25 / 177
二章:狂った龍と逆さの鱗
二章 5話-3 △
しおりを挟むゆっくり目を開けると、通いなれたレオンハルトの自室、バルコニーへと続く、互い違いにステンドグラスがはめ込まれた天井まである大きな窓扉の前だった。
掌を開くと、中にいたはずの伝言蝶は消えている。
部屋を見回してみた。
陽の光が差し込んで、濃いブラウンの絨毯にステンドグラスの色とりどりの光りが落ちている。その光景に違和感を覚え、一歩、足を踏み出してすぐ、体が硬直した。
絨毯に、大きな黒い染み。人一人分くらいの大きさだ。その染みは、引きずるような痕を残して伸びていて、ある方向へと続いている。
視線で痕跡を辿っていった先で、微かに水が落ちる音がする。ルヴィウスは染みを避けながら歩き、寝台を正面に見て右手奥へと進んだ。
近づくにつれ、鉄が腐った生臭いような、吐き気がするような、嗅いだこともない異様な匂いに顔がしかめ面になっていく。
じわっと、足の先を濡れた感触が襲う。知らずに染みを踏みしめていたようだ。白い室内履きの靴は、真っ赤に染まっていた。そこで初めて、これは血液なのだと気づいた。心臓が早鐘のように打っている。
「レオ……、いるの……?」
問いかけた声が、ひどく震えている。
あけ放たれたドアの向こうに、大きな鏡が見える。
床が、真っ赤だった。洗面台の淵から、赤いしずくが、糸を引くように落ちていく。
―――不死身じゃあるまいし。
グラヴィスの言葉が脳裏をよぎり、ざぁっと血の気が引いた。
「レオ……っ、レオっ、いるのっ!?」
返事はない。
意を決し、血だらけのそこへと足を踏み入れる。
足元を取られ、転びそうになった。バスルーム手前の衝立は倒れていて、扉は空いている。
血の跡は中へと続いていて、追うように視線を向けると、そこにはバスタブにもたれ掛かるようにしてレオンハルトが座り込んでいた。
「レオっ!!!」
慌てて走り出すが、床の血に滑って派手に倒れこむ。痛みなど感じる余裕もなく、すぐさま立ち上がり、何度か足を滑らせながら、やっとのことでレオンハルトの元へとたどり着いた。
彼は力なく項垂れ、浅い呼吸を繰り返している。傍に座り込んだものの、触れていいかどうかの判断がつかない。
「レオっ! レオ!! 聞こえるっ? しっかりして!!」
声を掛けるが、返事がない。血の気のない顔は、土や血で汚れていた。あんなに美しかった蜂蜜色の髪も、泥と血にまみれている。
近づいて分かったが、黒い騎士服がひどく濡れていた。右わき腹あたりは大きく破れ、皮膚が裂け赤い肉が見えている。まさか、この赤い液体すべてが彼の血だとでもいうのだろうか。
―――どうしよう、どうしよう、どうしよう!! レオが死んじゃうっ!!!
混乱と衝撃でぼろぼろと涙が零れてくる。息が浅くなり、手が震えてきた。
―――怪我をしているのは僕じゃないのにっ! なんとかしなくちゃいけないのにっ!
パニックに陥るルヴィウスの指に、何かが触れた。
顔を上げると、僅かに瞼を開けたレオンハルトが、浅い呼吸を苦し気に繰り返しながら、声を絞り出す。
「ル、ゥ……、ぉ、ちつけ……っ、し、んぱいな、い……」
「何言ってるのっ? こんなにいっぱい血が出てるんだよ! 僕っ、治癒魔法出来る人呼んでくるっ!」
「ダメ、だ………」力のないレオンハルトの手が、するり、とルヴィウスの手を撫でた。「誰も……呼ぶ、な………―――っ」
「でもっ、だってっ、こんなにいっぱい血が……っ!」
「す、ぐ……な、おる……」
「まさか自分で治癒魔法かけるのっ!?」
「もう……、かけて、る……、ま、りょ、くが……た、らなくて……―――」
―――時間が掛かってるだけ……
レオンハルトが息を吐くほどの微かな声で言った。ルヴィウスは零れる涙を手の甲で拭う。
「わかった、わかったからっ!」
「て……、にぎ……って……ほし、ぃ……」
うん、と伸ばしかけた手を止めた。
昨夜、水晶柱から魔力を吸った。体の中にレオンハルトの魔力が満ちている。だから、彼の魔力を吸ってしまうことはないはずだ。だが、もし、こんな状態の彼から魔力を吸ってしまったら? そう思ったら怖くて躊躇ってしまう。
ルヴィウスが何を心配しているのかを察したレオンハルトは、力が入らない手でルヴィウスの左の小指を握った。
―――大丈夫。
そう言われているような気がして、ルヴィウスはレオンハルトの右手を握りしめた。本当は抱き締めたかったけれど、どこに傷があるか分からない。うっかり傷口が開くようなことになれば、彼を苦しめるだけだ。
握りしめたレオンハルトの手が微かに震えている。寒いのだと気づいたルヴィウスは「待ってて」と言い、バスルームを出た。洗面台の横の棚から、ありったけのタオルを持って戻り、それを慎重にレオンハルトに重ね掛けしていく。
あとは、祈るだけ。ルヴィウスはもう一度レオンハルトの右手をとり、両手に包み込んだ。
―――神様、神様、お願いです。レオを連れて行かないで。僕から取り上げないで!
手を握ることしか出来ない。祈ることしかできない。レオンハルトの魔力が自分の中にあるのに、いつも彼に任せっきりだったから、魔力を彼に渡す方法がわからない。どうしてこんなにも自分は無力なのだろう。
どれくらい祈っていたのか。気が付くと、浅い呼吸を繰り返していたレオンハルトの息遣いが落ち着き始めた。徐々に、ゆっくりと、回復していくのが分かる。
土気色だった表情が、少し血色を取り戻してきている。意識が浮上してきたのか、彼が、すぅっと蒼い瞳を開いた。
「レオっ、僕が分かるっ?」
「ルゥ……」
ルヴィウスの手を握り返し、レオンハルトが悪戯っぽく笑う。
「ごめん、ルゥが血で汚れた……」
「こんな時に気にするのがそんなことなのっ!? 怒るよっ!!」
涙目で怒るルヴィウスに、レオンハルトは、ははっ、と笑って答えた。まだ全回復とはいかなさそうだが、命に関わるレベルは脱したようだ。
「ルゥ、少しだけ、ルゥの中の俺の魔力、返してもらっていい?」
「少しじゃなくてたくさん返したい!」
そう言うルヴィウスの勢いにレオンハルトは「たくさんはいらないよ」と返し、するり、と頬を撫でる。ルヴィウスは、こくっ、と一つ息を飲んで、それからゆっくりと近づいた。
唇が重なる。少し開くと、レオンハルトの舌が入り込む。いつもより体温が低い。そのうち鉄の味が口の中に広がった。しばらく唾液を混ぜ合わせていると、体内の魔力が減っていくのを感じた。それがなんだか、嬉しかった。
唇を離したレオンハルトは「ありがと」と笑った。ルヴィウスは「ううん」と首を振り、彼の様子を伺う。さっきよりもずっと、顔色がいいようだ。
ふぅ、っと一つ息をつき、レオンハルトが何かを呟く。すると、ふわっ、と空気が膨らんだ気がした。
「よし、復活」
そう言うと、レオンハルトは飄々と立ち上がった。ルヴィウスは信じられないものを見るかのような目で、彼を見上げた。ねぇ、ついさっきまで死にそうになってなかった?
「だからちょっとでいいって言っただろう?」
そう言い、手を伸ばしてくる。なんだか憎たらしいほどの回復スピードだ。さっき何かを呟いたから、新しい魔法でも生み出したのだろう。
ルゥ、と呼ばれ、ルヴィウスは溜息を一つつくと、その手を取って立ち上がった。
32
あなたにおすすめの小説
脳筋剣士と鈍感薬師 ~騎士様、こいつです~
季エス
BL
「ルカーシュは、駄目よ」
その時胸に到来した思いは安堵であり、寂しさでもあった。
ルカーシュは薬師だ。幼馴染と共に、魔王を倒すために村を出た。彼は剣士だった。薬師のルカーシュは足手纏いだった。途中で仲間が増えたが、それでも足手纏いである事に変わりはなかった。そうしてついに、追い出される日が来たのだ。
ルカーシュはそっと、瞼を伏せた。
明日、明日になったら、笑おう。そして、礼と別れを言うのだ。
だから、今だけは、泣いてもいいかな。
人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました
よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、
前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。
獣人が支配する貴族社会。
魔力こそが価値とされ、
「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、
レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。
そんな彼を拾ったのは、
辺境を治める獣人公爵アルト。
寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。
溺愛され、守られ、育てられる日々。
だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。
学院での出会い。
貴族社会に潜む差別と陰謀。
そして「番」という、深く重い絆。
レオンは学び、考え、
自分にしかできない魔法理論を武器に、
少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。
獣人と人族。
価値観も、立場も、すべてが違う二人が、
それでも選び合い、家族になるまでの物語。
溺愛×成長×異世界BL。
読後に残るのは、
「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。
【完結】塩対応の同室騎士は言葉が足らない
ゆうきぼし/優輝星
BL
騎士団養成の寄宿学校に通うアルベルトは幼いころのトラウマで閉所恐怖症の発作を抱えていた。やっと広い二人部屋に移動になるが同室のサミュエルは塩対応だった。実はサミュエルは継承争いで義母から命を狙われていたのだ。サミュエルは無口で無表情だがアルベルトの優しさにふれ少しづつ二人に変化が訪れる。
元のあらすじは塩彼氏アンソロ(2022年8月)寄稿作品です。公開終了後、大幅改稿+書き下ろし。
無口俺様攻め×美形世話好き
*マークがついた回には性的描写が含まれます。表紙はpome村さま
他サイトも転載してます。
吸血鬼公爵の籠の鳥
江多之折(エタノール)
BL
両親を早くに失い、身内に食い潰されるように支配され続けた半生。何度も死にかけ、何度も自尊心は踏みにじられた。こんな人生なら、もういらない。そう思って最後に「悪い子」になってみようと母に何度も言い聞かされた「夜に外を出歩いてはいけない」約束を破ってみることにしたレナードは、吸血鬼と遭遇する。
血を吸い殺されるところだったが、レナードには特殊な事情があり殺されることはなく…気が付けば熱心に看病され、囲われていた。
吸血鬼公爵×薄幸侯爵の溺愛もの。小説家になろうから改行を増やしまくって掲載し直したもの。
亡国の王弟は女好きの騎士に溺愛される
コムギ
BL
アラバンド国の王弟ルカーシュは、騎士のシモンによって地下牢から救い出された。
その時、肌に触れたシモンに、やけどのような怪我を負わせてしまう。
ルカーシュは北の魔女の末裔であり、魔力を持っていた。
魔力を持たない者に触れると、怪我をさせてしまうという。
騎士団長からの命令で、シモンはルカーシュの護衛につくことになった。
※他サイトにも掲載しています。
祖国に棄てられた少年は賢者に愛される
結衣可
BL
祖国に棄てられた少年――ユリアン。
彼は王家の反逆を疑われ、追放された身だと信じていた。
その真実は、前王の庶子。王位継承権を持ち、権力争いの渦中で邪魔者として葬られようとしていたのだった。
絶望の中、彼を救ったのは、森に隠棲する冷徹な賢者ヴァルター。
誰も寄せつけない彼が、なぜかユリアンを庇護し、結界に守られた森の家で共に過ごすことになるが、王都の陰謀は止まらず、幾度も追っ手が迫る。
棄てられた少年と、孤独な賢者。
陰謀に覆われた王国の中で二人が選ぶ道は――。
【完結】気が付いたらマッチョなblゲーの主人公になっていた件
白井のわ
BL
雄っぱいが大好きな俺は、気が付いたら大好きなblゲーの主人公になっていた。
最初から好感度MAXのマッチョな攻略対象達に迫られて正直心臓がもちそうもない。
いつも俺を第一に考えてくれる幼なじみ、優しいイケオジの先生、憧れの先輩、皆とのイチャイチャハーレムエンドを目指す俺の学園生活が今始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる