜風のように冷たく、けれど確かに私の胸に残った。
「さあ、もう日が暮れる。戻れ。今夜は、夢に何かが現れるだろう」
そう言い残し、先生は闇の中へと溶けるように姿を消した。
学院に戻る道すがら、私たちはほとんど口を開かなかった。
ただ、誰もが感じていた──“ルナフェイズ”という名前が、私たちの未来に深く関わってくることを。
そして、この学院が秘める「何か」が、静かに目覚め始めていることを。
私は空を見上げる。
茜色の空が、まるで血のように滲んでいた。
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