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本編
4 ベルと手紙
しおりを挟む「ベル」
台所の入口から少女に声を掛けられた。
「おはようローズ。今朝は早いのね」
真っ赤な髪に淡い薔薇の色合いの瞳をした少女の名は、ローズ。メイド服を身につけた、見た目は十歳程度の少女だ。
ベルティーユが初めて会った三年前から変わらず、可憐な少女の姿をしている。
彼女もラウルと同じく、とびきり魔力が高いのだろう。館の中で一番ラウルと付き合いが長いのもローズだ。公での肩書は準魔術師らしい。ローズが魔術を行使するところを、台所の火回りと使い魔の使役以外では、殆ど見かけないけれど。
「出来れば起きたくなかった。でも、北が騒がしくてかなわないの」
ローズは目をこすった後、世を憂う老人のような重い溜息を吐いた。
「もしかして、呼んでないお客様? 最近多いわよね。せめて朝のお茶の時間くらい遠慮できないものかしら」
手早くエプロンを外したベルティーユは、青い瞳をくるりと回した。
「グラスが一人で行こうとしてる」
「それで呼びに来てくれたのね、ありがとう。もちろん私も同行します。ラウル様は……」
「久しぶりに私が起こしに行くよ……すっごく不本意だけど」
儚げな少女は、眉間に皺を寄せ難しい顔をしている。
「早く終わらせてお手伝いに行くわ」
小さなトレイにいつものお茶と、ソーサーにはスプーンではなくクッキー三枚を添える。更にクッキー一枚をトレイの端の方に乗せ、ローズに手渡した。
「一枚はローズの分ね。よろしくお願いします」
「ん……ナッツとオレンジピール入りね。おいしい。……ベルはラウル様を甘やかし過ぎだと思う。もっとビシバシいかないと、うちのぐうたらご主人はつけあがるんだから」
早速クッキーを口に放り込んだローズが、幸せそうな顔でそんなことを言う。
この館の人々はラウルの影響か、言葉に遠慮がないし主従の関係も気にしていない。
実家の侯爵家ではあり得えなかったから、最初はとても戸惑ったものである。――そもそも侍女やメイドと交流することは、兄に禁じられていたのだけれど。
それでも彼らとのやり取りにすぐに慣れ、兄にわざと嘲る言葉を投げかけられた時のように傷付かないのは、きっと仕草と声に親愛が滲んでいるから。根底にある気遣いを知っているから。
「じゃあローズの起こし方を見学するためにも、早く帰ってこなくちゃ。いってきます!」
「うん。いってらっしゃい、気を付けて」
ベルティーユは首の後ろで簡単に纏めていた黒髪をおろし手櫛で軽く整えると、手を振るローズに見送られ、裏口から北の門に向った。
北へと続く門を出て少し進んだ細い道の脇。
水色の短髪に淡いガラス色の目をした青年が、木を見上げて立っている。
立派な枝ぶりの巨木は、ベルティーユが両手を広げて四人は必要なくらいの幹をしている。その木の枝には、何故か数名の男が引っかかっていた。地上から数メートルはある高さの枝に、服や帽子、手足を小枝に絡め取られるように引っ掻かり、助けを求めている。まるで空から降ってきたような有様だ。
彼らの助けの声には無反応で、見上げるだけの青年の名は、グラス。お仕着せの上下を身に付けた彼が振り返り、早足で近づくベルティーユの姿に、心底迷惑という顔をした。
「……知らせたのはローズだな。まったく」
「おはようグラス。あなたが寝起きで機嫌が悪いから心配していたわ――やり過ぎちゃうって」
「おはよ。ベルが居ると時間がかかって面倒なのに」
「平和的解決って言って? それに、外の用事は私も参加の許可、ラウル様からもらっています」
「それは主に街で買い物する時だ。ベルの顔はおまけとか上物を卸して貰う時に使うんだよ。今じゃない」
ベルティーユとグラスのやり取りに、男達はあっけに取られてぽかんとしている。とりあえずグラスからの散々な言われようは、いつもの事なので放っておくことにして。
「おはようございます。皆さま、森に捕まるなんて、一体どんな悪巧みをされたのでしょう?」
ベルティーユは『買い物する時用』の笑顔を浮かべて、頭上の男達に微笑んだ。
館に戻りラウルの寝室を覗くと、ローズは未だ格闘の真っ最中だった。
「ご主人、ラウル様! おーきーてー!」
ラウルは部屋のベッドの上で猫のように丸くなっていた。すっぽりとシーツを被って丸まった姿は、洗濯物の山のようである。残念な寝姿を披露するラウルの上に、ローズが遠慮なくのしかかり耳元で叫ぶ。
「ううーん。ローズか……煩いぞ……」
ラウルの方もベルティーユの時より手ごわい反応だ。梃子でも起きるものかとローズの腕を掴み、自らの耳を彼女の両手で覆ってしまった。
「ぐぬぬ。前より生意気っ! ベル! 手を貸して」
両手を塞がれ業を煮やしたローズは、キッと顔を上げてベルティーユに指示を出した。すっかり目の覚めてしまった朝の弱い彼女は、寝起きローテンションの域を越えてハイテンションに移行してしまった。形の良い眉がぴんとつり上がっている。
「ローズのお願いなら、任せて」
ベルティーユは笑いを噛み殺しながら頷く。意地になって目を開けないラウルに、正面からゆっくり近づき膝をつくと、シーツの隙間から手を素早く差し込み、わき腹をくすぐった。
「……ふっ、はははっって、うわあああ!?」
「ふぎゃっ」
笑いと共に目を開けて、くすぐった犯人がベルティーユだと気付いた途端。驚いたラウルが後ろへ飛び退る。その拍子に、上に乗っていたローズ共々ベッドから転げ落ち、ローズはお尻を打って声をあげた。
「おはようございます、ラウル様。今朝は随分粘りましたね」
「あ、ああ。おはようベル。……くすぐるのは反則じゃないか?」
なんだかじとっとした目で非難されてしまった。
「ラウル様? ローズにもおはようは?」
「ああ、ごめんおはよう……って、ローズ! 紅茶はそんな傾けて押し込むものじゃ……ぐっ」
ラウルを押し倒す勢いで、ローズがその口に冷めたミルクティーとクッキーを、交互に押し込み流し込んだ。目が据わっている。ちゃっかり、三枚目のクッキーは自分の口に入れながら。
そのされるがままのラウルと、世話を焼くローズの微笑ましい姿に破顔しつつ、ベルティーユはポケットの中の赤い封蠟の封筒を、スカート越しにぐっと押さえる。
森に捕まっていた男達。彼らの一人が所持していた封筒。
ラウル宛てだったため、検分したグラスからベルティーユへと渡された。――ベルティーユが、これからラウルの部屋を訪れるので預かると、申し出たから。
上質な封筒は、男の服の内ポケットにしまわれていたものの魔術処理が施されていたようで、折り目ひとつなかった。今はグラスによって処理を解除され、ベルティーユのポケットに畳んで押し込まれているから、中でぐしゃりと曲がっている。
この封筒をラウルに渡すつもりはない。
赤い封蠟を押されたそれは、命令の意を含む召喚状だ。
封蠟には二頭の獅子に、蔦と剣。ベルティーユが三年前まで暮らしていた、母国王家の紋章。
裏に署名は何もない。ただ宛名にラウルの名があるだけ。
けれどその字は――よく知る兄の筆跡だった。
手に入れた幸福な日常を侵す染みのようなその手紙を。スカート越しに握り潰した。
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