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今日これからどうするか、考えていなかった。
潤也とは、完全に終わった。もう戻れないし、美結からは連絡したくない。
せっかく部屋を取ったのだし、ひとりでホテルライフを楽しもうかとも思ったけれど、そんなことをするのも味気ない。友達を呼んで騒ぐことも考えたけれど、独身時代の友達とは、美結が結婚して以来疎遠になっているし、最近まで派遣で働いていた会社に友達はいなかった。仕事を始めてからしばらくの間は、家事を完璧にこなすために、毎日早く帰っていて、同僚とのつき合いはなかったし、潤也と不倫の関係になってからは、身辺を探られないように距離を置いていた。
Femme Fataleは完全予約制なので、一晩ぽっかり予定が空いてしまっても、お客で埋めることはできない。でも、連絡先を交換したお客は何人かいて、専属の奴隷にならないかなどと言われている。美結はスマホのチャットアプリを開いた。気難しかったり、厳しい感じのお客は除外して、なるべくSでも優しい雰囲気の人がいいと思い、セイジにメッセージを送った。セイジはFemme Fataleの広告を請け負っている会社の経営者で、店のことをよく知っている。すらりと背が高く、ものの良さそうなスーツをおしゃれに着崩している遊び慣れた雰囲気の人で、歳は四十そこそこに見える。セイジは美結の最初のお客だった。
――こんばんは、美紅です。セイジさん、今夜はどうしてますか?
美紅というのが、美結の源氏名だ。いきなり会いたいというのもどうかと思い、まずは様子をうかがってみる。
――やあ美紅ちゃん。まだ仕事してるよ。
セイジは忙しいのだろう。当てが外れてしまったようだ。
――お仕事の邪魔をしてしまってすみません。
――いや、仕事を切り上げるのには口実が必要だから、ちょうどよかった。これから会える?
美結が水を向けるより先に、誘われてほっとした。
ホテルに泊まっていることは、いかにも誰かにドタキャンされたっぽいので言わず、最寄り駅の駅名だけを告げ、近くまで来たら連絡をもらうことにした。
――今日は、お道具は持ってないんですけど、いいですか?
――了解。適当に見繕っとく。
Femme Fataleの会員になるための審査は厳しく、会費も安くはなかった。そのためか、店を通さずに客と会うことも半ば黙認されていた。時間通りにきっちり予約通りのプレイをしなくても、また、催促しなくても相応の対価は支払われるのが常だった。サービスに含まれていないペニスの挿入を伴うセックスを望む客も多いけれど、そのためのチップを渋るお客はひとりもいなかった。
今夜の予定が決まると、美結はほっとしてため息をついた。とにかく、最悪の夜をひとりで過ごすことは免れた。
冷蔵庫からシャンパンのハーフボトルを取り出し、音を立てないように栓を抜いた。フルートグラスはなかったので、ワイングラスに注ぎ、口に含んで味わう。ついさっきレストランで台無しにしたシャンパンよりは格下のものだったけれど、味は悪くなかった。ワインの格や料理との相性は、独身のころから少しづつ習い覚えた。美しく上品に見えるメイクや服のコーディネートや、好感を持たれる会話術や、見ておくべき映画や読んでおくべき本などと同じように、身につけておくべき漠然とした教養のひとつで、つねによりよい自分になるために努力を欠かさないことが、美結の信条だった。
メールの着信音が鳴ったので、枕元においたスマホを手に取った。
――日曜日に取引先を家に招いたから、準備をよろしく。七人来る。材料費と飲み物代を振り込んでおいた。今日は忙しいから帰れない。
夫の秀一からのメッセージだった。
やはり、美結がどこで何をしているかには、まったく興味を持っていないようだった。
派遣の仕事を辞めてから、手を抜きがちだった家事も再び完璧にできるようになったので、タワーマンションの高層階に位置する家の中はそれなりに片付いているし、メニューを考えて買い出しに行く時間的な余裕もある。
美結はシャンパンのグラスを一気に空け、わかりました、と短い返信をした。早くセイジにいじめられたいと思い、もう一度鏡に映った自分の姿を見つめた。
潤也とは、完全に終わった。もう戻れないし、美結からは連絡したくない。
せっかく部屋を取ったのだし、ひとりでホテルライフを楽しもうかとも思ったけれど、そんなことをするのも味気ない。友達を呼んで騒ぐことも考えたけれど、独身時代の友達とは、美結が結婚して以来疎遠になっているし、最近まで派遣で働いていた会社に友達はいなかった。仕事を始めてからしばらくの間は、家事を完璧にこなすために、毎日早く帰っていて、同僚とのつき合いはなかったし、潤也と不倫の関係になってからは、身辺を探られないように距離を置いていた。
Femme Fataleは完全予約制なので、一晩ぽっかり予定が空いてしまっても、お客で埋めることはできない。でも、連絡先を交換したお客は何人かいて、専属の奴隷にならないかなどと言われている。美結はスマホのチャットアプリを開いた。気難しかったり、厳しい感じのお客は除外して、なるべくSでも優しい雰囲気の人がいいと思い、セイジにメッセージを送った。セイジはFemme Fataleの広告を請け負っている会社の経営者で、店のことをよく知っている。すらりと背が高く、ものの良さそうなスーツをおしゃれに着崩している遊び慣れた雰囲気の人で、歳は四十そこそこに見える。セイジは美結の最初のお客だった。
――こんばんは、美紅です。セイジさん、今夜はどうしてますか?
美紅というのが、美結の源氏名だ。いきなり会いたいというのもどうかと思い、まずは様子をうかがってみる。
――やあ美紅ちゃん。まだ仕事してるよ。
セイジは忙しいのだろう。当てが外れてしまったようだ。
――お仕事の邪魔をしてしまってすみません。
――いや、仕事を切り上げるのには口実が必要だから、ちょうどよかった。これから会える?
美結が水を向けるより先に、誘われてほっとした。
ホテルに泊まっていることは、いかにも誰かにドタキャンされたっぽいので言わず、最寄り駅の駅名だけを告げ、近くまで来たら連絡をもらうことにした。
――今日は、お道具は持ってないんですけど、いいですか?
――了解。適当に見繕っとく。
Femme Fataleの会員になるための審査は厳しく、会費も安くはなかった。そのためか、店を通さずに客と会うことも半ば黙認されていた。時間通りにきっちり予約通りのプレイをしなくても、また、催促しなくても相応の対価は支払われるのが常だった。サービスに含まれていないペニスの挿入を伴うセックスを望む客も多いけれど、そのためのチップを渋るお客はひとりもいなかった。
今夜の予定が決まると、美結はほっとしてため息をついた。とにかく、最悪の夜をひとりで過ごすことは免れた。
冷蔵庫からシャンパンのハーフボトルを取り出し、音を立てないように栓を抜いた。フルートグラスはなかったので、ワイングラスに注ぎ、口に含んで味わう。ついさっきレストランで台無しにしたシャンパンよりは格下のものだったけれど、味は悪くなかった。ワインの格や料理との相性は、独身のころから少しづつ習い覚えた。美しく上品に見えるメイクや服のコーディネートや、好感を持たれる会話術や、見ておくべき映画や読んでおくべき本などと同じように、身につけておくべき漠然とした教養のひとつで、つねによりよい自分になるために努力を欠かさないことが、美結の信条だった。
メールの着信音が鳴ったので、枕元においたスマホを手に取った。
――日曜日に取引先を家に招いたから、準備をよろしく。七人来る。材料費と飲み物代を振り込んでおいた。今日は忙しいから帰れない。
夫の秀一からのメッセージだった。
やはり、美結がどこで何をしているかには、まったく興味を持っていないようだった。
派遣の仕事を辞めてから、手を抜きがちだった家事も再び完璧にできるようになったので、タワーマンションの高層階に位置する家の中はそれなりに片付いているし、メニューを考えて買い出しに行く時間的な余裕もある。
美結はシャンパンのグラスを一気に空け、わかりました、と短い返信をした。早くセイジにいじめられたいと思い、もう一度鏡に映った自分の姿を見つめた。
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