透明な枷をつけたまま

白崎ぼたん

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二話 紅い稲妻

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 貞樹の体を抱き、蓉は息をついた。牙がどうしようもなく、疼いていた。捕食者としての本能が、皮膚を食い破ろうとしていた。深く息を吸い、それをなだめる。

「ごめんね」

 蓉は幻炎げんえんを貞樹の額に灯す。貞樹の体を包んで、ちらちらと光った。
 貞樹の中に宿っていた想が、しずかに溶けて、蓉の中に入っていく。それを静かに飲み込むと、蓉の目が、薄紅に染まった。
 かたちのいい唇を、確かめるように赤い舌が辿った。

「ありがとう、貞樹」

 短い間だったけど、愛をありがとう。美味しかった。
 ぎゅっと抱きしめると、その身を離した。明るいところまで連れて行ってやると、貞樹はすぐに身動ぎした。

「う……」

 目を覚ました貞樹の目が、いったい何故、こんなところにいるのだろう。こんな、家とも逆方向なところで――そんな顔で、起き上がり、家路を行く。
 その姿を見届け、蓉は姿を消す。

 ここにはずいぶん長くとどまった。早く場所を変えねばならない。夜闇の影をうつり、蓉は走る。補給のため、などと口実だ。どんどん、自分は人に混じり、人恋しくなっているようだ。
 人など、少し前までは捕食の対象でしかなかったのに、朱に染まれば赤くなるとは、このことか。

 今の私の生き方は、よほど一族から疎まれ憎まれることだろう。人に擬態し、捕食もせずにふらふらと情を食って生きているのだから。
 誇り高い鬼たちには、耐えられまい。まして、あの方の慈悲を吸ったものである私がするなど……。

 だからこそ、この生き方を選んでいる。こうして汚れれば、より兄様からは離れるだろう。追手の予想も裏切るであろうから。

 納得している。けれども、ぞっとするように憂鬱な気持ちになった。それは振り払おうとしても、影のように追ってくる。
 二度と、兄様のもとへは帰らない。そう決めて、このような生き方を選んだというのに。
 このように身を落としては、二度と帰れぬ。そのことに、傷つく自分がいる。

「彰兄様」

 お許しください。
 何度、そう心に唱えそうになり、諌めたことか。
 もう、自分は自由なのだ。あの方の許しなどいらない。
 夜闇に、身を隠しながら、蓉は走る。

 何度、こうして駆けるだろう。逃げ切るまで。
 ふと、そんな自分を笑う自分がいた。
 もうとっくに逃げ切ったのではないか。兄様は、こんな私のことなど、もう見限っただろう。

 ――瞬間、その思考は蓉を止めた。よりにもよって、己の影の中に。

「――!」

 蓉の影に紅い稲妻が走った。
 急ぎ、身を翻し、それから逃れる。しかし、かすかに肌にそれはかすった。

 とらえられた。蓉は、歯を食いしばり、地を蹴った。出来うる限り、逃げなければ――。
 しかし。
 大雷が落ちる。音さえ消えるような轟音が辺りを裂く。紅い火花がぱちぱちと、現れた黒い影にまとっていた。

 その姿が、あらわになる。
 蓉は、目を見開き、後退る。震えだしそうになる膝を、叱咤し、力を込めていた。

「ひさしいな、蓉」

 低く艶ののった声が、脳を撫でた。いまだ轟音の余韻に割れそうな五感をやさしくくすぐる。

「彰兄様……」

 鬼族きぞくの長――彰は、目を細めた。
 この場にそぐわぬほど、優美な笑みであった。

「ずいぶんと愉快な追いかけっこであった」

 紅い影が――ざあ、とさざめいていた。
 
 
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