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第六章 光り輝く犬が降る。
第十話 男子と女子のあいだで。
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五月二十四日――土曜日のことである。
外出の準備を終え、一冴は部屋を出た。
夏が来ようとしている。最近は、長そでが少し暑く感じられる。なので、半そでのフリルつきカットソーを着た。
靴を履き、寮の外へ出る。
玄関の前には紅子が立っていた。緑のTシャツに藍色の半ズボン――頭には人民帽を被っている。
「おう――同志いちご。同志梨恵は?」
「ああ、梨恵ちゃんはおめかししてるから少し遅れるかな。」
「ふむ――女の子は準備が大変だな。」
「私たちだって――」と言い、一冴は少し詰まる。「女の子だよ。」
紅子は目をそらす。
「まあ――待ってる間すこし暇だ。スターリングラードの赤軍ごっこでもするか?」
「うん!」
それから、架空の独逸軍へ向けて二人で銃を撃ち始めた。
「バキューン! バキューン、バキューン!」
「ズガガ、ズガガガガァン!」
「バキューン!」
「よし、同志いちご! 突撃だ! 銃は二人に一丁!」
「万歳!」
銃を構える仕草で、一冴は駆け出す。しかし、忙しなく足を動かす割には、十歩も進んでいない。やがて架空の独逸軍が機関銃を撃ち始める。架空の友軍が次々と撃たれた。
「う、うわー! とても叶わない! 退却ダー!」
引き返してきた一冴へと、架空の機関銃を紅子が構える。
「退却する者は射殺する! バババババババババ!」
架空の銃弾に一冴が撃たれだす。
「ひ、ひーっ!」
玄関から梨恵が出てきたのはそのときだ。
「何しょーるん、あんたら?」
紅子は熱心に演技を続ける。
「あ、革命委員長同志! ファシストどもはすぐそばまで迫っております!」
「いや――だけぇ何しょーるん?」
それから三人で学園を出た。
坂からは蒼い海が見えた。ふもとまで下り、路面電車に乗る。バスのような電車――動きはゆるい。やがて見慣れた街の景色が窓に流れだす。時には、紅煉瓦の建物がビルの狭間に見えた。
市街地へ着いた。
路面電車から降り、デパートへ向かう。
その途中で、小さな店のショゥウィンドゥへと紅子は引き寄せられた。
「お――これППШ-41じゃん!」
そこはミリタリーショップのようだった。硝子の向こうには遊戯銃が竝んでいる。紅子が釘づけとなったのは、大きな円形弾倉のついた銃だ。
一冴も声を上げる。
「あ、本当だ!」
「やっぱりППШはソ連軍のロマンだよねえ。この回転式弾倉みたいな円形弾倉がイカすんだって。ソ連の夢が中に詰まってるような感じがするっていうか。」
「めっちゃ分かるー! 銃床も木製だし、レトロな感じもあるよねぇ。」
紅子は店の中を覗きこむ。
「中にも色々あるのかな?」
「――プラモもあるね。」
軍服やら軍装やらが店内には林立していた。その合間に、戦鬪機や戦車などのプラモデルの箱が見える。壁には遊戯銃がかかっていた。
紅子が店へ這入ろうとしたので、一冴も続こうとする。
背後から梨恵が引き留めた。
「こらこらこら! 今日の目的は別だし、そういったんは後にしんさい!」
本来の目的を思い出し、二人は引き返した。
デパートへと着く。
二階にある小物売り場へと這入った。
先日、色々と話し合った結果、チョコレートプリンを作ることにしたのだ。当然、プレゼントなのでラッピングしなければならない。
リボンや色紙、硝子の瓶などをかごに入れてゆく。
そんな中、棚の一つへと、ふっと一冴は惹かれた。
様々なヘアピンが竝べられている。
黄金色に輝く真鍮製の細長い物や、クリップ型の物――先端には、様々な宝石や花を模した飾りがついている。そのうちの一つに惹かれた。いちごの花を模したヘアピンだ――細い金の先に、白くて円い五つの葩があり、ダイヤモンドを模した透明な結晶が蕊で輝いていた。
少しの間、それを眺める。
しかし、今はヘアピンを気にかけている場合ではない。
棚からそっと離れ、小箱の売られている棚へ向かった。
小物売り場での買い物を終え、地下の食品売り場へ移る。
冷凍棚には、パイナップルや韓紅のスイカが竝べられていた。スイカを見ると夏だと感じる。しかし気温はまだ低い。食品の棚にだけ既に夏が来ている。
食品売り場で、苺やら卵やら牛乳やらを買った。
当然、全て一冴の小遣いである。
買い物を終えた頃には、正午となっていた。
百貨店のファミリーレストランへ三人は這入る。
注文を終えたあと、一つの小さな紙袋を梨恵はさしだした。
「はい――いちごちゃん。」
一冴は首をひねる。
「これは?」
「さっき見とっただら? いちごちゃんな、今日はたくさんお金つかったにぃ、どうせならって思って買ってみただん。――開けてみて。」
恐る恐る袋を開ける。
先程の苺の花のヘアピンが現れた。
「これ――私に?」
「うん。いちごちゃんは可愛えだけぇ、もっとお洒落したらええだが。鈴宮先輩だって、そっちのほうが気に入ってくれるで?」
――可愛くなる。
やはり、蘭に気に入られるためにはそれが一番なのであろう。
「――ありがとう。」
「どうせなら、つけてみない。」
言って、梨恵は手鏡を渡す。
それを頼りに一冴はヘアピンをつけた。
右のこめかみに小さな花が咲く。
プラスティックで出来た偽りの花。中央にある透明な結晶でさえ、本物のダイヤモンドではない。それは、少女の格好をしながら少年である一冴と似ている。しかし、黒い髮の中に咲いた小さな白い花は、一冴を「いちご」として彩っていた。
「ほら、可愛くなったが!」
鏡の中の少女が恥ずかしそうな顔をする。
偽りの花であることには変わりない。しかし、この花を受けて本物の少女へと自分はより近づいた気がする。そのことを思うと、このヘアピンが心の底から愛おしく思えた。
外出の準備を終え、一冴は部屋を出た。
夏が来ようとしている。最近は、長そでが少し暑く感じられる。なので、半そでのフリルつきカットソーを着た。
靴を履き、寮の外へ出る。
玄関の前には紅子が立っていた。緑のTシャツに藍色の半ズボン――頭には人民帽を被っている。
「おう――同志いちご。同志梨恵は?」
「ああ、梨恵ちゃんはおめかししてるから少し遅れるかな。」
「ふむ――女の子は準備が大変だな。」
「私たちだって――」と言い、一冴は少し詰まる。「女の子だよ。」
紅子は目をそらす。
「まあ――待ってる間すこし暇だ。スターリングラードの赤軍ごっこでもするか?」
「うん!」
それから、架空の独逸軍へ向けて二人で銃を撃ち始めた。
「バキューン! バキューン、バキューン!」
「ズガガ、ズガガガガァン!」
「バキューン!」
「よし、同志いちご! 突撃だ! 銃は二人に一丁!」
「万歳!」
銃を構える仕草で、一冴は駆け出す。しかし、忙しなく足を動かす割には、十歩も進んでいない。やがて架空の独逸軍が機関銃を撃ち始める。架空の友軍が次々と撃たれた。
「う、うわー! とても叶わない! 退却ダー!」
引き返してきた一冴へと、架空の機関銃を紅子が構える。
「退却する者は射殺する! バババババババババ!」
架空の銃弾に一冴が撃たれだす。
「ひ、ひーっ!」
玄関から梨恵が出てきたのはそのときだ。
「何しょーるん、あんたら?」
紅子は熱心に演技を続ける。
「あ、革命委員長同志! ファシストどもはすぐそばまで迫っております!」
「いや――だけぇ何しょーるん?」
それから三人で学園を出た。
坂からは蒼い海が見えた。ふもとまで下り、路面電車に乗る。バスのような電車――動きはゆるい。やがて見慣れた街の景色が窓に流れだす。時には、紅煉瓦の建物がビルの狭間に見えた。
市街地へ着いた。
路面電車から降り、デパートへ向かう。
その途中で、小さな店のショゥウィンドゥへと紅子は引き寄せられた。
「お――これППШ-41じゃん!」
そこはミリタリーショップのようだった。硝子の向こうには遊戯銃が竝んでいる。紅子が釘づけとなったのは、大きな円形弾倉のついた銃だ。
一冴も声を上げる。
「あ、本当だ!」
「やっぱりППШはソ連軍のロマンだよねえ。この回転式弾倉みたいな円形弾倉がイカすんだって。ソ連の夢が中に詰まってるような感じがするっていうか。」
「めっちゃ分かるー! 銃床も木製だし、レトロな感じもあるよねぇ。」
紅子は店の中を覗きこむ。
「中にも色々あるのかな?」
「――プラモもあるね。」
軍服やら軍装やらが店内には林立していた。その合間に、戦鬪機や戦車などのプラモデルの箱が見える。壁には遊戯銃がかかっていた。
紅子が店へ這入ろうとしたので、一冴も続こうとする。
背後から梨恵が引き留めた。
「こらこらこら! 今日の目的は別だし、そういったんは後にしんさい!」
本来の目的を思い出し、二人は引き返した。
デパートへと着く。
二階にある小物売り場へと這入った。
先日、色々と話し合った結果、チョコレートプリンを作ることにしたのだ。当然、プレゼントなのでラッピングしなければならない。
リボンや色紙、硝子の瓶などをかごに入れてゆく。
そんな中、棚の一つへと、ふっと一冴は惹かれた。
様々なヘアピンが竝べられている。
黄金色に輝く真鍮製の細長い物や、クリップ型の物――先端には、様々な宝石や花を模した飾りがついている。そのうちの一つに惹かれた。いちごの花を模したヘアピンだ――細い金の先に、白くて円い五つの葩があり、ダイヤモンドを模した透明な結晶が蕊で輝いていた。
少しの間、それを眺める。
しかし、今はヘアピンを気にかけている場合ではない。
棚からそっと離れ、小箱の売られている棚へ向かった。
小物売り場での買い物を終え、地下の食品売り場へ移る。
冷凍棚には、パイナップルや韓紅のスイカが竝べられていた。スイカを見ると夏だと感じる。しかし気温はまだ低い。食品の棚にだけ既に夏が来ている。
食品売り場で、苺やら卵やら牛乳やらを買った。
当然、全て一冴の小遣いである。
買い物を終えた頃には、正午となっていた。
百貨店のファミリーレストランへ三人は這入る。
注文を終えたあと、一つの小さな紙袋を梨恵はさしだした。
「はい――いちごちゃん。」
一冴は首をひねる。
「これは?」
「さっき見とっただら? いちごちゃんな、今日はたくさんお金つかったにぃ、どうせならって思って買ってみただん。――開けてみて。」
恐る恐る袋を開ける。
先程の苺の花のヘアピンが現れた。
「これ――私に?」
「うん。いちごちゃんは可愛えだけぇ、もっとお洒落したらええだが。鈴宮先輩だって、そっちのほうが気に入ってくれるで?」
――可愛くなる。
やはり、蘭に気に入られるためにはそれが一番なのであろう。
「――ありがとう。」
「どうせなら、つけてみない。」
言って、梨恵は手鏡を渡す。
それを頼りに一冴はヘアピンをつけた。
右のこめかみに小さな花が咲く。
プラスティックで出来た偽りの花。中央にある透明な結晶でさえ、本物のダイヤモンドではない。それは、少女の格好をしながら少年である一冴と似ている。しかし、黒い髮の中に咲いた小さな白い花は、一冴を「いちご」として彩っていた。
「ほら、可愛くなったが!」
鏡の中の少女が恥ずかしそうな顔をする。
偽りの花であることには変わりない。しかし、この花を受けて本物の少女へと自分はより近づいた気がする。そのことを思うと、このヘアピンが心の底から愛おしく思えた。
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