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本編
8 冬の朝と贈り物
しおりを挟む――兄にされてきた事なんて、全然大したことないって思っていたのに。深く傷付いてなんて、いない筈だったのに。
早朝。いつもなら起き出す頃合い。
ベルティーユは、ベッドの中でシーツを頭から被り丸くなる。寒さに冷えたつま先を、膝を曲げて身の内に抱き込んだ。
少しして、滲んだような冬の朝日が窓を満たす頃。
窓際のローテーブルからは、紅茶のふくよかな香り。シーツの隙間から覗くと、湯気を立てるカップ。その横には、薔薇の形をした小さなチョコレートがひとつ。
それは、可愛らしい花が一輪の日もあれば、甘いキャラメルヌガーの日もあった。湯気から漂う香りの誘惑と、小さな贈り物に励まされて、ベルティーユはシーツから顔を出した。
「……よし。いい加減、起きなきゃね」
一人の部屋で誰にともなく言葉を紡ぐと、ベッドから起き出す。ベルティーユは慣れた仕草で、目元の涙のあとを拭った。
朝起きると頬が濡れているのは、ここ毎晩のこと。泣くような起伏の激しさは、あまり持ち合わせていないと思っていたのに。不思議なものだ。
口に含んだ紅茶はまだ温かく、舌で溶けたチョコレートの中からは、薔薇ジャムの香りが溢れた。
ベルティーユが朝のラウルへのお茶淹れを休んで、もう十日が経つ。
意識的に距離を置いてみれば、ラウルのもの問いたげな視線を躱し、言葉を交わさない生活は、簡単に叶ってしまっていた。
兄と決別するために、母国に乗り込んだあの日。
王宮での顛末を最後まで見届けること叶わず、ベルティーユは一足先に南の森へ強制転移をさせられてしまった。館で待ち構えていたローズには、朝のうちに勝手に一人で乗り込んだことと、彼女を連れていかなかった事を、涙目でこっぴどく責められた。けれど、落ち込んだ様子のベルティーユを、小さな身体でめいっぱい抱きしめてくれた。
その後、ラウルと、いつの間にか彼に付き従っていたグラスが館に戻ったのだが。グラスは何も語らず、ラウルのことはベルティーユが徹底的に避けている状態だ。
「おはよう。今日もお茶とお菓子をありがと……あら、どうしたの?」
台所にエプロンを付けながら入ると、既にコンロの側に立つローズが、静かに怒っていた。
「おはようベル。もう我慢ならないわ、ご主人ったら酷い。私の使い魔を、こんなにしちゃったのよ」
ローズの目の前には、彼女の魔力で生み出された使い魔のピコがいる。
ピコは、ローズが使役する雲のように真っ白な綿状の小人だ。手足は形成されているけれど、目鼻や表情はなく、身長はベルティーユの腰に届かないくらい。まるで大きなぬいぐるみの、中身だけが動いているような姿。いつもとてとてと可愛らしい姿で動き回り、ローズやベルティーユを手伝って、館の手入れをしてくれる。
そのふかふかの体が、何故かかなり薄っぺらい。
「薄い……。いえ、横に潰れているのかしら」
頬に手を当てベルティーユが応えると、ローズが頷いた。
「今朝はご主人を起こしにピコを行かせたの。毎朝の攻防に疲れちゃって。それなのに、いつまで経っても起きてこないから、仕方なしに見に行ったら。哀れなピコを下敷きにして、すやすや寝てたのよ。お蔭で私のピコはぺったんこ!」
「きっと、とっても抱き心地が良かったのかも。ピコって、見た目も綿みたいだけれど、中身も綿だったのね……」
フェルト生地のように、すっかり目が詰まってしまっている。
「この子は薄っぺらになっちゃったのよ。もう元には戻らないの。こんなに薄くなってしまったら、将来は魔道具の絨毯として闇市にでも出すしか無くなるわ!」
「そ、それは悲惨な末路ね?」
わっと泣く振りをしながら、ローズがベルティーユの腰に腕を回して抱きつく。彼女の猫毛で真っ赤な髪を整えるように撫でながら、ベルティーユは、これは魔術師特有の冗談なのか本気なのか、と測りかねていた。
「ピコ任せにしないで、ローズが起こしに行けば良かっただろう」
ひょいと廊下側から台所の入口に顔を出し、口を挟んだのはグラス。
「嫌よ。この所、すっごく寝起きが悪いし、ナメクジみたいにべそべそしているし。私をはじく魔術まで使うの。朝の当番制の復活を望みます」
目の据わったローズが反論する。
「ごめんなさいローズ、私が……」
今ベルティーユの役目を肩代わりしてくれているのはローズなのだ。朝がとっても弱い筈なのに。
「違うのベル。グラスがすればいいんだって意味よ」
ローズがベルティーユの手を握る。柔らかな手の感触に、涙腺が緩みそうになる。
本当に。どうしてこんなに弱くなってしまったのだろう。
「なんで俺? 余計に雰囲気悪くなるだけだぞ。一番丸く収まるんだから、今まで通りベルがやればいいだろ」
と、迷惑そうな顔のグラス。そもそもグラスはベルティーユに対しては迷惑そうな顔が標準なので、どの程度迷惑しているのかは推し量れない。
「ベルを苛めたご主人が悪いんだから、ベルは行かなくていーの」
目を三角にしたローズが、グラスに言い返す。
「あの、別にラウル様に苛められてはいないけど」
そこは訂正をしなければ。ラウルは何も悪くないのだ。避けているのはベルティーユの気持ちの問題であって。
「そうなの? じゃあどうしてベルは、ご主人と喧嘩してるのかしら?」
ローズが首を傾げてベルティーユを見あげた。薔薇色の瞳がきらきらと見つめてくる。
「へええ、喧嘩していたのか。それでずっとラウル様、仕事中もああなのな。なるほど~」
頷くグラスも、ベルティーユに目を向ける。心なしか楽しそうだ。
二人の視線がベルティーユに集中した。
「喧嘩なんてしてません。これはその、私の気持ちの問題というか、意気地のなさが原因というか……」
まるであの日のラウルのような言い訳だと、要領を得ない自分の回答に内心苦笑いしつつ、急いで首を振る。
「あら。それじゃあどうしてご主人は、毎日ベルに贈り物をするの?」
「贈り物は女性への謝罪の常套手段って言うよな。ご主人に思い付く甲斐性があったことには正直驚き……いてっ」
グラスの言い様にローズが無言で近づくと、彼の足を踏んだ。すかさずグラスはローズのツインテールを軽く引っ張る。二人とも連日早起きをして、気が立っているらしい。
「ラウル様から贈り物なんて、私は頂いて――」
そこまで口にして、ベルティーユは気が付いた。
「貰っているでしょ? お茶とお菓子、たまにお花。毎朝ご主人が手ずから用意してるんだよ。ここより早く夜が明ける国の市場で、仕入れてくるの。そこから二度寝しちゃうから、寝起きの悪さに拍車がかかって…………あ。今のは全部内緒だった」
ローズが自らの口の前で、バツ印を作って続きの言葉を飲み込んだ。
「……あれはローズが用意してくれてるって」
戸惑うベルに、口を塞いだままのローズが首を振る。
「ベル」
目を見開いて固まるベルティーユに、グラスが声を掛けた。
「……なに?」
混乱したまま視線を向けると。
「信じられないなら、確かめてみれば良いだけだろ?」
グラスが肩をすくめて言った。まるでいつものお使いを頼むように、軽く。
そう。簡単なこと。
直接聞いてみればいいのだ。
こんな私でも、大好きなあなたに触れても良いですか? と。
◆◆◆
ベルティーユを見送り、グラスとローズは二人揃って大きな溜息を吐いた。
「ローズ。わざとだろ。随分綱渡りしたな……」
グラスはこめかみを押さえ、苦い顔でローズを見下ろす。
ラウルが隠してベルティーユに贈り物をしていたなら、ローズは口止めされていた筈。ラウルの口止めは、グラスやローズにとっては契約の一種にあたる。破るには、それなりに手順が必要になるのだ。裏技ですり抜けるのも中々に面倒くさいし、疲れる。
「仕方ないでしょー。ご主人を待ってたら、一年はかかっちゃう。それに、私もグラスも頭脳労働向いてないんだから、ばらすのが一番早いってものよ」
ここ数日の寝不足を隠すことなく、ローズが大欠伸をした。
「確かに。……そもそもだ。あのベルの兄貴のことが解決したのに、なんであいつらはくっつかないんだろうな」
さっさと片付いてくれないことには、グラスもおちおち安眠できない。ラウルの精神状態は、彼らの安寧に繋がっているのだから。
「それを私に聞くの? うちで起こる困りごとって言ったら、大体はご主人がものぐさだからでしょう」
「ものぐさにしては、今回は影で頑張った方だよな」
「そ。だから、次はベルに首根っこ掴まえてもらわなきゃ」
ローズがにんまりと笑った。
「掴まえるのはあくまでベルの方なのか」
「だって相手はご主人よ? そんな甲斐性最初からあったら、ベルは毎日あんなに目を腫らしたりしなかったでしょうし、私のピコは潰れなかった……。せいぜい、慌てるといいんだわ」
ローズが鼻を鳴らした。赤い髪が生き物のように色を変えながら揺らめく。
許可なく触れるもの全てを燃やし尽くす、温度のない炎。かつて『南の森の業火』と呼ばれ、恐れられた赤い髪。愛くるしい見た目に反して、怒らせて本当に怖い従者は、ローズの方だ。
「最後のが本音だな……」
グラスは密かに嘆息した。
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