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アリア
抱きしめて、離さないでくださいね 2
しおりを挟む母国リースデンから海を隔てた同盟国ディアドーレにやって来たのは十八歳の時。今から十年前になる。
その当時、彼女の立場はほんの少し複雑だった。
アリアは現リースデン国王の年の離れた妹にあたる。ただし母親違いの。
ちょうど嫁入り話が出ていた十八歳当時、母国では政変が起きた。
兄が他の王子と国王を弑して玉座に就いたのである。
アリアが粛清対象にならなかったのは、王城務めのメイドに国王がお手つきして出来た庶子だったためだ。後ろ盾も地位もない、名ばかり王女のため助かった。
それでもアリア自身にその気はなくとも、玉座に担ぎ出そうとする愚か者はいる。
なにせクーデターだったので。文句を言う全員を淘汰するには、それなりに時間もかかる。
そこで兄王はアリアを、政略結婚をする自分の娘のお守りとして、海を隔てた同盟国に一緒に送ってしまうことにした。
この時国王の娘のシャーロットは十一歳。結婚相手のディアドーレの第二王子、ルーグレイは十歳。
二人とも若すぎるため表向きは留学であり、結婚式はルーグレイが成人する二十歳で行われる予定とされた。護衛騎士に侍女、庶子の王妹までを供にした幼い王女の渡航は、随分人々の話題に上った。
新王の狙い通り、大国ディアドーレとの良好な関係を国内外にまで知らしめる結果となった。
ディアドーレに渡ってから数ヵ月が経ち。
東屋で行われていた茶会で、ちょっとしたアクシデントが起きた。
突然の雷雨に見舞われたのだ。周りの景色がけぶるほどの大雨と、雷鳴。雨天でも茶会を行えるために建てられている東屋は雨漏りもしないし、雷が落ちてもびくともしない造りをしている。それに雷雨は一時的なものだ。子供たちとアリアは、数名の騎士とメイドと一緒に雨宿りをすることになった。
けれど落ち着いているのは騎士達だけで。
シャーロットは雷の光が走った途端悲鳴を上げて、リースデンから連れてきた騎士の一人に抱きついた。木登りする子猫のように震える彼女を、騎士は立て抱きで抱えることにしたようだ。
自分が引き受けようかと腰を上げかけたところで、アリアはふと気になって、右隣のルーグレイを見た。
彼はさっきまでと寸分違わず笑顔だった。
ほんの十歳の少年は、雷に驚くでもなく逆に興奮するでもなく、笑顔のまま座っている。
(でも……)
アリアしか気づいていないはずだ。騎士にも、雷鳴に怯えるメイドたちにも死角になっている。
ソファに腰かけ隠れたテーブルの下で、拳を作り膝に置かれた両手。その内側の方――左の拳には、変に力が入っている。
(ルーグレイ殿下のやり過ごす方法は、こっそり腿を抓ること、なのね)
アリアにだって経験がある。
既に皆鬼籍に入っているが、身分の高い姉や兄に意地悪をされた時、手のひらに爪を食い込ませておっとりした笑顔を作り耐えたものだ。
だからもしディアドーレで、シャーロットが不当な扱いを受けることがあるとしたら。アリアは叔母として盾になり、逃げ道になりたいと思っている。その覚悟で供を拝命した。
――同じことを未来の義甥に思ったって良いはず。
「ルーグレイ殿下。なんだか雨のせいで肌寒くなってしまったみたいなのです。もう少しだけ側に寄っては頂けませんか」
そう言って右手を伸ばすと、ルーグレイは吃驚したように瞳を大きくして、アリアを凝視した。
そして騎士に抱えられるシャーロットを見て、アリアを見て、もう一度シャーロットを見てから、おずおずと近づいてきた。
「雷は高い建物に落ちるんです。何もない開けた場所だと危険だから、出来るだけ背を低くすると良いのですよ」
「じゃあこの東屋でも皆で寝そべった方が良いのかしら」
「ふっ」
「まあ! 殿下ったら鼻で笑ったわ。叔母様、殿下がロッテを馬鹿にしました!」
「していませんよ、シャーロット姫。この建物は大きくて頑丈だから開けた場所にはあたらないって、最初にお教えしなかった僕の落ち度ですから。……ははっ」
「叔母様ぁ!」
「二人ともとっても楽しそうね。このままお茶会を再開してしまいましょうか」
すっかり雷が遠ざかり、空には薄明かりが戻ってきた。
いつの間にかシャーロットはアリアの左隣に張り付き、反対側に座るルーグレイと口喧嘩のようなやり取りを始めている。
雷雨のお蔭で随分二人は打ち解け、笑ったり怒ったりと忙しい。
そんな二人の口元にそれぞれアイシングクッキーを運んで押し込んで。
アリアは顔をほころばせた。
それからは、交流の時間には必ず真ん中にアリアが含まれることになった。
魚釣りもピクニックも、ダンスレッスンにもアリアが駆り出される。全ての場面に同行するのが当たり前になってしまった。
それどころか。
ある日ルーグレイに呼び出されて、小さな謝罪と秘密を打ち明けられた。
「母は僕が二歳のときに儚くなりました。ですから、アリア様に可愛がられるシャーロット姫が羨ましかったのです。それで、最初の頃あまり優しくできませんでした。形だけの笑顔を向けて。今は勿論違います」
豪奢な部屋の中でぽつんと一人で佇み夕日を浴びる姿が、消え入りそうに儚く見える。
一歳年下のルーグレイの身長は、まだまだシャーロットに及ばない。その子供特有の細い手足や少女のような綺麗な面差しは、庇護欲を刺激するには十分だった。
「ルーグレイ殿下」
「ルーです」
「……?」
「きっと生きていたら母もそう呼んでくれたはず」
アリアの情緒は限界を迎えた。胸の奥がくしゃりと掴まれたように痛み、鼻がツンとする。
ディアドーレの国王一家は仲が良さそうに見えるけれど、部外者であるアリアには測れない苦悩もあるのだろう。上手に痛みを隠すルーグレイが、頼る相手に選んでくれたことが嬉しかった。
「もちろんですわ、殿下――いえ、ルー」
「嬉しい。僕も姉様って呼んでもいいですか」
「ええ、ええ。好きにお呼びくださいね」
「あと、……いえ。これは我儘が過ぎますね」
「まあ! 何を遠慮することがあるのです、ルー。私は貴方の未来の叔母ですよ」
少し屈んで手をとると、ルーグレイははにかむように笑い、お願いを口にした。
「僕のこともシャーロットみたいに撫でてください。たまにでいいですから」
「毎日抱きしめて、ルーの素敵な所を一緒に数えましょうね」
「嬉しいです、アリア姉様」
おずおずと広げられた手を、吃驚させないようにゆっくりと受け止め、背中と頭をそっと撫でて。
アリアはシャーロットとルーグレイ、二人の幸せを守るためなら何でもすると、誓いを強固にしたのだ。
それなのに――
結婚式のひと月前。
シャーロットは書置きひとつ残さず、突然リースデンから伴った護衛騎士の一人と駆け落ちをしてしまった。
手を尽くして捜索は行われたものの、二人の行方は港近くの宿屋でプツリと途絶えた。その後はようとして知れず。捜索にあたったディアドーレの騎士団は、すでに国外へ逃れている可能性を示唆した。ルーグレイの結婚式と二十歳の儀が重なり、人の出入りが激しくなる機会を狙った計画的な行動ではないかと結論付けた。
連絡を受けたリースデンの国王は、アリアに娘の身代わりでの結婚を命じた。
それからは嵐のような忙しさで、ルーグレイと二人きりで話し合う暇すら与えられなかった。
そもそも二十八歳のアリアが二十歳のルーグレイに嫁ぐなんて無理がある、という彼女の主張は両国に華麗に無視をされた。結婚式はルーグレイの成人の日に行われる。二国の面子のため、今更日程を伸ばすことなど出来ないのだ。
そもそも駆け落ちは、二人の仲を見抜けなかったアリアの監督不行き届きでもある。
八歳も上の嫁き遅れを突然押し付けられることになってしまったルーグレイに申し訳なく、まともに目も合わせられず、忙しいことを言い訳に逃げるようにして過ごした。
それなのにルーグレイは、
「姉のように慕っていたアリア様と生涯の伴侶になれるなんて、私は果報者です。ですからシャーロット姫にも感謝しているのです。二人がディアドーレではもちろん、貴国においても祝福されることを切に願います」
結婚式のために訪れたリースデンの国王に、シャーロット達を庇ってみせた。
ドレスをどうするのかという物理的問題は、ギリギリで間に合った。前日に仕上がったドレスを目にして、知己のお針子たちのやり切った感漂う笑顔を見て、アリアも覚悟を決めた。
(すぐには無理でも、いつかルーに姉代わりではなく妻として見てもらえるように、これから努力しましょう。まずは明日の結婚式を無事に乗り切らなきゃ)
アリアは拳を握って己に言い聞かせた。
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