オネェ系公爵子息はたからものを見つけた

有川カナデ

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絶望、そして逃亡

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「今日はありがとうございました」
 夕方下校時、ニナはレオンツィオに向かって頭を下げた。レアンドロとデーリアはあれから教室には戻って来ず、例によって教員たちは彼らの動向を聞いたりはしなかった。
「あら、いいのよ気にしなくて。一回、言ってやりたかったのよねーアタシ」
「レオンツィオのお陰で、一歩踏み出すことが出来たんです。殿下に言葉をかけることも、クラスメイトに自分の気持ちを伝えることも……レオンツィオと出会わなければ、きっと出来ないままだった」
「そう。あなたの背中を押せたのなら良かったわ。――でもニナ、気をつけて。あの殿下のことだから、何をしてくるかわからない。困ったことがあればすぐに頼って。アタシたちはそれを迷惑だなんて思わないから」
 母に、家に迷惑がかかるからと、逃げることを躊躇った。レオンツィオはそれも理解して、言葉をかけてくれる。
 夕日を背にした彼は一層きらきらと輝いて、眩しいほどで。ニナはつけたままであった分厚い眼鏡を外して、アメジストの瞳をレオンツィオへ向けた。
「本当にありがとうございます、レオンツィオ。では、また明日。ごきげんよう」
 制服の裾を摘んで、礼をする。レオンツィオも胸に手を当てて、礼を返した。
 離れて行くニナの背を見つめて、ふぅと息をつく。ぱし、と額に手を当てて、静かに呟いた。
「本当に可愛いわ、あの子……困っちゃうわね」
 胸のときめきは、日々増して行くばかりで。レオンツィオにとっては、初めての感覚であった。
 
 家に帰ったニナを出迎えたのは、不満を顕にした表情の父親――バジーリオ・ミネルヴィーノであった。執事やメイドたちは少し離れた場所から様子を伺っている。
 ニナはそんな父親にも笑顔を向けて、ただいま帰りました、と挨拶をした。
「ニナ。先程王子殿下の使いから言伝があった」
 ぴく、と、ニナの肩が震えた。ろくな話ではないという予感があった。
「……まぁ、殿下から」
「お前、王子殿下の言いつけを無視しているらしいな」
 ニナの予感、そしてレオンツィオの言葉は当たっていた。レアンドロは今日の出来事を、早々にニナの父親に言いつけたのだ。恐らく、多重に話を盛って。いかにも、ニナの方に問題があるかのように。
「お父様。殿下以外の誰ともかかるなと言う理不尽な言いつけを守っていては、将来殿下の妻になることなど出来ません。第三王子の夫人として、他者との関わりは大切なものです」
「そんなもの、卒業してからいくらでも出来るだろう。殿下と同じ学園にいるうちは、殿下の言うことを聞くべきだ。それにな、ニナ。殿下はお前とアルバーニ公爵子息との不貞を疑っている」
 ニナの瞳が驚愕に見開かれた。
 自分こそ不貞を働いておきながら、何を言っているのだろうか。ざわざわと胸が騒ぎ、指先が冷える。喉の乾きを覚えて、ニナは両の手をぎゅっと握った。ちらりと、手首につけられたブレスレットが見える。バジーリオはそれを見逃さなかった。
「今までそんなもの、つけていなかっただろう。王子殿下は華美な装いを嫌うからな、贈り物の中に装飾品はなかったはずだ。やはりお前、不貞を……」
「誤解です! これは確かにレオンツィオからいただいたものですが、友情の証として……」
「友情の証だ?! そんなもの、下心があるに決まっているだろう! 世間知らずの小娘が、そんなことにも気づかず……慎ましくあれという王子殿下の言葉を無視するなど言語道断だ!」
 バジーリオはニナの手首を掴み、ぐいと捻り上げる。ニナが痛みに顔を歪めた刹那、ぶちっ、と音が聞こえ、手首からブレスレットが落ちた。無理やり引っ張ったためにブレスレットは壊れ、ばらばらになっている。それを見た瞬間、ニナの心に強い痛みが走った。
(レオンツィオ……!)
 レアンドロの本性を知ったときも、話を聞いてくれない父にも、これほどのショックを覚えたりはしなかった。ブレスレットと共に、自らの心までも引きちぎられてしまったような感覚。
 ニナは青ざめ、ひくっ、と喉を鳴らし、バジーリオが手を離した瞬間その場にへたり込んだ。だがバジーリオはそんなニナの様子を気にもせず、呆れたような声を漏らす。
「全く、王子殿下の気も知らんで……お前は自分から幸せを捨てているのだぞ、わかっているのか」
「お父様」
 ニナが静かな声で、言葉を紡ぐ。俯いた彼女の表情は、バジーリオには見えなかった。
「殿下がわたしを愛さず、わたしという存在を尊重することがなくても、殿下との結婚はわたしにとって幸せであると思っているのですか」
 その声は泣きそうに震えていた。様子を伺っているメイドや執事長は、思わず眉を下げて痛々しい表情を浮かべている。ニナが待っているのは、否定の言葉だ。そんなことはあり得ないという、父親の声だ。
「何を当然のことを。王家に嫁げる以上の幸せはこの世にあるまい」
 紡がれた言葉は、予想していたそれで。僅かな希望は潰え、腹の奥に渦巻く感情は父への失望。彼にとって大切なのは娘のニナではなく、王家とのつながり。ニナはそのための道具に過ぎない。
「おい誰か、娘を部屋へ。しばらく閉じ込めておけ」
「……かしこまりました、旦那様」
 白髪の執事長が頭を下げ、メイドたちに視線を向ける。メイドたちに促されるようにしてニナは立ち上がった。その手にしっかりと、壊れたブレスレットを握りしめて。ふらふらとおぼつかない足取りで部屋に戻ったニナは、ベッドに腰を落ち着けて、ブレスレットを胸にぽろぽろと涙を零した。
 レアンドロが贈る、形だけのプレゼントではない。レオンツィオの心がこもった、友情の証。大切にしまっておけば良かった。父親に見つからないようにしなければならなかった。
「お嬢様」
 メイドの一人が、おずおずと声をかける。ハンカチを渡されて、ニナはそれを受け取り目元を拭った。それでも溢れる涙を止められず、嗚咽を漏らす。
「……酷いですよね、旦那様。前からそうでしたけど、最近の横暴さはないですよ」
 かけられた言葉に、ニナはひくりとしゃくり上げた。メイドへ顔を向けると、眉を下げてニナを見つめている。
「奥様が留守がちなのをいいことに、したい放題で……執事長も困っていました」
「そ、……そうだったの……ごめんなさい、わたし、」
 自分のことに精一杯で、身の回りの世話をしてくれているものたちがどんな想いでいるのか、気が回らなかった。父親の横暴に苦しんでいたのは自分だけではなく、その下に働くものたちもだ。
 メイドは勢いよく首を振った。
「いいえ! お嬢様が謝る必要なんてないです! むしろ今日、メイドたちみんな喜んでたんですよ! お嬢様がようやく、あの三編みを止められた! って」
「え……」
「お嬢様の髪を、あんなふうに縄みたく、ぎっちぎちに編み込むのはみんな辛かったんです。せっかく綺麗な御髪なのに、勿体ないですよ!」
「まぁ……わたしったら、嫌なことを強いてしまっていたのね……申し訳ないわ」
「それもあの殿下のせいですよ! 私達はずっと、お嬢様が解放される日を願っていたんです」
 味方は、たくさん居たのだ。
 自分の殻に閉じこもって、レアンドロとバジーリオのいいようになって。もっと早く行動を起こしていたら、もっと早く……この状況を変える努力をしていたら。手の中にあるブレスレットを見つめて、ニナは顔を上げる。
「ねぇ、……考えていることがあるのだけど」
「はい、何でしょう? お嬢様」
「――少しだけ、お母様にご迷惑をおかけすることは、許されるかしら」
 メイドは自信に満ちた表情で、元気よく返事をする。
「もちろんです、お嬢様! 以前奥様が、お嬢様はもっとワガママになっていいのに、と零されていたのを聞いたことがあります。きっとお嬢様の言う『ご迷惑』なんて、公爵である奥様にとっては些細なことではないでしょうか。だってお嬢様は今までずっと、我慢してきたんですから」
 ニナは目元を赤く腫らしたまま笑みを浮かべ、こくりと頷く。それから深呼吸をして、あのね、と切り出した。

 翌日、ミネルヴィーノ家は騒然となった。
「お嬢様が、家出を!」
 それはニナの、生まれて初めての反抗だった。バジーリオは怒りと焦りに顔を歪め、冷や汗を浮かべて執事たちに声をかけた。
「すぐに捜索しろ! 妻に悟られぬようにだ! もちろん外部にも気づかれぬように!」
 それは中々無理な話では、と思う執事長であるが、言葉には出さず。やれやれ、と心のなかで思いつつも使用人たちに指示を出して行く。いつかニナが、こんなふうに父親を見限る予想は出来ていた。それほどに、当主がいない間のバジーリオの態度は目に余るものがある。執事長は使用人やメイドたちに、なるべく時間をかけろと密かに伝える。するとメイドの一人が、執事長に近づいて耳打ちをした。
「お嬢様からお手紙をお預かりしております。お目通しを。旦那様に見つからないようにと仰っておりました」
「何と、お嬢様から。……あいわかった、心して見よう」
 バジーリオの目を盗み、執事長が手紙に目を通す。書かれている内容に目を見開くと、執事長はその手紙を綺麗に元の封筒に戻し、メイドに声をかけた。
「良いか、すぐにこれを奥様の元へ。所在地を記すから、飛脚に渡すように」
「わかりました!」
 真面目な面持ちで深く頷いたメイドは、外にニナを探しに行って参りますと告げて、家を出て行った。
 ミネルヴィーノ家の当主――当代公爵は、バジーリオの妻だ。多忙な彼女は家を空けていることが多く、家の中でのことはバジーリオが仕切っている。使用人と娘が従順なため、彼はすっかり忘れてしまっていた。
 使用人の殆どが真の意味で仕えているのは彼ではなく、ミネルヴィーノ公爵であると言うことを。
 彼らは必死で、ニナを探しているふりをした。バジーリオの焦りは、酷くなる一方だった。
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