狭間の島

千石杏香

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令和4年

第1話 端緒

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千石杏香がその話を聴いたのは、令和四年・五月のことだ。

オカルト的なものを杏香は信じていない。霊魂や超能力・未確認飛行物体の存在でさえ冷淡だ。それは、極端な神秘主義者が身内におり、現実離れした話を聴かされ続け、疲れ果てたためである。

そんな杏香でも、あれは何だったのかと思うことはある。

杏香は鳥取県の出身だ。十代の頃は倉吉市の高校に通っていた。駅が一つしかない地方都市――倉吉駅の裏側は、数十メートル先の山際まで空き地が拡がっている。山の前には、周囲から孤立するように真っ白な鳥居が建っていた。

そんな鳥居が気にかかり、学校帰りに参拝する。

社の名を上井あげい神社という。

鳥居に近づくと参道が見えた。勾配のきつい石段が真っ直ぐ伸びている。

一方、鳥居の右手には、「古墳➡」と書かれた看板があった。矢印の先には、未舗装の山道が続いている。

ひとまずは石段を昇り、上井神社を参拝する。

そのあとは、興味を持って看板の示す方へ進んだ。

森の中に、古墳はあった。

樹木に埋もれるように、二、三メートルほど地面が盛り上がっていた。正面には玄室が開いている。這入はいることも難しくなさそうだ。しかし、不快な物が出てきそうなので這入らなかった。

それから四、五年後――京都へ移り住んでいた杏香が、地元へ戻ったときのことだ。

倉吉駅の前を通りかかり、古墳のことを思い出した。

懐かしさもあり、上井神社へ参拝する。

参拝した後は、「古墳➡」の看板に従って小道を進んだ。

ところが、どれだけ進んでも古墳はない。

やがて小道は森を抜け、住宅地へと出た。

首を傾げつつ、杏香は戻る。

やはり古墳はない。

しばらくは、古墳を探して小道を行き来した。

途方に暮れつつ鳥居へ戻る。すると、ちょうど参道から一人の老人が下りてきた。何か知っているかもしれないと思い、彼を呼び止めて尋ねる。

「すみません――古墳ってどこにあるんですか?」

すると、彼はこう答えた。

「ああ、途中に石が転がっとるでしょ? あれが石室の跡です。」

不可解に思いつつ、小道へ戻る。

やがて、道端に転がっている岩が見えた。確かに、石室の跡にも見える。だが、記憶の中の古墳とは似ても似つかない。それでも、これ以外に古墳らしきものはない。

このことは、京都へ戻っても気にかかっていた。

なので、ネットで何度か検索をかけたのだ。

すると、波波伎ははき神社という社の存在を知った。倉吉市内に存在する神社だそうだ。初めて聞く名前である。境内には、一基の古墳が存在しているという。

古墳の画像を目にし、一瞬、世界が少しずれたような感覚がした。

上井神社で見た古墳だったのだ。

調べてみれば、波波伎神社は上井神社と同じ山にあるという。ただし、地図の上に直線を引いても一キロ離れている。道は直線ではないのだから、もっと離れているだろう。

いてもたってもいられなくなり、杏香は帰省する。

そうして、波波伎神社を訪れた。

地図を頼りに住宅地を歩いてゆく。やがて鳥居を見つけた。参道を進み、境内に出る。参拝したあとは、看板に基いて森を進んだ。

そして、すぐに古墳を見つける。

五、六年ぶりに、全く同じ古墳を杏香は目にした。

杏香にとって唯一の「らしき」体験がこれだ。

さらに数年後のことである。

「LGBT」の問題に杏香は首を突っ込みだした。

杏香自身、両性愛者で性別違和者だ。

一方、いわゆる「LGBT」という言葉には強い違和感があった。やがて、「越境性差トランスジェンダーの人権」を盾に女性の権利が侵害されつつある事実に気づく。結果、その反対運動に身を寄せていったのだ。

そして、山本留衣と知り合った。

山本留衣は仮名だ。当然、ネット上で明かしている名前も違う。両性愛者の女性であり、ツイッターを通じてフェミニズム関連の運動を行なっている。

杏香と留衣が出会ったのもツイッターだった。

ツイッターには「スペース」という集団通話機能がある。杏香が留衣と初めて話したのは、越境性差トランスジェンダーと女性専用エリアの問題を扱った「スペース」でのことだった。

それを期に、お互いによく話す仲となる。

杏香と留衣は、興味の向く対象がよく似ていた。民俗学・言語学・心理学・それらを題材とした小説など――なぜ、こんなことで話が出来るのか不思議に思えるほどに。それは、杏香も留衣も自閉症スペクトラム障碍の当事者だからかもしれない。

そして、令和四年・五月の中旬ことだ。

深夜のこと――杏香と留衣は共に酒を呑みながら「スペース」で話していた。他に人はいない。

そんなとき、上井神社で出会った古墳のことについて杏香は話した。古墳の話から、波波伎神社についての民俗学的考察へと話は移る。

一通り話し終えたあと、留衣はこう言った。

「千石さんの話を聴いてると――学生の頃の友人を思い出しますよ。」

「私ですか?」

「ええ――まあ。昔、そんな人がいたんですよ。」

少し間を置き、留衣は言う。

瓜生島うりゅうじま――って、ご存じですか?」

「あの――沈んだってやつですよね?」

瓜生島は、大分県の別府湾に存在したという島だ。

またの名を「沖ノ浜」という。

伝承によれば、瓜生島には神社があり、恵比寿の像が祀られていたという。この像の顔が紅くなるとき、大災害が起きると言われていた。あるとき、不信心者が顔を紅く塗ってしまう。結果、瓜生島は一夜にして沈んでしまった。

伝承と言えば伝承だ。しかし、「沖ノ浜」と呼ばれる地名が存在し、文禄五年――千五百九十六年――の慶長豊後地震によって壊滅したことは様々な資料から確認できる。

「沖ノ浜」については、島だとも半島だとも港だとも言われる。実際に別府湾の海底を調査したところ、巨大な地滑りの跡が確認された。

「その島に――行ったことがあるんですよ。」

それから、異様な出来事について留衣は語った。話を終えたあとは、夜も更けていたので「スペース」を閉じる。そして杏香は布団に身を横たえた。

深い眠りの中で、おぞましい夢を見た。杏香の故郷の鳥取――真っ暗な日本海の向こうに小島が見える。何者かに追われて小島へ這入り、出られなくなり、不気味で不快な物を見た。

翌朝――目を覚まし、強い二日酔いに気づく。

鈍い頭痛の中、留衣の話が気にかかる。あのとき聴いたことは、途切れ途切れにしか覚えていない。まさかとは思うが、自分の見た夢の内容が半ば入っているのか。

数日間――そのことをずっと気にかけていた。

やがて、杏香は留衣へとメッセージを送る――何日か前にこんな話をしなかったかと。どこまでが記憶通りなのか確認したかった。もしも夢ではないならば、詳細を確認したい。

留衣から返信が来る。

「ええ、しましたよ。」

先日聴いた内容と同じことを留衣は述べた。

杏香は返信する。

「それって、どこまで本当のことなんですか?」

やがて、URLのついたメッセージが留衣から届く。

リンクの先は、第三者に見られることなく映像を共有できるサイトだった。

動画を再生する。

強い日差しを背景に、一人の老人が映っていた。

彼は何かをしゃべっている。

日本語のように聞こえるが、聞き取れない。琉球語か八丈語か――あるいはそれ以外の言語か。

急激に話が現実味を帯び、杏香は眉を顰めた。

留衣にメッセージを送る。

「これ本物ですか?」

返信が来た。

「もちろんですよ。きっと、千石さんに話すために取ってあったんですね。」
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