アンノウン

己銀

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- Blood Codeとダメ人間 -

EP3『来客人』

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 『準備しておこう。チャンスはいつか訪れるものだ。』


 さて、昨日の浮き足立った感覚とは一変。
 私は大学にて、課題に追われていた。
 単位が取れなきゃ、留年し、留年が続けば最悪自主退学まで有り得てしまう。
 それほどまでのアホ、それが私だ。
 後輩くんと、クロコちゃんの絵画の件で関わりずらくなってから、自然と彼の助けを借りられなくなっていた。
 自立するには良いことなんだろうけれども、その分、どうにかしなきゃならないことも、一人でやらなくちゃならない。
 は~、人生って過酷。
 絵を描くこと以外で、目立った継続的努力が出来ない自分が悪いのは知ってるが、現実とは非常である。
 大学の共有スペースとなる空間で、必死こいてペンを動かしながら、レポート課題を終わらせようと、うんうん唸っていた。
 だが、そんな折、私が座っていた席に影が差す。

 「助けてあげましょうか。」

 聞き慣れた声に顔を上げると、缶コーヒーを二本持った、後輩くんだった。
 今まで避けてきた分、話しずらいが、こっちが一方的にそう思ってるだけなので、彼がどう思ってるかは分からない。

 「あ、うん…えっと…」

 しかし、元から話しかけられることに慣れていないからか、すぐこうやって吃る上に、後輩くんの名前すら一瞬、出て来なくて、自分の脳内容量の少なさに、小さく絶望する。

 「高橋ですよ。」

 すぐにそれを察知した彼にそう言われ、隣の席に座ってくる高橋くん。
 手元に缶コーヒーを一つ置かれたが、無糖のカフェラテであった為に、密かに飲めないとまた絶望した。

 「ああごめん…高橋くん、」

 「アンタのレポート大抵、誤字ってるか、よく分からん方向に話広げて着地点見失ってるでしょ、頼られるの分かってるから、先回りしておこうと思って。」

 先回りされるほど頼り尽くしてたのか、過去の私。
 情けないな、高橋くん、高校卒業と同時に入ってきたから、今年で十九歳だよな。
 経済的な事情で、行けそうな大学選んで入ってきたって言ってたから、地頭が悪い訳じゃないんだろう。
 年下に頼って、課題に関することは、おんぶに抱っこで、ここまでされなきゃ単位取れないってなんだろう。
 存在価値を考えてしまう。

 「その代わり、今日、飯奢ってくださいよ。彼女に家追い出されて、今部屋入れないんですよ。」

 「えっ…追い出された?、喧嘩したの?」

 厳密には、締め出されたって言うより、帰りたくないが正しいんですけどね。と高橋くんは話を続ける。

 「て言うか、クロコの絵の件で、初っ端からギスギスしてたんですよ。アンタと同じ大学に通ってるから、自分以外の女と関係持ってるのが嫌みたいで。」

 「ああ…束縛激しめな人って言ってたもんね…。」

 「アンタの連絡先消せって言って来たんですけど、バイト同じだし、メッセージグループにも入ってるから、完全には消せないって言ったらまた喧嘩になって。」

 「…それで今日、帰りたくないってこと?」

 彼は缶コーヒーのプルタブを倒して、頷きながらコーヒーを飲んでいる。

 「晩飯奢ってくれたら、飯代浮いて、今日の出費ネカフェ代だけになるんで。」

 「そっか…ご飯くらいなら奢るよ、臨時収入あったから。」

 「新しいバイトですか?」

 辞めるなら言えよ、と言う高橋くんの圧を感じながら、私は首を横に振る。

 「いや、ちょっと…絵画コンテストに作品出したら、偶然買ってくれた人がいたから…それで、」

 「へえ、凄いじゃないですか。どこのコンテストですか?」

 「生羅 暁継って言う人の…知ってる?」

 「知ってますよ、最近雑誌とかにも載ってましたよね。」

 コンビニでチラッと見かけました。と、高橋くんが呟くが、生羅 暁継さんの雑誌を見かけたことがないので、そんな雑誌あったのかと、私は意外な顔になる。

 「え、そうなの。」

 「実際に会ったりしなかったんですか?、結構な美女ですよ、あの芸術家。アルビノって言うんですかね、色素が薄くて、透明感のある美女って言うか。」

 「ああうん、実際には会ったよ。高橋くんの言う通り、すっごい美人さんだった。あれでまだ十八歳って凄いよね、大人っぽくて、惚れ惚れしちゃう。」

 「生羅 暁継のコンテストでやってたのだと……これですかね、実際に本人が作品評価してくれるっていうの。」

 スマホから検索してくれたらしく、概要を見て、私はそうだと頷いた。

 「買ってくれたって言ってましたよね?いくらくらいになったんですか?」

 「えっと…クロコちゃんの絵画と、もう一枚持って行ってたから、一枚につき五十万くらい……」

 「……てことは二枚で百万?」

 「多分、…え?」

 話を聞いた途端、どことなく悔しそうにする高橋くん。
 頭を掻いて、あ゙ー…と唸りながら、目頭を押さえている。

 「クッソ…押し切って持っときゃ良かった…」

 「……。」

 そう言えば、元々クロコちゃんの絵画は、彼にあげたもので、一度返却されて私のものになっている。
 そこから生羅 暁継さんに、おおよそ五十万で買い取られている絵画なので、彼の認識では、持っていたら、それなりに高価な代物にはなっていただろう。

 「なんでだよ、くっそ、アイツといたらマジで、金だけが出ていく…。」

 「アイツって…彼女さんにそんな言い方しちゃダメだよ…」

 「マジでエグいんですよ、本当に。同棲してんのに、生活費全部俺持ちですよ、死にますって。」

 ここへ来て、珍しい。
 滅多にそういうこと言わないのに、愚痴をこぼし出した。

 「折半じゃないの…?」

 「家賃だけですね、アイツが払ってんの。その他全部俺なんで、毎月カッツカツなんですよ。」

 「え、じゃあクロコちゃんのお世話も?」

 よく分からんが、食費とかトイレとかに必要なものも、彼が買ってるのか?

 「はい。月末になると飯が大体一日一食で、主食がもやしになります。アイツだけ一人、外食行ったりするんで、ムカつきますね。俺と外食行く時、絶対に俺持ちなんで。」

 「あの…失礼だろうけど、話し合って解決出来ないなら、別れた方がいいと思う…。」

 今のところ、彼が損しかしてないような付き合い方をしているので、話し合った上で負担を半減出来ないなら、一緒にいる意味はないんじゃなかろうか。

 「まあそうですよね。でもそうなると、クロコが心配なんですよね、二人で飼ってる猫なんで。」

 「ああそうか…動物飼うにもやっぱりお金いるもんね…。」

 確かにクロコちゃんを飼ってる以上、責任はちゃんとしなきゃいけない。
 二人でクロコちゃんを飼ってるなら、経済的な関係上、余裕があった方が、クロコちゃんに何かあった時、病院にも連れて行きやすいだろうし…。

 「とりあえず、今日は飯奢ってください。食ったら家戻って、アイツと話してみます。」

 「うん、分かった。良いよ。どこ行きたい?」

 「肉で。」

 「すんごい、これみよがしだな…」

 金があるって分かった途端、急に欲望に忠実になるじゃないか、高橋くん。

 「やっすいステーキハウスで良いです。」

 「四百グラムくらい食べるんでしょ…。」

 「そうですね。」

 安くても、そんだけ食われたらあんま意味ねえよ。
 適量を注文するからこそ、他店と比べて安いでしょってなるんだから。
 言い返したところで、レポートを人質に取られるだけなので何も言わないけど。
 だが、話している内、少し冷静になれたのか、彼女さんと話すことにはしたらしく、一旦ネカフェに行くのは保留になったらしい。
 レポートを手伝って貰いながら、話し合って、夕方に、近くのステーキハウスで、現地集合することに決めた。
 午後七時に待ち合わせを約束し、レポートがひと段落着いた後は、高橋くんとは一旦別れた。
 別れた後は、特にすることもなく、レポートも高橋くんのおかげでなんとか終わりそうなので、もう手を付ける必要もない。
 て言うか、付けたくないし、見たくない。
 そんな訳で、待ち合わせの時間が来るまで、一度帰宅することにした。
 自分の家でもある、築五十年ほどの古アパート。
 少し前、改装工事が入り、風呂とトイレが着いた一室に戻り、私は玄関前に背負っていたリュックを放る。
 帰宅してすぐ、絵を描こうかとも考えたが、そう言えばと、昨日の夜を思い出す。
 窓際に絵画を貼り付けて、売ってみると言うアレ。
 昨日の時点で、ある程度はレイアウトも決まりかけていたしと、私は締め切っていたカーテンを開ける。
 ホームセンターで買った、天井から絵画を吊るす際に使った紐の余りを使って、カーテンレールから紐をぶら下げる。
 百均で買った、絵画を入れるための、透明なビニールバックに、上手く出来ていると感じた絵画を入れて、予め、空いていた穴に、紐を通していく。
 窓際にぶら下げるにあたって、綺麗に見えるように、位置を微調整して、後はイーゼルを外に見えるよう、近くに置き、イーゼルには看板代わりに、紙を貼っておいた。

 『どれでも一律 1000円』

 それだけが書かれた紙をイーゼルに貼り付け、想像していた、やりたいことは出来たと一息ついた。
 無論、こんなお粗末なやり方で、描いた絵が本気で売れるなんて思ってない。
 ただ、私の中で、これでもし、一枚でも絵画が売れるようなことがあれば、生羅 暁継さんの言っていたことは本当になる。
 あまり描いた絵を、外部に持ち出さない方がいい。
 生羅 暁継さんは、私に向かってそう言った。
 外に向けて、あんまり大っぴらに見せない方がいいこの絵画たちを、物理的に敢えて外に出してみる。
 そう、だから私は、生羅 暁継さんの発言が本当なのか、確かめてみたい。
 とりあえず、この絵画達は一週間ほど、こうしておくことにしよう。
 意外と物を移動させるのも疲れると、私は休憩がてら、布団の上に寝転んだ。
 高橋くんとのご飯は、まだ時間がある。
 時刻は午後四時三十分。
 さて、これからすることも無いし、どうしようか。
 散らかった部屋の中で、することはまだあるだろと、セルフで突っ込みを入れながらも、もう動く気にはなれず、最終的に、私は時間が来るまで眠ることにした。
 アラームをセットし、布団の中に潜り込む。
 起きたら、ゴミ出してから行こう…。
 それだけを忘れないよう、私は約一時間と少し後に目覚めるべく、瞳を閉じた。


 ■■


 次に目が覚めた時、私は軽く絶望していた。
 起きる予定は午後六時だった。
 一時間もあれば、間に合う距離にステーキハウスはあったから。
 だが、今の時刻をスマホで見て、遠い目になる。
 午後七時ちょうど。
 セットしたはずのアラームは切れていて、多分、一旦起きた後、あと五分寝る…と怠けた結果、こうなっている。
 完全に自業自得な上に、六時五十分くらいに、高橋くんからモーニングコール的な電話が来ていた。
 そして、七時ちょうどにメッセージが一件。

 『ステーキ五百グラムに増やします。』

 くぅ~。
 この時点で、私が遅刻するのが分かったように淡々としたメッセージ。
 何も言えねえ。
 メッセージには、取り急ぎ「すぐに行きます」と送信して、布団から起き上がる。
 ショボショボと、目を擦りながら、急いで準備を済ませ、財布と鍵とスマホを持ってるかだけ確認した後、ちゃんとゴミ袋も持って、玄関のドアを勢いよく開けた。

 「痛ッ!!」

 だが、玄関のドアを開けた時点で、誰かが私の部屋の前にいたらしく、ゴン!と盛大な音を立てて、ドアが誰かにぶつかった。
 呻く声は、低い声音だったので、直感で見なくても、男の人が立っていたのだと分かる。

 「あ、えっ、あ??」

 耳にその声が入った時、私は一瞬、状況が理解出来ず、一度、その場に立ち止まった。
 声の主はドアの裏側にいるらしく、恐る恐る裏側に顔だけを覗かせると、額をさすっている、背の高い男の人が一人。

 「イタァ…」

 「あっ…すみません、人が通ってると思わなくて……」

 部屋から出て、私は慌てて男の人に謝罪した。
 このアパートの住人だろうか。
 それにしたって、こんな人、アパートに住んでただろうかとどうでもいいことが過ぎったが、今はそれどころじゃない。
 明らかにドアに殴打されて、額は無事じゃないだろう。
 保冷剤かなんかで冷やした方が良いかもしれないと、私はまた部屋に戻ろうとした。

 「あー、いい、いい。大丈夫。」

 しかし、私の行動から、何をしようとしていたのか察知したのか、額を押さえながら、男の人は、大丈夫だと片手を上げて、私を制した。

 「俺こういうの慣れてるから。で、なんだっけ…いくら出せば良かったっけ、アレ、やばい、計算してたのに忘れた…、」

 「?、あの、本当に大丈夫ですか?、何か落し物なら一緒に…」

 突然、ブツブツ言いながら、ズボンのポケットからゴソゴソ何かを取り出そうとしていたので、落し物かと心配して声をかける。
 けれど、目的のものはすぐに見つかったらしく、それをポケットから取り出すと、はい、と私に渡して来た。
 え?と首を傾げながらも、反射で軽率に受け取ってしまった。
 財布だった。
 なんですぐに分かったかと言うと、ソレから紙幣が少しだけはみ出ていたから。
 シンプルな黒い作りの黒い財布のようで、紙幣の他にも、カードやら、小銭やらが入ってて、明らかに、今出会ったばかりであろう他人の私に、渡していいものじゃないことだけは確かだった。

 「????」

 私は更に首を傾げる。
 この時点で、もう何が何だか分からない。
 財布を渡されるような恩を売った覚えもない、そして急いでる手前、冷静な判断が出来ず、私は「へぇ???」と間抜けな声しかあげられなかった。

 「もうわっかんなくなったから適当に札抜いて。そんで全部ちょうだい。」

 「いやあの…これは……???」

 向こうは分かってるでしょ?みたいなニュアンスでそう言ってくるが、現状、混乱している私では、彼の言ったことを理解出来る思考を持ち合わせてはいない。
 その場に根を張ったように硬直する私に、彼は怪訝な顔をする。

 「窓にぶら下げてるアレだよ、アンタが売ってるんじゃないの?アホヅラ晒して、混乱してるとこ悪いけど、描いた本人じゃないなら、本人呼んできてよ。」

 「え、ああ!」

 一瞬後ろを振り向いて、そう言えばそうだったと、私は理解した。
 彼は、私の部屋の窓際にぶら下げている絵画達のことを言っていたのか。
 いや、それにしたって、まさか本当に売れるなんて思ってなかった。

 「えっと…、ちなみにどれが欲しいとか…」

 「全部、窓際のヤツ、全部ちょうだい、金はもう適当に財布から抜いて。」

 「エッ」

 全部??、窓際のヤツ、全部???

 「何?足りない?、金下ろす?」

 「いや、あの…、ぜ、全部…?」

 一応、ぶら下げてる絵画は、全部で十枚。
 一律千円なので、料金は一万円。
 一般の人でも、払えない金額ではないけれど、あんなお粗末な売り方で、その日のうちに絵画が全部売れるなんて考えてなかった。

 「ダメなの?購入制限とかある?」

 「あ、いや…ないです、あの、」

 本当に全部買うんですか…??と、しどろもどろで言葉を続けようとした時だった。
 ブー!ブー!と、私のポケットから、振動音が鳴り、スマホから着信が入ったことに気付く。

 「あ、ごめんなさい、ちょっと待ってください…」

 ディスプレイに映った相手を見て、私は泣きたくなって来た。
 高橋くんだ…。
 今現在、食事に行こうとして遅れてる手前、時刻はもう午後七時を過ぎて、三十分を回り出してる。
 今から走って、八時に間に合うかどうか…。

 「あ、もしもし…あの、」

 とりあえず、電話には出た方が良いだろうと、ボタンを押して電話口に話しかける。
 すると、数秒の無言の間の後、

 「寝てましたよね?今どこですか?」

 と、圧のある声が。

 「はい…、ごめんなさい、自宅から出る所です…」

 「自分、七時って言いましたよね?」

 「はい…っ」

 「罵倒されるのがそんなに好きなんですか?」

 「すみません……」

 明らかに私が悪いのは分かっているので、素直に謝った上から申し訳ないのだが、これから更に遅れるかも知れない。

 「何時頃に着きそうですか?お腹空いて、イライラしてきたんで早く来て下さいよ。」

 「あの…ちょっとその事でお話が…」

 「あん?」

 「実はですね…、ちょっと事情を話すと長くなるんで割愛するんですが、家にお客さん来てて……その、」

 消え入るような声でそう呟くと、数秒の長いため息の後、それはそれは低い声でボソリと怒られた。

 「スケジュールの管理も出来ねえのか、アンタは。」

 ひぃん。
 そうだよね、怒るよね、本当に軽率だったと思う。
 だってまさか、絵を出してから、たった数時間で、お客さんが買いに来るなんて思ってなかった。
 されど、私が招いた自体なので、もう責任を取るしかない。

 「あの…あと何分くらい待てそうですか…」

 「ラストオーダーまで。過ぎても別の店で奢ってもらいます。」

 待ってはくれるんだ…優しいな、高橋くん。

 「この度はすみませんでした…用事が終わったら、すぐに行くので許してください…」

 「謝罪は良いから早く来い。以上。」

 「はい……。」

 簡潔なご要望の後、スマホを切って、私は絵画を買いに来たお客さんに向き直る。

 「すみません、あの、」

 絵画全部でしたよね?と声をかけようとした時、目の前には、もうお客さんの顔がいっぱいに広がっていた。
 それはそれは近過ぎて、ビビってコケそうになるほどだった。

 「アレ以外にもあるの?」

 「はい…?」

 「さっきの電話何?、絵画、窓際に並んでるアレ以外もあんの?」

 「え、はい、あります……え?」

 ちょっと考えてみれば、ん?と疑問が湧く。
 なんで高橋くんとの食事の電話で、絵画が窓際に並んでるもの以外にもあるって解釈になるんだ?
 もしかして、業者か何かに電話してるって思われた…?

 「ああ、いや、ごめんなさい、さっきの電話は……」

 「ふぅん、あっそ。」

 チャリ、と、彼のズボンポケットから、何か金属が擦れ合うような音がした。

 「まあ、いいや。窓際のヤツは俺のだし。」

 「え!?、あの…財布…!」

 突然、そう呟いたかと思えば、彼は私に財布を預けたまま、どこかに行こうとしている。
 色々言いたいことはあるが、一番優先して言うべきは、財布忘れてますよ!だろう。

 「ああ、とにかく、窓際のヤツは全部俺のだからキープしといて。また取りに来るから、財布は好きにしてていよ。」

 ふりふりとおざなりに片手を振られ、言いたいことだけ言って去って行った彼を、私は呆然と見送るしかない。
 突然、嵐のようにやって来て、去って行った。
 手元に残ったのは、お金が入った黒い財布。
 また取りに来ると言っていたが、何をしに行ったのだろうか……。
 とは言え、お客さんが去ったという事は、私に今、用事はない。
 高橋くんとの予定を遂行する時だ。
 財布は家の中で保管することにして、イーゼルに貼っておいた紙は取り去り、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てた。
 もうゴミを捨ててる暇はないので、玄関に雑に置いたまま、私は高橋くんの待つステーキハウスへと駆け出した。

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