瞳いっぱいの微笑みを

中富虹輔

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四章 十月~十一月

三 「光の駅」

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 前日の雨がうそのように、文化祭当日は快晴だった。最後の打ち合わせをするために教室に集まっているみんなも、そんなことを口々にいっている。
「いい天気だなぁ」
「ほんとに。外に、遊びに出たくなるよなぁ」
 そんな声がそこここで聞かれていた。そして、皆が集まった頃を見計らって、中富が声をかける。
「おーい、それじゃあ、最後の確認するよ」
 ぼくらの劇は午前中。それが終われば、あとはフリーになる。……軽音部のライブは午後一番だから、それを見に行けないことはない。
 さて、どうしようか。ぼくは考えをめぐらせながら、中富の言葉を、聞き流していた。

 幕が開くのもあとわずか。すでに、舞台上で準備を終えたみんなが、スイッチのはいっていないロボットのように、そこで凍結している。そしてぼくはといえば、ぼろぼろの台本を大事にかかえて、舞台の袖から、その様子を見守っていた。
 皆の間に、心地よい緊張が走っている。
 ぼくは、逆側の袖に立っている級友に、合図を送った。彼はうなずきを返して、ゆっくりと幕を開ける。舞台の上でとまっていた時間が、動きだした。
 舞台の上で繰り広げられる物語。そこは、現実とは遠くはなれた、別世界になっていた。「旅人」が歌い、無感動な人々は歩き続ける。足をとめる一人の少女。わずかにかわす言葉。
 幕。
 大道具の係りが、ばたばたと走り出す。背景を取り替え、床に散らばった小道具を片づけていく。それは、一瞬だけ、現実に引き戻された虚構の世界。
 幕があがる。
 歌い続ける旅人。感情をなくした少女の心に、しだいに別のものが生まれはじめる。しだいに多くなる、二人の逢瀬。やがて少女の心にも、わずかな感情が、芽生える。
 幕。
 ふたたび、場面はかわる。
 そして、平穏な日常をおびやかされつつあることに気付いた人々が集まる。旅人を追い出してしまえ、でなければ、この安息は必ず壊されてしまう。
 ……いや、追い出すだけではなまぬるい。あいつは、殺してしまえ。
 過激な声があがる。
 その場を、偶然少女は見つけてしまう。旅人の運命を知り、彼をどうにかして逃がそうと、少女は腐心する。
 場面はかわる。
 早朝。街を逃げ出そうとする二人の前に、立ちはだかる人々。二人はとらえられ、そして牢につながれる。
 牢の中、互いの想いを確認する二人。最後の別れを惜しみ、旅人は歌を歌う。
 歌は風にのり、人々の心にこだまする。二人の想いを乗せた歌は、人々の凍り付いた心をも、氷解させる。
 いよいよ、大団円だ。牢から出される二人。人々の長がいう。私たちは、何か大事なものを失っていたような気がする。それを、思い出させてくれたのはあなただ。そして、人々は口々に旅人をたたえ、そして、幕が閉じる。
 ぼくは、ゆっくりと降りていく幕を見ながら、息をついていた。おおむね、うまくいっただろう。ぼくは、引き上げてくる皆に、声をかけた。
「ご苦労さん」
 ははは、と、皆は照れ笑いを返して、そしてその場で衣装を変えられるものは、早々に着替えをすませる。ぼくは、そちらではなく、大道具を片づけている級友達の方に、目を向けていた。大道具が運び込まれる。ぼくはその手伝いをして、そして一息ついたところで、中富が声をかける。
「それじゃ、みんな、いったん教室に戻って、で、フリーにしよう」
 その言葉も終わらぬうちに、皆は歩き始めていた。ぼくは全員が歩いていくのを確認して、その、いちばん後ろを歩いていた。一番早くに、この劇に関わったのだから、一番最後まで、舞台に居残っていたかった、なんていう、ちょっとした遊び心だったのだけれども。
 ぼくが教室に向かっているときに、すでに何人もの級友とすれ違っていた。自分のクラブの出し物だの、なんだのと、皆も忙しいらしい。結局、ぼくが教室にはいった頃には、半分がた、人はいなくなっていた。
 教室にはいったぼくに、「お疲れさま」久我が言葉をかけてくる。ぼくは苦笑して、
「別に、何をやった、ってわけでもないんだけどね」言葉を返したけれども、久我は、首を横にふった。
「一番、大変なこと、してたじゃない」
「そうでもないよ」軽く言葉を返して、そしてぼくは、自分のイスに座った。
 腕時計を見る。午前十一時。まだ、軽音部の演奏までは、間はある。いまさら、それにいくべきかどうか迷っている自分が、なんだか情けなくて、ぼくはため息を一つついた。「どうしたの、長路?」久我は問うた。「別に。なんでもない」
 ぼくは言葉を返して、そして外を見た。朝から引き続いて、よく晴れていたけれども、なんだか少しばかり、雲が多いのが気になる。……一雨、くるのだろうか?
 ぼくは立ち上がると、なにげなしに、窓までよって、そして、下を見た。音楽部の合同演奏用の舞台でもつくっているのだろうか、下では、かなり広いステージをつくっていた。その様子を見ていたら、なんだかこんなところでただぬぼっ、としているだけの自分がもったいなく思えてくる。
 その辺を、歩き回ってみようか? 思って、ぼくは歩き出す。教室をでて、ぼくはとりあえず、古本市をやっているという、図書室にいってみた。
 大した掘り出し物がないのはわかっていたけれども、やっぱりなんとなく失望して、ぼくは図書室をあとにしていた。電子計算機部は、自作の3Dモデリングツールを作ったとかで、その説明とデモをやっていたけれども、最近のゲームで使われているものにくらべれば、それは明らかに見劣りした。
 幻文の部長おすすめの、天文部のプラネタリウムは、投影機の故障とかで、残念ながら覗くことはできず、それから、ぼくは美術部、写真部とまわり、そしてそろそろ、軽音部のライブの時間が近づいてきたことを知った。……あちこちまわるのに夢中になって、ぼくは昼食をとるのを忘れたのに気付いたけれども、一食くらい抜いたって、死にはすまい。思って、ぼくはため息をついた。
 ……いくべきか、いかざるべきか、それが問題だ。……ってやつだな。ぼくは思案してため息をついた。と、
「長路?」
 声をかけられ、ぼくは振り返った。
「あ、久我」
「どうしたの? 深刻な顔して?」
「そんな顔、してた?」久我の言葉にぼくは問いを返し、「してたしてた」彼女はうなずいた。
「そっかぁ……」ぼくは小さくつぶやき、少し迷ったあと、この前、香澄さんに「家まで送ってあげる」といわれたこと、そのときに、軽音部のライブを見にこい、といわれたこと、そして今、ぼくはそこにいこうかどうしようか、迷っていること、そのすべてを話した。
 ぼくの言葉を黙って聞いていた久我だったけれども。
「……いくべきよ。『来て』、っていったんだから、いってあげなくちゃ、悪いじゃない」
「でも、いまさら……」
 ぼくの言葉をさえぎる。「大丈夫。いこう。私も、一緒にいってあげるから」彼女はいって、ぼくの目をじっと見つめる。
「……」久我の無言の声援に、ぼくはうなずきを返し、そしてぼくらは、歩きだした。

 すでに、ライブは始まっていた。ギターががなりたて、そしてボーカルは、力一杯にシャウトする。演奏している曲は何か、ぼくはわからなかったけれども、ステージの上の連中が、楽しんでいることだけはわかった。
 ……そういえば、香澄さんは、なぜ、軽音部のライブ、なんていったのだろう? この時期、とっくに三年生は引退しているはずだし。……どうしてだろう? 自問しても、答など、でるはずもない。ぼくは、香澄さんではないのだから。
 軽音部の連中が数曲を歌い続ける。ようやく一息をついたステージの上のボーカルが、マイクを握った。
「それでは、毎年恒例、軽音部OBによる、特別演奏を聞いてもらいます」
 ……そうか……。なんとなく、納得がいった。それで、香澄さんは……そう思う間にも、ボーカルの言葉は続く。
「キーボード、鍵盤の姫、鈴木香澄!」ボーカルの手が、ステージ左手をさす。
 ぺこり、と、一つ頭を下げて、香澄さんがそちら側から登場した。ボーカルがマイクをゆずって、そして香澄さんの目は、ぐるりとぼくらの上を一周した。
「えー、とうとう、私も、こんなふうに演奏する学年になってしまいました。たぶん、この学校では最後の演奏になると思うので、がんばって、弾きます」
 ぺこりと一礼し、そして香澄さんは、すでに場所を立ったキーボードのイスに腰掛ける。ふたたび、マイクの前に立つボーカル。
「ギター、前軽音部長、遠藤良一!」ステージ右手からあらわれた男も、また、ぺこりと一礼して、そして顔をあげる。
 ……あいつだ。
 自然、身体が固くなるのを感じていた。ぼくはふと、香澄さんの方に目をやって、そして香澄さんと、目があった。
 ……そう思ったのは、ぼくの錯覚だったのかも知れない。けっこうな距離はあったし、香澄さんは、もっと別の方に目がいっていたのかも知れないのだから。けれども、なぜか、ぼくには、香澄さんが微笑んだような気がした。
「他の人は、受験勉強が忙しくてでられないので、ぼくら二人で、演奏します」
 あいつ……遠藤さん……の言葉を、ぼくは聞き流していた。後ろのドラムが、スティックを打ち鳴らし、それが合図になったのか、二人は演奏をはじめた。イントロで、その曲がちょっと前に流行した、テレビ番組の主題歌だと気づいた。……曲のタイトルまでは忘れてしまったけれども。
 我知らず、ぼくの目は、楽しそうにキーボードを弾く香澄さんに、くぎ付けになっていた。
 演奏が終わる。ぼくはまた、香澄さんがぼくに向かって微笑んだような気がして、あわてて目をそらした。
 香澄さんが立ち上がり、ボーカルの男がマイクを香澄さんに手渡した。香澄さんは今演奏した曲のタイトルをいって、ちらりと、後ろにいるギター……遠藤良一の方に目を向けたけれども、その視線をすぐに、ぼくらの方へ向けなおした。
「次の曲は、私が個人的に思い入れのある曲です。あんまりメジャーな曲じゃないんですけど、私のわがままで、ここで演奏させてもらうことにしました。タイトルは……」
 数瞬の間。
「『光の駅』です」
 香澄さんが、中学校の演奏会で弾いた曲。そして……以前、泣きながら、ピアノを弾いていたときの曲。
 いつのまにか、ギターをアコースティック・ギターに取り替えていた遠藤さんが、ぼくが香澄さんのピアノでしか聞いたことのない、その曲のイントロのリフレインを弾きはじめた。香澄さんはマイクを持ったままそこに立っており、ふと気づくと、キーボードには、香澄さんに変わって、現役軽音部員の男がとりついていた。
 ギターのリフレインによるイントロのあとの主旋律。
 香澄さんのピアノでしか聞いたことのない、そのメロディにのせて、香澄さんのボーカルが、歌詞を刻んでいく。
 そのメロディと同じく、どこかほんの少しの寂しさをたたえている歌詞。香澄さんの歌は、おせじにも上手とはいえなかったけれども、それが不思議と、その歌の味にもなっていた。
 そして。
 二コーラス目、だったと思う。サビへ向けてだんだんと曲が盛り上がってくるその部分で、ぼくは頭をごつんとやられたような気分になった。
 『こんな日は、空のおとが聞こえるのよね』
 ……そうか、香澄さんのあの言葉は、この歌から来ていたのか。不思議な感動がぼくを包み、そしてぼくは一つの重大な……そしてお粗末といえば、あまりにお粗末な事実に気づいた。
 自分の間抜けさ加減に、ぼくはどうしようもなく嫌気がさしてきて、ぼくは隣にいる久我に声をかけた。
「くが……由美香」
 名前を呼ばれたことに驚いたのだろうか、「……なに?」久我は、戸惑い顔でぼくに目を向けた。
「やっぱり、ぼくは、香澄さんに呼ばれる資格なんて、なかったみたい」
 首をかしげる久我。「どういうこと?」
「久我は、わかんなくてもいいよ」ぼくは短く言葉を返した。「ぼく、行くから」久我の返答を待たずに、ぼくは人混みをかき分けつつ、会場から離れていった。
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