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第一、東風平の調査では、このおばさんは元々、資産家の娘で、生活に困っているそぶりは全くなかった。
女手ひとりで子供を育てることは大変というが、お手伝いさんに世話を任せて、自らは親のコネで女性週刊誌記者となり、偏狭的な記事を書きまくっていただけである。
編集部内での評判もすこぶる悪く、評論家としてタレント活動に専念することが決まったときは、部員一同祝宴を開いたとさえいう。
「ひどいわ! ひどいわ! ひどいわ!」
赤木はハンカチで目頭を押さえながら、言葉にもならない罵詈雑言を東風平に浴びせていた。
中にはずいぶんと差別的な言葉が含まれているようにも思えたが、これが差別とは誰も言わない。
「おい! おまえは悪魔か! これだけひどいことを言っておいて! なんとも思わないのか!」
北川が叫んだ。
ずいぶんとうれしそうな態度にも見えた。大義名分があるときに相手を一方的に責めるのがこの男は好きなのだろう。
顔を真っ赤にしてはいるが、狂喜に満ちた心根が透けて見える。
東風平はそれに対して返答をしなかった。口を開いたところで、難癖を付けられるのがオチだろう。
「何も言えないのか! 言えないんだろう! 委員になってからずいぶんと経つが、おまえみたいなひどい人間を見たのは初めてだ。おまえには一番ひどい刑を与えてやるからな! わかったか!」
北川の口調は脅迫的、いや脅迫そのものと言ってよかった。
『わかったか!』と喚く相手に東風平はイライラを隠せなかった。
ましてや刑を与えるなどと、こいつは一体何様だというのか。
司法権を飛び越して刑を言い渡せるという彼らの権限は、当初は罰金刑だけであったが、法改正の中で、いつの間にか懲役刑まで言い渡せるようになった。現在は最高で終身刑まで言い渡せる。
死刑が廃止された今、日本で最高の刑罰である。しかも、弁護士の立会も裁判もなしに言い渡せるのである。
「すこやか法」とやらが出来た際にここまでの結果は誰も考えていなかったにちがいない。
堅固な城塞が蟻の一穴で崩れ始めるように、一度、ある一線が突破されると、とことん流されていく。
しかも、その間は皆、無関心で、気づいたときにはもう手遅れという状態――第二次世界大戦に巻き込まれた反省を日本人は何もしていないなと東風平は思う。
ヒトラーの思考がスターリンの思考に変わっただけで、やっていることは何も変わらない。
「今度は人のことを馬鹿と言ったわ。しかも、個人のプライバシーを暴くような真似をして、関係のない子供の名誉まで傷つけた。救いようがないわね」
東風平の思考は、久々に口を開いた安田に遮られた。
淡々とした口調であった。
めったに口を開かないが、実に嫌なタイミングで口を挟んでくる。
(もしかしたら、こいつが一番厄介かもな……)
内心警戒する東風平をよそに、安田は再び涼しい顔をして口を開かない。
「君のひどい人間性については、これもしっかりと記録させてもらうよ。で、もうひとつの質問についてだが、差別用語の大量使用について、君の見解を聞かせてもらいたいのだが」
ひどく冷静に藪が進行を続けた。本当に官僚向きな男だと東風平は思う。
「差別用語というのはどれのことでしょうか?」
東風平は憮然として言った。
「とぼけるのもいいかげんにしたまえ。例えば、このページだが『チビ』という単語を2回も使っている。さらにこちらのページだが『ブス』『デブ』などという相手の身体的特徴をあざ笑う実にひどい言葉が何回も使われているではないか。これでもとぼける気かね」
20世紀の終わり頃より、差別用語については、各種メディアで過剰な対応がされていたが、すこやか法が成立してからは、病的なまでに弾圧が進んだ。
『キ◯ガイ』『片◯落ち』『目◯ら』などという単語は20世紀末より葬り去られた言葉であるが、今では『チビ』『デブ』『ハゲ』でさえも差別用語として見なされ、メディアでは使われることが許されない。
女手ひとりで子供を育てることは大変というが、お手伝いさんに世話を任せて、自らは親のコネで女性週刊誌記者となり、偏狭的な記事を書きまくっていただけである。
編集部内での評判もすこぶる悪く、評論家としてタレント活動に専念することが決まったときは、部員一同祝宴を開いたとさえいう。
「ひどいわ! ひどいわ! ひどいわ!」
赤木はハンカチで目頭を押さえながら、言葉にもならない罵詈雑言を東風平に浴びせていた。
中にはずいぶんと差別的な言葉が含まれているようにも思えたが、これが差別とは誰も言わない。
「おい! おまえは悪魔か! これだけひどいことを言っておいて! なんとも思わないのか!」
北川が叫んだ。
ずいぶんとうれしそうな態度にも見えた。大義名分があるときに相手を一方的に責めるのがこの男は好きなのだろう。
顔を真っ赤にしてはいるが、狂喜に満ちた心根が透けて見える。
東風平はそれに対して返答をしなかった。口を開いたところで、難癖を付けられるのがオチだろう。
「何も言えないのか! 言えないんだろう! 委員になってからずいぶんと経つが、おまえみたいなひどい人間を見たのは初めてだ。おまえには一番ひどい刑を与えてやるからな! わかったか!」
北川の口調は脅迫的、いや脅迫そのものと言ってよかった。
『わかったか!』と喚く相手に東風平はイライラを隠せなかった。
ましてや刑を与えるなどと、こいつは一体何様だというのか。
司法権を飛び越して刑を言い渡せるという彼らの権限は、当初は罰金刑だけであったが、法改正の中で、いつの間にか懲役刑まで言い渡せるようになった。現在は最高で終身刑まで言い渡せる。
死刑が廃止された今、日本で最高の刑罰である。しかも、弁護士の立会も裁判もなしに言い渡せるのである。
「すこやか法」とやらが出来た際にここまでの結果は誰も考えていなかったにちがいない。
堅固な城塞が蟻の一穴で崩れ始めるように、一度、ある一線が突破されると、とことん流されていく。
しかも、その間は皆、無関心で、気づいたときにはもう手遅れという状態――第二次世界大戦に巻き込まれた反省を日本人は何もしていないなと東風平は思う。
ヒトラーの思考がスターリンの思考に変わっただけで、やっていることは何も変わらない。
「今度は人のことを馬鹿と言ったわ。しかも、個人のプライバシーを暴くような真似をして、関係のない子供の名誉まで傷つけた。救いようがないわね」
東風平の思考は、久々に口を開いた安田に遮られた。
淡々とした口調であった。
めったに口を開かないが、実に嫌なタイミングで口を挟んでくる。
(もしかしたら、こいつが一番厄介かもな……)
内心警戒する東風平をよそに、安田は再び涼しい顔をして口を開かない。
「君のひどい人間性については、これもしっかりと記録させてもらうよ。で、もうひとつの質問についてだが、差別用語の大量使用について、君の見解を聞かせてもらいたいのだが」
ひどく冷静に藪が進行を続けた。本当に官僚向きな男だと東風平は思う。
「差別用語というのはどれのことでしょうか?」
東風平は憮然として言った。
「とぼけるのもいいかげんにしたまえ。例えば、このページだが『チビ』という単語を2回も使っている。さらにこちらのページだが『ブス』『デブ』などという相手の身体的特徴をあざ笑う実にひどい言葉が何回も使われているではないか。これでもとぼける気かね」
20世紀の終わり頃より、差別用語については、各種メディアで過剰な対応がされていたが、すこやか法が成立してからは、病的なまでに弾圧が進んだ。
『キ◯ガイ』『片◯落ち』『目◯ら』などという単語は20世紀末より葬り去られた言葉であるが、今では『チビ』『デブ』『ハゲ』でさえも差別用語として見なされ、メディアでは使われることが許されない。
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