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五章 二幕:呪われた亡者の救済
五章 二幕 5話-2 △
しおりを挟む執務室の整えられた空間から、生々しい生と死が横たわる世界へと視界が切り替わる。
まるで物事のすべてが、ゆっくりと動いているような感覚に捉われ、ひどい眩暈がレオンハルトを襲う。
エルグランデル皇国からヴィクトリア王国への転移は、レオンハルトの魔力を僅か数秒、不安定にさせるのだ。
青白い顔の騎士が、ルヴィウスめがけて剣を振り下ろそうとしている。
ちょうどルヴィウスの背後に転移したレオンハルトは、防御魔法も攻撃魔法も発動出来ない状態にありながら、瞬発的に最も愛する者を守るために動いた。
「ルゥっ!」
叫ぶと同時に、レオンハルトはルヴィウスを引っ張り、騎士の前へと割って入る。
その瞬間、強い衝撃がレオンハルトの胸を貫いた。次いで、息苦しさと焼けるような痛みが襲う。そして、ごぽり、と自身が何かを吐き出したのが分かった。
剣が、レオンハルトの胸を貫いている。その認識が、ルヴィウスの意識を現実へと呼び戻す。咄嗟に、目の前の騎士を魔法で弾き飛ばした。
「ぐ……、ぅ…っ」
胸を貫かれた苦しみに、レオンハルトはその場に膝をついた。ぽたぽたと、剣を伝って血が流れ落ちる。
「レオっ!」
ルヴィウスが、すぐさまその体を支える。
レオンハルトは浅い息を繰り返しながら、胸を貫いている剣に手を添えた。いくら不死であっても、痛覚はある。血を流せば、意識が遠のく。死ねないということは、苦痛に終わりがないのと同じだ。
「る、ぅ……っ」
「レオっ、レオ! すぐ……っ、すぐ、治すから…っ!」
ルヴィウスが泣いている。泣かないで、そう言おうとしたが、言葉にならなかった。心臓を貫かれているせいで、魔力の流れが阻害され、上手く術が展開出来ない。
はっ、はっ、と浅い呼吸で意識を保ちながら、レオンハルトは痛みを遠ざけるように周囲を確認した。
酷い有様だった。ちぎれた四肢、夥しいほどの血、死の匂いと獣の匂いが混じっている地獄のような空間。そんな中に、綺麗に横たわる人物がいる。目を凝らして見つめると、それが誰なのかをはっきりと認識した。
―――ハロルドっ!
わき腹を何かに食い破られている。右のひざ下も大怪我を負っているようだ。血に塗れていないのは、ルヴィウスが浄化魔法を掛けたからだろう。だが、治癒も回復もまだ充分に出来てない。ルヴィウスが辛うじて現状を維持する魔法を掛けたのか、傷口の大きさに反し出血の量は少ないようだが、止め処なく血が溢れ、流れ続けている。このままでは死んでしまう。
「ルゥ……っ」
「レオっ、どうしよう……っ、僕……っ」
レオンハルトが刺されたうえに、ハロルドは一刻を争う状態。焦りでパニックになりかけているルヴィウスを引き寄せ、レオンハルトは口づけた。
「ん…ぅっ」
ルヴィウスの口の中に、血の味が広がる。凶龍の討伐後に無理をしたレオンハルトと交わした口づけより、血の味が濃い。それでも、ルヴィウスはレオンハルトの意図を汲んで、必死に舌を絡めた。
レオンハルトの魔力が、ルヴィウスに流れ込む。器が満たされていく。
ある程度まで魔力が回復したルヴィウスは、自ら唇を離した。血に濡れた唇を拭い、零れ落ちる涙も拭い去る。
冷静さを取り戻したルヴィウスは、ハロルドのためにもまずはレオンハルトを優先することにした。
「レオ、剣を抜くね」
ルヴィウスの力強い声音に、レオンハルトは微かに笑いながら「あぁ」と頷く。
ルヴィウスは剣に手をかける前に、魔法で造った鎖をレオンハルトの両手に絡め、さらに鎖の端を幕舎の梁に留めて固定した。剣を抜くときに、彼の体が同方向へ引っ張られると、無駄な痛みに苦しむことになってしまう。それを防ぐためだ。
「いくよ」
ルヴィウスの声に、レオンハルトが頷く。ルヴィウスは剣の柄をしっかりと握りしめた。そして魔法で引っ張る力を補助し、一気に剣を引き抜く。
レオンハルトの体を、金属の摩擦が生み出す例えようもない苦痛が駆け抜けていく。
「ふっ、ぅ……っ」
レオンハルトが堪らず呻く。それでもルヴィウスは、剣を抜く力を緩めなかった。長引けばそれだけレオンハルトが苦しむからだ。
ずるり、と剣が抜け去り、傷口から血が溢れ出す。剣は正確に心臓を貫いていた。が、レオンハルトに死を与えることは出来ない。
レオンハルトは魔法の鎖を解くと、胸に空いた傷口を右手で抑え、魔力を込めた。みるみるうちに傷口が塞がり、血が止まって、元通りに戻る。シャツを染める赤い血がなければ、彼が死に直結する怪我を負ったことなど分からないほどだ。
「ルゥ、魔物の対処を頼んでいいか」
何事もなかったかのように立ち上がったレオンハルトは、いつもの彼だった。
「もちろん。すぐ片づけてくる」
「待って」
駆けだそうとしていたルヴィウスを後ろから抱き留めたレオンハルトは、右耳のピアスに口づけをした。自動展開する防御魔法を復活させる。
「一人で動かないほうがいい。ガイルを呼べるか?」
「うん、召喚用の魔道具を持ってるからすぐ呼べる」
「無茶するなよ」
「分かってる。ハロルドを頼むね」
そう言うと、ルヴィウスは一度だけハロルドに視線を向け、幕舎を駆け出て行った。
レオンハルトはハロルドの傍に膝をつき、すぐさま体組織の再生に取り掛かる。同時に、集中するために幕舎に結界を張った。
傷口の上に手をかざし、魔力を集め、繊細に織り上げるように、回復と治癒を細胞レベルで重ね掛けし続け、血管、臓器、筋肉、皮膚と、内側から徐々に、ゆっくりと、なおかつ血液の循環を止めないよう、感染症を起こさないよう配慮しながら、食い破られた傷を修復していく。
腹部が終わると、心なしハロルドの顔色が生気を帯びた。
続いて、原形を留めていない右膝下の大怪我に取り掛かる。
砕け散った骨を元通りにし、その周辺に筋肉を復活させる。筋や神経組織、血管、皮膚と、こちらも内側から徐々に再生させ、障害はもちろん、傷一つ残らないように気を配った。
ふっと息をつき、ハロルドの顔を見つめる。瀕死の状態だった彼の表情は、穏やかなものになっていた。ルヴィウスが昏睡魔法を掛けたため、意識は戻っていない。が、この状況下で目覚めさせるわけにはいかない。
レオンハルトは自身の大きすぎる魔力でハロルドが傷つかないよう、魔力遮断の魔法を掛けた後、彼を腕に抱き上げる。そのあと、彼を守るために犠牲になった二人の騎士に黙とうを捧げた。
叶うなら、ハロルドを命がけで守った彼らを今すぐにでも綺麗にしてやりたい。だがそれは、この事態を招いた原因の調査を妨害することにもなる。人為的な事件であれば、犯人を逃してしまうことに繋がりかねない。
レオンハルトは心を痛めながら、幕舎を出た。そして、ここから最も近い、被害を受けていない幕舎に入る。中にはベッドが二つ。隊の中でも副官相当にあたる者の宿泊幕舎だろう。レオンハルトはベッドの一つにハロルドを寝かせ、髪を撫でた。
「よく頑張ったな。あとでカトレアを呼んでやるから、もう少し待っててくれ」
聞こえないと分かっていながらも、そう話しかけ、幕舎を出た。そしてこれ以上ハロルドが傷つかないよう、幕舎に結界魔法を掛ける。
レオンハルトは左手首にはめてあるバングルを握りしめた。そのバングルは組み込まれた魔術陣を通し、ルヴィウスの状態が正常であることを伝えてくる。
探索魔法を展開すると、ここから離れた場所で幾つもの魔力がぶつかり合っているのが分かった。ルヴィウスやガイル、他にも何人かの騎士や魔法使いがいるようだ。魔物は数を減らしているようで、自分が出向くほどのことではないと分かる。
レオンハルトは改めて周りを見回し、ルヴィウスを襲った騎士の姿を探す。彼はすぐに見つかった。吹き飛ばされた先の場所から動いていないようだった。生気のない顔で、ただ立ち尽くしている。
―――なんて憐れなのだろう……
ルヴィウスを殺そうとし、自分を剣で貫いた騎士に抱く感情ではない。だが、この騎士の所為ではない。それはレオンハルトが神の代理人にも並ぶ存在だからこそ、読み解ける謎でもあった。
レオンハルトはその騎士に近づき、声を掛けた。
『我に名を渡せ』
それは、人の言葉ではなかった。今となってはこの世界でただ一人、レオンハルトだけが扱うことが出来る神の代理人たる古代竜の言葉。
胡乱だった騎士の目に、僅かに光りが宿る。ゆらり、と顔を上げた騎士はレオンハルトの問いに答えた。
「だりうす……あんへりうむ……」
幼子のような舌足らずな声。レオンハルトは記憶を辿り、ダリウス・アンヘリウムが誰なのかを探る。
アンヘリウムは男爵家だ。家名からすると、ダリウスはアンヘリウム男爵家の直系だろう。しかも、どこかで聞いたことがある名だ。
しばらく記憶を探っていたレオンハルトは、どこでその名を聞いたのかを思い出した。
ダリウス・アンヘリウム。アンヘリウム男爵家の長男で、将来を有望視されていた剣術の天才の名だ。狩の最中に落馬事故で命を落とさなければ、ガイルが騎士団の模擬戦で優勝した年、入団していたはずだった。
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