紫煙と箱入り

アルカ

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本編

5 箱入りとナイフ 前編

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「死にたくなければ、さっさとその手を離してください。お兄様」

 手だけでなく身体全体を押さえつけるようにかけられた体重が、不快だ。

「死にたくなければ? この僕が誰かに傷付けられるとでも? ははっ、非力で役立たずのお前に何が出来る。――痛い思いをするのはいつだってお前だよ、ベルティーユ」

 兄が嘲るように嗤った。


 ◆◆◆


 母国から届いた召喚状は、ベルティーユを誘拐したラウルの罪を問うものだ。
 真っ赤な王家の封蠟を押された召喚状。それを彼女が偶然手に入れたのは、ほんの数日前。けれど実際は。今まで何度も届いては、ベルティーユが目にする前にラウルが処分していたのだろう。
 上質の紙には最後通牒を告げる脅しじみた文面が踊っていた。この数年で王女の婚約者に収まり、王宮の権力に近づいた兄の意思が透けるようだった。
 だからベルティーユは兄と対峙するために、母国へと繋がる転移陣を一人で踏んだ。
 その結果がこれである。
 転移先で待ち構えていた兵と魔術師に『保護』され、通された王宮内の豪華な一室は、グレンドール侯爵となった兄に与えられた部屋らしかった。
 彼らを労い攫われた妹との感動の再会を演じて見せた兄は、人払いをして部屋の鍵を掛けると、ベルティーユをソファに突き飛ばし、押さえつけた。


「てっきりあの人攫い・・・が、陛下への命乞いにくるものと待ち構えていたのに。まさかお前が一人で私の元に戻ってくるなんてね。驚いたよ。あの、僕が居なければ何も出来ないお前が」
「人攫いではありません。魔術師のラウル様です」

 ベルティーユの訂正を、兄は鼻で笑う。

「勿論知っているさ。未だに魔術なんぞに重きを置く西大陸では、それなりに知れた魔術師なんだろう? お前が攫われた晩、ルーラが恋占いのために、陛下に強請って王宮に招いたのだと白状したよ。馬鹿げた女だ」
 ルーラはこの国の王女の名。現在の彼の婚約者である。婚約者にさえも酷薄な様子に、ベルティーユは心の中で溜息を吐いた。

「ところで。なんだいこの格好は。……あの貧乏人が。僕の所有物にこんな安物を着せて」
 不躾な視線がベルティーユの全身に這う。動きやすくシンプルなデザインのドレスに、甚くご立腹らしい。彼の側に置かれていた時のベルティーユは、靴下留めひとつ、髪を結ぶリボンに至るまで、選ぶ権利を持ち合わせてはいなかった。仕立て屋は、母でも彼女でもなく、兄の希望通りにベルティーユのドレスを仕上げた。今では吐き気を催すような事実。

「お兄様には関係のないことかと。私が自分で選んでーー」
 バシッ、と乾いた音が響いた。
 左の頬が熱を持ち始める。口の中に、僅かに血の味が広がる。
 頬のような見える場所を叩かれたのは、いつぶりだろう。

「ねえ。さっきからずっと、誰が口ごたえを許した? 僕にそんな態度を取ってはいけないって、散々教え込んだのにな。今日のお仕置きは酷くなりそうだ……お前が悪いんだよ、ベルティーユ。本当は僕だって痛くなんてしたくないのに。あんな男に攫われて、穢されてしまったから」

 嘆いてみせる口元は、堪えられない愉悦に歪んでいた。
 兄は三年前と何も変わっていないと信じている。
 あの頃とは何もかも違うのに。

「僕がお前にどれだけ心を砕いていたのか、わかってる? 不出来なお前を十六年も世間から庇うのは、どんなに大変だったか。そのせいで何度不便を強いられてきたか。生まれた時からの恩も返さず、あんな男に唆されて。お前の評判が地に落ちたせいで、グレンドール家は散々だ。父も母も領地に引きこもって出てこないし、僕はお前を攫った男の素性を聞き出すために、仕方なくあの我儘女と婚約したんだぞ!」

「っつ……!!」
 二の腕の柔くて白い部分を、服越しに兄が思い切り抓る。痛みにベルティーユが顔をしかめると多少溜飲が下がったらしく、赤くなっているであろう部分を、執拗なほど撫で始めた。

「どうせあの男に迫られて、安易に花を散らしてしまったのだろう? でも安心しなさい。僕はそんな愚かな妹でも、ちゃんと面倒を見てあげるつもりだから。ルーラは随分と夢見がちで狭量な女だから――お前はそう、別邸を用意して隠さないとならないな」
 ベルティーユを押さえていた手はいつの間にか離れ、彼女の脚を足首から徐々に上へとなぞろうと伸びる。兄の荒い息使いを耳が拾う。押しつけられる身体の熱さと重みが、気持ち悪い。

 幼い頃から、兄と二人きりになるのが怖かった。
 肌を覆い隠す丈の長いオートクチュールのドレス。彼好みの生地とレースをたっぷりと使った少女趣味のドレス。その布越しに赤くなりやすく柔らかい肌を抓られ、撫でられる。
 幼い時はまだ、兄の行いが何なのか知らなくて、それでもこれはいけないことだと、本能はずっと悲鳴を上げていた。意味がわかってからはその罪深さに震え、何時もっと恐ろしいことをされるのかと、直接触れられやしないかと、毎日怯えていた。
 泣いても逃げる場所なんてなくて。
 抵抗するすべを、ベルティーユは持ち合わせていなかった。

 今は違う。
 怖くなんてない。ただただ哀れで愚かしく、この男をどうしてそんなに恐れていたのか不思議に思ってしまうほど。押さえつけられても、手を上げられても、肌に触れられても怖くなんてない。不快で仕方ないけれど。
 その事を確認できて良かった。

「……ん? これはなんだ」
 我が物顔で肌を辿る兄の手が、ベルティーユの太腿にある靴下留めをなぞり、止まった。

「警告はしました。私はもう、あなたに傷付けられるばかりの玩具じゃありません」

 言葉と同時に、ベルティーユは仰向けに押さえられた状態から、割り込む兄の身体に開かされた両膝を、胸元に引き寄せ閉じて足を折りたたむ。
 お気に入りらしいベルティーユの足を取り上げられ、兄が驚いた顔をした刹那。
 両方の踵に全力を込め、脚を真上に伸ばして蹴り出した。胸に食い込むヒールの感触。弓が放たれた弦のように伸びる脚。躊躇いなんてなかった。

 鳩尾を両足で押し蹴られた男は、弧を描いて吹き飛ばされた。すぐに立ち上がろうとして後ろによろけ、部屋の壁の作り付けのキャビンにぶつかった。飾られた美術品が、ガタッ、ガチャガシャン! と盛大な音を立てて落ちて割れる。人払いはされているようだけれど、そのうち誰かが飛んでくるだろう。
 その前にケリをつけよう。
 ベルティーユが軽やかにソファから立ち上がる。

 散々触れられたドレスを溜息ひとつで直しながら、靴下留めの絹のリボンで太腿に沿うように装着されたナイフを一本、取り出した。
 薄刃のナイフは装飾などなく、彼女の手のひらに収まる刃の長さ。刃と同じ素材の柄。簡素ながら、銀色の高潔な輝きを放っている。軽くて薄くて、よく手に馴染む。
 ベルティーユのために創られた、専用の輝き。

「ベルティーユ、お前……」
「お兄様は私を一人では庭にも出せないと言って、嘆いていらっしゃいました。夜会では手を離すことすらできないと。けれどお蔭さまで、庭に出るのも身体を動かすのも、一人で出歩くのだって、大好きになりましたの。寧ろ、とても合っていたみたい。子供の頃、この才能に気付いていれば、何かが変わっていたかもしれませんわね?」

 ナイフを優雅に一振りしたあと、矢のように飛ばす。
 兄の左頬のすぐ横を通り、後ろの壁に刺さった。きっちりと紙一枚の隙間をあけたので、お綺麗な顔には、傷一つ付けていない。けれど、刃物の切る風をしっかり感じたことだろう。

「小さな投げナイフひとつで、僕に勝ったつもりかい? ははっ。相変わらず、世間知らずで愚かな妹だ」
 顔のすぐ横に刺さるナイフを抜き取ると、兄が振り向いた。
 両腕を広げ、ソファ前のベルティーユにゆっくりと笑顔で歩み寄ってくる。けれど、彼女と同じ青い瞳は、いたぶる時の残忍さに染め上げられていた。

 ナイフを持たない方の手がベルティーユを掴む直前。
 タンッと、ステップのような足音ひとつ。
 次の瞬間にベルティーユはソファの木製の縁にふわりと立つ。
 そのまま空を切ってソファに突っ込んだ兄の腕を避け、バランスを崩しガラ空きになった彼の背中に飛び乗る。間髪入れず背を蹴りあげ、もう一度中空へ舞う。軽いドレスの裾がふわりと広がった。重力を感じさせない動きで。
 半回転しながら自由落下で重さを、加速で威力を増し、脇を狙い右足の踵を叩き込む。対面のソファの後ろに彼女が着地した瞬間、兄が振り返る動作の途中で、くの字に折れ曲がるようにして床に崩れた。

「これでも遠慮しているんです。刃物の方が早いし得意なんですけれど。王宮の一室をお兄様みたいな異常者・・・の血で汚して、開かずの間にしたくありませんから。血の染みって、お掃除が大変なんですもの」

 ベルティーユは美しく微笑んだ。
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