Ibelive in yesterday

荒深小五郎

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Ibelive in yesterday

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前の彼と別れて一年、少しさびしいなと思い始めた頃に彼は現れた。

はっきり言って、カッコいい人ではなかった。
小柄で猫背で、服装もダサい。

眼鏡をかけた外見は冴えず、おとなしそうな人だった。
低い声だけが好みだったかな。
優しそうでもあったし。

だけど、前の彼が乱暴で横柄な男だったので、こういうタイプもいいかなと思った。

声をかけてみると、四月から採用される新入社員だとおどおどしながら答えてくれた。

今は会社から誘われてバイトに来ているという。

なんだか、運命的なものを感じてしまった。

私の悪い癖なんだけれど、惚れっぽいのだ。そして、飽きっぽい……

彼は短大卒の私よりひとつ年上だった。

けれど、会社では私が先輩だからか、初めは敬語で話して来た。

というより、誰に対してもそんな感じだった。
謙虚なタイプなんだろうな……初めはそんなふうに好意的に見ていた。

彼は真面目で一生懸命でもあった。
早く仕事を覚えようと必死なのが伝わって来た。
そんなところが、私の母性本能をくすぐった。

彼はパソコンを得意としていた。

当時はインターネットや電子メールが広まりはじめたばかりで、職場でも導入されたのだけれど、使いこなせる人は限られていて、得意な彼は重宝されていた。

彼は別にパソコンの管理部署にいたわけではなかったけれど、あちこちから呼ばれて走り回っていた。

その姿を当時はなんだか微笑ましく見えた。

そのうち、私もブームに乗って、パソコンを購入した。

プロバイダーを選んだり、インターネット設定まで彼に教えてもらったのは言うまでもない。

彼は優しく丁寧に教えてくれた。

この頃になると、互いに気さくに話せるような関係になっていた。

毎日のように彼とメール交換をした。

面倒くさがり屋な私の割によく続いた。

私は短文であることがほとんどだったけれど、彼は普段おとなしい分、筆まめだったようで、長い文章を毎日送ってきた。

飽きっぽい私がしばらく続いたのだから、これはもしかして……と、少しいい感情を持ち始めていた。

けれど、彼は鈍いのか、女心をまるでわかっていないのか、例えば私が「友達と旅行に行く」とメールしたら、「婚前旅行?」なんて返事を書いてくる有様だった。

きっと女性経験が少ないのだろうな……私にはそうとしか思えなかった。

けれど、変なかけひきをしてくるような男は嫌いだったので、このときは好意的に見ていた。

そのうち、彼は私に対して悩み相談をしてくるようになった。

彼は仕事に悩んでいるようだった。

確かに当時の彼の職場環境はあまり良くないようだった。

人間関係にも苦しんでいるようだった。

押し付けられやすいタイプであるのは見ていてわかった。

彼は良く言えば誰にでも優しく、悪く言えば、断り下手で利用されるタイプの典型だった。

かといって、その不満みたいなものを私に愚痴られるのは、愉快なものではなかった。

私は長女として生まれて、育てられたせいか、人に頼られることが結構あった。
甘えられてしまうタイプだった。

信頼されるのはうれしかったけれど、私だって愚痴を言いたかったし、誰かに頼りたいときがあった。

当初は私も悩みを相談することがあって、それをきっかけにこういう形になったのだけど、この頃は私が一方的に愚痴を聞くばかりで、なんだか疲れ始めていた。

私はだんだんメールに返事をする回数を減らすようになった。

そのうち、携帯でもメールができる時代が来て、彼にもメールアドレスを教えたけれど、内容はやっぱり愚痴みたいなものが多かった。

彼はたぶん共感してもらったり、なぐさめてもらいたかったのだろうけれど、私のほうはもううんざりするようになっていた。

友達から、私に紹介したい男性がいると提案があったのはそんなときだった。

紹介された男性は高校の先輩でふたつ年上のスポーツマンだった。

野生的な感じの人で、顔はどちらかいうとゴリラみたいだったけれど、明るい性格のようで、湿っぽさがなかった。

私の存在を在学中から知っていて、いい印象を持っていたらしい。

この人の友達の友達が、私の友達という関係だった。
これもまた運命だったのかも……

私たちはとりあえず連絡先などを交換した。
誘われているうちに、次第に会うようになり、ある日告白された。
私はただ「はい」と答えた。

私はこそこそ付き合ったりするのは好きではなかったので、特に隠して交際するようなことをしなかった。

彼氏がいるかと聞かれたら、「いるよ」とはっきりと答えていた。

このことは、はっきりしなかった彼にも伝わっていたようだった。

遠慮がちな彼のこと、目に見えて届くメールの数は減って行った。
それも、彼らしいといえば、彼らしかった。

私はもう彼に興味を失っていた。
男は記憶を「名前を付けて保存する」けれど、女は「上書き保存」する。

男は昔の女が忘れられず未練が残るみたいだけど、女である私にとっては、彼はもはやただの職場の同僚に過ぎなかった。

けれど、昔、親切にしてもらったのは確かなので、ぞんざいな扱いをしたつもりはなかった。

職場で出会ったら、軽く会話をするようなことはしていたし、数人と一緒にスキーに行くとか、カラオケに行くとか、そんなときは一緒に行動することがあった。

ある日、私はプロポーズされた。
もちろん付き合っている相手からである。

特に断る理由がなかったので、首を縦に振った。

噂は職場中にあっという間に広がった。

狭い職場だったし、私は一応それなりにかわいい存在と思われていたようで、何度か男性職員たちに言い寄られたこともあった。

アプローチしてくるのは、残念ながら、好みのタイプじゃない人たちばかりだったけれど。

私は誰とでもそれなりに話を合わせられるタイプだったので、昔から勘違いした男に告白されるようなことがよくあった。

もしかしたら、何度もメールをやりとりした彼もそのうちのひとりだったかもしれない……

彼は結婚式を真近に控えた私にお祝いを持ってきてくれて、「ちょっと残念だけど、おめでとう」と言った。

私は苦笑するしかなかった。

あなたがはっきりしていたら、結果は違っていたかもしれないのに……

この人はこれから先、大丈夫なんだろうか……と、相変わらず心配してしまった。

数年が経ち、私はいつしか母親になっていた。

彼は「お祝いを家に持って行っていいかな?」と育児休暇中の私にメールで尋ねて来た。

「いいよ」と返事すると、「実は結婚することになったので、その相手も連れて行く」と返事があった。

すごく驚いた。
彼も頑張っていたのだ。

彼が連れてきた子は職場の後輩で、若いけれど、私なんかよりよっぽど仕事ができて、しっかりとした子だった。

私は心の底から祝福することができた。

そして、なんだか重い荷物をひとつ下ろせたような気もした。
これで、もう安心できる……と。

けれど、この世の不幸をひとりで背負っているような彼は、それからも仕事を押し付けられたりして、苦難の連続みたいだった。

仕事を何度か長期で休むようにもなっていた。

噂では鬱病になったということだった。

かわいそうな人……そう思いながらも、今は奥さんのいる人だったし、私から何かすることはなかった。

ただ、いつも疲れているような表情は気になってはいた。

元々、元気のない人だったけど、前よりも明らかに表情が暗かった。

それでも、彼にはかわいい女の子の子供がふたりでき、子供の話をしているときの彼は少し回復しているようにも見えた。

子供たちがきっと彼を癒してくれる……そんなふうに思っていた。

それだけに、彼が自殺したと聞いたときは、私は耳を疑うどころか、驚きのあまり倒れてしまうところだった。

苦手だと言っていたお酒を飲んで、真冬の海に彼は身を投げた。

苦しみながらも、家族のためと、彼は仕事を頑張っていた。

また鬱病で休んだりしたら、会社をクビになって、奥さんや子供に見放されるんじゃないか、それが心配だと、誰かにこぼしていたらしい。

だけど、ついに限界が来て、そのプレッシャーが彼を押し潰してしまったようだった。

しかし、遺書には恨みがましいことを書かないで、ただただ、奥さんと子供への謝罪が書かれていたそうだ。

最後まで彼らしい……と、昔の彼を知る私は思った。

葬儀には私も参加させてもらった。

会社に殺されたようなものなので、奥さんは親族だけでの葬儀をすると宣言していたけれど、私以外にも、何人か彼と仲の良かった同僚が参列していた。

棺の中の彼は穏やかな顔をしていた。
いつも何かに悩んでいるようだった彼の、こんな穏やかな顔は見たことがなかった。

気丈だった奥さんも泣き崩れていた。

なにより、まだ小さくて、死の意味がわかっていない彼の子供たちが、「パパはどうして、お花の中で寝ているの?」「ママ、どうしてみんな泣いているの?」なんて無邪気に話す姿に私も涙が止まらなくなった。

もしかすると、今の奥さんの立場に私はいたかもしれない……

泣き崩れて夫の名を叫び続けている姿は私の姿だったかもしれない……

お別れのときが来た。

突然、私の頭の中にビートルズのイエスタディの歌詞とメロディが流れた。

昔、みんなでカラオケに行ったとき、部屋にあった余興用のギターを持って、彼が弾いた曲だ。

みんなが盛り上がっているときに、英語の歌を、それも寂しい歌を歌うのはどうかと思ったが、彼はその曲しかコードを覚えてないからと言い訳していた。

ギターははっきり言って下手だったけれど、歌はうまかった。

彼は普段、おどおどと話していたから、滑舌もはっきりしていなくて、聞き取りにくい声をしていた。

だけど、歌を歌うときだけは、綺麗な裏声を出して、はっきりとした聴き心地のいい声になる人だった。

それは初めて彼の声を聞いたときのような気持ちを思い出させてくれた。

思わず聴き惚れ、感動して、拍手をしていた私に、「イエスタディは一般的に失恋の歌だと言われているけれど、実はポール・マッカートニーが母親を若くして亡くしたときの気持ちを込めているんだよ。だから、世界中の人の心を打つんだ」と教えてくれた。

サビの部分、「なぜ彼女は去ってしまったのだろう? 僕は何か悪いことを言ってしまったのだろうか?」このフレーズはもしかしたら、当時彼は私に向けていたのかもしれない。

今、私は思う。
なぜ、彼は去って行ってしまったのだろう?

私がいけなかったのだろうか?

私がもう少しなぐさめるようなメールの返事でもしていれば、彼は死なずに済んだのだろうか?

答えを聞くことはもうできない。

「イエスタディ」の別箇所のフレーズが頭に浮かんだ。

「悲しみは昨日突然やってきた。私は昨日までの私ではなくなっていた。だけど、私は昨日までの自分を信じていたい」

私も彼も、同じ時代を一生懸命生きたのだ。
そこに後悔はないはずだ。

だけど、どうしてこんなに涙が止まらないのだろう。

とっくに彼との思い出は上書き保存して消去してあるはずなのに……

「昨日まで恋なんてゲームみたいなものだったのに、だけど今の私には隠れる場所が必要だ。だけど信じていたい。昨日までの私を……」

だけど信じていたい。
昨日までの私を……













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