初恋は叶わないと聞きました【試読用序章のみ公開中】

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序章

序章1ー1:アレクシス

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「アレクシス、洗濯物を取り込むのを手伝ってくれるかい」

 机に向かって今日の課題に取り組んでいた少年に、神父の格好をした隻腕の男性が声を掛けた。
 アレクシス、と呼ばれたその少年は嫌な顔一つせず「わかった」と答え、机の上を簡単に片づけ、洗濯物が干されている庭に出た。
 ふと視線を上げると、山脈の向こうに鈍色の雲が見える。ひと雨きそうだと思ったアレクシスは、急いで洗濯物を取り込むことにした。

 経済と魔術の国、スヴァロストル帝国の中心都市から馬車を幾度も乗り継ぎ、三ヶ月の道程を経てようやく辿り着く、飛び地の大公領ノルディアス。

 大公というと聞こえはいいが、この家門は特殊で、帝国内で唯一、世襲制にとらわれない貴族だ。
 当主は皇家の血筋でありながら継承権を返上した者や、皇家と関わりが深い者が務めることが多いと聞く。
 現在の大公は先代大公の義理の息子らしいが、先代が早逝したこと、そして大公妃が子を成せないという理由により、異例の継承が許されたらしい。

 そのような事情のある領主が治めるこの地は、山脈の稜線が空を切り取るように連なり、四季ごとに異なる表情を見せる自然豊かな土地だ。
 谷間には清らかな川が流れ、肥よくな土壌を潤し、実りの秋には黄金色の麦畑や瑞々しい果樹園が広がる。領民たちは素朴ながらも勤勉で、収穫の季節には歌声が畑に響き、街道沿いの市場には穀物や乳製品が並ぶ。
 大都市のような華やかさはないが、飢えや荒廃とは無縁の、穏やかで豊かな暮らしが息づいていた。

 アレクシスと隻腕の神父が住むのは、街の外れ、小高い丘の上に白い石で築かれた小さな教会だ。人口が多いとは言えないこの街では、教会が孤児院と学校を兼ねている。

 尖塔は高くはないが、夕陽を受けると赤金に染まり、遠くからでも目印となる。内部は質素ながらも高貴さが漂い、磨き込まれた木の長椅子と、祭壇の上に掲げられた聖紋が訪れる者を迎えてくれる。
 窓には淡い色彩のステンドグラスが嵌め込まれ、陽光が差し込むと床に柔らかな光の模様を描き出す。祈りの時には香炉から白い煙が立ちのぼり、静謐な空気の中で、神の気配が確かに息づいているように感じられた。

「ありがとう、アレクシス」

 そう礼を口にした隻腕の神父の名はローランド。
 青みがかったグレーの髪に黒い瞳を持つ、今年四十歳になる男だ。
 整った顔立ちをしているが口数は多くなく、そのため誤解されがちではあるものの、根はやさしい。
 元騎士でもあり、孤児の中で騎士を志す子には剣術を教えることもある。

「食事の支度をしてくるから、ここは任せていいかい?」
「もちろんだよ、ローランドさん」
「今夜は誕生日のお祝いをしよう。シジーばあさんがケーキを焼いてくれてね。アレクシスに食べさせてやってくれって」
「本当っ? うれしいっ」
「ささやかだけど、プレゼントもあるよ。七歳の誕生日をお祝いしよう」
「ありがとう、楽しみっ」

 ローランドは「じゃあ、頼んだよ」と言い残し、家事室から出て行った。
 アレクシスは背中まで伸びた銀糸のように柔らかな髪を麻紐でひとくくりに結び直すと、取り込んだ洗濯物を一つずつ丁寧にたたみ始める。

 窓の外では、ぽつ、ぽつ、と雨粒が落ち始めていた。
 今夜は、大雨になるかもしれない。
 アレクシスは手を止め、しばし窓の外を見つめた。

 夜の雨は嫌いだ。
 大切な人を亡くした、あの夜を思い起こさせるから。
 深い海のような蒼い宝石眼がかすかに揺らめく。
 陶器のようになめらかな肌を涙が濡らすことはなかったが、その表情はまるで泣いているかのようだった。


 **********


 アレクシスが天涯孤独となったのは、今から一年ほど前―――帝国歴一九七六年十二月七日、六歳の誕生日を目前にした雨の夜のことだった。
 アレクシスの父の名はフェルナン。
 ふわふわとした銀の髪にグレーの瞳を持つ、線の細い魅力的な人で、右手の甲には薔薇のようなアザがあった。

 フェルナンがノルディアスに身を寄せたのは、一九七〇年の四月のこと。
 ローランドとともに神父としてこの地にやってきた彼は、すでに妊娠三ヶ月を迎えていた。

 男が子を産む―――それは高度な魔術と魔道具により神の領域をも再現した、帝国技術の極みにほかならない。
 この技術で子を成すには教会の許可に加え、専用の魔道具と特殊な魔術を扱える魔術師が必要となるため、費用は裕福な平民の数年分の年収に及ぶという。

 街の人々が父親の事情に踏み込んでくることはなかったが、フェルナンとアレクシスの存在は世間話の噂程度には異質だった。
 父フェルナンはどこかの裕福な貴族の生まれだとか、貴族に孕まされて捨てられたに違いないとか、あるいはローランドと駆け落ちしてきたのではないか―――そんな憶測が面白おかしく囁かれていたのは事実だ。
 幼かったアレクシスがそれを理解できなかったことは、幸いとも言える。

 父フェルナンとの生活は慎ましやかだったが、幸せに満ちていたように思う。
「思う」としか言えないのは、フェルナンが病床に伏した頃、アレクシスはまだ三歳になろうかという幼さだったからだ。

 それから二年ほどたった頃―――アレクシスが五歳の時、ずっと違和感を覚えていたローランドの存在が、フェルナンの護衛であり世話係でもあったと知る機会が訪れた。「お父さんって呼んでもいい?」と尋ねたアレクシスに、ローランドは困った顔をして、自分のことを話して聞かせてくれたのだ。

 元大公家の騎士だった彼は、事故で隻腕となったことで主からフェルナンに同行するよう命じられたらしい。
 騎士道一筋だったローランドは、最初こそ戸惑いが多かったものの、街の人々やフェルナンの的確な指示に助けられ、徐々に生活に馴染んでいったという。

 この事実を知った時、アレクシスは少しだけ寂しさを覚えた。彼にとってローランドは、育ての父のような存在だったからだ。
 しかし、そのほんの少しの寂しさを忘れさせてくれたのも、ローランドだった。

 教会には孤児院が併設されており、親のいない子もいる。ローランドは彼らに「ここにいるみんなは俺の家族みたいなものだ」と言ったのだ。
 アレクシスは、はっとした。血が繋がっていなくとも、ローランドは自分にとって家族のような存在であり、ローランドもまたアレクシスを家族のように思ってくれている。
 そう気づいたアレクシスは、すぐに笑顔を取り戻した。

 孤児院だけでなく学校が敷地内にあることも、アレクシスにとっては幸いだった。
 いつも誰かがいて、一人になることがない。
 そのおかげで、彼は親に思い切り甘えられない寂しさを紛らわせ、病床の父を励まし続けることができた。

 幼いながらに父が苦しんでいることを感じ取っていたアレクシスは、我が儘や甘えを胸の奥深くに押し込み、ただ父の傍に寄り添い、涙よりも笑顔で接し、なるべく楽しい話を聞かせるよう努めた。

 フェルナンとアレクシスを取り巻く状況は、幸と不幸の狭間にいるかのようではあったが、互いを思いやろうとする二人の様子に周囲の目は温かく、このまま穏やかな日々が続けばよいと、皆がそう願っていた。

 それからしばらく経たある日―――アレクシスが六歳を迎える年の十一月半ばのことだ。
 フェルナンの病状が大きく回復を見せた時期がある。
 きっかけは、たまたま教会に泊まった旅の医者が、「よく効く」と、帝国の友好国カミルサール王国の薬を処方してくれたことだ。
 もちろん、すぐに飲んだわけではない。ローランドの指示のもと、フェルナンの主治医が毒の混入など危険がないかを確かめたうえで、服用した。

 フェルナンはその薬のおかげで持ち直し、起き上がることも、ベッドから降りて歩くことも、そしてアレクシスを抱き上げることさえできるほどに回復した。一度だけではあったが、ともに街へ出かけた日もあった。

 このまま快方に向かうのでは―――そう思われてから二週間後、フェルナンの症状は急激に悪化した。
 ローランドは件の医者を探したが、すでに街を旅立った後で、再び薬を処方してもらうことは叶わなかった。

 一週間ものあいだ高熱にうなされ、残された体力を奪われたフェルナンは「ごめんね。でも、必ず君を迎えに来てくれる人がいるから。一人にしないからね、アーク」とアレクシスに告げたのを最後に意識を失い、雨の降る夜半に息を引き取った。

 アレクシスは、フェルナンが息を引き取る瞬間まで手を握りしめていた。
 ただ泣くことしかできなかった幼い自分。六歳を目前にして、絶望がどういうものかを知った。

 そんな自分を、支えてくれた人がいた。
 フェルナンと同じ年頃で、優しい黄金の瞳が印象的な人だった。
 名も知らぬその人の顔はよく覚えていないが、泣き崩れるアレクシスの手を握り、抱きしめ、ローランドとともに一晩中寄り添ってくれたことだけは記憶に残っている。

 夜が明けた時、彼のほかにもう一人、見知らぬ男性がいたことに気づいた。
 ひと言も言葉を交わさなかったその人は、祖父がいればこのくらいだろうか―――そんな印象を残す人物だった。
 そして名も知らぬ彼らは、フェルナンの埋葬が済むと、「必ず迎えに来る」という予言めいた言葉を残し、去っていった。

 それからは、ローランドと共に生活した。
 最初こそ虚無感に苛まれたが、季節が一つ、二つと過ぎていき、一年が経つ頃には、子どもながらに父の死と向き合う自分がいた。
 幼かったことが功を奏したのだろう。
 しかし、あの日の絶望感を忘れることは、一生ないに違いない。


 **********


 夕食を済ませ、シジーばあさんが作ったケーキを堪能したアレクシスは、温かいお茶を飲み、ふぅ、とひと息ついた。

「美味しかったかい、アレクシス」
「うん、とっても」
「よかった。次に街に行ったとき、シジーばあさんに礼を言おう。それから、これは俺からの誕生日プレゼントだ」

 ローランドが手渡してきたのは、『聖剣シュトライ・ヴィルサスと勇者の物語』という寓話の本だった。
 普段は寄贈された読み古しの書籍ばかりを手にしているが、プレゼントされた本は新品だった。

「わぁっ、きれいな絵」

 アレクシスは表紙の絵に見惚れ、青い宝石眼をきらきらと輝かせた。
 子どもらしい無垢な笑みで本を眺めるアレクシスに、ローランドはほっと胸を撫でおろす。
 フェルナンの命日が近づくにつれ、アレクシスはうなされるようになった。そのせいでよく眠れていないのか、ずっと元気がなかったのだ。
 誕生日をきっかけに、少しずつ元気を取り戻してくれるといい。

「片付けは俺がやっておこう」
「え、でも……」
「今日は誕生日。特別な日なんだぞ。そんな日くらい、皿洗いの手伝いは忘れて、本を読んでいればいい」

 ローランドの申し出に、アレクシスは「じゃあ、洗い場まで運ぶね」と譲歩を示した。
 てきぱきと動き、皿を洗い場まで運んだアレクシスは、きれいに洗った布巾を持ってダイニングに戻る。
 テーブルを拭きあげると、再び洗い場に戻り、ローランドに「よろしくお願いします」と告げてから席に着いた。
 
 
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