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本編
3 ベルと三年後
しおりを挟む西大陸の南部に位置する、深い森の中。
森は青々と茂り、かつては先触れのように人里との境界近くに佇んでいたはずの館を囲み、飲み込むように広がっていた。
蔦が美しく絡む館には、北と南に二本の細道。高い塔が寄り添うように建つ。
塔は物見のためのものだったのか、貯蔵のためだけのものなのか。窓の類は尖塔付近のひとつだけ。その窓の鎧戸も、今はきっちり締められていた。
館の鎧戸の一つを開け放つと、窓から徐々に朝日が降り注ぐ。
台所に立つベルティーユは、ケトルを鍋つかみで持ち上げた。
今日のお茶はたっぷりの茶葉に乾燥させたレモングラスをひとつまみ。こぽこぽと泡を作る沸騰したお湯を勢いよく注いで、ポットの中で茶葉を踊らせる。
砂時計をじっと監視してしばし。ぴったりの蒸らし時間、茜色の液体を専用のカップに注いだ。濃いめのお茶に、五分の一のミルクを回すようにして注ぎ足す。今ではもう慣れたもの。
「うん。今日もばっちり」
火の熾し方も、鍋つかみの存在だって知らなかった。全部この館に来てから知り、覚えたこと。
火の扱いは難しいからと館の厨房を預かるローズは、ベルティーユが一人で厨房に立つことになかなか首を縦に振ってくれなかった。お許しを得たのは、たっぷり半年は経ってから。それ以来、館の主への朝のお茶淹れはベルティーユの役目になった。
出来ることと任されることが少しずつ増えるのは、何歳からでも単純に楽しくて嬉しい。
お茶とスコーンを乗せたトレイをベッド脇のローテーブルに置き、ベルティーユは屈んで、眠る館の主の顔を覗き込んだ。
朝の弱い彼を起こすのは、ベルティーユの役目だ。それまでその役を引き受けていた前任者曰く、とんでもなく手間がかかって面倒臭い役目。
――そんなことないのに。こんな間近で寝顔を見放題なんて、とっても役得だもの。
カーテンを開け放った窓越しの光が差し込み、白灰の髪がキラキラと光る。ベルティーユは、陶器のように滑らかな頬にギリギリ触れないよう指を滑らせ、瞼にかかった髪をそっと避けた。隠された宝石のような紫の瞳を早く見たくもあり、もう少しこのまま眺めていたくもあった。
あどけなくも見える寝顔は、ベルティーユと出会った三年前と変わらない若々しさ。
十九歳になり、その分だけ確実に歳を重ねた自分と、つい比べてしまう。
「魔力が高ければ高いほど、歳を取るのがゆっくりになるなんて。ただの西大陸の冗談だと思っていたのに」
目の前で歳を取らない青年の美しさをまざまざと毎日見せつけられては、認めざるを得ない。
世界はベルティーユの知らない事で溢れている。
「さてと――――ラウル様! 朝ですよ~!」
「ぐえっ」
ベッドの上で健やかな寝息を立てるラウルに向かって、身体ごと倒れ込んだ。
千年以上昔に世界を覆っていた魔法は、時を経て魔術へと呼び名と形を変えた。
魔法の発祥とされる西大陸でさえ、魔法を扱う魔女はいつしか姿を消し、僕《しもべ》であったはずの魔術師は、職業のひとつになった。人々の魔力は魔道具を扱う為の動力に過ぎなくなり、西大陸以外では魔女の残滓すらもう、どこにも感じられないという。
東大陸では、魔女は既にお伽話の類だった。そんな中、西大陸には未だに魔女の仕掛けと魔力が残る、貴重な古く深い森が存在する。
ラウルはその中のひとつ、南の森を預かる高位魔術師。
西大陸からやって来た商人だなんて、とんでもない。
あの晩、一人の高位魔術師の気まぐれによって、ベルティーユは救われた。そして役目と仕事を得たのだ。
目下のベルティーユの仕事は、時間までにラウルを起こすこと。
困ったことにラウルはめっぽう朝に弱い。普通に揺すったり、声を掛けたり、シーツを取り上げたり。ちょっと乱暴に耳を引っ張ったくらいでは、まったく起きない。そうして前任者より受け継いだ起床の技が、全体重による飛び込みである。
「お は よ う ご ざ い ま す」
「お……おはよう、ベル……退いてくれ」
魔術師のセオリーに洩れず体力最低値のラウルが、観念したようにベッドを三回叩いた。
「はい、おはようございますラウル様」
起き上がってすかさずトレイごとお茶とお菓子をラウルに渡す。そのままスムーズに起床へと持って行く作戦である。
「…………たまには普通に起こしてくれないか、ベル」
欠伸を噛み殺しながら、ラウルがベルティーユの愛称を呼ぶ。
この館に引き取られて――正確には転移陣で煙のように転移させられて――次の日から、彼女は館の居候『ベル』として生活している。
「普通に起こすと、お昼過ぎまでベッドを出てくださらないのは、ラウル様の方じゃありませんか」
「だがなあ。このままだと私の身が保たん」
「仕方ありませんね、それでは三択です。機嫌の悪いグラスの鉄拳か、機嫌の悪いローズの飛び込み、そして私の倒れ込み――明日からどちらになさいます?」
ベルティーユは指を三本順に立てながら、真顔で提示した。
ラウルは諦めたように、三本目の指を指差した。ベルティーユの同僚であり先輩であるグラスとローズは、ラウルと同じく朝がめっぽう弱い。そのためこの二人が起こしに来ると、互いにローテンションでの残念な起床に行きつくらしい。心底ベルティーユは早起きが得意で良かったと思う。
「君の当面の世話をグラスとローズに任せたのは私だが。でもそんな所まであの二人を真似しなくてもいいんだぞ? そもそも君は客人だから、仕事をする必要はないし……」
ラウルが口元に持って行ったカップの中で、もごもごと抗議する。
「二人とも素晴らしい同僚で、大切な友人です。さ、スコーンも食べちゃってください。焼いたのは昨日ですけど、自信作なんです」
「うまい」
「ありがとうございます」
起きぬけでぼんやりしているラウルとの、この朝の時間がベルティーユは一番好きだ。いつもの余裕の態度が抜けて、やり取りだけなら友人のように感じられるから。
実際は、彼女を救い出してくれた恩人であり、雇用主。正確な歳はわからないけれど、ずっと年上。地位もある。
こんな接し方を許される相手ではないのに。
「それに」
「それに?」
最後のかけらを口に収めお茶で流し込んだラウルが、側に立つベルティーユを見上げた。
「私は今、毎日がとっても楽しいんです」
「自分で火を熾さなければならなくて、水仕事で手が荒れる。外に買い出しにだって行かなければならない。この館での生活は、君が侯爵家に留まったなら、一生触れることのなかったものばかりだろう」
ベルティーユは笑顔で首を振った。
「グラスやローズとおしゃべりしながら身体を動かすのは、私の憧れていた『やってみたいこと』そのものです。つまらない事なんて、ここにやって来てから何一つありませんから」
いつか友人を作って、一緒に笑い合ってみたかった。
誰かの役に立つ人間なのだと、感じてみたかった。
「こんな朝早くから私を起こすなんていう、いらん雑務まで押しつけられているのに、か?」
「あら。このお役目は、中でもとびきりお気に入りですよ」
あの晩、ラウルの手を取って良かった。
ベルティーユは誰かの手を煩わせるだけの、役立たずなんかじゃない。
今は自分のことを、そう思えるから。
「――そうか。それなら仕方ない」
ラウルは盛大な溜息のあと、眠そうな紫の瞳で笑った。
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