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本編
2 ベルティーユとラウル
しおりを挟む――信じられない快挙だわ。
ベルティーユは、人生で初めて兄以外の男性と踊っている。
初めて空を飛んだ雛鳥の気分だ。
ラウルが疲れたと言うまでは絶対にステップを止めるものか。この先一生、こんな好機は巡って来ないだろうし。そんな意気込みで彼と一緒に踊りはじめた。
だから、最初は覚束無かったラウルの足取りが、ほんの数曲で他の紳士と遜色なくなった頃。
彼女は、小さな声でくだけた会話をするくらいの勇気さえ持てた。
「初めてだなんて、信じられません。とてもお上手」
「ありがとう。しかし華やかな場所や人の多い所が昔からどうも苦手で。得意なのはジメッとした地下室や、誰も登れない塔の上。それに、使用人にすら存在を忘れられた書庫とか……」
冗談を言いながら、ラウルは実に楽しそうな足運びだ。
「けれど、ダンスはお好きになりました?」
「ははっ。そうだね、今度から自己紹介に趣味はダンスと加えよう。ところで、君の今夜の踊る予定を、私が独り占めしてしまっているようだが。迷惑かな?」
「迷惑なんて、とんでもありません。私のリストはいつだって真っ白ですもの。兄以外と舞踏会で踊ったことすら無いのです」
「おや。この国の紳士は、とんだ腑抜け揃いということか」
ラウルがそう首を傾げれば、ベルティーユがくすくすと笑う。
自分が他の娘達のようにくすくす笑えるなんて、今まで知らなかった。
「ふふっ、手厳しいのですね。誰も未熟な人見知りに、ダンスなんて申し込みませんわ」
「君は今、私としっかり会話をしていると思うのだけれど。兄上の言うような、人見知りのお嬢さんには見えないよ。彼は少し、過保護が過ぎるのではないかな」
ラウルが探るように目を細めた。
「それは――」
「何かな」
ラウルは答えを濁すことを許してくれない。どうも西大陸からやってきた彼は、物事を曖昧にしておくことを好まないらしかった。
ベルティーユは少しだけその真っすぐな視線を避けて、言葉を紡いだ。
「きっと私が外で失敗をして傷付くのを、とても……その、心配してくれているのです」
「彼が君を心配しているって?」
「……はい」
「本当にそう信じているなら、忌々しき迂拙《うせつ》さだが……違うだろう?」
辛辣な返しに、ベルティーユはきゅっと唇を引き結ぶ。
兄が傷付くのを懸念しているのは、家名と彼自身の評判だ。そんなこと知っている。そしてラウルも、ベルティーユが建前を述べただけだと分かっている。分かっていて聞いているのだ。この国の人間であれば絶対に踏み込まないような事を、敢えて。
「家族とは、手を離して見守るものではないかな。一生妹の面倒を見られる訳でもなし。君が独り立ち出来るようにするのが、兄である彼の本来の務めだろう。まあ、この国の上流社会では、即ち安泰な嫁ぎ先を探してやるって意味になるが。彼の行動はまるで――君という玩具を手放さない子供だ」
ぎりぎりと、容赦なくラウルが核心を突いてくる。
半年前。兄の婚約の話題が持ち上がったとき。
ベルティーユは密かに期待をした。妻を娶れば、彼の腕の囲いが緩むのではないかと。ゆくゆくは自分もどこかへ嫁ぎ、新しい家族のことで頭をいっぱいにして、兄の幼い頃からの仕打ちなんて思い出さなくなるかもしれない。そんな夢想までしてみた。……けれど。
『安心するがいい、ベルティーユ。婚約者を決め、妻を娶っても、ずっとお前の面倒を見てあげる。だって何もできないお前は、僕の側を離れたら野垂れ死んでしまうだろう? ……まさか嫁ぐ器量があるだなんて、勘違いしてないよね』
兄はその晩、夜着と寝台のシーツ越しにベルティーユの太腿を撫でながら囁いた。布越しとはいえ、そんな場所まで撫でられるのは初めてで、彼女は必死に悲鳴を噛み殺した。
ベルティーユの顔を見下ろす、青い瞳が怖かった。撫でられた場所が気持ち悪くて、寒気が治まらなかった。安心どころか、その夜は怖くて一睡も出来なかった。
「本当は、ずっと昔から気付いていました。私のリストが真っ白なのは、私が誰かと踊るのを兄が嫌がるから。だって皆、兄の顔色を気にして、私の存在から目を逸らしますから。……兄は玩具を、当分手放すつもりはないようです」
諦念を含んだ笑みで、目の前の青年を見返す。
「君は一生、それを受け入れるのかな」
ラウルのあまりに真っすぐな視線と平坦な声に、一瞬怯んだ。
けれどすぐに首を振る。
諦めて縮こまるばかりなんてもう嫌だ。
「いいえ。それは兄の都合ですもの。私は、兄の気分が変わるのを待つのばかりの自分をやめようと、今夜決めました。――ラウル様のお蔭です」
「私?」
「はい。あのように兄の目の前で、私の意思を確認してくださる方なんて、今までいらっしゃいませんでした」
「かなり意地悪を言った自覚ならあるんだけどね」
ラウルが少しだけばつの悪そうな顔をする。
「お蔭で、一人で立つことが出来ました。だから辛辣な言葉も嬉しいです。だって、こんな風に感情のままに本音を口にするのも、それを許されるのも、初めてなのですもの。……きっとこの先お会いすることはないでしょうけれど、ラウル様がダンスをお土産になさるならば、私はラウル様との出会いを宝物にします。きっかけをくださったこと、決して忘れません――ありがとうございました」
伝えられたと満足感を噛みしめながら笑いかける。心からの感謝をこめて。
ちょうどダンスが終わった。
お辞儀から顔を上げると、ラウルはじっとベルティーユを凝視していた。
「ベルティーユ嬢、君に提案があるのだけれど」
「提案、ですか?」
ラウルのアメジストの瞳が、猫の目のように光った気がする。
途端にベルティーユは首筋に震えを感じた。先程までの友人と語らうような気安さが、どこかに吹き飛ぶ。少しだけ、真っすぐすぎる瞳が怖いと思った。
「君を今夜、この国から連れ去るという提案だ」
「…………はい?」
思わずぽかんとしてしまう。意味が分からない。けれどラウルはベルティーユの反応を予想していたようだ。思わず一歩下がり、他の人とぶつかりそうになった彼女を、難なく支えてみせた。
「なぜ、急にそんな」
「君を気に入ったから」
「私達、そんな話をしていましたか?」
「いや。けれど楽しい時間はもうすぐ終わりのようだから、その前にと思って」
そう言って、ラウルがにっこりと笑った。
そもそもこれは何だろう。からかい? それとも拐しの宣言?
「ラウル様は、兄かグレンドール家への関わりをお持ちなのでしょうか?」
過去に何か遺恨でもあるのだろうか。
「いいや。君とも、君の家族とも初対面だよ。この国を訪れたのだって、ええと……何年ぶりだ?」
目を細めて、指折り数えはじめた。
「それでは、人形のような女がお好みでしょうか」
兄の望むような、無抵抗の。
「人形じゃないだろう。ベルティーユ嬢は私と笑いながら踊り、本音を零し、家族のおかしさを認めた。変わる決意までみせてくれた。ほんの一刻でこんなに変わるなら、枷の全て外れた本当の君を見てみたくなったんだ」
「同情……」
「しているように見えるかな?」
ベルティーユは静かに首を振る。ラウルの口角が上がった。
笑顔だが、発言がかなり酷い。何だか頭痛がしてきた。眉間に皺を寄せると、にんまりと笑うラウルと視線が絡んだ。
目の前に、彼の右手が差し出される。
まただ。
彼はベルティーユを挑発し、試している。
「もしかして、面白がっています?」
「かなりね。ほら、急いで決めないと兄上が駆けつけてしまうぞ。どうする」
視界の端に、人混みを抜けベルティーユに近づこうとする兄の姿が映った。
解き放たれたような時間はもう終わり。
家に帰れば、きっと…………。
「そんなこと、決まっています」
この出会いも唐突な誘いも、全てが偶然の重なりとは到底信じられない。何かしら裏があるのだろう。そう考えるくらいには、ベルティーユは子供ではない。
グレンドール家は建国から続く侯爵家。それなりに禍根を抱えているし、兄の周りだって、きっと友好的な信者ばかりでは無いだろう。家か兄に対する、何かの罠なのかも。
そもそも、貴族家の娘であるベルティーユを連れ去るなんて、言うほど簡単じゃない。
――ラウル様の言動は、かなり胡散臭い。それでも。
「ご提案、お受け致します」
相手の家名も何も知らない。商人というのだって本当かどうか。出会ってからほんの一刻足らず。
これが本の中のお話なら、ベルティーユは確実に騙され利用される娘役だ。
――けれど騙されていたとして、何か困ることがある?
道を選べる機会なんて、彼女の人生にはなかった。
「はい」も「いいえ」も、兄の顔色を伺わず、両親の邪魔になることを気にせず。自分の意思で選べるって、なんて贅沢なことなのだろう。
どこか遠くへ行けるのならどこへでも。
檻から出られるのなら、何だっていい。
せっかく選べるのなら。
ラウルの手に右手を重ね、力を込めてきゅっと握った。
「グレンドール家の娘、ベルティーユ。『紫煙のラウル』の名において、君をここから連れ去ろう」
兄が声をかける直前。
芝居がかった物言いと共に、繋いだ手が彼女を引き寄せる。
目を見開いたベルティーユは、ラウルと一緒に『煙』のように忽然と姿を消した。
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