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蛍の光~死んでしまった僕たちへ~
〈4〉...「神さまは、何してんねやろな」
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そうこうしてる間に、目当ての場所へ、角を曲がればすぐになってしまった。俺はどう言っていいかわからない。止めるべきかもしれない。けれども、上手い文句が浮かばなかった。
俺は、どうとでもなれ、と投げやりに視線をそらした。
「……ない」
ケイの呟きは、吹いた風に流れた。なのに、裂くように俺の鼓膜を揺らした。
ケイは走り、そこのあった場所へ膝をついた。
「売地」の看板がぶっ刺さったままの、更地。そこが、ケイの十五年過ごしたアパートの現在だった。
当たり前だけど、花も何も添えられていない。ケイの父も、妹も、ここで死んだ。葬式の金も、墓の金もあるわけなかったから、無縁仏だ。どこに埋められてるか、ケイは知らないし、そもそも無縁仏ってものをケイは知らない。
だから、ケイにとっての妹の墓はここだった。
「セツ」
ケイは、硬い地面にまとう砂をかいた。そうすれば、妹がでてくるかのように。そんなことはありはしない。
花くらい、添えといてやればよかった。ケイの背中に、俺は思った。帰ってきたことがわかっていたなら――そう思った時点で、俺は苦り走った気持ちになる。どうあがいても偽善と保身だった。
こいつの背を擦ることも、まして肩を抱くことも俺にはもうできない。昔なら、簡単に、簡単に――こいつと同じに泣いてやれたのに。
口が渇く。「もう帰ろう」とも言えない。ケイの背が震えるのを、俺は遠く見つめていた。
帰りの電車は、無言だった。行きから当たり前に俺が金を払っているが、それについてはもう何の不満も持てずにいた。金が足りなくても、俺には頼みにする親がいる。
ケイはじっと、向かいの線路を見つめていた。酔うで、と止めてやりたかったが、何か見ていないと耐えられないのだろう。俺は車窓の広告シールを見ていた。数字を数えて、ふと無性にかけてやりたい気持ちになる。俺もやけになっていた。
もう俺には失望したろうし、ケイは留まるまい。だからこそ、この電車賃や時間も、どうでもいいと思えるのかもしれない。
ケイは帰るのだ。
そこまで考えて――ぴたりと思考を止めた。どこへ帰るというのだ。ケイの家は、今日更地になっていたではないか。俺は、胸の奥が焼け付くように重くなった。
だからって、俺のところにいろとは言えない。俺は、ケイをもう背負えないのだから。
それでも行く先はやはり俺のアパートしかない。ケイは、入るなり、床に倒れ込んだ。
「ケイ」
「ごめん、ちょっとしんどて」
ケイは肩ごしに、難儀そうに振り返ると苦笑した。無理やり笑ったのがはっきりわかって、俺は思わず、本当に思わず、ひざまずいてケイの背にふれた。
「無理すんなや」
「うん」
「家のことは……ごめん。言おうと思ってんけど」
「うん、わかっとる。言えるわけないわ」
ケイは顔を覆うと、ははと笑いを漏らした。
「神も仏もあったもんちゃう」
「ケイ」
「この世にセツは、いらんのや」
俺は何も言えなかった。ケイの言う“この世”には、俺も入っている。俺は擦っていた手を引っ込めようとした。ケイは振り返り、その手を取る。溺れるものがしがみつくように強い力だった。
「ほうちゃんだけや。おれとセツを見てくれたんは……」
手のひらに、濡れた感触が伝わる。涙だ。何度も手の中で流れた。
「ごめんな、ほうちゃん。もう少し傍におって」
「ケイ」
「そしたら、おれ、消えるで。もうどっか遠くへ行くで……」
ケイの嗚咽が部屋に響いていた。
ケイの言葉は、剃刀みたいに俺の心をずたずたにした。ケイはずっと、俺の気持ちに気づいてた。吐きそうだった。何も言えない。言ったら、俺の喉から血が吹き出すだろう。
ごめん。
ごめん。
ごめん。
俺はケイを抱きしめた。ケイの手が、俺の背に回される。そのまま、床に倒れ込んだ。半身に重みに潰れる。それでも俺の腕は痛いほど、ケイの体を締め付けた。ケイは泣いていたので
苦しそうに息をつく。俺の目からも、涙が溢れていた。みっともない。
これ以上動けなかった。
◇
一度だけ、ケイに“触れた”ことがある。
「神さまは、何してんねやろな」
ケイは悲しげに笑った。妹を庇って、死ぬほど殴られて、小さい裂け傷だらけの顔で、自嘲した。泣きつかれた妹を膝に抱えて、疲れ切った笑顔だった。
消毒していた手を止めて、俺はケイの口元に触れた。ケイのそこは、ひどく震えていたから。
俺はケイの悔しさと悲しさが痛くて、もどかしかった。
「神さまなんて見えへんもん信じんなや。俺がおるやんけ」
「ほうちゃん」
「俺がおるさかい。いつでも、お前らには、俺がおるで。せやさけ平気やろ」
俺はケイを――ケイとセツを――救えると信じ込んでいた。だから無遠慮に、ケイの心に上がり込んで、それをくれと叫ぶことが出来た、
泣き出したケイの唇に、躊躇いなく自分の唇をつけた。色気もなんもあったもんじゃないキス。ケイは抵抗しなかった。ねだるように、力を抜いて目を閉じた。
それだけだった。最初で最後の触れ合い。
ケイが、父を殺すひとつきまえのことだった。
俺は、どうとでもなれ、と投げやりに視線をそらした。
「……ない」
ケイの呟きは、吹いた風に流れた。なのに、裂くように俺の鼓膜を揺らした。
ケイは走り、そこのあった場所へ膝をついた。
「売地」の看板がぶっ刺さったままの、更地。そこが、ケイの十五年過ごしたアパートの現在だった。
当たり前だけど、花も何も添えられていない。ケイの父も、妹も、ここで死んだ。葬式の金も、墓の金もあるわけなかったから、無縁仏だ。どこに埋められてるか、ケイは知らないし、そもそも無縁仏ってものをケイは知らない。
だから、ケイにとっての妹の墓はここだった。
「セツ」
ケイは、硬い地面にまとう砂をかいた。そうすれば、妹がでてくるかのように。そんなことはありはしない。
花くらい、添えといてやればよかった。ケイの背中に、俺は思った。帰ってきたことがわかっていたなら――そう思った時点で、俺は苦り走った気持ちになる。どうあがいても偽善と保身だった。
こいつの背を擦ることも、まして肩を抱くことも俺にはもうできない。昔なら、簡単に、簡単に――こいつと同じに泣いてやれたのに。
口が渇く。「もう帰ろう」とも言えない。ケイの背が震えるのを、俺は遠く見つめていた。
帰りの電車は、無言だった。行きから当たり前に俺が金を払っているが、それについてはもう何の不満も持てずにいた。金が足りなくても、俺には頼みにする親がいる。
ケイはじっと、向かいの線路を見つめていた。酔うで、と止めてやりたかったが、何か見ていないと耐えられないのだろう。俺は車窓の広告シールを見ていた。数字を数えて、ふと無性にかけてやりたい気持ちになる。俺もやけになっていた。
もう俺には失望したろうし、ケイは留まるまい。だからこそ、この電車賃や時間も、どうでもいいと思えるのかもしれない。
ケイは帰るのだ。
そこまで考えて――ぴたりと思考を止めた。どこへ帰るというのだ。ケイの家は、今日更地になっていたではないか。俺は、胸の奥が焼け付くように重くなった。
だからって、俺のところにいろとは言えない。俺は、ケイをもう背負えないのだから。
それでも行く先はやはり俺のアパートしかない。ケイは、入るなり、床に倒れ込んだ。
「ケイ」
「ごめん、ちょっとしんどて」
ケイは肩ごしに、難儀そうに振り返ると苦笑した。無理やり笑ったのがはっきりわかって、俺は思わず、本当に思わず、ひざまずいてケイの背にふれた。
「無理すんなや」
「うん」
「家のことは……ごめん。言おうと思ってんけど」
「うん、わかっとる。言えるわけないわ」
ケイは顔を覆うと、ははと笑いを漏らした。
「神も仏もあったもんちゃう」
「ケイ」
「この世にセツは、いらんのや」
俺は何も言えなかった。ケイの言う“この世”には、俺も入っている。俺は擦っていた手を引っ込めようとした。ケイは振り返り、その手を取る。溺れるものがしがみつくように強い力だった。
「ほうちゃんだけや。おれとセツを見てくれたんは……」
手のひらに、濡れた感触が伝わる。涙だ。何度も手の中で流れた。
「ごめんな、ほうちゃん。もう少し傍におって」
「ケイ」
「そしたら、おれ、消えるで。もうどっか遠くへ行くで……」
ケイの嗚咽が部屋に響いていた。
ケイの言葉は、剃刀みたいに俺の心をずたずたにした。ケイはずっと、俺の気持ちに気づいてた。吐きそうだった。何も言えない。言ったら、俺の喉から血が吹き出すだろう。
ごめん。
ごめん。
ごめん。
俺はケイを抱きしめた。ケイの手が、俺の背に回される。そのまま、床に倒れ込んだ。半身に重みに潰れる。それでも俺の腕は痛いほど、ケイの体を締め付けた。ケイは泣いていたので
苦しそうに息をつく。俺の目からも、涙が溢れていた。みっともない。
これ以上動けなかった。
◇
一度だけ、ケイに“触れた”ことがある。
「神さまは、何してんねやろな」
ケイは悲しげに笑った。妹を庇って、死ぬほど殴られて、小さい裂け傷だらけの顔で、自嘲した。泣きつかれた妹を膝に抱えて、疲れ切った笑顔だった。
消毒していた手を止めて、俺はケイの口元に触れた。ケイのそこは、ひどく震えていたから。
俺はケイの悔しさと悲しさが痛くて、もどかしかった。
「神さまなんて見えへんもん信じんなや。俺がおるやんけ」
「ほうちゃん」
「俺がおるさかい。いつでも、お前らには、俺がおるで。せやさけ平気やろ」
俺はケイを――ケイとセツを――救えると信じ込んでいた。だから無遠慮に、ケイの心に上がり込んで、それをくれと叫ぶことが出来た、
泣き出したケイの唇に、躊躇いなく自分の唇をつけた。色気もなんもあったもんじゃないキス。ケイは抵抗しなかった。ねだるように、力を抜いて目を閉じた。
それだけだった。最初で最後の触れ合い。
ケイが、父を殺すひとつきまえのことだった。
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