【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

嵩都 靖一朗

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第六章◆精霊王ノ瞳

精霊王ノ瞳~Ⅱ

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間もなく食卓に呼ばれ、けつけたチェシャはせきの横に立ってフェレンスの着席ちゃくせきつ。
給仕きゅうじを始めようかと振り向くカーツェルは、一目ひとめ見て関心かんしんせた。

旅を始め、だいぶつとは言え。
たくかこそろって食事することなど、まだ片手かたてで数えられるほどなのに。
カーツェルがそうしていたのを思い出し真似まねているよう。

色々と教えてやらねばならない。そう考えていた ... ... が、しかし。
フェレンスの言った通りだと、カーツェルは思う。

「あの子の向上心こうじょうしんは見かけよりも発達している。
 ようするに、見様見真似みようみまねを好むよう仕向しむけるだけでいいはず。
 なのでお前は、チェシャの行動をよく見て。
 些細ささいな事で良い、私とた行動をした時、同じように出来る事をめてやりなさい。
 そのは、自身が模範もはんとなるよう意識して生活するだけでいい」

カーツェルがそれを実践じっせんしたのは、チェシャが食器類カトラリーの取り扱いマナーを真似まねしていた時。

「よくすすんでおぼえられましたね」

そう声にして聞かせ、ふわふわの頭をでしてやっただけ。
だが、その日からチェシャはフェレンスばかりか、
カーツェルの所作しょさまで隅々すみずみ見て真似まねるようになったのだ。

何て手間てまいらず ... ...

あとは相手の気付かない事を見つけ少し大袈裟おおげさに振る舞い繰り返していると、そのうち真似まねてくれるので。
こちらも気持ちよくめてやれるし、楽しい。

そして可愛かわいい ... ...

あとから来たフェレンスの着席ちゃくせきを見てから座る幼子おさなご得意気とくいげ
それを見届け、主人の前に皿を置きに行くのは執事役。

チェシャもまた、カーツェルが自分のことをよく見ていると知っているため。
仕事中な彼の横顔を目で追って待つ。
えらい? と言わんばかりのドヤ顔で。

葉薊アカンサス文様の美しい陶磁器とうじきに盛り付けられたのは、彼らの昼食の定番。
イモいろどり野菜の厚口あつくちオムレツ。
大きめの平鍋パンで一枚焼きしたものを六枚に切り分け、一切れ一食。

やわらかな日差ひざしをかす引き上げ式レースカーテンのリボンめが、そよ風にらぐ背景も。
また一つマナーを身に着けた幼子おさなごに声を掛け、めてやりながら料理を置くカーツェルの表情も。

じつおだやか。

の都合上、手袋をしたまま頭をでてやるわけにはいかない。
徹底てっていつとめる執事役が、仕事終わりに黒地の手袋をぎ。
あらた幼子おさなごでてやっているのをフェレンスは知っている。

昼食後の混雑こんざつも、いそがしさも、その時になればすっかりと忘れられた。
彼らから与えられるなごみこそ、まさやし。

そうして次の日も、また、その次の日も。
二人の主人は彼らと共に気付きをていく。



〈てんてこ舞い〉とは、この事かと。



ん? 待て待て。何の話だ。
なごみといややしは何処いずこへ。
そもそも無事ぶじなのか。

ダイジョウ ブ。 イキ テ、ル 。

ただちょっと、口からたましいけていきそうなだけ。

ただし。これらは全て、当事者達の心の声である。
いや、もう、独り言ひとりごとに近い。

「「「 ... ... 」」」

診察室の椅子いす深々ふかぶかと背をあずけ、そのまま沈んでいきそうなフェレンスなんて初めて見た。
なんて思いながらも立ちつくくす。
カーツェルやチェシャだって、肩がはずれてしまいそうなくらい脱力中だ。

原因はおおむね ... ...

今話題のかんなぎ若手が魅惑みわく太腿ふとももだなんてうわさが広がり
かつ問題視すべき太腿ふとももの奥をのぞきたがる例の老人が毎日来て
執事と幼子おさなごのイライラとハラハラを触発しょくはつしたうえ
のぞがわさえぎがわの攻防戦が不定期に勃発ぼっぱつするための負荷倍増ふかばいぞう

カーツェルがいつ、クソジジイと言ってキレらかすかと気が気でないのも理由の一つ。
とは言え、これにかぎってはチェシャだけのハラハラ要因よういんだったりして。

話がついている諜報員側の手筈てはずが整うまで極力きょくりょくめ事やさわぎは起こさずにいたいので。
日々、何とかあしらってはいるのだ ... ... が。

つらい ... ... 

たかがのぞき見なんて迷惑行為で消耗するとはなさけなや。
けれども口に出して言う事はない。

フェレンスは気付いているだろうか ... ...

カーツェルはふと、そう思った。

見れば、思いがけずやわらいだ口元に浮かぶ笑み。
視線に気付き首をかしげつつ向き合う彼の面持おももちは、潜在せんざい憂鬱ゆううつを洗い流すかのよう。



そんなあわい情景を〈夢〉に見るは、純白の化粧着ドレッシングローブまとい横たわる聖女。



目覚めた彼女はしば虚空こくうを見つめる。

透き通るような白い肌。
裾引すそびきのフリルからのぞく足先。
紫水晶アメジストによく色彩しきさいたえるまなこ

「お目覚めですか。殿下でんか

男の声を聞いて、ゆっくりと体を起こす彼女の白金髪プラチナブロンドは、細く長く。
雪霜せっそうごとにじ宿やどしてつやめいた。

体の横へえられた手元へ視線が向きがちなのは、
鉤爪かぎづめした銀の爪防具ネイルガードが五本の指先を強調しているせい。

彼女は答えた。

「ええ、今日はとても気分が良いの。ねぇ、聞いて下さる?」

ひざから下をベッドの横へ下ろすに歩み寄る男の名は。

「フォルカーツェ様 ... ... もしろん、悪い話じゃなくてよ?」

〈 Folcatze Ludias Deet Lanzerkフォルカーツェ・ルディアス・ディート・ランゼルク 〉

軍警副総監として緊急時軍事顧問こもん兼任けんにんする者。
ドラグニティ公爵家世嗣せいし
カーツェルの実兄だった。

「〈夢〉の事でしょうか」

開放された部屋に二人きり。
いくつもの回転まどに仕切られた前室には、日差しをさえぎ透かし編みレース調のカーテン

彼女が微笑ほほえうなづくと、ふわり ... 見合う二人の髪を下からで上げる微風そよかぜ

「あの御方おかたの笑顔を見るのは久しぶり。カーツェル様も、お元気そうだったわ ... ... 」

ところが相手は聞くにとどまる。

「 ... ... それはそうと、何日ぶりのご就寝しゅうしんですか?」
「そう怖い顔をしないで? あののおかげで、このところは毎日 ... 数十分はねむれるようになったのよ?」

対し、彼女は話をもどした。

「それと、気にしていたくせに。話をらさないで?」

そして窓の向こうを横切る少女の姿を遠目とおめに見る。
広い、広い、屋上庭園ガーデンテラスを一人、け回り。
少女は小さな花をんでいた。

「呼び方から、やり直し」

庭へ向く彼女の視線を追いながらフォルカーツェはおうじる。

「 ... ... ローレシア殿下におかれましては、極力きょくりょくお休みいただかねば」
「殿下はおしになって?」

「 ... ... ローレシア様」
「ダメね」

「 ... ...ローレシアさん」
「なんだか気持ちわるいわ」

「 ... ... ローレシア」
「なぁに? フォルカーツェ様」

何故なぜ、呼び捨てを要求する貴女あなたが私を敬呼けいこするのですか」
わたくしはいいの。いつだって、お世話して頂くばかりなんですもの」

「 ... ... とんでもない」

帝国ノひめ
みことが血族。

〈 Roresia Endil Noah Eufemioローレシア・エンディル・ノア・エウフェミオ 〉

幼少より睡眠障害をかかえ、病床にしてきた彼女こそ次期女皇帝じょこうてい
だがしかし、意図いとして予知夢を見ることが可能な彼女の血ノ魔力は、
極度の不眠が引き起こす病的弊害治癒ちゆのために消費され、なお不足をきたしていたのだ。

また、当該能力については国家機密としてあつかわれている。

「この国の、いえ ... ... 現世のみちびき手として、
 お役目にてっする貴女あなたを支える事こそ我々われわれの使命なのですから」

「ふふふ。相変わらずうそがお上手じょうずね」

彼女のうれいはひとみあらわれた。

災厄さいやくの予知もままならない夢見ゆめみノ姫。
結社が彼女を生かし続ける理由など見えいている。
卑下ひげしたところで、むなしいだけ。

一時いっとき静寂せいじゃくが スッ ... と、身を切るよう。

「カーツェル様がけてらっしゃるのは、そういうところよ?」
「 ... ... 分かっています」

「それはそうとフォルカーツェ様。
 わたくしね ... ... 今後、犠牲ぎせいになる子が増えたりしないか心配なの」
「魔力に余裕があれば予知は可能と分かっても、かたが合わなければ輸血など出来ません。
 出生時における血の判定後、履歴改竄りれきかいざん等で追えぬような不都合は早急さっきゅうに裏を取り、
 我々われわれ是正ぜせいしています。どうか、ご安心を」

〈 ... ... 闇ギルドの営利えいり掌握しょうあくし利用することが是正ぜせいですって?〉

消え入るささやき。
男には聞こえていた。

彼女が〈夢〉を拒絶きょぜつし不眠をわずらった事も知っている。
危険因子いんし見極みきわめたうえでの排除を目的とし彼女の能力にすがるのは、
高位貴族、及び上院議員マグナート傘下さんかに当たる者ばかりではない事も。

しかしれはしない。

微風そよかぜを受け口元に流れた髪を指先ですくい、耳にかけけ、彼女は言った。

結社みなさまの働きかけ、痛み入ります」

どこか冷ややかな風采ふうさいである。
両者ともにだ。

二人はたがいをどう認識し言葉をわしているのだろう。

花をむ手を休め、遠目に様子をうかがいながら少女はつ。
客がいるあいだは部屋に立ち入ってはいけない。
ローレシアとの約束を守らねばならなかった。

やがて男が部屋の奥へ引き下がると、ローレシアがこちらを向いて片手をる。
すると少女は彼女のもとまでけていった。

「あの! お客様はもしかして、ローレシアおじょう様の婚約者フィアンセですか?」
「い、いいえ!? 違うわよ? フフフ、そんなわけないじゃない ... もう。
 それより、いつも待たせてごめんなさいね。ルーリィ」

唐突とうとつたずねられ少しだけおどろきつつ。
ローレシアが気に掛けたところ、少女は満面の笑顔で一度、首を横にった。


異端ノ魔導師フェレンスに、霧ノ病きりのやまいわずらった兄の問診もんしん依頼いらいした少女である。


すで魔物キメラ化していた兄。
おとりに仕立て上げられた医師の異形いぎょうノ姿。

目にした現実を受け入れられずおのれ見失みうしない、
当時の記憶を無くしてしまったルーリィが何故なぜここへ。


帝国ノ姫は知っている。


クロイツの補佐ほさ護衛ごえいを命じられた小隊、内一人が闇ギルドに通じていた事。
フォルカーツェを始めとする高位貴族、及び上院議員マグナートの結社が闇ギルドを掌握しょうあくしている事。
内通者にルーリィを誘拐ゆうかいさせたのは、フェレンスの動向を知りくす結社の仕業しわざである事。
そして、みことと通じていた過激派信教徒パルチザンが裏で、結社の働きかけをうながした事さえも。


姫と同じかたの血を持つ少女。
ルーリィの存在を特定したのは ... ... みこと


政界にも強い影響力を持つ預言者エレミア信教の枢機卿すうききょうは、
国教大臣の地位をもて律法の制定、改正をつかさどる立場。

その動きを把握はあくしクロイツに知らせ警告したのが、
以前、司法省にて枢機卿すうききょうつかえると同時に、異端審問官インクイジターとしてつとめた若者。

アレセルだったのだ。

そして、彼女が見る〈夢〉の断片だんぺんを組み合わせ、ここまで事をはこんだのがフォルカーツェという男。

これまでを振り返るローレシアの表情は重苦しい。
何も知らないルーリィは彼女を気遣きづかい、はげますように明るく声をける。

「 ... ... でも!毎週お見えになって。わたし、てっきりお嬢様のコトがお好きなのだとばかり」
「フフフ、まさか! いい? ルーリィ、ここだけの話だけど。
 あの方 ... フォルカーツェ様にはね、他にちゃんと好きな人がいるのよ?」

「ぇぇぇぇ! でも、でも! そちらはそちらで気になります!」
「まぁ。ルーリィったら、それじゃきりがないわ。おませさんね」
  
でも ... ...

その時ローレシアは一呼吸おいて、こう言った。

「それが誰なのかは、この世界でわたくしだけが知ってる〈秘密〉なの」

予知の恩恵おんけいを期待する結社の不満が直接ちょくせつ、彼女へ向かないのは、
冷徹れいてつを演じ続ける男があいだに立ち周囲を睥睨へいげいするせい。

誰かとている。

彼女はふと、そう思った。

かたや何のうたがいも無く彼女にうルーリィは、
その後も ... 療養りょうよう中と聞かされていた兄の回復を待ち続ける。

利害りがいは別とし、相手をうやまうローレシアの人柄ひとがらあこがれをいだきながら。

んだばかりの花をローレシアにあずけ、ふたた陽下ひもとけて行く足取りも軽快けいかい
少女にあたえられた白いノースリーブワンピースのフレアスカートは、
庭の花々をすそにあしらうかのよう。

手渡された花をけるよう侍女じじょたのみたかったのだろう。
床に置かれた履物はきものへ足先を入れるローレシアは急な頭痛と目眩めまいおそわれ、少しばかりうずくまった。

常々つねづね彼女の容態ようだいを気に掛けるルーリィであればこそ、直後ちょくごに気が付き引き返すも迅速じんそく
人を呼びに部屋を出ていくルーリィのうしろでベッドにせる彼女は一人、思った。

数十分ですら寝すぎたと感じるほど。
身体からだねむりを受け付けない。

本当は ... ...

そう。

夢なんて、見たくない ... ...

事故、災害、事件等、危機回避ききかいひのため。
国家、要人ようじん、多くの人の命をすくうため。

国際情勢じょうせい、政治経済をはじめ、個人、団体の思想形態イデオロギーまで、
いくつもの水鏡みずかがみを通して視聴しちょうさせられる日々。

当然のように。

誰もが不都合の回避かいひのぞむのだから。
ねむりについた彼女をかまえるのは凄惨せいさんな悪夢ばかり。


人がたくさん死んでいくの ... ...

夢なんて、見たくない ... ...


すすり泣く彼女の話を聞き、かたく決意した日を思い出す。
カーツェルは口を閉ざしたまま。

同時に疑義ぎぎいだいた。

アイゼリアの首都、イシュタットにて。
同国、諜報員ちょうほういんとの接触後。
取り引き交渉手前。

先方せんぽうの準備とやらがととのうまでに、かりとして。
かんなぎつとめ始めたフェレンスを手伝うこと数日。

毎晩まいばんとまではいかないが。

幼子おさなごねむりにつくまでを見守っているあいだ
ずっと、ずっと考えていたのだ。

けれど、どうしてだろう。

どうして彼女に、ローレシアに好意こういせるようになったのか ... その経緯いきさつだけ思い出せない。

おさなすぎたのだろうか。
いつのにか好きになっていたせいかもしれない。

とは言え有耶無耶うやむや
胸につかえて、すっきりせず。
しまいには眉間みけんしわる。

肝心かんじんな記憶だけ、すっぽりけ落ちるなんて。
何たる有様ありさま

不覚ふかくと言うか、恥ずかしかった。 
恋心をせた相手にたいして失礼な気もするし。

「はぁ ... ...」

重苦おもくるしい溜息ためいき
項垂うなだれたカーツェルの両肘りょうひじ太腿ふとももに食い込む。

気分をまぎらわせたかった。

すると、スヤスヤ ... 聞こえてくるチェシャの寝息ねいき
ベッドから立ち上がる彼は一旦いったん、部屋を出て奥間おくまを向いた。

とびら隙間すきまからこぼれるあかりからさっするに、まだ ... フェレンスはきている。

彼は一瞬、躊躇ためらうが、思いとどまった様子。
まずは戸締とじまりを済ませなければならない。

えるまでのあいだ、考えることと言えば ... このところの多情たじょう

主従しゅじゅう幼子おさなご
新天地での三人らし。

正体しょうたいかく就労しゅうろうするには、余分よぶん片付かたずけるべき手間てまがある。
客にふんする工作員や偽造ぎぞう書類にまぎれ込んだ暗号あんごう文の解読等かいどくとう
国家諜報ちょうほう機関をかい伝達でんたつの読み取りがおもだが。

時に客として来訪らいほうする要人ようじんの役職、人柄ひとがら、秘密事項のおぼえ込みまで。
夜間のうちに全てこなしているのが彼の主人しゅじん。フェレンスである。

って現在。

幼子おさなご就寝しゅうしんまで世話せわする執事役しつじやくが主人の部屋をおとずれるのは、
身支度みじたくの手伝いと予定スケジュール確認をおこなう早朝のみ。

また同時。主人から解読文書を手渡てわたされいたるところ。
朝食の準備と後片付あとかたず清掃せいそうまえ、
始業しぎょうまでの空き時間をごすうち、頭に叩き込むはこびとなっている。

つまり。

とにかく時間が無いのだ。

極力きょくりょく邪魔じゃませぬようつとめるともなれば、
主人との会話も必要最低限になりがち。
各所、見回り終えたカーツェルは溜息ためいきらす。

欲求不満よっきゅうふまん執事が何か言いたそうだぞ ... ...

と、チェシャは思った。が、しかし。
ベッドからりてのぞきき見なんてしようものなら、必ずバレるので。
カーツェルが、いくらうわの空でも悪戯イタズラ厳禁げんきん
特技とくぎ狸寝入たぬきねいりも程々ほどほどに。

そっとしておこうかな ... ...

部屋の前を行き過ぎる足音を聞きながら、幼子おさなごはしっかりと毛布にくるまった。
そうしたほうが面白そう。そんな気がして。

翌日よくじつの反応を楽しみに、大人しく寝る。
そうと心に決めたなら、爆睡ばくすいまで五秒とかからない。

たいし、フェレンスは読書中だった。

〈パラリ ... 〉

ページめくると聞こえてくる。

〈 コンコンコン ... ... 〉

ひかえめなノック音。

一人掛け椅子ソファーこしえた姿で視線を上げれば。
サラリ ... ... れる銀色のかみ

応答おうとうを待つカーツェルの眼差まなざしは、
心做こころなしかさみしげ。

彼の主人はひざに置いた本をじ、やがてこたえた。

「入りなさい」

おくゆかしい声。

夜分やぶん、恐れ入ります」

入室し顔を上げると早速さっそく、ランタンスリーブのシャツと
フィットスラックスをよそおくつろぐフェレンスと目が合う。

っていた」

たずねられるでもなく耳を打つ言葉におどろいたのは言うまでもない。

如何いかがなさいました」

ねんために聞くが、彼の主人は首を横にった。

「昼間、客として接触せっしょくしてきたアイゼリア諜報員ちょうほういんからの伝達は一件のみ。
 特有とくゆうの暗号にもれた。時間に余裕が出来きる頃合ころあいを見計みはからっていたのだろう?」

どうやらさっしてくれていたよう。
胸がまる思いがした。
カーツェルはだまってうつむく。

「ゆっくり話そう ... カーツェル。まずは座りなさい」

ひざの上に乗せた書物を脇卓サイドテーブルに置いて言う。
フェレンスにしたが低卓ローテーブルはさむソファーをりたところ。
霊草ハーブで香り付けした浄水じょうすいグラスそそし出された。
目を細める彼の視線の先には、静かに硝子瓶グラスポットを置きひざもどされる上品な手筋てすじ

口を開こうとしないカーツェルを見てつフェレンスから、悠々ゆうゆうしめされる心置きこころお
その余裕よゆうが少しだけうらやましかった。

何時如何いついかなる時も、取りけ押しの強い執事役が萎縮いしゅくしているのは何故なぜか。

どうしてか気不味きまずいのだ。
自分でもわけが分からない。

知りたいことが山程やまほどあって。
聞こうと思えば、いつでも聞けたはず。
なのに ... ... 言葉にならないなんて。

たまねたカーツェルは大きく、おおきく、息を吸い込んだ。

〈 スゥ ――――― ... ... 〉

そして言う。

出直でなおしてまいります!」

なんだそりゃ ... ... !

自分でも内心そう思う。が、仕方しかたなし。
彼はそろえた両膝りょうひざたたき立ち上がった。

ところが直様すぐさまし止める。

「その必要はない」

フェレンスの声を聞いて彼は立ちくした。

たいしてせきを立ち、歩みる。
主人しゅじんの手が、執事役しつじやくのクロスタイにれ。
ゆっくりとほどき始めた。

厳粛げんしゅくに役目をたす彼が、仕事と私生活プライベートへだてとしてもちいいるソレは、
引きしぼったり、ゆるめたりすることで気持ちを切りえる、装置そうちのようなものらしいので。
襟元えりもとから取りってしまえば、少しは気が楽になるだろうという理由わけ

だが、彼はあいも変わらず、ぱっとしない表情。

フェレンスはタイを引きいた手で彼にれ、声をけた。

「さあ、もういいだろう。かたの力をきなさい」

大の大人が返す言葉もなく、おうじるのみとは、やや奇妙きみょう
ねているのか落ち込んでいるのか。はたまた、その両方か。分かりづらいが。
彼の主人は続ける。

「それから、手のひらを ... ここへ」

下向きな視界にべられる手。

遠慮えんりょがちに指先でれ、言われた通り裏返すと。
ならべて見るかたちに。

するとフェレンスが言う。

「お前の探し物はこれだろう?」

カーツェルは息をんで目を見張みはった。

彼が受け取ったのは、ふるい 々 ... Playing cardトランプ

突拍子とっぴょうしもない話のようだが。
それは、彼が長らく聞けずにいた事の一つ。

「やっぱり ... ... お前が持ってたんだな」

「事故の三ヶ月前に、ハインリッツェからあずかっていた。
 〈いつか、カーツェルと遊んでやってくれ〉と。
 直接ちょくせつ会話したのは、それが最後」

親父おやじ ... ...

き父が常々つねづね持ち歩き。
時間をいてはふところから取り出して遊びにさそってくれた ... 良き思い出がよみがえる。

しかし、ハインリッツェがが子のため余分よぶんに時間をついやすのは、
明日あす、戦地へ向かう〉というメッセージでもあった。

当時のカーツェルが感じ取って下唇したくちびるむ時、何とも言えない気持ちになりながら。

帰ったら続きをしよう ... ... 

かならず生きて帰るという意味合いを込め、そう約束するのだと。
よく聞かされていたのは、当時のフェレンスだ。

御守おまもりのようなものと聞いて受け取った時の解釈かいしゃくは、こう。

〈カーツェルのため、生きてかえれ〉

ところが事故後に思い返せば違った意味にも取れる。
もしや、が子をたくすため、そう言ったのかもしれないと。

けれども、それらは大体、想像出来た事である。
あくまでもカーツェルにとっての話だが。

今や形見かたみとなったそれが、父の遺品のどこにも見当たらなかった時点で。

何故なぜなら父はそれを、W-74 ウォルフラム(※)のケースに入れ持ち歩いていたはずなので。   (※)ダングステン
凄惨せいさんな事故であっても、残らないはずはなく。
かくし持つ者がいると推測すいそくした時、一番に思い当たる人物と言えばフェレンス。

しかし、ずっと聞けなかったのだ。

事故があった当時、フェレンスは長期遠征えんせいのため帝都をはなれていた。

知らせを受けてはいたが、それきり。
カーツェルとは距離を置いていたので。

何せ、帝国軍大佐たいさつとめた男が暗殺にあうう理由など、分かりきっている。

異端ノ魔導師に肩入かたいれしたせい。
誰もがそうささやくのだから。

カーツェルもまた、嫌気いやけすほど耳にした。

だからこそ ... ...

夜毎よごと境界きょうかい荷置におきを開いて、
整頓せいとんつとめるりをしながら探していたのだ。

話題にしたが最後、また、距離を置かれるのではないか。

そんな気がして。こわくて。

怖くて ... ...

無意識に下唇したくちびるめる。
彼の様子を見たフェレンスは、さらに一呼吸置いて言った。

いて、このけんの他、私に対するたずね事も少なくはないはずだが。
 余程よほどめ込んでいたのだろから無理には聞かない事にしよう。
  ... ただし、また一つたのみたい」

すると彼は静々しずしず、顔を上げる。
耳元まで顔をせたフェレンスのささやきを、少しでも近くで聞くために。

わずかにれたのは、ほほと ... 何だろう。

呼吸が上擦うわずり細くなっていく。

自重じちょうきなさい。話をしよう ... カーツェル」

たのみと言いながら命令形でべ、強く手を引く。
フェレンスのみちびくまま。
カーツェルはみ込み、主人とする相手のかたへ顔をうずめた。
 
 
 
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☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです! 元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。 持ち主は、顔面国宝の一年生。 なんで俺の写真? なんでロック画? 問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。 頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ! ☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。

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