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四章 一幕:管理者と筥の秘密
四章 一幕 8話-1 △
しおりを挟む勢いを弱めた雨が、結界防御壁の膜を伝っている。時刻は十五時少し前だ。まだ時間はあるが、今日中には、ルヴィウスを公爵邸に戻さなければならない。
予定になかった営み―――そもそも、それが予定にある事はまずないのだが―――を楽しんだ二人は、体を清めた後、珍しく回復魔法を使って体力を元に戻し、遅めの昼食を取って、訓練用の騎士服に身を包んでいた。
レオンハルトは見慣れたものだが、ルヴィウスにとっては初めての騎士服だ。
最近は魔法使いでも、騎士服を着用する場合がある。魔法使いはローブを身につける、というのは後方支援専門に限るのだ。理由はもちろん、動きにくいからである。
いつものように漆黒の騎士服に青磁色の長剣を腰に下げたレオンハルトは、ルヴィウスの騎士服の詰襟のボタンを留めていた。
「よし、いいぞ」
「ありがとう。すごい、カッコいい」
くるり、と回って自分の騎士服姿を楽しむルヴィウスを、レオンハルトは満足げに眺めた。
この日のために誂えたルヴィウス用の銀の騎士服は、彼によく似合っている。今度、剣を贈ろう。魔法が上手く使えるようになったら、ルヴィウスは王国三人目の魔剣士になれる。
「こういうのは形から入ると気合も入るからな。でも、無理は禁物だぞ」
「はい、師匠」
ぴっ、と敬礼してみせるルヴィウスに、レオンハルトは苦笑いする。そういう可愛いことは俺の前以外ではするなよ、と言いたげだ。
誕生日は我が儘を何でも聞くと言ってくれたレオンハルトの言葉に甘えて、ルヴィウスは事前に「魔法の訓練と、魔物狩りがしてみたい」と申し入れたのだ。
“秘密の別荘”へ着いた時は雨も強かったため、延期も考えたが、雨脚が弱まってきているため、軽いウォーミングアップのあと、結界の外へ出て初心者でも対応できる魔物を狩ってみようとなった。
ルヴィウスにとっては、初めての魔物狩りだ。魔物とは言え、命を屠る行為。純粋に楽しむことは出来そうにない。命のやり取りに、気が引き締まる思いがした。
「じゃあ、ひとまず上達してきた転移魔法で結界のギリギリ手前まで飛んでみよう」
レオンハルトの指示に、ルヴィウスは頷くと、目標地点に目を向けた。
ここ一帯を囲う結界の端は、“秘密の別荘”前からおよそ800メートル先にある。座標はすでに確認済みだ。
あとは集中して魔力を体に行き渡らせ、目標地点に自分が着地するイメージを強く思い描き、魔法を展開する。
レオンハルトは無詠唱だが、ルヴィウスは彼に教わった術を補助する古代語、“飛べ”という意味の『ライディール』を詠唱する。
「大丈夫、自信を持って。失敗してもすぐ俺が助けに行くよ」
心強い言葉に、ルヴィウスは一つ深呼吸をした。そして魔力を練り上げて体中に行き渡らせ、目標地点に着地するイメージを思い描き―――
「ライディール」
ふわっ、と体が浮く感覚がした。次の瞬間、とん、とつま先が地面に着く。
顔を上げると、さっきまでいた場所で、小さなシルエットになったレオンハルトが手を振っている。
「やった!」成功した!
『上手だったよ、ルゥ。じゃあ、こっちに戻っておいで』
着けたばかりのピアスから、通信魔法でレオンハルトの声が聞こえる。ルヴィウスは「わかった」と答えた。
改めてレオンハルトのいる地点を確かめて、先ほどと同じ手順を踏む。
魔力を練り、体に行き渡らせる。レオンハルトを思い浮かべ、その座標に自分が着地するイメージを強く思い描いて―――
「ライ―――」
―――こっちだよ
「え?」
ふわり、と浮遊感が体を包み込む。
だが、次の瞬間には体を放り投げられるような勢いと、濁流に飲まれたような圧迫感が襲った。
一瞬の息苦しさに、ルヴィウスは体を強ばらせ、ぎゅっ、と目を瞑る。
そして、圧迫感から解放されたと感じた瞬間、ルヴィウスの体は半ば叩きつけられるように、地面に放り出されていた。
スザッ、と砂の上に投げ出された衝撃。新調した銀の騎士服が砂埃に汚れ、地面に手をついたことで、手のひらに擦り傷が出来た。打ち付けたところには、痣が出来ていることだろう。
「ぃ……、った……っ」
手をついて起き上がり、ふっと息をついて顔を上げた。
瞬間、冷や汗が出た。
「ど、こ……、ここ……」
呟いた声が、震えている。
まだ昼間のはずなのに、夕闇のように薄暗い。
禍々しい気配があちこちにあって、時折、小さく赤い光が二つずつ移動している。
どこかから、獣の遠吠えが聞こえ、聞いたこともない、ギィギィ、という何かの鳴き声がする。
ざりっ、とルヴィウスは座り込んだまま後ずさりした。
見たこともない鬱蒼とした暗い森。だが、ここがどこなのか、確信があった。
魔の森だ。
レオンハルトと過ごす安全な別荘からは見慣れていた、あの森。外側から見るだけだったあの闇い気配が、何十倍にもなってルヴィウスを威圧している。
―――逃げなくちゃ
咄嗟にそう思ったが、足に力が入らない。そのうえ、気持ちが早って立ち上がることさえも、ままならなかった。
そのうち、獣の匂いが鼻先を掠めはじめる。
はっと顔を上げると、さっき対になって動いていた赤い光が、その数を増やしてルヴィウスに迫っていた。
「ダイアウルフ……」
ルヴィウスは、アカデミーの教本に載っていた魔物を思い出した。
赤い目に黒い体毛、鋭い牙を持つ、狼のような姿をした中型の魔物だ。見た目は恐ろしいが、実際のランクは低い。ただし、単独の場合に限り、という注意書きがつく。
赤い目は何十とある。運の悪いことに、群れに目をつけられたようだ。
ダイアウルフは春の繁殖期後、梅雨の時期に産まれる子供らのために群れで狩りをする。単独ではランクが低いダイアウルフも、群れとなれば話は違う。
カタカタと震える体が、恐怖で冷えていく。いくら剣術のセンスを褒められたところで、実際にはこの体たらく。帯剣していたとしても、訓練の時のように動けるかどうか怪しいものだ。
「れ、お…、たすけ、て……」
ざりっ、とさらに後ずさった直後、暗闇から数頭のダイアウルフが飛び出してきた。歯を剥き出しにして、ルヴィウス目掛けて飛びかかってくる。
ルヴィウスは咄嗟に腕で頭をかばった。ほぼ同時に、強い衝撃音と、キャンッ、というダイアウルフの悲鳴が聞こえた。
そろり、と顔を上げると、ルヴィウスを護るように防御壁が展開されていた。一瞬、レオンハルトかと思ったが、すぐにバングルの保護魔法だと気付く。
―――こっちだよ
突然、どこからともなく聞こえてきた声で我に返り、もつれる足で駆け出した。
方向が正しいかどうかなど、判断できる状態ではなかった。
ただ、走った。
転んでも立ち上がり、後ろを振り返らずに、ひたすら前へ。
狼たちの気配は背後から忍び寄ってきている。すぐさま襲ってこない事が、むしろ恐ろしかった。弱い獲物を弄んでいるかのようで、涙が零れてくる。
息が上がり、肺が空気を求めている。
苦しい。怖い。恐ろしい。魔の森だからだろうか、体がどんどん重くなっていく。
「うわっ」
木の根に足が引っかかり、ルヴィウスは派手に転んだ。
すぐに手をついて体を起こす。気づけば、暗闇の中にぽっかり空いた、明るい空間に転がり出ていた。
「どこ……、ここ……」
真ん中に、今にも干上がりそうな泉があり、その中央には、葉のなくなった倒れそうな大樹が座っていた。
まだ枯れきってはいないようで、一番太い枝に一つだけ、赤い実をつけている。
背後で、ザザッ、と葉が揺れる音がした。ルヴィウスは慌てて泉のそばまで這い蹲って逃げる。
振り返ると、暗闇の向こうには、まだ赤い目がうろついていた。しかし、こちらには来られないのか、それ以上近づいてくる気配がない。
ひとまず安全を確保できたと判断したルヴィウスは、そのまま仰向けに寝そべった。
「し…死ぬかと思った……」
覚えた攻撃魔法を、何ひとつ展開出来なかった。
心臓が破裂しそうなほど脈打っている。手は震え、足には力が入らない。もう、立ち上がる気力すらない。
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