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三章 一幕:聖なる乙女という名の闇烏
三章 一幕 2話-3 ※
しおりを挟む「離れてください、聖女様」
レオンハルトが声を強張らせて要求する。すると少女は、抱き着いていた腕を緩め、彼を見上げた。
「あたし、小川百々華。こっちの言い方すると、モモカ・オガワ。この国の聖女よ。モモって呼んで。あたしもレオンって呼ぶから。それにね―――」
「恐れながら」
百々華の声を遮ったのは、それまで守られる位置にいたルヴィウスだった。
ルヴィウスはレオンハルトの腕を引いて彼を彼女から半ば無理やりに引き離すと、二人の間にすっと身を滑り込ませる。
ルヴィウスの行動によって状況が変化した隙に、ガイルがレオンハルトをさらに後方へ移動させ、数人の騎士が駆け寄り警護を固めた。
レオンハルトの安全が確保できたことを確信したかのように、ルヴィウスは背筋を伸ばし、凛とした表情で百々華を真っ直ぐ見据える。
「発言の許可をいただけますでしょうか、聖女様」
突然、間に割って入ってきたルヴィウスに、百々華は分かりやすく苛立った表情を浮かべて言い返す。
「あんた誰? 邪魔しないでくれる? って言うか、そういう言い回し面倒だからやめて」
「では、率直に申し上げます。私はレオンハルト第二王子殿下の婚約者でアクセラーダ公爵家のルヴィウス・アクセラーダと申します」
「はぁっ? ルヴィって男なのっ? 女じゃないってどういうことよ!」
意味不明な発言に眉を顰めたルヴィウスだったが、このまま話を逸らそうという算段かもしれないと判断し、無視を決め込んだ。
「聖女様、エスタシオではどのような教育がなされているか存じませんが、殿下の御名を軽々しく呼ぶことはおやめください。なにより、殿下はご家族にだけ愛称を許されておいでです。重ねて、お控えくださいますよう強くお願い申し上げます」
「家族になればいいんでしょ?」
「は?」
ルヴィウスは、人生で初めて他人に対し無礼な返答をしたのだが、そんなことに気が回るような状況ではない。
百々華は楽しそうに笑い、レオンハルトに粘性の糸が絡みつくような視線を向けた。
「和平協定の定番って言えば、結婚じゃない? 聖女のあたしと王子様が―――」
「そこまでになされませっ!」
アルフレドの強い非難の声に、百々華が黙る。
「モモカ嬢、これ以上の発言は教皇の名代として許しません」
アルフレドの忠告に、百々華は舌打ちした。
美少女の舌打ちを目の当たりにし、心底驚いたのはルヴィウスである。容姿とのギャップが激しすぎて、衝撃的な一場面だ。
「いいアイデアだと思ったのになぁ。まぁ、いいや。それより悪役令嬢あらため悪役令息さん、謝罪の意味を込めて、私と握手してもらえる?」
すっと右手を差し出してきた百々華は、先ほど悪態をついた者と同一人物とは思えないほど、花が綻ぶような可愛らしい笑みを浮かべている。
ルヴィウスはその二面性に空恐ろしさを感じた。しかし、謝罪の意味を込めてと言われては、受けないわけにもいかない。
ルヴィウスは、こくっ、と一つ息を飲んで、手を差し出そうとした。しかし―――
「モモカ嬢、なぜ迎賓館にいるのです?」
ルヴィウスを庇うように、アルフレドが百々華の前に立ちふさがる。
百々華はしばらくアルフレドと睨み合った後、苦虫をつぶしたかのような表情で踵を返す。
そしてエントランスの隅に控えていた聖騎士数名を引き連れ、去って行った。
彼女に同行していた騎士は、青の制服の者と、濃緑の制服の者がいた。青は第二聖騎士団、濃緑は市井の警護を任されている第三聖騎士団だ。
「大変失礼いたしました。ご不快な思いをされたこと、謝罪させてください」
アルフレドが深く頭を下げる。彼の所為ではないとは言え、責任ある立場にある者が謝罪すべき問題であることは明白である。
レオンハルトはしばし考えを巡らせると、アルフレドに頭を上げるように言った。そして謝罪を受け入れる条件を口にする。
「マイスナー卿、謝罪を受け入れますので、私と婚約者の宿泊する部屋を一緒にしてください」
「えっ…、な…なんで……?」
狼狽えた口調で理由を問うたのは、ルヴィウスだった。同室を使いたい理由は、次のレオンハルトの発言で判明する。
「さきほどの女性、神聖力を使っていました。事情は分かりませんが、マイスナー卿は彼女の行動や扱いに手を焼いているのでは?」
レオンハルトの指摘にアルフレドはため息を吐き、一つ頷いてから、言い訳を口にした。
「殿下のおっしゃる通りです。少々込み入った事情があり、対応が後手に回っておりまして……」
「あの女を我々に近づけないようにしたいが、約束できない。違いますか?」
「……その通りでございます」
「あれだけ神聖力が強いと、対応できるのは聖下と第一聖騎士団、第二聖騎士団の比較的神聖力が強い者の一部、といったところでしょう」
「さすが、大陸一の魔剣士と言われるに相応しい方でいらっしゃる。心配されているのはご婚約者さまの安全ですね?」
「えぇ、そうです。あの女、謝罪の握手を口実にルゥに触れようとした。明らかに術を掛けるつもりでした。ですから、私とルゥを同じ部屋にしてください。この建物全体に結界を張ることも可能ですが、国防上そのようなことをすれば侵略にあたります。ならば、同室にしていただき、室内だけ結界を張る許可を。私は魔剣士ですし、魔物の討伐や遠征で体力もありますが、ルゥは初めての旅です。ゆっくり休ませてやりたい」
「承知いたしました。一番眺めの良い広い部屋を御用意いたします。準備が出来るまで、警備面の打ち合わせをさせていただいても?」
レオンハルトは、いいでしょう、と承諾した。
その後は、レオンハルトとガイル、アルフレドが警備―――主に聖女対策―――の話をし、他の使節団の面々はそれぞれ各部屋へ案内され、荷ほどきや軽い打ち合わせなどを行い、明日の協定会合に備えることとなった。
また、アルフレドの提案で、レオンハルトの護衛を務めるガイルには、神聖力を跳ね返すアーティファクトのアーマーが貸与された。
部屋の用意が整ったと案内され一息付けたのは、迎賓館に到着してから二時間が経った頃だった。
用意されたのは、伴侶を伴って来訪した国賓が使うための広い貴賓室だ。
柔らかな光が差し込む、広々とした邸宅の一室のようなリビングルーム。ゆったりとしたソファに身を沈めれば、常春の庭園を眺めることが出来る。最高級のシルクの寝具に天蓋付きの大きなベッド。大理石の柱には繊細な彫刻が施され、バスルームなどの水回り一式も広めに取られており、必要なものは総て取り揃えられていた。
ベルを鳴らせば専属のバトラーが来てくれるとのこと。こういうのを、贅を尽くした、というのだろう。宗教国家とは言え、外交まで質素というわけではないようだ。
部屋の説明を一通り聞き、対外用の服装をラフな室内着に着替え終えたルヴィウスは、さっそくソファに身を沈めた。
あたたかな陽の光りが足元を照らす。庭を眺めているうちに、意識が陽光に引っ張られていく気がした。
知らずしらずのうちに微睡んでいたルヴィウスは、するり、と首元を撫でられて覚醒した。
首を反らすような体勢で見上げると、背後に立っていたレオンハルトが上から覗き込んでいる。彼も楽な服装に着替えたようだ。
「ルゥ、少し出てくる」
「どこに行くの?」
少し眠そうなルヴィウスの声に、レオンハルトは愛おしさを募らせた。堪らず、そっと口づける。軽く音を鳴らせてキスを贈ると、ルヴィウスの瞳が嬉しそうに細められた。
「外交官たちと明日の最終打ち合わせをしてくる。室内は結界が張ってあるから安心して」
「大聖堂を見に行ったらだめ?」
「だめ。またあの変な女に絡まれたらどうするんだ」
「バングルがあるから大丈夫だよ。何でもはじき返してくれるんでしょ?」
「それはそうだけど、心配だから部屋にいて」
そう言われては頷く外ない。しょんぼりしたルヴィウスに罪悪感を覚えたレオンハルトは、たいがい甘いな、と内心自嘲しつつ、譲歩する案を提案した。
「じゃあ、聖騎士の誰かをつけてもらおう。第一聖騎士団ならあの女にも対応できるから」
「ほんとっ?」
ルヴィウスが表情を明るくして言う。レオンハルトは眉尻を下げた。危ないと心配しつつも、ルヴィウスが笑ってくれると心が満たされてしまう。
「忙しくて対応できないって言われたら諦めてくれるか?」
レオンハルトの譲歩に、ルヴィウスは二度頷き、銀月の瞳を煌めかせる。眠気はどこかへ飛んで行ってしまったようだ。こんな些細な表情にさえも、愛しさが募る。
「じゃあ、頼んでみるから部屋で待ってて。あと、探索魔法の範囲、ルゥに密着させていい?」
ルヴィウスはその問いかけに、目を瞬かせた。隣の大聖堂に行くだけだと言うのに、ピンポイントで自分の位置を把握したいらしい。
「ふふっ」
「なに、なんで笑うの」レオンハルトは不服そうだ。
「だって、ノアール姉さまに、レオは僕を執愛してるって言われたことあるけど、その通りだなって思って」
「溺愛って言ってくれるか?」
「そうだね、うん、溺愛されてる」
「バカにして」
「してないよ。ね、言う通りにするから、機嫌なおして?」
ルヴィウスはソファの座面に膝立ちになると、するり、とレオンハルトの首に腕を回した。
「俺の婚約者が甘え上手で困る……」
ルヴィウスを抱きしめ返したレオンハルトは、小さく溜息をついた。惚れたほうが負け、というのは本当らしい。
「レオ、大好き」
「あぁ、俺もルゥが大好きだ」
「せっかくだから、今日は一緒にお風呂に入ろ?」
「は………?」
あれ、ダメだったかな? そう思ってルヴィウスはレオンハルトの顔を覗き込む。
レオンハルトは、呆然としていた。
「レオ?」
「はっ、ちょっと違う世界に行ってた!」
「あはっ、なにそれ、可笑しいっ」
「だって一緒に……―――いや、なんでもない」
「なんでもないの?」
「ルゥ……、頼むから揶揄わないでくれ……」
「からかってない」
そう言い、ルヴィウスはレオンハルトの唇に自分のそれをそっと重ねた。触れるだけの、軽い口づけ。
「レオ、お風呂、一緒に入ろ?」
「風呂に入るだけじゃ済まないと思うけど?」
「手でしようか? それとも、口でする?」
「前にもどこかで聞いたような台詞だな?」
「実技はレオが教えてくれるんでしょ?」
「俺の婚約者がエロ過ぎるんですけど……」
ふふふっ、と笑ったルヴィウスは、遠慮なくレオンハルトに唇を重ねる。今度は、しっかりと。そして自ら口を開き、レオンハルトの舌を誘い出す。
深く、深く重なり合って、時々角度を変えては、舌を絡め合わせる。
「ルゥ……、あいしてる……」
口づけの合間にレオンハルトが囁く。ルヴィウスの胸が甘く震え、同時に胎の奥が、きゅうっ、と締め付けられる。体中が、レオンハルトを求めている。
「ん…っ、れ、ぉ……っ」
好き、大好き。もっと、もっと、くっついていたい。その想いが溢れて止まらない。
口内に溢れるレオンハルトのものと混じった唾液を飲み込む。彼の魔力が含まれているそれは、媚薬のようにルヴィウスの意識を甘くしていく。その変化に気づいたのは、レオンハルトだ。
「ルゥ、おしまい。また夜にしよう」
離れていくレオンハルトの唇が切なくて、ルヴィウスは無意識にそれを追う。
甘く危ういルヴィウスの唇を親指で拭ったレオンハルトは、言い聞かせるように頬に音を立ててキスを贈る。
「いい子だから、言うこと聞いて」
さらり、と髪を撫でてやると、ルヴィウスは小さく頷いた。
頬が色づいて、目が潤んでいる。聖堂を案内させる聖騎士を呼ぶのは、少し後にしよう。レオンハルトがそう思った時だった。
扉をノックする音と共に「殿下、そろそろお時間です」と、打ち合わせを知らせる外交官の声がした。レオンハルトは「分かった」と返事をし、今一度ルヴィウスに向き直る。
「行ってくるけど、約束守れるか?」
「僕を幾つだと思ってるの?」
ルヴィウスは頬を膨らませた。そんなことをしても可愛いだけだというのに。
レオンハルトは離れがたさを感じたものの、先ほどとは逆の頬にキスをして、「行ってくる」と言い残し、部屋を出て行った。
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