神様が紡ぐ恋物語と千年の約束

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五章 二幕:呪われた亡者の救済

五章 二幕 9話-2

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「ちょっと、レオっ」

 慌てて引き留めようとしたものの、レオンハルトは「大丈夫」と手を平つかせる。ルヴィウスは仕方なく、彼の後に続いた。

 小屋は平屋造りで、間仕切りもないただの箱型の空間だった。そこに、机もベッドもクローゼットも本棚も納まっていた。奥に扉がある。風呂などの水回りはかろうじて分離しているようだ。
 窓辺に備え付けてあるベッドの上掛けが、膨らんでいる。よく見ると、少し震えているようだ。レオンハルトはベッドの傍まで行き、床に膝をつくと、隠れている人物へと声を掛ける。

「リーノ、隠れてないで出てきてくれないか。俺はレオンハルト。レオンハルト・ルース・ヴィクトリア。一応、この国の王子だよ。ダリウスに頼まれてきた」

 ダリウスの名に反応したのか、上掛けがもぞもぞと動く。僅かにできた隙間から、新緑を思わせる瞳がこちらを覗いた。

「リーノ、少し俺と話そう。出て来られる? それともダリウスを呼ぼうか?」

 そう言った瞬間、リーノが勢いよく上掛けから出てくる。

「兄さまを呼んでくれるのっ?」

 かさかさに乾いた赤い唇、艶を失い絡まった長いブラウンの髪、肌もどこかくすんでおり、目の下には隈も出来ている。なにより、自分たちと二つ、三つしか違わないはずのその体は、ひどく細く、小さかった。ルヴィウスが十二歳くらいの頃とそう変わらないように思える。食事さえ充分に与えられていなかったのだろう。

 薄汚れた格好のリーノは、瞳だけを煌めかせていた。今まで誰一人、ダリウスが傍にいることを彼の虚言だと思って取り合わなかったのだろう。信じてくれるかもしれない人が来たというだけで、他人を信用しかけている純粋さから、閉じ込められて暮らしてきたことの弊害が垣間見れる。

 レオンハルトは床に膝をついたまま、リーノと視線を合わせ、にこり、と笑った。

「ダリウスを呼べるよ。でも、その前に綺麗になろうか。せっかく兄さんに会えるんだから、カッコよくしたいだろう?」

 レオンハルトの言葉に、リーノは大きな瞳を見開いたあと、すぐに、しゅん、と項垂れた。

「でも……お湯を沸かす魔石は使い切っちゃったし……」
「心配ない。俺は魔法使いだから」
「え……、王子様は魔法使いなの……?」
「そうだよ。だから綺麗にしていいかな?」

 レオンハルトの申し出に僅かに戸惑ったリーノだったが、こくり、と頷いた。

 了解を得たレオンハルトはリーノの両手をそっと包み込み、洗浄魔法と浄化魔法をかけ、最後に治癒と回復魔法を掛けた。
 リーノの肌からくすみが消え、目元の隈もなくなる。髪は艶が出て、さらりとした柔らかさを取り戻した。腰のあたりまで伸びていることから、ずっと切ってもらえていなかったことが分かる。

 自分の体が変化したことを理解したリーノは、嬉しそうにあちこちを触って「すごい」と喜んだ。体は細いままだが、見るからに元気になった。

 ―――すごい神聖力だな。

 レオンハルトは内心驚いていた。
 リーノに触れたことで、彼からあふれ出る神聖力を強く感じられる。きちんと扱えるよう教育と訓練を受ければ、エスタシオの教皇マイアンにも匹敵するかもしれない。亡者であるダリウスの姿を認識し、彼と話すことなどリーノにとっては息をするのと変わらない行為だったことだろう。

 レオンハルトがリーノの神聖力に興味を引かれているうちに、ルヴィウスが隣に来て膝をついた。

「髪、しばろうか?」

 ルヴィウスがそう問いかけると、リーノは、ぱちり、と一つ瞬きをした。そのあとルヴィウスから目を逸らすことなく、レオンハルトの袖を掴んで呟く。

「ねぇ、王子様……」
「ん?」
「天使様がいる……」

 その反応に、レオンハルトもルヴィウスも苦笑いした。

「僕は天使じゃないよ。僕も魔法使いなんだ。名前はルヴィウスだよ」
「こんなに綺麗なのに天使じゃないの?」
「ありがとう。でも、天使じゃなくて人間だよ」
「そうなんだ……、あんまり綺麗だから天使かと思った……」
「リーノ」レオンハルトがリーノの頭を撫でながら言った。「ルゥは俺の婚約者だから、好きになっちゃだめだぞ」
「わかった。でも大丈夫だよ。僕、兄さまが一番好きだから」

 どうやらリーノとダリウスは相思相愛らしい。リーノがどこまで分かっていたかは別として、だが。

 ルヴィウスは剣帯に結ばれていた飾り紐を一つ解くと、リーノの長い髪を緩く三つ編みに結ってやった。たったそれだけのことに、リーノはいたく喜んだ。

「ねぇ、リーノ。いつもお風呂や暖房なんかの設備は、どうやって使っていたの?」

 ルヴィウスが尋ねると、リーノは彼を、ちらり、と見遣って答える。

「兄さまが魔石を持ってきてくれるの。だから、兄さまが見えなくなる前までは、お風呂に入れてた。でも、1ヶ月くらい前に、兄さまがいなくなっちゃって……」

 やはりそういうことか、とレオンハルトとルヴィウスは顔を見合わせて頷きあった。
 ダリウスは死した後も、亡者となってリーノの傍にいた。闇烏やみがらすに呪われたあとも、操られるまではリーノを守っていたのだろう。ダリウスがどうやって魔石を調達していたか不明だが、誰の目にも見えないわけだから真夜中に邸宅内を彷徨い歩いても不思議はない。

「食事はどうしてた? 運んできてくれる者がいたのか?」
「うん。一日に一回か二回……。時々、忘れられちゃうけど。そんな時は兄さまがパンや果物を持ってきてくれた」

 そうか、とレオンハルトは呟くのが精いっぱいだった。
 まさか王国内に食事もまともに摂れない子どもがいるとは思ってもみなかった。孤児院でさえ、三食用意され、日用品や洋服などの身の回りのものの定期的な支給から、基礎学習の受講まで保証されているというのに。

「王子様、兄さまに会える?」

 リーノの期待のこもった声に、レオンハルトは「もちろんだよ」と笑いかけた。
 レオンハルトは立ち上がり、手のひらにダリウスを眠らせている蒼い魔石を呼び出した。
 その様子をじっと見つめていたリーノを、ルヴィウスが「ベッドから降りようか」と抱きかかえて床に下ろす。その体の細さと軽さに、ルヴィウスは胸が痛んだ。

『我に赦されし我がしもべ、再び目覚めて姿を見せよ』

 レオンハルトが竜語で語りかける。すると蒼い魔石から黄金の粒子が溢れだし、宙を舞っていたかと思うと、それは徐々に人型を象りだす。

「兄さま?」

 リーノが呟いた。シルエットだけで、大好きな人だと分かったのかもしれない。

 みるみるうちにダリウスの姿に戻った粒子。リーノは涙を流しながらダリウスに駆け寄った。感動の再会、と言いたいところだが、彼岸と此岸の狭間にいる亡者と、此岸にいる人間が触れ合うことは難しい。当然、リーノはダリウスの体をすり抜けるわけで……。

「危なかったな、リーノ」

 レオンハルトは、ダリウスを通り抜けてしまったリーノをしっかりと受け止めた。実体のないダリウスに抱き着こうとしたリーノが、彼を素通りして転ぶと分かっていたのだ。
 大事な義弟を受け止められなかったことが悲しいのか、ダリウスが眉尻を下げて落ち込んだ表情を浮かべる。

 なんと表情豊かな亡者だろうか。ルヴィウスは内心、恐ろしく感じた。その恐怖と戸惑いを察したのはレオンハルトだった。

「ルゥ、ダリウスは特別だ。俺たちの前に現れるよう選ばれ、リーノの神聖力に触れ続けたうえ、闇烏の祝福に呪われ、俺が竜語で赦しを与えた魂。彼は普通の亡者じゃない」

 死してなおリーノを護り続けた特殊な亡者。ルヴィウスは「そうだね」と呟いて、ダリウスに目を向ける。

 プラチナブロンドの髪に赤い瞳。最後に見た時と同じく、騎士の格好をしている。襲撃を受けた時は、とても人には見えなかった。けれど今は、微かに透けた状態は異質だが、自分の意識が亡者である彼を人として認識している。

「兄さま……会いたかった……」

 レオンハルトに支えられていたリーノが、ゆっくり、ゆっくりとダリウスに近づく。新緑の瞳は涙で濡れていた。
 ダリウスは身をかがめ、リーノの頬へと手を伸ばす。が、頬を伝う涙を彼が拭うことは適わない。それが悲しいのか、ダリウスは眉根を寄せる。

 どう考えても、ダリウスは自我を持っていると認めざるを得ない。
 亡者となる重要な条件は、深い未練だ。それはあらゆる記録に記されている。しかし、ダリウスは記録にあるような亡者とは明らかに違う。奇跡のような条件が重なった結果が、彼の存在なのだろう。
 
 
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