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二章 九月
四 バス
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「おわったぁ!」
耳にきんきんする声は、阿賀野先輩のものだった。
「うそぉ?」
「はやぁい!」
なんていう声があがるのを、ご満悦の表情で聞いている阿賀野先輩は、原稿用紙のたばを、とんとんとまとめて、必死に原稿用紙に向かっているぼくらの間を自慢げに歩く。……決して、持った原稿用紙の枚数は少なくはないはずなのに、なんでこんなに原稿を書くのが早いんだ?
「阿賀野先輩、その原稿をあげるスピード、少しぼくにもわけてよ」
峰岸の言葉を、「日頃の精進が足りない!」と一蹴し、そして、「じゃ、ワープロ、かりてくるね」阿賀野先輩はそういってでていった。
「幻文だより」の発行日も近づいてきており、すでにクラブの中は修羅場と化していた。必死に部長はレイアウトをつくり、そしてぼくらは草案をもとに原稿を書き続ける。このにぎやかなクラブが、異様なほどに静まり返っていた。
ちょうどぼくがこのクラブの存在を知って、部室を訪れたときがこの状態で、有無をいわさず、先代の部長がぼくに、ワープロから出てくる文字の切り張りをやらせたのだ。あのときの様子は、今の比ではなかった。何しろ、三年生が二人しかおらず、当時の幻文研は、一人の人が二つの記事の担当をしたりしていたのだから。
すでにもう、あの時点でぼくの入部は確定したといっていいだろう。「じゃ、次は金曜日だから、よろしく」今でも思い出せる、先代の部長(女の人だった)の、顔と声。ほとんど成り行きで入部してしまったようなものだったけれども、ぼくは別段、それを後悔してはいなかった。
原稿の、最後の「。」をいれる瞬間、というのは、なかなか感慨深いものがある。ようやくぼくはそれをして、そしてもう一度、誤字や脱字がないか、チェックのために読み返してみた。
よし。だいたいいいな。
「あがりぃ!」
ぼくは声をだした。「ええ~、もう、二人目?」先輩のため息が聞こえる。ぼくは笑いを返しながら、原稿を揃えた。
部室のドアが開き、ワープロをかかえた阿賀野先輩がやってくる。「あ、久保くん、終わり?」ぼくはうなずきを返して、「久保くんは、文字打つの、早いよね?」ぼくに問う。多少ワープロの経験もあるので、「阿賀野先輩よりは」うなずいて、ワープロと、そして原稿を受け取った。
「ねえ、部長。うちのクラブも、パソコン一台と、何かDTPのソフトを買いましょうよ?」
ワープロで文字を入力しながら、ぼくはいった。それさえあれば、あのこめんどくさい切り貼りの作業から脱出できるのだ。どれだけ楽になることだろう。
「久保、うちのクラブの年間予算が、いったいいくらか知っているか?」
物静かに部長は問うた。その問いに応えることができず、黙っていると、
「いいか、うちの予算は、毎年平均五万円だ。かりにパソコンのフルセットを三十万円として、それなりの機能を持ったDTPのソフトを六万円としよう。単純なわり算だ。いったい、何年かかると思う?」
はい。聞いたぼくがばかでした。それを購入できるころには、ぼくはすでにこの学校にいないだろう。ぼくは返事をするかわりに、ワープロのキーボードを叩く指の速度をあげた。
そうこうしているうちに、時刻は六時半を回ってしまった。
「いけね。ぼく、バスがなくなるんで、もう、帰ります」
ぼくはいって立ち上がり、
「大変だな。遠くからの通学も」
「気をつけて帰れよ」
次々と声がかかる。ぼくはそれらの声にいちいちに応えながら、荷物をまとめ、そして終わった分の文字をフロッピーディスクに保存する。
「じゃ、お先に失礼します」
ぼくはいって、部室のドアをあけた。肩を叩きながら部室をでて、ドアを閉める。ぼくは目をこすりながら、廊下を歩いた。いい加減、ワープロの液晶画面というのは、見ていると目が疲れてしょうがない。視力も、かなり落ちてきているのではないだろうか。そんなことを思いながらぼくは一人きりで廊下を歩き続けた。
「久保、今帰り?」
後ろから、声がかかった。振り返れば、そこにいたのは、同じように帰り支度を整えた中富。「中富も、クラブ、終わりかい?」ぼくは問い、中富はうなずいた。
「違うんだけどさ、ナギサの誕生日が近いから。そろそろプレゼントを選んでおこうかと思って」
幸せそうに話す中富。志太さんの誕生日のプレゼントを選ぶのに、どうして学校に残っている必要があるのか、という疑問はあえて問わないことにして、かわりにぼくは、
「なあ、志太さんには、どういうふうに、いったんだ?」
問うてみて、そして中富は、真っ赤になった。……信じられない。中富が、こんな顔をするなんて。
ははは、と、照れた笑いを浮かべながら、中富は「あんまり、思い出させるなよ。そういうのって、恥ずかしいんだぜ、結構」
そういいながらも、彼はゆっくりと息をすって、そして、
「久保、知ってたっけ? おれ、バイオリニスト、めざしてるんだけどな」
ぼくはうなずいた。「聞いた覚えがあるよ」中富はうなずきを返し、
「で、まあ、中学生のころから、自分で、作曲なんかもはじめたんだ」
ぼくは呆然とその話を聞いていた。……目の前にいる人間が、別の世界の人間に見える。中学生のころのぼくといえば、夢と呼べるようなものなんか何もなくて、ただ毎日を、のんべんだらりとすごしていただけだというのに。
ぼくの思いに気づくことなく、彼は言葉を続けた。
「で、彼女が好きだ、っていうことに気づいてから、曲、つくったんだ。……その、彼女を、イメージして」
ぼくはため息とともにうなずき、そして先をうながした。
「それを彼女に聞かせて。で、その勢いにまかせて」
「『好きだ』って?」
中富はうなずいた。彼の顔には、先ほどの照れくささはみじんもなく、「あのとき」を懐かしんでいるような、そんな微笑みが、浮かんでいた。
「……ふられて、もともとのつもりだったんだ。でも、『好きだ』っていったら、彼女、泣いてくれたんだ。おれのために……うれしかったよ」
ぼくは小さく、幾度もうなずいた。「中富……」ぼくは彼に声をかけ、「なに?」言葉を返す彼に、
「強いんだな」
ぼくは一言、いった。彼は小さく頭をかいて、「そういうわけでもないよ。おれも、彼女には何度も助けてもらっているから」
うれしそうに微笑む中富。そしてちょうどぼくと中富は玄関までやってきて、「じゃ、おれ、自転車だから」彼はいって、そして玄関をでていった。その背中を見ながら、ぼくは今度、中富のその曲を、聞いてみたいな、などと、思いはじめていた。
あたりは、しだいに夕闇に包まれてきていた。バスまで時間がなく、ぼくはバス停まで走るはめになってしまったけれども、不思議と、その疲労が心地よかった。
香澄さんの家の前を通るとき、ぼくはその家の二階の明かりがついているのを確認した。……あそこは、香澄さんの部屋なのだろうか? そうだとしたら、香澄さんは今、何をやっているのだろう? そんなことを思いながら、少しばかり速度を落としてその部屋を眺め、そしてぼくはまた、速度をあげた。
「また明日、香澄さん」ぼくは小さくつぶやいて角を折れ、そしてバス停で、バスを待った。
バスがやってきて、ぼくがバスにのったちょうどそのとき。全力疾走の足音が、ちょうどぼくがやって来たほうから聞こえてきた。
「そのバスまってぇ!」
ほとんど悲鳴に近い声は、間違いなく久我のものだった。久我の声が聞こえたのか、バスは久我がやってくるのを待ち、ぜいぜいと息を切らせた久我は、運転手さんに定期を見せ、そして倒れるようにシートに座った。久我に声をかけようかと思ったけれども、彼女はよほど疲れているらしく、バスの中で居眠りをはじめていた。ぼくは小さく苦笑して、彼女をそっとしておくことに決めた。
バス停が近くなってきても、いっこうに久我は目覚める様子がない。……このままじゃ、バス、乗り過ごしちゃうぞ。ぼくはだんだん心配になってきて、立ち上がると、そっと久我の眠っている椅子のところまで歩いていき、ゆっくりと、彼女の肩をゆすった。
「おい、久我、起きろ。バス、乗り過ごしちまうぞ」
ん……と、久我は小さくうめいて、そして彼女の目が、ゆっくりと開く。「……あ、長路……」久我は小さくいって、そして目をこすった。
「バス停、すぐだぞ」
そういっている間に、バスのアナウンスは、次のバス停が、ぼくらの降りるバス停であることを告げた。ぼくは「次とまります」のチャイムをおした。
「あ、ほんとだ……」久我まだ半分眠っているようで、夢遊病者のようなおぼつかない足どりで立ち上がり、そしてまた、どさりと椅子に落ちた。ぼくはため息をついて、彼女の頬を、軽く叩く。
「ほら、いつまでも寝てないで、起きろ」
「ううん……」
寝ぼけまなこをこすりながらも、久我はようやく目を覚ました。バスがとまり、ぼくは久我をせき立てるようにしてバスを降りる。ぼくは久我をバス停のベンチに座らせ、
「大丈夫か?」問うた。
「ん。平気。ちょっと、疲れただけだから……」
久我は応え、「それならいいけど……」ぼくはうなずき、
「ねえ、長路……」久我の言葉に、「ん?」声を返す。
「私ね、長路を、応援してあげる。だから、長路。早く、鈴木さんを彼女にしてね」思いもよらぬ言葉に、ぼくはどぎまぎして久我を見た。「あーあ、私って、なんて友達思いなんだろ?」彼女はいって、その言葉に、ぼくは苦笑した。
彼女はゆっくりと立ち上がった。「大丈夫。もう、歩けるから」
彼女がぶったおれやしないかとはらはらしながら見守るぼくに、彼女はいった。そして彼女は、やはり少々おぼつかない足どりで、歩き始めた。……本当に、大丈夫なんだろうな? 思いはしたけれども、彼女の家とぼくの家では、方角がまるきり反対になってしまうので、ぼくは多少の不安を残しつつも、彼女に背を向けて歩き始めた。
久我の様子が変だったことにぼくは気づいていたけれども、しかしぼくはそれが自分の気の迷いだろうと思っていた。
耳にきんきんする声は、阿賀野先輩のものだった。
「うそぉ?」
「はやぁい!」
なんていう声があがるのを、ご満悦の表情で聞いている阿賀野先輩は、原稿用紙のたばを、とんとんとまとめて、必死に原稿用紙に向かっているぼくらの間を自慢げに歩く。……決して、持った原稿用紙の枚数は少なくはないはずなのに、なんでこんなに原稿を書くのが早いんだ?
「阿賀野先輩、その原稿をあげるスピード、少しぼくにもわけてよ」
峰岸の言葉を、「日頃の精進が足りない!」と一蹴し、そして、「じゃ、ワープロ、かりてくるね」阿賀野先輩はそういってでていった。
「幻文だより」の発行日も近づいてきており、すでにクラブの中は修羅場と化していた。必死に部長はレイアウトをつくり、そしてぼくらは草案をもとに原稿を書き続ける。このにぎやかなクラブが、異様なほどに静まり返っていた。
ちょうどぼくがこのクラブの存在を知って、部室を訪れたときがこの状態で、有無をいわさず、先代の部長がぼくに、ワープロから出てくる文字の切り張りをやらせたのだ。あのときの様子は、今の比ではなかった。何しろ、三年生が二人しかおらず、当時の幻文研は、一人の人が二つの記事の担当をしたりしていたのだから。
すでにもう、あの時点でぼくの入部は確定したといっていいだろう。「じゃ、次は金曜日だから、よろしく」今でも思い出せる、先代の部長(女の人だった)の、顔と声。ほとんど成り行きで入部してしまったようなものだったけれども、ぼくは別段、それを後悔してはいなかった。
原稿の、最後の「。」をいれる瞬間、というのは、なかなか感慨深いものがある。ようやくぼくはそれをして、そしてもう一度、誤字や脱字がないか、チェックのために読み返してみた。
よし。だいたいいいな。
「あがりぃ!」
ぼくは声をだした。「ええ~、もう、二人目?」先輩のため息が聞こえる。ぼくは笑いを返しながら、原稿を揃えた。
部室のドアが開き、ワープロをかかえた阿賀野先輩がやってくる。「あ、久保くん、終わり?」ぼくはうなずきを返して、「久保くんは、文字打つの、早いよね?」ぼくに問う。多少ワープロの経験もあるので、「阿賀野先輩よりは」うなずいて、ワープロと、そして原稿を受け取った。
「ねえ、部長。うちのクラブも、パソコン一台と、何かDTPのソフトを買いましょうよ?」
ワープロで文字を入力しながら、ぼくはいった。それさえあれば、あのこめんどくさい切り貼りの作業から脱出できるのだ。どれだけ楽になることだろう。
「久保、うちのクラブの年間予算が、いったいいくらか知っているか?」
物静かに部長は問うた。その問いに応えることができず、黙っていると、
「いいか、うちの予算は、毎年平均五万円だ。かりにパソコンのフルセットを三十万円として、それなりの機能を持ったDTPのソフトを六万円としよう。単純なわり算だ。いったい、何年かかると思う?」
はい。聞いたぼくがばかでした。それを購入できるころには、ぼくはすでにこの学校にいないだろう。ぼくは返事をするかわりに、ワープロのキーボードを叩く指の速度をあげた。
そうこうしているうちに、時刻は六時半を回ってしまった。
「いけね。ぼく、バスがなくなるんで、もう、帰ります」
ぼくはいって立ち上がり、
「大変だな。遠くからの通学も」
「気をつけて帰れよ」
次々と声がかかる。ぼくはそれらの声にいちいちに応えながら、荷物をまとめ、そして終わった分の文字をフロッピーディスクに保存する。
「じゃ、お先に失礼します」
ぼくはいって、部室のドアをあけた。肩を叩きながら部室をでて、ドアを閉める。ぼくは目をこすりながら、廊下を歩いた。いい加減、ワープロの液晶画面というのは、見ていると目が疲れてしょうがない。視力も、かなり落ちてきているのではないだろうか。そんなことを思いながらぼくは一人きりで廊下を歩き続けた。
「久保、今帰り?」
後ろから、声がかかった。振り返れば、そこにいたのは、同じように帰り支度を整えた中富。「中富も、クラブ、終わりかい?」ぼくは問い、中富はうなずいた。
「違うんだけどさ、ナギサの誕生日が近いから。そろそろプレゼントを選んでおこうかと思って」
幸せそうに話す中富。志太さんの誕生日のプレゼントを選ぶのに、どうして学校に残っている必要があるのか、という疑問はあえて問わないことにして、かわりにぼくは、
「なあ、志太さんには、どういうふうに、いったんだ?」
問うてみて、そして中富は、真っ赤になった。……信じられない。中富が、こんな顔をするなんて。
ははは、と、照れた笑いを浮かべながら、中富は「あんまり、思い出させるなよ。そういうのって、恥ずかしいんだぜ、結構」
そういいながらも、彼はゆっくりと息をすって、そして、
「久保、知ってたっけ? おれ、バイオリニスト、めざしてるんだけどな」
ぼくはうなずいた。「聞いた覚えがあるよ」中富はうなずきを返し、
「で、まあ、中学生のころから、自分で、作曲なんかもはじめたんだ」
ぼくは呆然とその話を聞いていた。……目の前にいる人間が、別の世界の人間に見える。中学生のころのぼくといえば、夢と呼べるようなものなんか何もなくて、ただ毎日を、のんべんだらりとすごしていただけだというのに。
ぼくの思いに気づくことなく、彼は言葉を続けた。
「で、彼女が好きだ、っていうことに気づいてから、曲、つくったんだ。……その、彼女を、イメージして」
ぼくはため息とともにうなずき、そして先をうながした。
「それを彼女に聞かせて。で、その勢いにまかせて」
「『好きだ』って?」
中富はうなずいた。彼の顔には、先ほどの照れくささはみじんもなく、「あのとき」を懐かしんでいるような、そんな微笑みが、浮かんでいた。
「……ふられて、もともとのつもりだったんだ。でも、『好きだ』っていったら、彼女、泣いてくれたんだ。おれのために……うれしかったよ」
ぼくは小さく、幾度もうなずいた。「中富……」ぼくは彼に声をかけ、「なに?」言葉を返す彼に、
「強いんだな」
ぼくは一言、いった。彼は小さく頭をかいて、「そういうわけでもないよ。おれも、彼女には何度も助けてもらっているから」
うれしそうに微笑む中富。そしてちょうどぼくと中富は玄関までやってきて、「じゃ、おれ、自転車だから」彼はいって、そして玄関をでていった。その背中を見ながら、ぼくは今度、中富のその曲を、聞いてみたいな、などと、思いはじめていた。
あたりは、しだいに夕闇に包まれてきていた。バスまで時間がなく、ぼくはバス停まで走るはめになってしまったけれども、不思議と、その疲労が心地よかった。
香澄さんの家の前を通るとき、ぼくはその家の二階の明かりがついているのを確認した。……あそこは、香澄さんの部屋なのだろうか? そうだとしたら、香澄さんは今、何をやっているのだろう? そんなことを思いながら、少しばかり速度を落としてその部屋を眺め、そしてぼくはまた、速度をあげた。
「また明日、香澄さん」ぼくは小さくつぶやいて角を折れ、そしてバス停で、バスを待った。
バスがやってきて、ぼくがバスにのったちょうどそのとき。全力疾走の足音が、ちょうどぼくがやって来たほうから聞こえてきた。
「そのバスまってぇ!」
ほとんど悲鳴に近い声は、間違いなく久我のものだった。久我の声が聞こえたのか、バスは久我がやってくるのを待ち、ぜいぜいと息を切らせた久我は、運転手さんに定期を見せ、そして倒れるようにシートに座った。久我に声をかけようかと思ったけれども、彼女はよほど疲れているらしく、バスの中で居眠りをはじめていた。ぼくは小さく苦笑して、彼女をそっとしておくことに決めた。
バス停が近くなってきても、いっこうに久我は目覚める様子がない。……このままじゃ、バス、乗り過ごしちゃうぞ。ぼくはだんだん心配になってきて、立ち上がると、そっと久我の眠っている椅子のところまで歩いていき、ゆっくりと、彼女の肩をゆすった。
「おい、久我、起きろ。バス、乗り過ごしちまうぞ」
ん……と、久我は小さくうめいて、そして彼女の目が、ゆっくりと開く。「……あ、長路……」久我は小さくいって、そして目をこすった。
「バス停、すぐだぞ」
そういっている間に、バスのアナウンスは、次のバス停が、ぼくらの降りるバス停であることを告げた。ぼくは「次とまります」のチャイムをおした。
「あ、ほんとだ……」久我まだ半分眠っているようで、夢遊病者のようなおぼつかない足どりで立ち上がり、そしてまた、どさりと椅子に落ちた。ぼくはため息をついて、彼女の頬を、軽く叩く。
「ほら、いつまでも寝てないで、起きろ」
「ううん……」
寝ぼけまなこをこすりながらも、久我はようやく目を覚ました。バスがとまり、ぼくは久我をせき立てるようにしてバスを降りる。ぼくは久我をバス停のベンチに座らせ、
「大丈夫か?」問うた。
「ん。平気。ちょっと、疲れただけだから……」
久我は応え、「それならいいけど……」ぼくはうなずき、
「ねえ、長路……」久我の言葉に、「ん?」声を返す。
「私ね、長路を、応援してあげる。だから、長路。早く、鈴木さんを彼女にしてね」思いもよらぬ言葉に、ぼくはどぎまぎして久我を見た。「あーあ、私って、なんて友達思いなんだろ?」彼女はいって、その言葉に、ぼくは苦笑した。
彼女はゆっくりと立ち上がった。「大丈夫。もう、歩けるから」
彼女がぶったおれやしないかとはらはらしながら見守るぼくに、彼女はいった。そして彼女は、やはり少々おぼつかない足どりで、歩き始めた。……本当に、大丈夫なんだろうな? 思いはしたけれども、彼女の家とぼくの家では、方角がまるきり反対になってしまうので、ぼくは多少の不安を残しつつも、彼女に背を向けて歩き始めた。
久我の様子が変だったことにぼくは気づいていたけれども、しかしぼくはそれが自分の気の迷いだろうと思っていた。
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