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二章:狂った龍と逆さの鱗
二章 2話-1
しおりを挟む窓の外は七つ下がりの雨。春の花が散り、夏の植物が芽を出し始めたころ、王国は、降っては止み、止んでは降っての驟雨から、本格的な雨季に移ろいだ。
公爵邸の自室の窓辺に据えられた、寝ころべるほどの大きさのソファに座り、ルヴィウスは外を眺めていた。窓を伝う雨の向こうに、菖蒲園が滲んで見える。
ティーテーブルの上には、すっかり冷めてしまった紅茶が、飲まれることのないまま座っていた。
ふぅ、と息をつき、ルヴィウスはクッションを抱えたまま横たわった。
「レオ……、もうすぐ来るかな……」
呟いて、クッションに顔を埋める。
今日は夕刻前に転移してくると、伝言蝶で先触れが来た。
伝言蝶とは、文字通り短い伝言をやり取りするための、蝶の形をした魔道具だ。
二十文字程度の言葉を伝えることが出来、魔力を籠めた言霊を文面として吹き込んで起動させると、本物さながらの蝶の姿になって、送り手の家から受け取り手の家へと飛んでいく。
受け取り手は蝶を掌の中に納め、羽ばたきが止まるのを待って開く。すると蝶はその形と文面を残したまま、紙に戻り伝言となる。
この魔道具の開発には、レオンハルトが大きく貢献した。彼は最近、これをさらに改良し、十秒で跡形もなく消える機能を追加することに成功した。次は隠匿魔法を重ね掛け出来るようにすると言っていた気がする。諜報活動に便利なのだそうだ。
さらに付け加えると、レオンハルト専用の伝言蝶は黄金色をしており、普通のものとは違って、直接受け取る者のところへ飛ぶ特別仕様だ。
ルヴィウスはまた、溜息をついた。せっかくレオンハルトが来てくれるというのに、気持ちが定まらない。
今年の秋が来れば、婚約も三年目になる。ルヴィウスは今月、十二歳。これまで二人は、十日に一度の茶会を欠かしたことがない。魔力交換のための秘密の逢瀬も二日に一度で、三日と空けたことはない。
王族とその婚約者の交流茶会が十日に一度というのは、記録上かなり頻度が多いものらしい。しかもレオンハルトは人目も憚らず、無自覚にルヴィウスを構うところがある。そのため、文官や女官、メイドや下男にいたるまで、王宮で働く多くの人々が、二人の仲睦まじい様子を知るところとなった。
当然、王宮勤めの彼らは世間話として、レオンハルトとルヴィウスのことを話題にあげる。それはいつしか王都中に『今どきのネタ』として広まり、とうとう新聞社が『第二王子が婚約者を溺愛している』という記事を出すまでになった。それにより二人の仲睦まじさは、今や王国の誰もが知るところとなっている。
「いいんだけど、別に……」
本当のことだから、否定できない。そもそも、否定する必要もないのだが。
レオンハルトは、本当にルヴィウスを大切にしてくれている。茶会の日はルヴィウスが王宮へ出向くが、二日に一度の魔力交換の際は、王宮から直接、ルヴィウスの部屋へ転移してきてくれる。
数十分から四半時ほどの間だが、ゆったりと抱きしめてくれて、心地よい声で話し、口づけをすると帰っていく。
体調がすぐれないことがあると、治癒魔法や睡眠魔法をかけてくれる。おかげでルヴィウスは、病気知らずだ。これを溺愛と言わずなんと言うのか。
レオンハルトに会いたい。抱き締めてもらいたい。そう思うのに、いつもみたいに普通にしていられるか分からない。
ルヴィウスの中に、靄のようにうごめく感情がある。原因は、テーブルの上の二冊の本だ。
「レオ、知ってるかな……」
テーブルの上には、冷めた紅茶が入ったカップと、クッキーが乗ったプレート。そして二冊の本が重ねて置いてある。
上の本は、三分の一ほど読んだところで、それ以上読み進められず、閉じてしまった。
どこかに封印できるものなら、そうしてしまいたい。いや、これは大量に印刷されたうちの一冊だ。もはや、なかったことには出来ない。
ルヴィウスが恨めしく睨みつけている紺色の表紙には『蜂蜜色の王子とかささぎの鏡』というタイトルが箔押しされている。
三日前、五つ上の姉ノアールが「アカデミーで流行っている小説なのよ」と渡してきたものだ。せっかくだからと読み始めたが、どこをどう読んでもレオンハルトと自分がモデルとしか思えない恋愛小説だった。
「恥ずかしすぎる……」
ルヴィウスはクッションを、ぎゅうっ、と抱きしめ、体を丸めた。
仲がいいことは良いことだ。それを周囲が認めてくれるのも良いとしよう。しかし……自分のあずかり知らぬところで勝手に解釈され、それがまことしやかに広がるのはいただけない。
それだけでも気持ちがざわつくのに、今日ルヴィウスは、さらに心を乱す事態に直面してしまった。
抱きしめていたクッションを少しずらし、蜂蜜色うんぬんの創作小説の下に隠した教材を、ちらり、と見る。
歴史や哲学、政治学などの教本に比べたら、とんでもなく薄い。今日の午後、初めて習った科目だ。だが、もう修了してしまった。時間にして、約一時間の講義だった。
母の先輩だという講師のルイーズ・マルティネス女医は、講義の最後に「基本的には殿下にお任せすれば良いかと思います」と、にっこり笑って帰っていった。
ルヴィウスは、再びクッションを抱きしめ、顔を埋めるとイモムシのように丸まる。
今まで、何も疑問に思わずレオンハルトと口づけをしていた。あの行為にいろんな種類があるばかりか、魔力交換以上の意味があったとは衝撃だ。
いや、そうではない。そもそも、魔力交換の意味を今日まではき違えていたのは、自分だ。
なにより、口づけは単なる始まりに過ぎず、その先にあんなことやこんなことがあり、よもや自分のあそこにレオンハルトの―――
「ルゥ、どうした?」
「うひゃあぁっ!」
唐突な声掛けに、ルヴィウスは飛び上がるほど驚いた。心臓がばくばくと音を立てている。まさか、自分がイモムシのように丸まっている姿を見られるとは……。穴があったら入りたいし、すごく深い穴を掘りたい……。
「悪い、そんなに驚くと思わなくて」
レオンハルトの眉尻が下がっている。その表情と、いつもとは少し違う雰囲気の彼に、ルヴィウスは内心、どきり、としつつ「大丈夫」と伝えて彼の右手を引いた。
隣に座ってほしい意図が伝わったのだろう。レオンハルトはルヴィウスの隣に座ると、あいさつ代わりに頬へキスを落とす。
「ルゥ、今日は何をしてたんだ? 午前中は公爵家の騎士たちと剣の訓練って言ってた気がするんだけど」
「あ、うん、訓練したよ。って言っても、筋力がつかない体質みたいで持久力には欠けるんだけど」
「ルゥにはそれをカバーできるだけのセンスがあるじゃないか。剣術センスは同年代の中では抜群にいいって王宮の騎士たちも言ってたぞ」
「ほんと? うれしいっ」
「今度王宮の騎士たちと手合わせしてみようか。第二騎士団なら相手をしてくれるよ」
「いいの?」
「もちろん。第二騎士団は俺の専属だから。ルゥに会えるって聞いたら休みの騎士まで出勤してくるんじゃないかな」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
そう言って笑うルヴィウスの表情から硬さが取れたことを見逃さなかったレオンハルトは、艶のある彼の黒髪をそっと撫でた。
「午後からは何してた? 授業の予定だっただろう?」
聞かれたルヴィウスは、どきり、とする。だから、質問で返した。
「レオは今日、何してたの?」
「俺? 俺は午前中に孤児院と、先月完成した新しい王立病院に慰問の公務があって、そのあと騎士団の訓練場で剣術の訓練をして、一時間くらい前にエーシャルワイドから特使が来たから迎えに出て、それからここに来た。夜は特使と晩餐会があるんだ。だから今日の髪型は普段と違ってて、なんか気恥ずかしいんだよな」
いつもと違うレオンハルトを改めて確かめてみれば、珍しく前髪を上げている。違和感の正体はこれだ。見慣れない大人っぽいスタイルにまた、どきり、と心臓が跳ねた。
レオンハルトは魔力量の所為なのか、同年代と比べても成長が早い。実年齢より二~三歳は年上に見られることが多く、特にここ数年間は成長が顕著だ。
手足の長さや腰の位置の高さ、子どもっぽさが抜けてきた美しい顔立ちは、画家に黄金律と言わしめ、令嬢令息の視線をよく集めている。
レオンハルトの指の背が、ルヴィウスの頬を撫でた。彼は「そんなに見つめられたら恥ずかしいよ」と苦笑いする。こういった仕草や表情すら、ルヴィウスの心をときめかせてしまう。
「い…、忙しそうだね……っ」
誤魔化すように言って、無意識に抱きついた。これなら顔が見えないから安心だ。と、思っているルヴィウスの感覚は、少々ズレているようだ。
しかし、ルヴィウスのことならなんでもお見通しのレオンハルトにしてみれば、わざわざ指摘して抱きついてこなくなるような変化は避けたい。だから、黙って抱き締め返し、ついでに髪に口づけしておく。
レオンハルトはルヴィウスの髪を梳きながら上機嫌に話し始めた。
「兄上がアカデミーに通っているから、俺が代理を務めることが多くなったんだ。来年末には兄上も専攻課程を修了してくるから、そうしたらもっと時間ができると―――……」
レオンハルトの言葉が止まり、ルヴィウスは、なんだろう、と顔を上げた。彼の視線をたどると、テーブルの上にある『蜂蜜色の王子とかささぎの鏡』に視線が縫い付けられている。
「あっ、こ、これはね、姉上が―――」
「知ってる」そう言い、レオンハルトは小説本を手に取る。「俺も兄上にもらった。俺たちがモデルなんだって?」
「う……っ、そう、らしい、です………」
ルヴィウスは恥ずかしさから両手で顔を覆った。レオンハルトは平気なようで、ペラペラとページをめくっている。
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