8 / 13
第二章・初めてのお客様
悪魔退治と帰還
しおりを挟む
悪魔は微動だにせず、そこに存在している。
「こたえびとさん……、聞こえてるんでしょ。 私、もう終わりにしようとしてるの。 それじゃ、いけないの……?」
悪魔は、何も言わなかった。ただ、そこに立っていた。
まるで――「赦すことは契約違反」だとでも言うように。
僕は思わず立ち上がった。このままでは、奥さんの心が持っていかれる。
「その毒は、願いじゃない。 あなたの中にある、願いだったモノの亡骸です」
「…………」
「それを手放すってことは、“もう願わない”と決めることです。 それだけなんです……!!」
奥さんの肩が、小さく揺れた。
「……怖いのよ。 いなくなってほしいって願ってしまったことを、いなくなったあとで後悔するのが――いちばん、怖いの」
小瓶は激しく震えていた。蓋が跳ね、液体がカップの方へにじり寄るように傾いた。
奥さんはその場に立ち尽くし、背後の“沈黙”に飲まれそうになっていた。
影はもう、奥さんの肩に触れそうなほど近くまで来ている。
「……もうやめて……お願い! ……私は……っ」
その瞬間、僕の足が勝手に動いていた。
気付けば、奥さんと悪魔のあいだに、僕が立っていた。
風が止んだ。
空気が硬直した。
世界そのものが、僕の存在を“想定していなかった”ような、そんな沈黙。
僕は、ゆっくりと息を吸って言った。
「……その契約は、もう古い」
悪魔は何も返さない。
ただ、そこにいることだけで空間を支配している。
でも、僕は確信していた。この気配、この圧力――それは、脅しだ。
「契約を忘れるな」と、恐怖で縛ろうとするための力だ。
「あなたは願いに応えたかもしれない。 でも、今の奥さんはもうその願いを必要としていない! 小瓶はもう、心の外に出たんです。 奥さんは今、あなた自身を手放そうとしているんです!」
小瓶の液体が、赤からゆっくりと琥珀色に変わり始める。
悪魔の影がわずかに揺れた。
まるで、焦ったように。
僕は奥さんの吐露に答えるように言葉を紡いだ。
「怖いなら、怖いままでいい。 後悔するなら、後悔したままでいい。 でもそれを、“誰かのせいにしない”と決めることが―― それが、“赦し”です」
悪魔は、まだ動かない。
でも、世界の空気が少しだけ変わってきていた。
「契約の相手が、願いを更新したんだ!! だったらあなたは、もうそこにいられない筈だ!!」
僕はそう言って、奥さんの背後に立つ“影”を見つめた。
その影が、ほんの少し――後ずさるように歪んだ。
風が、部屋を横切る。
何かが引かれていくような、静かな“終わりの音”。
カーテンがふわりと揺れ、空気がやわらかく戻ってくる。
悪魔はもう、いなかった。
ただ、テーブルの上に残された何も入っていない小瓶が――
まるで命を失ったかのように、静かに、パキン、と割れた。
「お……、終わった?」
テーブルの上に転がった小瓶は、もう何の匂いもしなかった。
僕は奥さんに話しかけた。
「お別れです……」
「そうなのね……。 ここから先は、私が自分でやらなきゃいけないのよね」
「……はい」
「ありがとう。……あなたの名前、聞いてもいいかしら?」
「……さあ、覚えていられるかどうか」
僕は小さく笑って、それ以上何も言わなかった。
玄関を開けると、庭には見慣れた大きなコウモリ傘が広がっていた。その下には、あいかわらず黒のスーツ姿の社長が座っていて、その足元には、ちょこんと座ったミケ黒猫。
「……おかえり」
「ただいま戻りました」
風が止み、空の色が少しずつやわらかくなっていく。
「やっぱり、お主……悪魔まで見て取るとはたいしたやつじゃな」
「……それは、光栄ですって言っちゃっていいのかな……はは」
「もうひとつ言うなら、あの小瓶──お主が立った瞬間から、何度か割れようとしていたぞ。 きっと、あれはもう器ではなかったのじゃ。 願いの抜け殻だったんじゃろうな」
社長は、ふっと笑う。
「さ、帰ろう。 そろそろ村坂さんも起きる頃だ」
僕はもう一度だけ、あの家を振り返った。
あの窓辺に、奥さんの姿があったかどうかは、もう分からなかった。
けれど、たしかに感じた。誰かが、今この瞬間、未来を選んでいるということを。
コウモリ傘の中、ミケが僕の袖を引いた。
「敬祐。 お主、少し顔つきが変わったぞ。 いい顔つきじゃ」
僕は、笑ってただ頷いた。
「こたえびとさん……、聞こえてるんでしょ。 私、もう終わりにしようとしてるの。 それじゃ、いけないの……?」
悪魔は、何も言わなかった。ただ、そこに立っていた。
まるで――「赦すことは契約違反」だとでも言うように。
僕は思わず立ち上がった。このままでは、奥さんの心が持っていかれる。
「その毒は、願いじゃない。 あなたの中にある、願いだったモノの亡骸です」
「…………」
「それを手放すってことは、“もう願わない”と決めることです。 それだけなんです……!!」
奥さんの肩が、小さく揺れた。
「……怖いのよ。 いなくなってほしいって願ってしまったことを、いなくなったあとで後悔するのが――いちばん、怖いの」
小瓶は激しく震えていた。蓋が跳ね、液体がカップの方へにじり寄るように傾いた。
奥さんはその場に立ち尽くし、背後の“沈黙”に飲まれそうになっていた。
影はもう、奥さんの肩に触れそうなほど近くまで来ている。
「……もうやめて……お願い! ……私は……っ」
その瞬間、僕の足が勝手に動いていた。
気付けば、奥さんと悪魔のあいだに、僕が立っていた。
風が止んだ。
空気が硬直した。
世界そのものが、僕の存在を“想定していなかった”ような、そんな沈黙。
僕は、ゆっくりと息を吸って言った。
「……その契約は、もう古い」
悪魔は何も返さない。
ただ、そこにいることだけで空間を支配している。
でも、僕は確信していた。この気配、この圧力――それは、脅しだ。
「契約を忘れるな」と、恐怖で縛ろうとするための力だ。
「あなたは願いに応えたかもしれない。 でも、今の奥さんはもうその願いを必要としていない! 小瓶はもう、心の外に出たんです。 奥さんは今、あなた自身を手放そうとしているんです!」
小瓶の液体が、赤からゆっくりと琥珀色に変わり始める。
悪魔の影がわずかに揺れた。
まるで、焦ったように。
僕は奥さんの吐露に答えるように言葉を紡いだ。
「怖いなら、怖いままでいい。 後悔するなら、後悔したままでいい。 でもそれを、“誰かのせいにしない”と決めることが―― それが、“赦し”です」
悪魔は、まだ動かない。
でも、世界の空気が少しだけ変わってきていた。
「契約の相手が、願いを更新したんだ!! だったらあなたは、もうそこにいられない筈だ!!」
僕はそう言って、奥さんの背後に立つ“影”を見つめた。
その影が、ほんの少し――後ずさるように歪んだ。
風が、部屋を横切る。
何かが引かれていくような、静かな“終わりの音”。
カーテンがふわりと揺れ、空気がやわらかく戻ってくる。
悪魔はもう、いなかった。
ただ、テーブルの上に残された何も入っていない小瓶が――
まるで命を失ったかのように、静かに、パキン、と割れた。
「お……、終わった?」
テーブルの上に転がった小瓶は、もう何の匂いもしなかった。
僕は奥さんに話しかけた。
「お別れです……」
「そうなのね……。 ここから先は、私が自分でやらなきゃいけないのよね」
「……はい」
「ありがとう。……あなたの名前、聞いてもいいかしら?」
「……さあ、覚えていられるかどうか」
僕は小さく笑って、それ以上何も言わなかった。
玄関を開けると、庭には見慣れた大きなコウモリ傘が広がっていた。その下には、あいかわらず黒のスーツ姿の社長が座っていて、その足元には、ちょこんと座ったミケ黒猫。
「……おかえり」
「ただいま戻りました」
風が止み、空の色が少しずつやわらかくなっていく。
「やっぱり、お主……悪魔まで見て取るとはたいしたやつじゃな」
「……それは、光栄ですって言っちゃっていいのかな……はは」
「もうひとつ言うなら、あの小瓶──お主が立った瞬間から、何度か割れようとしていたぞ。 きっと、あれはもう器ではなかったのじゃ。 願いの抜け殻だったんじゃろうな」
社長は、ふっと笑う。
「さ、帰ろう。 そろそろ村坂さんも起きる頃だ」
僕はもう一度だけ、あの家を振り返った。
あの窓辺に、奥さんの姿があったかどうかは、もう分からなかった。
けれど、たしかに感じた。誰かが、今この瞬間、未来を選んでいるということを。
コウモリ傘の中、ミケが僕の袖を引いた。
「敬祐。 お主、少し顔つきが変わったぞ。 いい顔つきじゃ」
僕は、笑ってただ頷いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
奪われ系令嬢になるのはごめんなので逃げて幸せになるぞ!
よもぎ
ファンタジー
とある伯爵家の令嬢アリサは転生者である。薄々察していたヤバい未来が現実になる前に逃げおおせ、好き勝手生きる決意をキメていた彼女は家を追放されても想定通りという顔で旅立つのだった。
公爵令嬢は結婚式当日に死んだ
白雲八鈴
恋愛
今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。
「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」
突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。
婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。
そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。
その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……
生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。
婚約者とその番という女性に
『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』
そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。
*タグ注意
*不快であれば閉じてください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる