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四章 二幕:望まぬ神の代理人
四章 二幕 9話-3 △
しおりを挟む「ごめん……っ、ルゥ……っ」
自分を、大切にすると約束した。でも、自分を優先すれば、ルヴィウスを危険に晒してしまう。
だから、これ以外に選択肢はない。
左腕を伸ばし、バングルより数センチ肘側に狙いを定める。
短剣を握りしめる右手が、震えていた。ルヴィウスに自分をさらけ出したあの日よりも以前の自分なら、躊躇うことなく切り落とせたのに……。
目を瞑り、何度か深呼吸した。緊張から、額に汗が吹き出る。
これ以上、時間を掛けるわけにはいかない。覚悟を決めたレオンハルトは、目を開いた。短剣を握りしめ直し、ぐっと奥歯を噛み締める。
そして、右腕に加速の魔法を掛け、自分の左手首に振り下ろした。
「アァッ……っ!」
ごとり、と床に、レオンハルトの一部だった肉片が落ちる。血が噴き出て、辺りを赤く染める。
「はぁっ、はぁ……っ、く……っ」
激痛で遠のきかけた意識が、不意に浮上する。右手で左手首を抑えていただけなのに、落としたはずの左手が再生されていく。
「うそだ……」
何事もなかったかのように存在する左手を、握りしめる。切り落としていなかったのか……。
一瞬そう思い、床に視線を落とすと、大量の血液と、自分の左手だったものが落ちている。
これが、レオンハルトに最初の自覚を与えた。人ではない者になったのだということが、はっきりと認識できた瞬間だ。
ぼろり、と涙が零れた。これが神になるということなのか。いいや、これはただの化け物だ。こんな得体の知れないものになってしまった自分を、ルヴィウスはどう思うだろうか。優しいルヴィウスはきっと、大したことはないと笑うのだろう。
「ルゥ……っ」
ルヴィウスに目を向けると、大きな変化もなく、横たわったままだ。バングルがレオンハルトの体から離れたことで、ルヴィウスへ流れる魔力が止まっているようだ。
「ルゥ……っ、助けて……っ」
本心が言葉になって零れた。
怖い……。怖くてたまらない。得体の知れない何かになってしまった自分も、誰にも触れられない孤独も、ルヴィウスを失うかもしれない未来も。何もかもが怖い。
せめて、ルヴィウスだけは手離したくない。だから、もし、彼が自分を拒むのなら……―――
「違う……っ!」
違う、違う、違う! こんな昏くておぞましい願いをルヴィウスにぶつけるなんて、できない。
愛しているのに、同じだけ憎らしいなんて、おかしい。
手に入らないなら、息の根を止めてでも傍に置いておきたいなんて、狂ってる。
ルヴィウスはこれから先ずっと、こんな化け物の傍に縛り付けられるのか。
それは果たして、ルヴィウスが望む幸せと同義だろうか。いいや、そんなことはあり得ない。ルヴィウスはこれから、“普通”を手に入れる。ここから出た後、レオンハルトがそうするのだ。力を手に入れたレオンハルトには、それが出来る。
求めても、祈っても、手に入れられなかった“普通”。それを手にしたルヴィウスを幸せにするのは、自分のような化け物ではない。
涙で歪んだ視界に、禁書が映る。最後のページが開かれていたが、ぱたり、と閉じられ、漆黒の裏表紙が現れる。
そして、裏表紙に銀の文字が浮かび始めた。
~~~~~~~~~~
私はイグドラシエル。
私たちを継ぐ者、私たちの愛し子。
近いうち、あなたを呼ぶ。
ウェテノージルの欠片を持っておいで。
あなたの望みは、そこで聞く。
~~~~~~~~~~
浮かんだ銀の文字は、ふわり、と浮いて砂のように消え去った。
消えゆく文字を視線だけで追っていたレオンハルトの傍を、誘導のランプが、くるり、くるり、と回転している。
テーブルも椅子も、禁書も、跡形もなく片付けられた後だった。
禁書庫が、出ていけと言っている。
血まみれの自分のバングルを拾い、ポケットに入れる。意識のないルヴィウスに手を伸ばすと、彼の体が魔力を吸い取っていく感覚がした。
レオンハルトは自身からあふれ出る膨大な魔力がルヴィウスに害を及ぼさないよう、一時的に彼の体に魔力遮断の膜を張る。そして、魔力が吸収されないことを確認したあと、ルヴィウスをそっと横抱きに抱え上げた。
ランプが誘導を始める。その後をついて、禁書庫から出た。
二人が外に出た直後、書庫の出入口はすぐさま閉ざされ、そのうちただの壁と化す。そこにはもう、あの美しい魔術陣は存在していなかった。
禁書庫は、消えた。永い、永い間、何人もの管理者を見送ってきた役目を終えたのだ。
レオンハルトはルヴィウスを抱えたまま、階段を上り、祠から出る。
森の中を風が吹き抜けていく。
振り返ると、そこにあったはずの祠は、塵が舞うように、光の粒になって風に巻き上げられていった。
それを見上げたレオンハルトは、誰に教わるでもなく、理解してしまった。
ここにあったすべての物は、役目を終えて消えたのではない。すべて、元の場所に戻ったのだ。ウェテノージルを継ぐ者となった、レオンハルトの中に。
レオンハルトはたった今、ウェテノージルと同じ存在になった。神の代理人という、人ではない化け物になったのだ。
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