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第五章 仮面の告白
第十一話 仮面の告白
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それから、二人は教室棟へ這入った。
蘭を探し、二年の教室へ向かう。
女子しかいない校舎。この学校で、告白など今まで何度あったのだろう。一冴は今からそれをする。
階段を昇っている途中、そっと菊花はささやいた。
「私、正直なところ蘭先輩に会うのは苦手。」
そして、一冴の手を握る。
「だから――その――」
「分かってる。」
――まあ、そりゃ苦手だろうな。
だが手をつないでいると、菊花と恋人同士のようだ。これから蘭に会うのに、どう思われるのだろう。口元に米粒をつけていると知らず、そんな心配をする。
蘭の所属するクラス――二年葵組の教室へ着いた。
恐る恐るドアを開け、中を覗く。
近くに立っている生徒へと、一冴は訊ねた。
「あの――蘭先輩はいますか?」
彼女は目を瞬かせ、教室の奥へ声をかける。
「おーい、蘭。可愛い二人がお呼びだよー。」
教室中の注目が集まる。
声の向こうに蘭はいた。窓辺で彩芽と談笑している。手をつないでいる二人へ目を向け、怪訝な顔をする。今さらながら居心地が悪くなった。
深い栗色の頭をかたむけ、近づいてくる。
「まあ――菊花ちゃん、いちごさん。どうなさいましたか?」
やはり、一冴だけは「さん」づけだ。
いえ――と一冴は言う。
「少し、お話ししたいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」
「えゝ、構ひませんよ。」
振り返り、彩芽に声をかけた。
「少し話してきます。」
やや心配そうな顔で彩芽はうなづく。
できれば、ひとけのない処を――と一冴は言う。蘭はうなづき、では中庭へ――と言った。
それから三人で階段を下る。
まるで処刑台へ進むような気分だ。告白すると決めたのは自分なのに、その時が来ないでほしい。
教室棟を出て、中庭の実習棟ちかくへと着いた。
そこは、かつて蘭が本を読んでいた処だ。木々に囲われているため、周囲に人はいない。
木漏れ日の落ちる中、蘭は尋ねた。
「それで――お話したいことは何ですの?」
歯切れの悪い口調で菊花は答える。
「えーっと、ですね。蘭先輩、このあいだの件ですが――」
「あら――わたくしの気持ちにやうやく応へて下さるのですね?」
「いえいえ! 違います、違います! 残念ですが、蘭先輩のお気持ちに応えることはできません。」
「まだ意固地になってをられますの?」
「違います! 私は完全な異性愛者です。何をどうひっくり返しても、女性を愛することはできません! 男性しか恋愛対象にならないんです!」
人差し指を菊花は突き立てる。
「蘭先輩、いま貴女は失恋しました!」
蘭はやや困惑した。
軽く溜息をつき、一冴は口を開く。
「蘭先輩。」
蘭の顔が向く。
三年間、ずっと思い続けていた人と目が合う。
何人もの男が今まで告白して全員が振られた――イケメンも美少年も。男を寄せつけないお嬢様。高嶺の花。鈴宮。鈴宮蘭。鈴宮先輩。蘭。蘭先輩。
「私からも伝えたいことがあります。」
その声は既に震えていた。
自分は――。
菊花とラブラブだと誤解され、片思いの男子がいると誤解され、蘭からは敵意さえ向けられた。
だからこそ伝えたい――たとえ性別を偽っていても、中学一年の冬の日のように拒絶されたとしても。
「蘭先輩。」
息を吸い込んだ。
木漏れ日がゆれる。蘭の瞳の上で輝いている。
ずっと言いたかった言葉を――形にするのだ。
いま――自分は女子なのだから。
「貴女が好きです!」
耐えきれず、目を下に向けた。
どのような顔を蘭がしているか分からない。
視界には、自分の下半身のみが映っていた。
少しして蘭の声が聞こえる。
「わたくしのことを?」
「――はい。」
一冴は顔を上げる。
しかし、蘭を正視できない。
「私が好きなのは、男の子でも、菊花ちゃんでもありません――貴女です。その髪も、栗色の髪も、上品な彳まいも、みんな好きです。私――菊花ちゃんの代わりにならないことは分かってるんです。それでも――すきです。どうか、おつきあいしてください。」
その場が静寂に包まれる。
しばらく返事はなかった。
――失敗した。
やがて蘭は口を開く。
「でも――いちごさんには、片思いの彼がをられるのでは?」
「あ――あれは。言葉の綾というか――。だって、言えないです――好きな人が、女の子だなんて。」
やがて、くすりと蘭は笑む。
「いちごさんも――わたくしと同じでしたのね。」
胸が冷え、小刻みに足が震えだす。
本当は同じではない。レズビアンではないのだ。
だが、否定できない――何しろ告白したのだから。
今は肯定するしかない。
「――はい。」
「勇気を出して仰ってくださって、ありがたうございます。」
硝子細工の繊細さで蘭は応える。
「けど、わたくし菊花ちゃんしか好きではありませんの。」
予想外の言葉に顔を上げた。
何を言われたのか分からない。
「え――菊花ちゃん、異性愛者だって――」
「そんなの、これからどうなるか分かりません――少女は、百合の花を誰もが心に持ってゐるのですから。」
――百合。
自分には――あるのだろうか。
「そして、菊花ちゃんの百合に触れたとき、今までにない激しい恋をいたしました。百二十三人の方の、どなたよりも強い感情です。なので、いちごさんの気持ちにお応へすることはできません。」
蘭は菊花へ向き直る。
「ね――菊花ちゃん。先ほどは『残念ながら』と仰ってましたが、それはいちごさんの気持ちに配慮されたからではないのですか? 残念でないのなら構はないのでは?」
菊花は困惑し、あの、と言う。
「ねえ、構ひませんでせう? ハネムーンはどこに致します?」
そして、菊花のほほに軽く触れた。
「ひっ――」
顔を引きつらせ、菊花は逃げ出す。
「厭あああああああっ!」
「あ、菊花ちゃん! 待ってください!」
蘭は菊花を追いかける。
そんな蘭を一冴も追いかけ始めた。
「蘭先輩! それでいいんですか!」
蘭を探し、二年の教室へ向かう。
女子しかいない校舎。この学校で、告白など今まで何度あったのだろう。一冴は今からそれをする。
階段を昇っている途中、そっと菊花はささやいた。
「私、正直なところ蘭先輩に会うのは苦手。」
そして、一冴の手を握る。
「だから――その――」
「分かってる。」
――まあ、そりゃ苦手だろうな。
だが手をつないでいると、菊花と恋人同士のようだ。これから蘭に会うのに、どう思われるのだろう。口元に米粒をつけていると知らず、そんな心配をする。
蘭の所属するクラス――二年葵組の教室へ着いた。
恐る恐るドアを開け、中を覗く。
近くに立っている生徒へと、一冴は訊ねた。
「あの――蘭先輩はいますか?」
彼女は目を瞬かせ、教室の奥へ声をかける。
「おーい、蘭。可愛い二人がお呼びだよー。」
教室中の注目が集まる。
声の向こうに蘭はいた。窓辺で彩芽と談笑している。手をつないでいる二人へ目を向け、怪訝な顔をする。今さらながら居心地が悪くなった。
深い栗色の頭をかたむけ、近づいてくる。
「まあ――菊花ちゃん、いちごさん。どうなさいましたか?」
やはり、一冴だけは「さん」づけだ。
いえ――と一冴は言う。
「少し、お話ししたいことがあります。お時間よろしいでしょうか?」
「えゝ、構ひませんよ。」
振り返り、彩芽に声をかけた。
「少し話してきます。」
やや心配そうな顔で彩芽はうなづく。
できれば、ひとけのない処を――と一冴は言う。蘭はうなづき、では中庭へ――と言った。
それから三人で階段を下る。
まるで処刑台へ進むような気分だ。告白すると決めたのは自分なのに、その時が来ないでほしい。
教室棟を出て、中庭の実習棟ちかくへと着いた。
そこは、かつて蘭が本を読んでいた処だ。木々に囲われているため、周囲に人はいない。
木漏れ日の落ちる中、蘭は尋ねた。
「それで――お話したいことは何ですの?」
歯切れの悪い口調で菊花は答える。
「えーっと、ですね。蘭先輩、このあいだの件ですが――」
「あら――わたくしの気持ちにやうやく応へて下さるのですね?」
「いえいえ! 違います、違います! 残念ですが、蘭先輩のお気持ちに応えることはできません。」
「まだ意固地になってをられますの?」
「違います! 私は完全な異性愛者です。何をどうひっくり返しても、女性を愛することはできません! 男性しか恋愛対象にならないんです!」
人差し指を菊花は突き立てる。
「蘭先輩、いま貴女は失恋しました!」
蘭はやや困惑した。
軽く溜息をつき、一冴は口を開く。
「蘭先輩。」
蘭の顔が向く。
三年間、ずっと思い続けていた人と目が合う。
何人もの男が今まで告白して全員が振られた――イケメンも美少年も。男を寄せつけないお嬢様。高嶺の花。鈴宮。鈴宮蘭。鈴宮先輩。蘭。蘭先輩。
「私からも伝えたいことがあります。」
その声は既に震えていた。
自分は――。
菊花とラブラブだと誤解され、片思いの男子がいると誤解され、蘭からは敵意さえ向けられた。
だからこそ伝えたい――たとえ性別を偽っていても、中学一年の冬の日のように拒絶されたとしても。
「蘭先輩。」
息を吸い込んだ。
木漏れ日がゆれる。蘭の瞳の上で輝いている。
ずっと言いたかった言葉を――形にするのだ。
いま――自分は女子なのだから。
「貴女が好きです!」
耐えきれず、目を下に向けた。
どのような顔を蘭がしているか分からない。
視界には、自分の下半身のみが映っていた。
少しして蘭の声が聞こえる。
「わたくしのことを?」
「――はい。」
一冴は顔を上げる。
しかし、蘭を正視できない。
「私が好きなのは、男の子でも、菊花ちゃんでもありません――貴女です。その髪も、栗色の髪も、上品な彳まいも、みんな好きです。私――菊花ちゃんの代わりにならないことは分かってるんです。それでも――すきです。どうか、おつきあいしてください。」
その場が静寂に包まれる。
しばらく返事はなかった。
――失敗した。
やがて蘭は口を開く。
「でも――いちごさんには、片思いの彼がをられるのでは?」
「あ――あれは。言葉の綾というか――。だって、言えないです――好きな人が、女の子だなんて。」
やがて、くすりと蘭は笑む。
「いちごさんも――わたくしと同じでしたのね。」
胸が冷え、小刻みに足が震えだす。
本当は同じではない。レズビアンではないのだ。
だが、否定できない――何しろ告白したのだから。
今は肯定するしかない。
「――はい。」
「勇気を出して仰ってくださって、ありがたうございます。」
硝子細工の繊細さで蘭は応える。
「けど、わたくし菊花ちゃんしか好きではありませんの。」
予想外の言葉に顔を上げた。
何を言われたのか分からない。
「え――菊花ちゃん、異性愛者だって――」
「そんなの、これからどうなるか分かりません――少女は、百合の花を誰もが心に持ってゐるのですから。」
――百合。
自分には――あるのだろうか。
「そして、菊花ちゃんの百合に触れたとき、今までにない激しい恋をいたしました。百二十三人の方の、どなたよりも強い感情です。なので、いちごさんの気持ちにお応へすることはできません。」
蘭は菊花へ向き直る。
「ね――菊花ちゃん。先ほどは『残念ながら』と仰ってましたが、それはいちごさんの気持ちに配慮されたからではないのですか? 残念でないのなら構はないのでは?」
菊花は困惑し、あの、と言う。
「ねえ、構ひませんでせう? ハネムーンはどこに致します?」
そして、菊花のほほに軽く触れた。
「ひっ――」
顔を引きつらせ、菊花は逃げ出す。
「厭あああああああっ!」
「あ、菊花ちゃん! 待ってください!」
蘭は菊花を追いかける。
そんな蘭を一冴も追いかけ始めた。
「蘭先輩! それでいいんですか!」
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