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第四部 吸血鬼の異種族
第65章 山脈を越えて
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冷たい風が、頬を切るように吹きつける。
目の前に広がるのは、果てしない白銀の世界。
フリューゼリアの城を離れて数日。僕は、ただ一人で「嘆きの山脈」を進んでいた。
ヴァレリアにもらった「氷の勲章」がなければ、とうに凍え死んでいたに違いない。
この山は恐ろしい。木々は不気味なまでに背が高く、雪は一日中止むことがなく、足跡はすぐに消える。
そして何より、昼間でも周囲は暗く、光の届かない場所ばかりだ。
けれど、さっきから確かに感じていた……この奥に、誰かの「視線」があることを。
呼ばれている。この先に、僕を待つ誰かがいる。
それは、唐突に訪れた。
「っ……!?」
背後から突風のような気配が迫ったかと思うと、僕の首に冷たい何かが巻きついた。
振り向く暇も、声を上げる暇もなかった。全身の力が抜けるような感覚とともに、僕の意識はふっと闇に沈んでいった──。
目を覚ましたとき、僕は古びた石造りの部屋の中にいた。
高い天井、色褪せた絨毯。壁には幾つもの燭台が灯っていて、それだけが部屋を照らしている。
僕は、豪奢な寝台の上に横たわっていた。
「……やっと目覚めたのね」
その声に、思わず身を起こした。
そこにいたのは、一人の女だった。
漆黒のドレスをまとい、艶めかしい肌に赤い瞳。長く艶やかな紫髪が、闇の中に妖しく輝く。
美しい……けれど、ぞっとするほど冷たい空気を纏っていた。
「あたしはラヴィナ、ヴァルラーナの現当主。……歓迎するわ、“男”よ」
「ラヴィナ……?」
「ええ。あんたのことは、前々から聞いてた。あんたは、我らの種族を繋ぐ最後の光。絶えることの定めにあった我らを救う、唯一の命」
彼女はすっと近づくと、指先で僕の頬をなぞった。
その指は氷のように冷たいのに、どこか甘く痺れるような感触がした。
「安心して。まだ“奪い”はしない。あんたのことは、じっくり味わいたいから……」
ラヴィナの唇が、わずかに笑みを浮かべた。
まるで、熟れた果実を前にした飢えた獣のように。
僕の心臓が高鳴る。けれど、恐怖とは少し違う。
それは……運命に飲まれていく感覚だった。
「君が、僕をさらったのか?」
「ええ、悪いとは思ってる。でも、あたしにはその権利があるの。あんたは、我らの最後の希望。逃がすわけにはいかなかった」
彼女はゆっくりと僕の前に歩み寄り、椅子に腰掛けた。
「1つ、説明が必要ね。あたしたちはみな、1人の吸血鬼を始祖に持つ一族なの。始祖は、かつて存在した”男”と契りを交わし、その子を産んだ吸血鬼……ヴァルラーナ」
ラヴィナの瞳が、わずかに赤く染まる。
「この塔には、あたしを含めて十二の姫がいる。全員がヴァルラーナの血を引いていて、彼女の名前を苗字に持つ、いわば”家族”。若さを保ち、生きるために血を求める、孤独な吸血鬼の一族……それが、あたしたちよ」
ラヴィナはそう言って、いかにもな吸血鬼の翼を広げた。
「もうずっと、我らの間に男は生まれていない。だから、あたしたちは渇いているのよ。心も、身体も、魂さえも……ね」
彼女はふっと笑った。けれどその微笑には、どこか諦めにも似た翳りが見えた。
「この塔にいる姫たちは、みな美しく、そして孤独なの……あたしの妹たち、紹介するわ。魔術を極めた娘、人の夢を覗く娘……いろいろいる。でも、そのどれもが、生を紡ぐ相手を持たぬまま、ゆっくりと衰えていく」
ラヴィナは立ち上がり、僕の目の前まで来ると、手を差し出した。
「……だから、あたしはあんたにこの塔を見てほしい。そして、あたしたちのことを知ってほしい。いずれは、選んでほしいの。誰と“契り”を結ぶのかを。もちろん、あたしでも構わないけれど……」
そう言って、ラヴィナはほんのわずか、頬を染めた。
こんなにも妖艶で、強い女が、こんな表情を見せるなんて……。
「さあ、行きましょう。……“儀式の夜”までは、まだ時間があるもの」
僕はその手を取った。
その瞬間、どこか遠くで鼓動が高鳴る音がした。心臓じゃない。――魂が、呼び覚まされたような感覚だった。
目の前に広がるのは、果てしない白銀の世界。
フリューゼリアの城を離れて数日。僕は、ただ一人で「嘆きの山脈」を進んでいた。
ヴァレリアにもらった「氷の勲章」がなければ、とうに凍え死んでいたに違いない。
この山は恐ろしい。木々は不気味なまでに背が高く、雪は一日中止むことがなく、足跡はすぐに消える。
そして何より、昼間でも周囲は暗く、光の届かない場所ばかりだ。
けれど、さっきから確かに感じていた……この奥に、誰かの「視線」があることを。
呼ばれている。この先に、僕を待つ誰かがいる。
それは、唐突に訪れた。
「っ……!?」
背後から突風のような気配が迫ったかと思うと、僕の首に冷たい何かが巻きついた。
振り向く暇も、声を上げる暇もなかった。全身の力が抜けるような感覚とともに、僕の意識はふっと闇に沈んでいった──。
目を覚ましたとき、僕は古びた石造りの部屋の中にいた。
高い天井、色褪せた絨毯。壁には幾つもの燭台が灯っていて、それだけが部屋を照らしている。
僕は、豪奢な寝台の上に横たわっていた。
「……やっと目覚めたのね」
その声に、思わず身を起こした。
そこにいたのは、一人の女だった。
漆黒のドレスをまとい、艶めかしい肌に赤い瞳。長く艶やかな紫髪が、闇の中に妖しく輝く。
美しい……けれど、ぞっとするほど冷たい空気を纏っていた。
「あたしはラヴィナ、ヴァルラーナの現当主。……歓迎するわ、“男”よ」
「ラヴィナ……?」
「ええ。あんたのことは、前々から聞いてた。あんたは、我らの種族を繋ぐ最後の光。絶えることの定めにあった我らを救う、唯一の命」
彼女はすっと近づくと、指先で僕の頬をなぞった。
その指は氷のように冷たいのに、どこか甘く痺れるような感触がした。
「安心して。まだ“奪い”はしない。あんたのことは、じっくり味わいたいから……」
ラヴィナの唇が、わずかに笑みを浮かべた。
まるで、熟れた果実を前にした飢えた獣のように。
僕の心臓が高鳴る。けれど、恐怖とは少し違う。
それは……運命に飲まれていく感覚だった。
「君が、僕をさらったのか?」
「ええ、悪いとは思ってる。でも、あたしにはその権利があるの。あんたは、我らの最後の希望。逃がすわけにはいかなかった」
彼女はゆっくりと僕の前に歩み寄り、椅子に腰掛けた。
「1つ、説明が必要ね。あたしたちはみな、1人の吸血鬼を始祖に持つ一族なの。始祖は、かつて存在した”男”と契りを交わし、その子を産んだ吸血鬼……ヴァルラーナ」
ラヴィナの瞳が、わずかに赤く染まる。
「この塔には、あたしを含めて十二の姫がいる。全員がヴァルラーナの血を引いていて、彼女の名前を苗字に持つ、いわば”家族”。若さを保ち、生きるために血を求める、孤独な吸血鬼の一族……それが、あたしたちよ」
ラヴィナはそう言って、いかにもな吸血鬼の翼を広げた。
「もうずっと、我らの間に男は生まれていない。だから、あたしたちは渇いているのよ。心も、身体も、魂さえも……ね」
彼女はふっと笑った。けれどその微笑には、どこか諦めにも似た翳りが見えた。
「この塔にいる姫たちは、みな美しく、そして孤独なの……あたしの妹たち、紹介するわ。魔術を極めた娘、人の夢を覗く娘……いろいろいる。でも、そのどれもが、生を紡ぐ相手を持たぬまま、ゆっくりと衰えていく」
ラヴィナは立ち上がり、僕の目の前まで来ると、手を差し出した。
「……だから、あたしはあんたにこの塔を見てほしい。そして、あたしたちのことを知ってほしい。いずれは、選んでほしいの。誰と“契り”を結ぶのかを。もちろん、あたしでも構わないけれど……」
そう言って、ラヴィナはほんのわずか、頬を染めた。
こんなにも妖艶で、強い女が、こんな表情を見せるなんて……。
「さあ、行きましょう。……“儀式の夜”までは、まだ時間があるもの」
僕はその手を取った。
その瞬間、どこか遠くで鼓動が高鳴る音がした。心臓じゃない。――魂が、呼び覚まされたような感覚だった。
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