紫煙と箱入り

アルカ

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本編

7 紫煙と魔女 ラウルside

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「もう少し早く止めるべきだったか」
 ラウルは無事な一人掛けのソファに腰掛けて、呟いた。

 グレンドール侯爵へ与えられていた王宮の客室は、今は見る影もない。
 テーブルは倒れ、ソファは刀傷で中の詰め物がはみ出し、樫の脚が折れているものもあった。カーテンは切り刻まれて、割れた美術品が散乱する。壁には抉られたような跡も。部屋の中だけ嵐が通り抜けたようだ。
 何より酷いのは血の色。赤い飛沫は壁と床に飛び散り、絨毯の所々に血だまりを残していた。

 兵士が部屋に踏み込んだ瞬間。ラウルは、ベルティーユと南の森に残していた従者グラスの位置を入れ替え、転移させた。
 しかし残念なことに。
 倒れ伏すグレンドール侯爵と、平然と立つラウルの姿を見て、駆け付けた王宮の兵士達は――彼らにとっては当然の行動だが――ラウルに切っ先を向けてしまった。
 主に向けられた敵意を払うのは、従者の役目。入れ替わりで転移してきたグラスは、彼らに一切容赦をしなかった。ベルティーユが血で汚すのは忍びないと、ナイフを控えたというのに。師であるグラスの方はお構いなしだ。
 兵士たちも、遅れてやってきた王宮の魔術師たちも。そして意識を取り戻したグレンドールにさえ。グラスは平等に刃を振るった。
 こうして、部屋の惨状が造られたのである。

「急所なら外してありますし、関節も頭も壊していない。ラウル様に刃を向けてこの待遇は、破格でしょう。ここに居るのがローズだったら、城ごと火の海だ」
 傷一つない澄ました顔で、横に立つグラスが肩をすくめた。後ろ手に組んだ黒の手袋が血に濡れている以外、服の乱れもない。

「そうか、あれで手加減していたのか。まあ確かに誰も死んではいなかったものな。さて、王とてこれ以上被害を出してまで、君を助けようとは思わんだろう。しばらく外が静かなら十分。――早速話し合いを始めるとしようか、グレンドール」

 ラウルは部屋の中央に一人取り残され膝をつく男に、紫の瞳を向けた。


 ◆◆◆


 魔術師と魔女は、全く別の存在である。

 魔術師はあくまで人の職業のひとつだ。
 大地と精霊、魔力への研鑽を積む神秘の徒弟だなんだと、御歴々が高尚な言葉を並べたてても。魔術師は人の域を出ない。
 魔力が多い者は、歳を取るのが遅くなるなんて言われているけれど。魔力全盛期が十数年延びる程度。肉体の限界からは逃れられはしないのだ。人は、百年ちょっとで老いて朽ちる。

 しかし魔女は違う。
 基本的に寿命はない。不老であり、人間には扱えない魔法を操る、大地と魔力の末梢。性別に関係なく、そんな彼らを『魔女』と呼ぶ。
 時代が進むにつれて、人間は魔女のような似て非なる存在を気味悪がるようになった。迫害と戦争と、魔力の枯渇が同時に起こり、多くの魔女たちは大地に溶けて循環する魔力に戻った。地表の循環を手助けする末梢の枝をいくらか残して。
 ラウルは数名の同輩とともに、地表の循環という貧乏くじを引かされた。
 もう千年も昔の話になる。

 故に彼の正式な名は、『紫煙の魔女ラウル』だ。



「ご主人はベルにあまーい。ま、ベルもご主人に甘いからおあいこだけど」
「……何のことだローズ」

 しぶしぶ目を覚ましたラウルを見下ろし、仁王立ちのローズが薔薇色の瞳を猫のように細めた。
 もう昼近い時刻。目は覚めたものの、二人とも寝起きは相変わらず不機嫌だ。
 ラウルの契約精霊であるグラスとローズは、彼に性質が引っ張られて朝が弱いのだ。

「だって、ベルが朝の係だったときは、罠も結界も張らなかったじゃない。私が係なの知ってるからって毎朝がっちり結界張って! 今朝なんて、森の中ほどまで飛ばされたわ。差別断固はんたーい」
 少女は腕を組み、やれやれというように盛大に首を振った。ベルティーユに代わって、ここ十日ほどはローズが朝の係を引き受けているのだ。

「……ローズの起こし方が過激すぎるからだ。精霊が魔力を乗せて全力で殴ってきて、無事で済むのは私だからだぞ?」
 千年の時を過ごすうちに、この精霊たちはラウルにとって家族になっていた。共に老いることなく、変わることなく過ごすのは、僅かな同輩と彼らだけなのだから。
 情も絆も深まるというもの。主従の関係なんて、今では認識されているのかすら妖しい所である。

「ベルが人間だから優しくしてるの? 他の預かった子達には、こんなに優しくしなかったのに。お手伝いだって、館に残ることだって許さなかったのに。それに今朝方だって……」
「仕方が無いだろう。彼女を外に出すのは危険だったんだ。あの兄は、まだ妹を諦めていなかったからな」
「ふーん……それだけ? それなら、もう解決したんだから、ベルも館から出て行ってもらうのね?」
 信じていないような声が返って来て、ラウルはそっと溜息を吐いた。

 ベルティーユを連れ去るまでにも、ラウルは人間の子供を引き取ったことが何度かあった。理由はさまざまだ。親に捨てられた子供をグラスとローズが拾ってきたこともあるし、魔力が強すぎるからと、王族の赤子を魔術の抑制がきくまで預かったこともある。弟子を取ったことだって、だいぶ昔にはあったのだ。
 けれど。
 彼らに合わせて、人間の真似ごとをしたことはなかった。
 食事をとることも、必要な時以外に夜に寝て朝に起きることも。

 共にダンスを踊ったり、紳士の振りをして手の甲に口づけたり。最初から、ベルティーユへの接し方はおかしかったのだ。
 館の魔術鍵の設定を、ベルティーユを受け入れるものに変えたり。彼女はラウルの仕事部屋にも書庫にも、寝室にだって入ることが出来る。当然そんなこと、グラスとローズ契約精霊以外に許したことはなかった。
 グラスの役目を手伝う彼女に、特製のナイフだって誂えた。決してベルティーユが傷付かないようにとまじないに本気を出し過ぎて、軽くグラスに引かれている始末。


「ラウル様は、どうしてそんなに落ち込んでいるんですか?」
 午後に薬草庫の整理をしていたら、戸口からグラスが顔を出した。

「落ち込んでない。私はいつも通りだ」
 思わずぶっきらぼうに返してしまう。

「いつも通りの訳ないじゃないですか。面倒くさがりで薬草のチェックなんていつもはローズ任せなのに。隅っことか狭い場所に篭もりたがるのって、落ち込んでる時のご主人の癖ですよ。昔はよくあったけど。ベルが来てからは出てなかったのになー」
 ラウルが突き合わせていた帳簿から顔を上げて、青年の水色の目を見返すと、彼は面白そうに眉だけを上げた。精霊は生来、物事をかき回すのが大好きだ。ローズもグラスも例外ではない。

 ラウルだって自分が落ち込んでいる理由なら分かっている。
 ベルティーユの反応だ。
 兄を打ち負かした直後は、こちらが戸惑うくらいに近づいてきたのに。いつものように触れようとしてくれたのに。
 途中から、怯えるように態度を変えて、一歩下がった。
 南の森に戻って来てからも、目を合わせない。それどころか、避けられているような感じさえする。気のせいであって欲しいのだが。

 ――気のせいではないのだろうな……。

「なあグラス。私はやり過ぎたか?」
「はい? あのクソ兄貴の件ですか。俺的には足りませんけど」
「ベルの立場だったら、やり過ぎだと思うか。その、口も訊きたくなくなるくらいの」
「ベルなら足りないって言いそうですけど。俺の弟子ですよ、武闘派ですよ?」
 聞く相手を間違えた感が否めない。

「そもそもこの一年くらい、毎月のようにあそこの王家から召喚状と侵入者が届けられるようになって、煩わしかったので。あんなクソ兄貴さくっと消した方が早いのに、ラウル様は許可くれませんでしたし」
 不満げに暗殺を匂わすグラスに、ラウルが呆れて首を振る。

「何でも武力で解決しようとするな。私は一応善性の魔女ということになっているんだぞ」
「そんな人間の基準、気にしてないじゃないですか。ご主人の性質なら知ってます。善でも悪でもなく、『ものぐさ』でしょ」
 真顔のグラスに、ラウルは小さく笑った。


 ――私は『ものぐさ』の魔女か。言い得て妙だな。

 ラウルは朝方、ベルティーユの寝室に佇み、昼間のグラスとのやり取りを思い出した。
 ベッドでは、ベルティーユが苦しそうに顔を歪めうなされていた。その頬には涙が伝う。
 その涙の意味を知りたくて、拭ってやりたくて仕方ないのに。ラウルには、人の娘の慰め方がわからない。もっと学べばよかったのに。興味がないからと蔑ろにしてきたツケが、今頃になってまわってきた。
 魔女としての誠意の見せ方しか、知らない。

 手をかざすと、眠るベルティーユの周りに絡む、黒い靄が現れた。
 彼女を苛み、悩ませる心の澱だ。かざした手を窓に向けて払うと、それは昇り始めた朝日に溶けるようにして消える。ベルティーユのこれからの一日が、少しでも軽くなるように。気休め程度でも、こうして毎日そっと払っている。
 もう十日になる。彼女の涙はまだ止まらない。

 それでも眠るベルティーユは、健やかで規則正しい呼吸を繰り返し始めた。
 その寝顔を見つめ、涙で冷たくなった頬を拭ってやろうと無意識に手を伸ばして。
 触れる瞬間、ラウルは何とか踏みとどまる。

「これで私が触れたら、それこそあの兄と同じだろう」

 家族なら、庇護者なら、手を離して見守るものだと説いたのはラウル。独り立ち出来るようにするのが務めだと、初対面のベルティーユに語っておいて。
 あの兄と同じような情を抱いているのだから、始末に悪い。

「あの男を克服した君を、私は手放すべきなのだがな」


 勝手に寝室に踏み入り、寝顔を眺めた罪滅ぼしに、ラウルは懐から小さなチョコレートを一つ取り出し、小机の上の皿に乗せた。西大陸の端の薔薇の名産地で作られる、薔薇ジャム入りのチョコレートだ。隣に置く紅茶は、香りの強すぎない、すっきりした風味のミルクティー。

 人の真似は得意ではない。
 だから、ラウルがベルティーユにしてもらって嬉しい事を返すことにした。
 朝のお茶と手作りの菓子。菓子は作れなくても、お茶はラウルが自ら淹れた。
 ほんの少しでも、彼女は喜んでくれるだろうか。
 嫌な顔をされるのが怖くて、ローズの行為だと偽っているくせに。自己満足なのに、期待をしている。

 ――感情というのは、手に負えないものなのだな。

 切ない苦笑いを浮かべながら、ラウルはベルティーユの寝室から姿を消した。


 新月の晩、ベルティーユに声を掛けたのは、ただの好奇心からだった。
 兄を拒絶してみせた、意志を秘めた青い瞳に興味を引かれたのは事実。けれどそれは、どうってことない出会いの一つだと思っていた。甘く見ていた。
 だから、もう会うことはないだろうからと礼を言われ、別れの挨拶を口にされて、ラウルは慌てた。今思えば滑稽なほど必死にベルティーユを引きとめた。
 欲情を孕んだ目を向ける兄の側に、彼女を戻すのが我慢ならなかった。
 千年の時のあいだ。人との出会いなど、いくらでもあった。人はすぐに朽ちて入れ替わる。別れには慣れていたし、惜しんだ記憶すらない。それなのに。

 親切心からだというならば、グラスが言ったように、ベルティーユを連れ去ってすぐにでもあの男を殺して、彼女を自由にすれば良かったのだ。
 けれど、ラウルは敢えてそうしなかった。
 面倒だからと放っておいて、彼女が森から巣立つ素地を潰し続けた。三年も。
 ローズもグラスも気付いている。

 ラウル自身も認めなくてはならないだろう。
 大地を巡る魔力の末梢の分際で。不必要な感情を得てしまった。


 こんなにも、ベルティーユに恋焦がれているのだと。

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