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本編
15 卒業舞踏会 ④
しおりを挟む小悪党も消え失せた。馬車の破片も跡形もない。
夜の森。残されたのは私とヒューの二人だけ。
目の前の不自然に開けた空間に、遠い目をする。昔は壁を黒く焦げさせる程度だったのになあ……。恐ろしい威力だ。「過去に遡ってお嬢様のおみあしの記憶ごと奴を消したい」と呟くヒューは、りっぱな暗黒系に成長しました。
「話の途中みたいだったけれど、良いの?」
「勿論ですとも。さあ、片付きましたし戻りましょうか」
こちらを振り向いたヒューは、いっそ清々しいほどの笑顔だ。
寮に帰ろうってなって、移動手段が無いことに気付く。
随分魔法学園から離れてしまったみたいだ。
屋根を吹っ飛ばされた馬車は、さっきのゴタゴタで御者を乗せたまま暴走した馬と共にどこかに走り去っていた。
それでなくとも、今後も当分馬車は御免被りたい。
馬車へのトラウマが、克服どころか悪化してます。
「飛竜はお好きでしたよね」
にっこり笑って、彼は夜空を指差した。
ヒューの用意した移動手段は、空飛ぶドラゴンだった。
髪とドレスが乱れることを覚悟したけれど、思いのほか飛竜の背は快適だ。魔法で張られた防御壁の中は、常に一定に保たれていて、圧迫感も無い。
飛竜の背、馬に二人乗りするように跨る。
今の体勢は、邸に居た頃の膝抱っこみたいで恥ずかしい。
もうパンチラ……というか、ドレスの中を全見せ状態の件は深く考えないことにする。座ってしまえば見えないしね!
寮に帰る道中、少しだけ夜空の散歩を楽しむ。
目の前に広がる月と星の輝く空は、二人だけの舞踏場のよう。
飛竜はワルツのようにゆったりと飛び、ヒューの声は音楽のように心地いい。
ヒューは、今までの事を話してくれた。
自らが魔族王家の傍流の出身であること。魔王家の争いに巻き込まれて、両親が謀殺されてしまったこと。
魔王候補に選ばれたこと。
この件を私の父や兄、バルタザールは既に知っていること。
そして今回現れたバルトロイが、魔国七大貴族という、魔王選定に関わる大物であること。
あれ、大物貴族異次元に吹き飛ばしてたっぽいけどいいのかな? うーん、殺しても死ななそうだったし、いいか。
私の呪いを解く方法は見つけられなかったけれど、魔王になればもっと情報を集められるから、協力してくれること。
「ところで、貸し飛竜屋なんて聞いたことないんだけど」
「ちょっとひと狩りしてきました」
忙しい学生生活の合間、魔国に直接足を運んで捕まえたらしい。
やっぱりこのゲームの主人公最強だな! ……て、そうじゃないか。
これはみんなヒューの頑張りなんだよね。
剣術だって、最初は何度もバルタザールに打ち負かされてた。
学園でも兄との鍛錬を欠かしていない。
人より器用で才能はあるかもしれないけれど、努力だっていつも人一倍。
そんなところを好きになった。
私も一緒に頑張りたいって思ったんだ。
……なあんだ。
その時微かに、学園の鐘が聞こえた。
十二回の鐘。
卒業舞踏会の終わりの合図。
遠くで美しく華やかに上がる花火。遅れて届く花火の音は、少しだけ寂しさを誘う。
ヒューも私達の真上に花火を打ち上げた。
金と紫の大輪の花火。今日の私の髪とドレスの色。
「終わっちゃったねー」
「残念です。せっかくお嬢様と踊る機会でしたのに」
「これからいくらでも踊ればいいでしょ」
ゲーム終了の合図を聞いても、私の気持ちは変わらない。
相変わらず我儘に、独善的に、ヒューを独り占めしたいと思ってる。
「踊って、くださるのですか」
「ヒューがちゃあんと申し込んでくれたらね」
「! 勿論です! …………舞踏会のホールで言質と証人確保なんて思っていましたが、月の下で二人だけも悪くないですよね」
「んーなにがー?」
さっきから耳元や首に触れるヒューの髪と吐息が、むずむずしてくすぐったくて、あんまり会話に集中できない。
よいしょと身体の向きを変えると、ヒューが真面目な顔をして見下ろしていた。
ドレスと同じ紫色に戻っていたはずの瞳は、また赤味を帯びている。
先程の血の赤というよりも、熟れた果物のような瑞々しい赤。
まるで心を映すかのように移り変わる万華鏡のような瞳。
思わず手を伸ばして、瞳の端と頬に触れる。
私の右手に自らの左手を重ねて、ヒューが薄く微笑んだ。
「これから先ずっとずっと、お嬢様を起こす役目を、私だけにさせてくださいませんか」
「今だってヒューが毎朝起こしてるじゃない」
「そうなのですが、そういう意味ではなくてですね」
眉がへにょりと下がってしまっている。
「名前」
「は?」
「毎朝起こしにきてもいいよ。ただし、ちゃんと名前を呼んで起こしてくれるなら」
ヒューは絶対に、私の名前を呼ばなかった。
頑ななまでに、お嬢様としか呼んでくれなかった。
それは、彼にとって主従のけじめだったのかもしれない。
「――どうか、お嬢様の名前を呼ぶことをお許しください。必ず貴女に釣り合う魔王になってみせますから」
「魔王になんてならなくていいけど、毎朝名前を呼んで、起こしてね。だって好きな人には、名前を呼んで欲しいもの」
彼は存外泣き虫だ。
赤い目から落ちる涙は、透明な宝石のよう。
はらはらと落ちる雫を受けながら、ヒューの頭をぎゅっと抱きしめる。
掠れて聞こえた私の名前は、シャンパンの泡のように心地よくはじけ、空の花火に溶けていった。
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