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五章 二幕:呪われた亡者の救済
五章 二幕 1話
しおりを挟む季節は移り変わり、王国に夏の終わりを運ぶ風が吹く九月下旬。
静かで深みのある秋色へ染まろうとしている大地と、どこまでも高く澄み渡る空。
日中は夏の残り香が溶けたような柔らかい日差しが降り注いでいるが、朝と夕には別の表情を見せ、肌を撫でる風が冷たい日もある。
森は緑の濃淡に赤や黄色が混じり、絵師の筆がキャンバスに色を重ねていくかのようだ。それはこの先、徐々に鮮やかなコントラストを描き出していき、一ヶ月もすれば美しい光景を生み出すことだろう。
湖や池の畔では静寂が辺りを包み込み、森の樹々からは実りの甘い香りが漂い始め、夜になれば夜光虫が闇の中を舞い踊り、鈴の音のように鳴く虫の声が満天の星空の下に響く。
これが、自然豊かな王国の森の風景だ。
一年という月日を掛けて、ルヴィウスの目の前に広がる魔の森は、他の領地の森と変わらぬ風景を携えるようになった。
レオンハルトが大きな力を継ぎ、エルグランデルへ移り住んだことで、かの地の状態が改善されている証でもあり、定期的に騎士団と魔法省の合同討伐部隊が魔物掃討作戦を展開している結果でもある。
「あとはここだけ、か……」
銀の騎士服を身に纏ったルヴィウスは、標高が180メートルほどの丘陵の上から眼下に広がる魔の森を見下ろし、呟いた。
吹き上げてくる風が、ルヴィウスの切ったばかりの髪を撫でていく。
王都から直線距離で約2,500キロ北西に位置する魔の森の一角。ここから一番近い領地の転移陣からだと、馬で五日ほどの場所だ。
今のルヴィウスならば王都から一気に転移できるのだが、王国三番目の魔剣士がいると気が引き締まるとかいう根拠のない申し入れにより、他の騎士らとともに、ここまで時間を掛けて馬で移動してきた。
今回の最終討伐は、1週間を予定している。
この春から夏にかけて、王太子であるエドヴァルドの指揮のもと、合同討伐隊は魔の森に残る魔物の掃討作戦を展開してきた。
ハロルドが開発した瘴気の濃さを計測し地図上をゴーレムが移動する魔道具を使い、王国の両端から魔物を挟み撃ちするように、討伐を繰り返してきたことで、数を減らし、追い詰められた討伐対象の魔物たちは、いま目の前の森の中に潜むだけとなっている。
ルヴィウスは右手をかざし、広範囲探索魔法を展開した。
ウサギやネズミのような形態をした小型で弱い魔物が無数にいるのが分かる。それらは森に浄化魔法を掛けることで無力化が可能だ。これはルヴィウスの仕事ではなく、魔法使いと神官たちの任務となっている。
ルヴィウスは探索魔法に魔力検知と計測を重ね掛けした。これで、魔力量が少なく小さい魔物は探索から外れる。
ルヴィウスの術に瘴気や魔力が反応し、森のあらゆるところが魔物の形や個体の数を象って怪しく光る。
「ファイアフォックス、キラーシェーヴル、アイアンベア、ディアマン……」
火属性のキツネに、肉食のヤギ、剣を通さない硬い皮膚を持つ熊と、危険を察知すると魔法で衝撃波を放つ鹿。そして……
「一番厄介なのはダイアウルフの群れか……」
ダイアウルフには嫌な思い出がある。イグドラシエルに引っ張られてエルグランデル側へ転移した時、森で追いかけられたあの出来事だ。今となっては、あれは魔の森と世界樹の亜空間との狭間だったと分かるが。
とにかく、群れとなったダイアウルフが面倒なのは間違いない。
ルヴィウスは手を下ろし、術の展開を解いた。するとその直後、後ろから声を掛けられる。
「森の様子はどうですか」
「数が多いな、っていう感じだよ、ガイル」
ガイルは「そうですか」とルヴィウスの隣に並び、共に魔の森を見下ろした。
ガイルはアレンとの婚約も済み、すでに騎士団を退団しアクセラーダ公爵邸に身を置いているのだが、今回の討伐に志願してくれた。
理由は……表向き「次期公爵の伴侶として国に貢献したい」とのことだったが、本心はルヴィウスの事を考えてのことだ。
「分布としてはどうです?」
「キツネとヤギが合わせて200くらい。熊が約50に、魔法を打ってくる鹿が50くらいっていうところかな」
「それだけですか?」
「あとダイアウルフの群れ」
「群れというと、相当な数でしょうね」
「そうだね、いちいち数えないけどたぶん200…いや、300くらいかな」
「一匹ずつ相手をしていたら日が暮れますね」
「まぁ、こちらも討伐隊が100人はいるんだ。数日掛けて徐々に減らすしかないね」
「ルヴィウス様を戦闘力として数えるなら、討伐隊の戦力はプラス50人くらいですね」
「それは言い過ぎじゃない?」
「控え目に言ったつもりですが」
真面目な顔をしてそう言うガイルに、ルヴィウスは吹き出すように笑った。
「あははっ、ガイルは身内びいきがすごいね」
「そうでしょうか」
「そうだよ。それに身内に過保護だ。君が今回の討伐に志願したのって、僕のためだろう?」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ父上とエディ兄さまに無理をお願いされたの?」
「いえっ、私が自分から―――……あ、」
しまった、と口を噤んだ時にはもう遅い。ルヴィウスはガイルの背中を、ぽんぽん、と軽く叩いた。
「心配してくれてありがとう」
そう告げると、ガイルは少し恥ずかしそうに「いえ」と呟いた。
ルヴィウスが騎士団に入って間もない頃、彼を襲おうとした一件は箝口令が敷かれ、一部の者のみが知る隠された事件として記録されるに留められている。
王国の長い歴史の中、日常ではほとんど感じられない身分や血筋の差別。公爵家で生まれ育ったルヴィウスには縁のないものだったが、騎士団に入るために取った特殊な措置の所為で、悪意に晒されてしまった。だが、それが良い経験になったと、ルヴィウス本人は考えている。
「ガイルもアレン兄さまと婚約したことで色々言われてるでしょう?」
「言われていますが、覚悟の上でした。それにアレン様と結婚すれば正式に公爵家に籍が入るのです。おかげで表立って口にする人はいませんし、なにより実害はありません」
「でも傷つくでしょう?」
「自分にとって大して意味もない輩が吐く呪詛を気にしていたら、掴んだ幸せを逃がしますよ」
「ははっ、それもそうか。ガイルは強いね」
「私のことより、ルヴィウス様です」
「僕は大丈夫だよ。僕より強い人、レオくらいじゃない? あと、聖剣の主のアルフレド様かな」
「確かにあのお二人を除けば他は雑魚ですが」
「雑魚って……、ガイル、社交界でそんな言葉使ったらダメだよ?」
「弁えておりますからご心配なく。それより、王太子殿下からの依頼もあります。もしもの時は迷わず私をお呼びください」
ガイルは人差し指に赤い魔石の入った指輪を付けた右手を、ぐっと握りしめた。
彼が付けているこの指輪は、ハロルドとアレンが今回のために造った召喚魔道具だ。ルヴィウスの要請により、ガイルが彼の元へ召喚される仕組みになっている。
「そんなことにはならないと思うけど。でも一応、何かあった時は記録を撮っておくから」
言いながら、ルヴィウスは首元のチョーカーを指さした。中央には透明な魔石が宝石の代わりに付けられている。
ルヴィウスを襲おうとしたあの事件以降、新人騎士や地方出身者には遠巻きにされているものの、分かりやすい嫌がらせはなくなった。
しかし、妬み、嫉み、恨み、そういった感情を向けられることはすでに日常だ。今回のような討伐に参加すると、特にあからさまだった。
命のやり取りをする戦場で気持ちが高ぶっていることも大きな理由だが、やはりルヴィウスが平民に身を落としたと思われていることや、レオンハルトに捨てられたのだと判断する者がいることに根の深さを感じる。それに、日常生活ではあまり接触のない魔法使いたちからの排他的な視線も、気になるところだ。
魔法省に所属する魔法使いの多くは、レオンハルトを魔法の天才と慕い、敬ってきた。彼から一身に寵愛を受けていた『魔力のない無能』なルヴィウス。しかしルヴィウスは、レオンハルトに次ぐ魔法の才を発現し、魔剣士となって華々しく脚光を浴びた。
公爵家に身を置いている間はなかった敵意が、地位の総てを投げうった副作用であふれ出し、それらがルヴィウスに向けられるのは、当然の結果なのかもしれない。
「ルヴィウス様、気を付けてください。くだらない嫉妬だとか、相手より自分のほうが強いからとか、侮っていると駄犬に噛まれますよ」
真剣な面持ちで忠告を口にしたガイルに、ルヴィウスは二度瞬き、それもそうだ、と納得して頷いた。
「そうだね、ガイルの言う通りだ。頼りにしてるよ」
そう答えたルヴィウスに、ガイルは安堵の表情を浮かべ言った。
「では、戻って作戦会議ですね」
「今回もハロルドの魔道具が大活躍するね。僕が探索魔法で下調べしても、目に見える形で説明は出来ないから、作戦立案にあの魔道具は欠かせないもの」
「すっかり人気者ですね。あんなに変人扱いされていたのに」
「不満?」
「いいえ、友が真の評価を得てくれて嬉しいです」
「ガイルがエディ兄さまに、ハロルドに護衛を付けてほしいって直談判したんだってね。ハロルドがガイルもたいがい過保護だって嬉しそうに文句言ってたよ」
「過保護はルヴィウス様も、でしょう。ハロルドが騒いでましたよ。ルヴィウス様お手製の保護魔法が掛かったブローチをもらったって。家宝にするそうです」
「家宝は大げさだし、しまい込まずに使ってもらわないと困るよ」
ルヴィウスは、くすくす、と笑いながら、ガイルと共に幕舎のあるほうへと丘陵を下って行った。
形は変われども、これからもずっと、ガイルとハロルドとは縁が続いていく。この世界で誰よりも愛している人はレオンハルトだが、ハロルドとガイルもルヴィウスにとっては大事な友だ。それはレオンハルトにとっても同じだろう。
レオンハルトが魔王に堕ち、世界を破滅させる条件がルヴィウスの喪失であるのなら、何があろうと生き延びねばならない。レオンハルトの傍に居ること、彼を永遠に愛すること。それが、大事な家族や友の世界が未来へと続いていくことに繋がっていく。
ルヴィウスは晴れ渡る青空を見上げ、草原を駆けていく風に髪をなびかせながら、改めてレオンハルトへ想いを馳せた。
もうすぐ、共に居られる日々が戻ってくる。総てに決着をつけ、理が用意した運命を変え、抗い、必ず手に入れてみせる。レオンハルトが隣で笑ってくれる、何気ない日常に倖せを感じる日々を。
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