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五章 一幕:お伽噺と魔王の正体
五章 一幕 6話-1
しおりを挟む雨が降っている。ちょうど一年前と同じように、この一帯を覆う美しく完璧な結界壁に雨粒が伝い、目の前が魔の森だということを忘れさせるほど清涼な空間が維持されている。
レオンハルトが研究の為に建てた小さな家は、やがて二人の秘密の逢瀬のために増築され、今でも彼が掛けた保存魔法のおかげで、汚れることも朽ちることもなく保たれている。
キッチンにリビングとダイニング、バスルームや化粧室、二人で何度も朝まで過ごした寝室。ウッドデッキにはローテーブルにカウチソファ、小さめのサイドテーブルとロッキングチェア。
どこもかしこも、一年前と、何も変わらない。
約束の時間よりも少し早くここへ転移してきたルヴィウスは、カウチソファに腰かけて湖を見つめた。自然と、手がピアスに触れる。
去年の今日、ここでピアスホールを開けた。レオンハルトに開けてもらい、プレゼントのピアスを付けてもらった。嬉しかった。このカウチソファで愛し合ったことも、鮮明に思い出せる。
いつも、いつも、大切に抱いてくれた。ときどき意地の悪いことをされる時もあるけれど、それすらも彼の愛情表現で、なけなしの理性を剥ぎ取られると、もっとめちゃくちゃに抱いてと、懇願してしまいそうになる。
長い間レオンハルトの熱を受け入れずにいたルヴィウスの体。今日は、どこまで許されるだろうか。
抱きしめあえるといい。
できれば、口づけが出来たらうれしい。
叶うなら、体中にキスの雨を降らせてほしい。
望むことを許されるのなら、レオンハルトの大きくて硬い熱の塊で、壊れるほど体を貫いてほしい。
微かに疼く自分の体を抱きしめて、ふるり、と肩を震わせる。
最初になんて声を掛けよう。ルヴィウスがそう考えた刹那、懐かしい魔力の波長が大きな波紋となって現れた。
湖の畔に、きらきらと魔法の光りが舞う。それは人の形になり、やがてレオンハルトの姿を象っていく。
ルヴィウスはソファから立ち上がり、嬉しさで痛む胸を押さえながらデッキから降りた。その直後、レオンハルトの体が、がくり、と地面に崩れ落ちる。
「レオっ!」
慌てて駆け寄ったルヴィウスの動きを、手をあげることで制したレオンハルトは、「大丈夫」と苦笑して顔を上げる。
「蹴躓いちゃった」
そう言い、ほんの少し恥ずかしそうに笑ったレオンハルトは、土埃を払いながら立ち上がった。ルヴィウスは、ほっと胸を撫でおろす。
「レオでも何でもないところで躓くんだね」
「ルゥは俺を何だと思ってるの?」
「僕の王子様?」
「なんで疑問形なの。自信もって答えてよ」
「じゃあ、僕の最愛の人」
ルヴィウスがそう言うと、レオンハルトは本当に嬉しそうに微笑む。そしてどこからともなく、七色に光る繊細なレース編みのヴェールを取り出すと、それを、ふわり、とルヴィウスに頭から纏わせた。
そうしてから、やっと、まるで壊れ物でも扱うかのように、彼を抱き寄せる。
会わない間に、ルヴィウスの背丈が少し伸びている。騎士団に入団したからか、以前よりも体格も骨格もしっかりして、記憶の中の抱き心地と少し違う。濡れ羽色の髪も伸びて、今は後ろで一つに纏められている。
会えない間に、変化のあったルヴィウス。対照的に、何一つ変わらない自分。それでも、腕の中に抱き留めた存在は、この世で唯一、レオンハルトが愛してやまない最愛の人。
「会いたかった。ずっと、ずっと、ルゥを抱き締めたかった」
愛おしい温もり、震える声、欲しかった言葉。ルヴィウスはしがみ付くようにレオンハルトの背中に腕を回し、きつく抱きしめ返した。
言いたい事があったのに、言葉が出て来ない。嬉しいはずなのに、涙が溢れてくる。
「レオ……っ、レオっ、会いたかった! 会いたかったよっ! 寂しかったっ!」
もう、離れたくない。もう、離したくない。その一心で二人は抱きしめあった。
湖畔を撫でていく湿った風と、空から降り続く雨音。世界から切り離されたこの空間で、二人はひとしきり抱きしめ合った。そのあと、どちらからともなく腕を緩める。求めるものは同じだった。
ヴェール越しに、ゆっくりと顔を近づける。唇を少し触れ合わせると、「痛くない?」とレオンハルトが聞いてくる。ルヴィウスは「平気」と答えた。それから、しっかりと唇を重ね合わせて、口づけで想いを確かめ合う。
レオンハルトにとっては、約八ヶ月ぶりの感触。柔らかくて、温かくて、愛おしい。角度を変えては重ね合わせているうち、ヴェール越しに唾液が混ざり合う。
レオンハルトの膨大な魔力をヴェールが無効化しているのか、それともルヴィウスの中にある魔力の比率が彼自身のものに大きく傾いていることによる祝福の力によるものか、はたまた両方の影響か、唾液を飲み込んでも痛みや異変は感じられなかった。
息が上がるほど口づけを交わし合ったレオンハルトとルヴィウスは、潤んだ視線を交わし、もう一度抱きしめ合った。
「キリがないな」
そう呟いたのはレオンハルトだ。彼は、ひょい、とルヴィウスを抱え上げると、すたすたと歩き出す。
こうして抱き上げられることが久しぶりで、ルヴィウスは甘えるようにレオンハルトに抱き着いた。彼の前では、何一つ強がらなくていい。取り繕う必要のない、ただの“ルヴィウス”でいられる。
そのままウッドデッキへ上がり、カウチソファにルヴィウスを下ろしたレオンハルトは、彼の隣に腰を下ろした。
ルヴィウスは、レオンハルトを改めて見つめた。
最後に会った時と、何も変わらない。ハロルドを介したカトレアからの報告では、一時期、食事を摂ることも、眠ることもしなかったと聞いた。不摂生な生活をしても何一つ不調が表に出ないのは、不老不死の影響だろう。
「ルゥ、長い髪もよく似合うね」
「そ…、そうかな」
「もともと綺麗だったけど、離れてた間にもっと綺麗になった」
「そ…、そう、かな……?」
「声も少し低くなったかも」
「そ、そう……かな?」
「でも、銀の月とか、かささぎの鏡とかって比喩されるルゥの瞳は、変わらないね。その目に映るたび、俺を幸せにしてるって自覚、ある?」
「そっ、そうなのっ?」
それは、知らなかった。いや、そうじゃなくて。だめだ、同じ返ししかできない。
ルヴィウスは頬を染めながら、自分の語彙力がまったく仕事をしない様が恥ずかしくて、思わず両手で顔を覆う。
そんなルヴィウスの様子を、レオンハルトは目を細め、じっと見つめた。体温や吐息を感じられる距離が久しぶりで恥ずかしいようだ。
こうして近くにいると、手紙だけでは分からない、生きているルヴィウスを感じられる。想いがあれば離れていても平気だなんて誰かが言っていた気がするが、そんなのはただの強がりだ。
体温を感じ、表情を見られるからこそ、気付けることがある。
「お茶、淹れようか」
そう言い、レオンハルトは、ぱちん、と指を鳴らす。
テーブルの上にティー・セットが現れ、あっという間に準備が整う。レオンハルト自らティー・ポットからカップへと紅茶を注ぎ、「熱いから気を付けて」とルヴィウスの前にカップを置いた。
なんでも魔法で済ませてしまうところも、お手本のような綺麗な所作も、蜂蜜色の髪も、蒼く澄んだ瞳も、心地よい声音も、レオンハルトを構成するすべてが、愛おしい。会いたくて、会いたくてたまらなかった人が、目の前にいる。
ルヴィウスは、唇をきゅっと引き締めて、涙を堪えた。会えたこと、触れ合えたことが実感として、今さらじわじわと熱を持って胸の中に広がっていく。
「レオ……」
「ん?」
ふわり、と微笑んで蒼い瞳を細めるレオンハルトに、ルヴィウスはたまらなくなって抱き着いた。
「もう少しだけ、ぎゅってしてて」
甘えてそう言うと、レオンハルトは「いいよ」と答えて抱きしめ返してくれる。ルヴィウスは「ありがとう」と呟いて、ヴェール越しにレオンハルトの胸元に頬をすり寄らせた。
レオンハルトの少し高い体温。規則的に脈打つ心音。ルヴィウスを包み込む逞しい腕。
夢じゃない。改めてレオンハルトの存在を実感した途端、涙が溢れてきてしまう。
「ルゥ、寂しくさせてごめん。今日は目いっぱい甘やかすから」
レオンハルトにそう言われ、ルヴィウスは小さく笑って「そうして」と答えた。
ルヴィウスがここまで弱々しく甘えてくるのは、初めてだった。伝言蝶で言葉を交わし、ハロルドやカトレアから報告を受けるルヴィウスの日常は、聞いていたものよりもずっと、厳しく苦しいものだったのかもしれない。レオンハルトはそう思った。
ルヴィウスの涙が、レオンハルトのシャツに染みを作っていく。もう大丈夫。そう伝えたくて、レオンハルトはルヴィウスの背をゆったりと、何度も撫でた。
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