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伯爵令嬢は結婚前日に態度を変えた恋人を正気に戻すべく愛の拳をふるう
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エルヴィーラ・バリエンフォルム公爵令嬢は、親友の結婚式に参列するべく隣国へやってきていた。
諸々の準備のために、万能メイドのアンナと護衛騎士を連れて結婚式の前日に目的の街へ前のりし、まずは親友への挨拶をしようと家を訪ねる。
きっとお祝いムードだろう、と思って扉をノックしたエルヴィーラであったが、開いた扉の向こうにいた親友ーーフェリシアナ・アルフォンスの顔に思わずぎょっとした。
「ふ、フェリシアナ……?」
フェリシアナの目はぱんぱんに腫れて真っ赤になっており、鼻もやはり真っ赤である。どう見ても泣き腫らしたあとだった。
「え、エルヴィーラ~!」
わっ、と大きな声を上げて泣きながらフェリシアナは、エルヴィーラに抱きついた。どうしたの、と訪ねながらフェリシアナの背中をとんとん叩いてやっていると、彼女の両親である伯爵夫妻が眉を下げて姿を見せた。
「エルヴィーラ様、まずは遠いところをようこそおいでくださいました」
「えぇ、お二方もお変わりなく……その、この子はどうしちゃったのかしら」
「それが、」
「聞いて、エルヴィーラ!」
夫妻が説明するよりも先に、フェリシアナがエルヴィーラの肩を強く叩いてずずっ、と鼻をすすった。それから何度もしゃくり上げ、泣き腫らした目のままで言葉を紡ぐ。
「エド様、エドガルド様が、私とは結婚出来ないって言うの! 前日に! よりによって前日に!!」
「なんですって?」
「好きなひとが出来たからって、……そんな話ある!? 何の前触れもなく突然、そんなこと言って! どういうこと、って詰めよったらおどおどしちゃって、私、腹が立って腹が立って……」
うぇええん、と、フェリシアナはまた大きな声を上げて泣き出した。伯爵夫妻に促されるまま、フェリシアナと共に家の中へと入る。メイドのアンナと、護衛騎士二人も一緒だ。
泣きじゃくるフェリシアナを座らせて、自分もその隣に腰を落ち着ける。アンナはエルヴィーラの斜め後ろに立った。向かい側には伯爵が座って、伯爵夫人はお茶を用意している。
「フェリシアナがいつものようにエドガルドくんに会いにいったところ、そのようなことを言われたとかで。私どもも困惑しているところです」
「今日まで彼に変わったところはなかったのですか?」
「私どもが見た限りでは。一週間くらい前などは共に食事もしましたし、家の奥に置いてあるウェディングドレスを見てそれは幸せそうにしていたのですよ」
「何日か会えない日があったけど、結婚式の準備でお互い忙しかったし、結婚したらずっと一緒にいられるからって思ってたのに……! っていうかそもそもぎりぎりになって言うってなに!? 招待状も出してるし教会も予約して、式のあとのパーティの準備までしてっ! 全部急にキャンセルなんてできるわけないじゃない!」
ごもっともである。
そもそも、エドガルドという男は公爵子息であったはずだ。その男が、一方的に直前の結婚を取り止めるなど体裁のいいことではない。いくらこの街が穏やかであったとしても、だ。
「落ち着いて、フェリシアナ。エドガルド様の態度は突然変わったのよね?」
「えぇ、そう。本当に、今日になって突然……」
「だったらもしかしたら、彼の本当の意思ではない可能性があるわ。アンナ」
エルヴィーラが呼ぶと、アンナはすぐに頷きエルヴィーラから離れ、一人で部屋を出て行く。伯爵夫人はアンナと入れ替わるように部屋を訪れ、お茶をテーブルの上に並べた。
「……なにか、思い当たることでもあるの?」
「えぇ、少し。……対応は早い方がより良いわ、アンナが戻ってきたら……」
「お嬢様」
「早いわね」
「わりとすぐ近くにいたので。どうしますか? ふん縛って連れて来ますか?」
「いいえ、こちらから行くわ。もしかしたら『原因』もそこにいるからもしれないし」
「かしこまりました。ご案内します」
アンナは頭を下げて、また先に部屋を出て行った。玄関のところで、護衛騎士たちと待機している。エルヴィーラはきょとんとしたフェリシアナに笑顔を向けて、手を差し出す。
「行きましょう、フェリシアナ。あなたの愛を取り戻すのよ」
美しく微笑んだ親友を見上げて、フェリシアナはもう一度ずっ、と鼻をすする。それから眉をつり上げて、力強くエルヴィーラの手を取った。
アンナに案内されてたどり着いたのは、フェリシアナの住む家からさほど離れてはいないカフェだった。ちょうど昼時であったのもあり、店は人に溢れている。アンナはバーカウンターの一ヶ所を指して言った。
「あちらに」
「! エド様……!」
フェリシアナが胸に手を当てて、息を飲む。エドガルドは一人ではなかった。隣に、胸元を大きく開けた服装の女性を伴っている。その胸元にある濃い桃色の宝石を見やり、エルヴィーラは瞳を細めた。
「あ、あの下品な格好の女性を、す、好きに……?」
「フェリシアナ、もう少し待って。……アンナ」
「はい。確認します」
アンナはつかつかとバーカウンターに近づいて、エドガルドたちの会話が聞こえる位置で席についた。ウェイターに適当に注文し、耳を澄ませる。
「ねぇ、いいでしょぉ? もうあの女とは結婚しないんだから」
「……結婚しない、なんて、……そんなこと、僕は」
「だってさっき、好きな人が出来たから結婚しないって、あの女に言ってたじゃなぁい。これでもうあなたは自由なの、私を好きにしていいのよ?」
「違う、僕は……何であんなことを言ってしまったんだ……」
ウェイターがアンナにジョッキを差し出す。それを受け取ったアンナはくるりとエルヴィーラを振り返り、親指を立ててグッドサインを送った。
「――いいわ、アンナ」
こくりとアンナが頷く。アンナは立ち上がると更に二人に歩みより、エドガルドーーの隣にいる女性の頭で、持っていたジョッキを傾けた。
「えっ……」
麦酒を頭から注がれた女性は、自身の身に何が起こったのかわからずぽかんとしている。エドガルドはうわっ、と声を上げて、女性から距離を取った。
女性が振り返り、アンナを見やる。刹那眉を吊り上げて、テーブルを強く叩いた。
「ちょっとアンタ! 何すんのよ!」
「アルコール消毒」
「は?」
「醜悪な気配がしたものですから」
淡々と話すアンナに、麦酒まみれの女性のこめかみに青筋が浮かぶ。何事かといった様子でそれを眺めていたエドガルドの元に、フェリシアナがエルヴィーラと共に歩み寄っていた。
「エド様!」
「シア、どうしてここに……いや、違う、僕が今ここにいることこそ間違いなんだ、こんなことをしている暇は……」
「アンナ」
「はい、お嬢様。まだ越えてはいけないラインを越えてはおりません。ゆえに正気に戻すことができます」
アンナはジョッキを持った手とは逆の手で、ぐっと拳を握った。
「もちろん、愛で」
エルヴィーラの口角が上がる。フェリシアナの隣に立ち、彼女の肩を抱いた。
「フェリシアナ。彼は今軽い魅了状態にあるわ。だけどあなたの愛で正気に戻すことが出来る。……わかるわね? 愛、よ」
言いながらフェリシアナも、拳をぐっと握りしめている。麦酒まみれの女性がはっとして、エドガルドにすがろうとした。……が。アンナが女性の腕を掴み、その動きを制した。そして流れるような動きで、胸元の宝石を奪い取る。直後つかんでいた手をぱっと離し、アンナは小さな小箱を取り出してそこに宝石をしまい込んだ。若干、というかかなり麦酒の匂いがしているのは気のせいではない。女性はと言えば、掴まれた手を突然離され、その場でつんのめっていた。
「愛……わかったわ、エルヴィーラ」
ぐっと、拳を強く握り込み、フェリシアナはきっ、と前を向く。どこかぼんやりとした表情でぶつぶつと言葉を漏らしては首をしきりに振っているエドガルドを見つめて、フェリシアナは一歩前に踏み出した。
「エド様!」
え、とエドガルドが顔を上げた瞬間。フェリシアナの「愛の拳」が、エドガルドの頬を強く殴った。
とは言え、伯爵令嬢の拳である。エドガルドはその場に、どん、と尻餅をつくだけに留まる。ぱちぱちと瞬きをしたかと思うとはっと目を見開き、勢い良く立ち上がる。
「シア! ねぇ僕、今日の朝きみにとんでもないことを言ったよね?!」
「えぇ、仰いましたわ! 結婚をしないと! 好きな人ができたと!」
「きみ以外に好きな人など出来るものか! あぁ、すまないシア、どうしてあんな心にもないことを言ってしまったのか……」
エドガルドは堪らず、フェリシアナの身体を抱き締めた。フェリシアナもエドガルドの背に手を回し、また涙をこぼす。それは安堵と、喜びの涙であった。
「魅了魔法の影響よ」
「……エルヴィーラ嬢!」
「犯人はもちろん、そこにいる方ね」
麦酒まみれの女性は、いつの間にかアンナによってふん縛られていた。眉をつり上げ身を捩るが、すぐにアンナによって押さえつけられる。
「もう少しだったのにっ、よくも、よくもっ!」
「アンナ。この国における魅了魔法道具所持の刑罰は、なんだったかしら」
「当人は死刑。貴族であった場合家族の爵位は取り上げられ、その後鉱山で終身奴隷として働かされます」
魅了魔法は、国が傾く危険性も孕んだ禁忌のものである。どこの国もその罪は重く、情状酌量の余地はない。
女性の顔がさっと青くなり、がたがたと身体が震えた。
「ね、ねぇ、……私、魅了魔法なんて使ってないのよ。ただエドガルド様を誘惑していただけで……だ、だから、ゆ、許して……」
「愚かね、あなた。この道具は所持していただけで罪になるのよ」
「今日の朝、きみに声をかけられてから頭がぼーっとして、変な感覚があった。それにシアに対して、思ってもいないことを口にした。きみが魅了魔法を使っていないのなら、何もかもがおかしなことだ。どうして僕は名前も知らないきみと、こんな場所にいたんだ?」
頬を腫らしたエドガルドが、フェリシアナの手をしっかり握り締めて言う。するとそれまで傍観していた客の一人が、あっ、と声を上げた。
「あの嬢ちゃん、昨日ここで『伯爵家以上の男を教えて』って聞いて回ってたやつじゃねーか?」
「あぁ、そういえば! 街に越してきたばかりだって言ってたっけか?」
「おいおい、まさかエドガルド坊っちゃんに手ぇ出そうとしてたのかよ。明日結婚だって言った気がするんだけどな」
エルヴィーラはふっ、と鼻で笑った。たとえ彼女がどんな言い訳をしようが、逃げることは不可能である。物的証拠、多数の目撃証言、それに当事者による証言も。
もっともエルヴィーラは、そうでなくても彼女を許すつもりはない。
大切な親友の大切な人を、禁忌の魔法でもって奪おうとした女を。
「爵位の高い殿方を探して、あなたが何を成そうとしていたのか……あまりにもわかりやすくて笑ってしまうわね。禁忌とされるものを用いてまで高い地位が欲しかった? 見付かったら処刑されるというのに?」
「あ、あんたらみたいなお貴族様に、私みたいな貧乏な男爵家の娘の気持ちなんかわからないわよ!」
エルヴィーラが目を細めると、アンナが女性の頭をつかんで地面に押し付けた。アンナは心底の侮蔑を帯びた眼差しで女性を見やり、静かに呟く。
「貧しかったら、ひとの幸せを壊していいとでも? 私はあなたのような考えを持つ人間が一番嫌いです」
ぎり、と手に力を込めて、アンナは女の頭を押さえつけた。エルヴィーラは浅く息を吐き、緩く首を振る。
「アンナ、そのくらいになさい。あとはこの国が裁くわ」
アンナが顔を上げると、いつの間にかこの国の警備兵たちがやってきていた。ウェイターの一人が対応してくれた様子である。アンナはすぐに女性を兵に引き渡し、ぱんぱんと体についた埃を払う。
「エルヴィーラ」
「フェリシアナ、エドガルド様が正気に戻って何よりだわ。これで明日の結婚式は問題なさそう?」
「えぇ、もちろん! これからすぐに帰って、最後の準備をするわ」
「エルヴィーラ嬢、この度は申し訳ない。危うくフェリシアナを裏切るところだった……」
エルヴィーラは深く頷く。
「魅了の魔法は、本当に危険なものです。もしエドガルド様が彼女に対して性的な欲求を抱いていたなら、手遅れになっていたことでしょう」
「そ、それは、どういう……」
「本来なら、ゆっくりと時間をかけてかける魔法です。エドガルド様が陥っていたのは、魅了魔法の初期症状でした。思ってもいないことを口にする、だけれどそれが『思ってもいないこと』だと自覚している。……だけれど、万が一。彼女に対し欲を抱き、その欲のままに行動してしまったら……私はあなたを、許すことができなかったでしょう」
フェリシアナの瞳が不安に揺れて、エドガルドが彼女の肩を抱く手に力が入る。
「たとえ一度であろうと、不貞は不貞。そんな男に、私の大切な親友を預けるわけにはいきませんので」
じっとエドガルドを見据えていた瞳は、不意に穏やかに緩められた。
「魅了魔法は、真なる愛を試すもの。……どうかこれからも惑わされず、二人で幸せになって」
フェリシアナとエドガルドは互いを見つめて、強く頷く。それからしっかりと手を握りあって、エルヴィーラに向き直った。
「誓います。必ず二人で、幸せになります」
「私も誓うわ、エルヴィーラ。他でもない、親友のあなたに」
エルヴィーラがにっこりと微笑んで頷くと、カフェにいた客たちから一斉に歓声が上がった。拍手や口笛などがそこかしこから聞こえて、アンナは若干、鬱陶しそうである。
「おいおい、結婚式は明日だろう!?」
「おれたちは招待されてねーけど、外からお祝いするからな!」
「幸せになるのよ!」
――翌日。
フェリシアナとエドガルドの結婚式は、滞りなく行われた。
最愛の人から贈られたウェディングドレスとヴェールを身に纏ったフェリシアナは、その日世界で一番幸せそうだった。彼女の両親は目に涙を浮かべて喜び、エドガルドの両親も穏やかな顔で二人と祝福した。
エルヴィーラは二人の姿を見ながら、国で頑張っているであろう婚約者の姿を思い浮かべる。
「私もあんなふうに、幸せな顔をするのかしら」
「……もしお嬢様が幸せな顔をしていなかったら」
同じように二人の姿を見つめながら、アンナがぽつりと答えた。
「私と王女様とで、クリストフェル殿下の両頬をひっぱたきます」
「……それは、愛かしら?」
「愛です。お嬢様への」
アンナと王女――エルヴィーラにとっては義妹にあたるフェリシアなら、本当にやるかもしれない、と。
エルヴィーラは彼女たちの愛を強く感じて笑ったのだった。
諸々の準備のために、万能メイドのアンナと護衛騎士を連れて結婚式の前日に目的の街へ前のりし、まずは親友への挨拶をしようと家を訪ねる。
きっとお祝いムードだろう、と思って扉をノックしたエルヴィーラであったが、開いた扉の向こうにいた親友ーーフェリシアナ・アルフォンスの顔に思わずぎょっとした。
「ふ、フェリシアナ……?」
フェリシアナの目はぱんぱんに腫れて真っ赤になっており、鼻もやはり真っ赤である。どう見ても泣き腫らしたあとだった。
「え、エルヴィーラ~!」
わっ、と大きな声を上げて泣きながらフェリシアナは、エルヴィーラに抱きついた。どうしたの、と訪ねながらフェリシアナの背中をとんとん叩いてやっていると、彼女の両親である伯爵夫妻が眉を下げて姿を見せた。
「エルヴィーラ様、まずは遠いところをようこそおいでくださいました」
「えぇ、お二方もお変わりなく……その、この子はどうしちゃったのかしら」
「それが、」
「聞いて、エルヴィーラ!」
夫妻が説明するよりも先に、フェリシアナがエルヴィーラの肩を強く叩いてずずっ、と鼻をすすった。それから何度もしゃくり上げ、泣き腫らした目のままで言葉を紡ぐ。
「エド様、エドガルド様が、私とは結婚出来ないって言うの! 前日に! よりによって前日に!!」
「なんですって?」
「好きなひとが出来たからって、……そんな話ある!? 何の前触れもなく突然、そんなこと言って! どういうこと、って詰めよったらおどおどしちゃって、私、腹が立って腹が立って……」
うぇええん、と、フェリシアナはまた大きな声を上げて泣き出した。伯爵夫妻に促されるまま、フェリシアナと共に家の中へと入る。メイドのアンナと、護衛騎士二人も一緒だ。
泣きじゃくるフェリシアナを座らせて、自分もその隣に腰を落ち着ける。アンナはエルヴィーラの斜め後ろに立った。向かい側には伯爵が座って、伯爵夫人はお茶を用意している。
「フェリシアナがいつものようにエドガルドくんに会いにいったところ、そのようなことを言われたとかで。私どもも困惑しているところです」
「今日まで彼に変わったところはなかったのですか?」
「私どもが見た限りでは。一週間くらい前などは共に食事もしましたし、家の奥に置いてあるウェディングドレスを見てそれは幸せそうにしていたのですよ」
「何日か会えない日があったけど、結婚式の準備でお互い忙しかったし、結婚したらずっと一緒にいられるからって思ってたのに……! っていうかそもそもぎりぎりになって言うってなに!? 招待状も出してるし教会も予約して、式のあとのパーティの準備までしてっ! 全部急にキャンセルなんてできるわけないじゃない!」
ごもっともである。
そもそも、エドガルドという男は公爵子息であったはずだ。その男が、一方的に直前の結婚を取り止めるなど体裁のいいことではない。いくらこの街が穏やかであったとしても、だ。
「落ち着いて、フェリシアナ。エドガルド様の態度は突然変わったのよね?」
「えぇ、そう。本当に、今日になって突然……」
「だったらもしかしたら、彼の本当の意思ではない可能性があるわ。アンナ」
エルヴィーラが呼ぶと、アンナはすぐに頷きエルヴィーラから離れ、一人で部屋を出て行く。伯爵夫人はアンナと入れ替わるように部屋を訪れ、お茶をテーブルの上に並べた。
「……なにか、思い当たることでもあるの?」
「えぇ、少し。……対応は早い方がより良いわ、アンナが戻ってきたら……」
「お嬢様」
「早いわね」
「わりとすぐ近くにいたので。どうしますか? ふん縛って連れて来ますか?」
「いいえ、こちらから行くわ。もしかしたら『原因』もそこにいるからもしれないし」
「かしこまりました。ご案内します」
アンナは頭を下げて、また先に部屋を出て行った。玄関のところで、護衛騎士たちと待機している。エルヴィーラはきょとんとしたフェリシアナに笑顔を向けて、手を差し出す。
「行きましょう、フェリシアナ。あなたの愛を取り戻すのよ」
美しく微笑んだ親友を見上げて、フェリシアナはもう一度ずっ、と鼻をすする。それから眉をつり上げて、力強くエルヴィーラの手を取った。
アンナに案内されてたどり着いたのは、フェリシアナの住む家からさほど離れてはいないカフェだった。ちょうど昼時であったのもあり、店は人に溢れている。アンナはバーカウンターの一ヶ所を指して言った。
「あちらに」
「! エド様……!」
フェリシアナが胸に手を当てて、息を飲む。エドガルドは一人ではなかった。隣に、胸元を大きく開けた服装の女性を伴っている。その胸元にある濃い桃色の宝石を見やり、エルヴィーラは瞳を細めた。
「あ、あの下品な格好の女性を、す、好きに……?」
「フェリシアナ、もう少し待って。……アンナ」
「はい。確認します」
アンナはつかつかとバーカウンターに近づいて、エドガルドたちの会話が聞こえる位置で席についた。ウェイターに適当に注文し、耳を澄ませる。
「ねぇ、いいでしょぉ? もうあの女とは結婚しないんだから」
「……結婚しない、なんて、……そんなこと、僕は」
「だってさっき、好きな人が出来たから結婚しないって、あの女に言ってたじゃなぁい。これでもうあなたは自由なの、私を好きにしていいのよ?」
「違う、僕は……何であんなことを言ってしまったんだ……」
ウェイターがアンナにジョッキを差し出す。それを受け取ったアンナはくるりとエルヴィーラを振り返り、親指を立ててグッドサインを送った。
「――いいわ、アンナ」
こくりとアンナが頷く。アンナは立ち上がると更に二人に歩みより、エドガルドーーの隣にいる女性の頭で、持っていたジョッキを傾けた。
「えっ……」
麦酒を頭から注がれた女性は、自身の身に何が起こったのかわからずぽかんとしている。エドガルドはうわっ、と声を上げて、女性から距離を取った。
女性が振り返り、アンナを見やる。刹那眉を吊り上げて、テーブルを強く叩いた。
「ちょっとアンタ! 何すんのよ!」
「アルコール消毒」
「は?」
「醜悪な気配がしたものですから」
淡々と話すアンナに、麦酒まみれの女性のこめかみに青筋が浮かぶ。何事かといった様子でそれを眺めていたエドガルドの元に、フェリシアナがエルヴィーラと共に歩み寄っていた。
「エド様!」
「シア、どうしてここに……いや、違う、僕が今ここにいることこそ間違いなんだ、こんなことをしている暇は……」
「アンナ」
「はい、お嬢様。まだ越えてはいけないラインを越えてはおりません。ゆえに正気に戻すことができます」
アンナはジョッキを持った手とは逆の手で、ぐっと拳を握った。
「もちろん、愛で」
エルヴィーラの口角が上がる。フェリシアナの隣に立ち、彼女の肩を抱いた。
「フェリシアナ。彼は今軽い魅了状態にあるわ。だけどあなたの愛で正気に戻すことが出来る。……わかるわね? 愛、よ」
言いながらフェリシアナも、拳をぐっと握りしめている。麦酒まみれの女性がはっとして、エドガルドにすがろうとした。……が。アンナが女性の腕を掴み、その動きを制した。そして流れるような動きで、胸元の宝石を奪い取る。直後つかんでいた手をぱっと離し、アンナは小さな小箱を取り出してそこに宝石をしまい込んだ。若干、というかかなり麦酒の匂いがしているのは気のせいではない。女性はと言えば、掴まれた手を突然離され、その場でつんのめっていた。
「愛……わかったわ、エルヴィーラ」
ぐっと、拳を強く握り込み、フェリシアナはきっ、と前を向く。どこかぼんやりとした表情でぶつぶつと言葉を漏らしては首をしきりに振っているエドガルドを見つめて、フェリシアナは一歩前に踏み出した。
「エド様!」
え、とエドガルドが顔を上げた瞬間。フェリシアナの「愛の拳」が、エドガルドの頬を強く殴った。
とは言え、伯爵令嬢の拳である。エドガルドはその場に、どん、と尻餅をつくだけに留まる。ぱちぱちと瞬きをしたかと思うとはっと目を見開き、勢い良く立ち上がる。
「シア! ねぇ僕、今日の朝きみにとんでもないことを言ったよね?!」
「えぇ、仰いましたわ! 結婚をしないと! 好きな人ができたと!」
「きみ以外に好きな人など出来るものか! あぁ、すまないシア、どうしてあんな心にもないことを言ってしまったのか……」
エドガルドは堪らず、フェリシアナの身体を抱き締めた。フェリシアナもエドガルドの背に手を回し、また涙をこぼす。それは安堵と、喜びの涙であった。
「魅了魔法の影響よ」
「……エルヴィーラ嬢!」
「犯人はもちろん、そこにいる方ね」
麦酒まみれの女性は、いつの間にかアンナによってふん縛られていた。眉をつり上げ身を捩るが、すぐにアンナによって押さえつけられる。
「もう少しだったのにっ、よくも、よくもっ!」
「アンナ。この国における魅了魔法道具所持の刑罰は、なんだったかしら」
「当人は死刑。貴族であった場合家族の爵位は取り上げられ、その後鉱山で終身奴隷として働かされます」
魅了魔法は、国が傾く危険性も孕んだ禁忌のものである。どこの国もその罪は重く、情状酌量の余地はない。
女性の顔がさっと青くなり、がたがたと身体が震えた。
「ね、ねぇ、……私、魅了魔法なんて使ってないのよ。ただエドガルド様を誘惑していただけで……だ、だから、ゆ、許して……」
「愚かね、あなた。この道具は所持していただけで罪になるのよ」
「今日の朝、きみに声をかけられてから頭がぼーっとして、変な感覚があった。それにシアに対して、思ってもいないことを口にした。きみが魅了魔法を使っていないのなら、何もかもがおかしなことだ。どうして僕は名前も知らないきみと、こんな場所にいたんだ?」
頬を腫らしたエドガルドが、フェリシアナの手をしっかり握り締めて言う。するとそれまで傍観していた客の一人が、あっ、と声を上げた。
「あの嬢ちゃん、昨日ここで『伯爵家以上の男を教えて』って聞いて回ってたやつじゃねーか?」
「あぁ、そういえば! 街に越してきたばかりだって言ってたっけか?」
「おいおい、まさかエドガルド坊っちゃんに手ぇ出そうとしてたのかよ。明日結婚だって言った気がするんだけどな」
エルヴィーラはふっ、と鼻で笑った。たとえ彼女がどんな言い訳をしようが、逃げることは不可能である。物的証拠、多数の目撃証言、それに当事者による証言も。
もっともエルヴィーラは、そうでなくても彼女を許すつもりはない。
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「爵位の高い殿方を探して、あなたが何を成そうとしていたのか……あまりにもわかりやすくて笑ってしまうわね。禁忌とされるものを用いてまで高い地位が欲しかった? 見付かったら処刑されるというのに?」
「あ、あんたらみたいなお貴族様に、私みたいな貧乏な男爵家の娘の気持ちなんかわからないわよ!」
エルヴィーラが目を細めると、アンナが女性の頭をつかんで地面に押し付けた。アンナは心底の侮蔑を帯びた眼差しで女性を見やり、静かに呟く。
「貧しかったら、ひとの幸せを壊していいとでも? 私はあなたのような考えを持つ人間が一番嫌いです」
ぎり、と手に力を込めて、アンナは女の頭を押さえつけた。エルヴィーラは浅く息を吐き、緩く首を振る。
「アンナ、そのくらいになさい。あとはこの国が裁くわ」
アンナが顔を上げると、いつの間にかこの国の警備兵たちがやってきていた。ウェイターの一人が対応してくれた様子である。アンナはすぐに女性を兵に引き渡し、ぱんぱんと体についた埃を払う。
「エルヴィーラ」
「フェリシアナ、エドガルド様が正気に戻って何よりだわ。これで明日の結婚式は問題なさそう?」
「えぇ、もちろん! これからすぐに帰って、最後の準備をするわ」
「エルヴィーラ嬢、この度は申し訳ない。危うくフェリシアナを裏切るところだった……」
エルヴィーラは深く頷く。
「魅了の魔法は、本当に危険なものです。もしエドガルド様が彼女に対して性的な欲求を抱いていたなら、手遅れになっていたことでしょう」
「そ、それは、どういう……」
「本来なら、ゆっくりと時間をかけてかける魔法です。エドガルド様が陥っていたのは、魅了魔法の初期症状でした。思ってもいないことを口にする、だけれどそれが『思ってもいないこと』だと自覚している。……だけれど、万が一。彼女に対し欲を抱き、その欲のままに行動してしまったら……私はあなたを、許すことができなかったでしょう」
フェリシアナの瞳が不安に揺れて、エドガルドが彼女の肩を抱く手に力が入る。
「たとえ一度であろうと、不貞は不貞。そんな男に、私の大切な親友を預けるわけにはいきませんので」
じっとエドガルドを見据えていた瞳は、不意に穏やかに緩められた。
「魅了魔法は、真なる愛を試すもの。……どうかこれからも惑わされず、二人で幸せになって」
フェリシアナとエドガルドは互いを見つめて、強く頷く。それからしっかりと手を握りあって、エルヴィーラに向き直った。
「誓います。必ず二人で、幸せになります」
「私も誓うわ、エルヴィーラ。他でもない、親友のあなたに」
エルヴィーラがにっこりと微笑んで頷くと、カフェにいた客たちから一斉に歓声が上がった。拍手や口笛などがそこかしこから聞こえて、アンナは若干、鬱陶しそうである。
「おいおい、結婚式は明日だろう!?」
「おれたちは招待されてねーけど、外からお祝いするからな!」
「幸せになるのよ!」
――翌日。
フェリシアナとエドガルドの結婚式は、滞りなく行われた。
最愛の人から贈られたウェディングドレスとヴェールを身に纏ったフェリシアナは、その日世界で一番幸せそうだった。彼女の両親は目に涙を浮かべて喜び、エドガルドの両親も穏やかな顔で二人と祝福した。
エルヴィーラは二人の姿を見ながら、国で頑張っているであろう婚約者の姿を思い浮かべる。
「私もあんなふうに、幸せな顔をするのかしら」
「……もしお嬢様が幸せな顔をしていなかったら」
同じように二人の姿を見つめながら、アンナがぽつりと答えた。
「私と王女様とで、クリストフェル殿下の両頬をひっぱたきます」
「……それは、愛かしら?」
「愛です。お嬢様への」
アンナと王女――エルヴィーラにとっては義妹にあたるフェリシアなら、本当にやるかもしれない、と。
エルヴィーラは彼女たちの愛を強く感じて笑ったのだった。
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こちらは救いが有って良かった😭。私はこちらのお話の方が好きです😭。