【完結】サクラと僕~君がいた、あの夏~

相田ゆき(渡辺河童@あいだ啓壱)

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サクラとの日々

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 ――――朝の光が障子越しに差し込み、蝉の声が遠くで鳴いている。

村の夏は、まるで時間がゆっくりと流れているかのようだった。

賢は、その静けさに最初こそ戸惑っていた。
けれど、サクラに出会ってからというもの、朝が来るのがほんの少しだけ、楽しみになっていた。

白い猫。左の耳に小さな欠けのある、美しい猫。
桜の木の下に座り、風に吹かれながら目を細めているその姿は、まるで絵本の中から抜け出してきたようだった。

賢は毎日、午前中の涼しい時間に川辺まで降りていった。
サクラがいない日もあったけれど、不思議なことに、彼が本当に「話したい」と思った日は、いつもそこにいてくれた。

最初は黙って見つめ合うだけだった。
でもある日、賢はふと呟いた。

「……俺、ずっと、ひとりだったんだ」

サクラは何も言わなかった。ただ、草の上で尻尾を揺らしていた。

「誰にも言えなかった。怖くて、情けなくて、みっともなくて。
……でも、お前には言える気がする。返事がなくても、ちゃんと聞いてくれてる気がするんだ」

そのとき、サクラはぴたりと動きを止め、賢の方をまっすぐに見つめた。

金色の瞳に、なぜか心の奥をすべて見透かされているような気がして、賢は思わず小さく笑った。

「……お前、ほんとに猫なの?」

返事の代わりに、サクラは小さく「ニャ-」と鳴いた。
それだけのことなのに、賢の胸がじんわりと温かくなった。

    *

 ある日は、祖母の畑仕事を手伝った帰り道。
麦わら帽子をかぶりながら、川のほとりへ向かうと、サクラが待っていた。

「おばあちゃん、僕ちょっとサクラと話してくる!」

「はいよ、気ぃつけてなぁ」

賢は走ってサクラの元へ行くと、横に座って話し出した。

「今日は……ちょっとだけ、いいことあったんだ」

土の匂い。汗をかいて、日差しを浴びて。
それでも、誰かと一緒に身体を動かして働くというのが、思った以上に気持ちよかった。

「おばあちゃん、ありがとうって言ってくれたんだ。
『賢がいてくれて、助かったよ』って」

それだけの言葉が、どれほど心に沁みたか。

賢はサクラの隣に座り、そっと背中に手を伸ばした。
ふわりとやわらかい毛並み。あたたかくて、確かにそこにある命の重み。

「……なんかさ、誰かのために何かできるって、いいかもな」

サクラは瞬きをひとつだけして、空を見上げた。

夏の雲が流れていく。風が草を揺らし、蝉が鳴いている。
何も特別なことは起きていないはずなのに――

その時間が、たまらなく愛しかった。

    *

 別の日、雷雨が突然やってきた。

山の天気は気まぐれで、さっきまで晴れていた空があっという間に鉛色に染まった。

家の縁側で雷の音を聞いていると、賢の胸がざわついた。

「……サクラ、大丈夫かな」

思わず立ち上がり、傘をつかんで外へ出る。

「賢!雷来てるけぇ、外行っちゃなんねぇ!」

祖母は驚いて声をかけたが、賢は「すぐ戻る!」とだけ言い残し、坂道を駆け下りた。

桜の木の下。ざんざんと降る雨の中、ずぶ濡れになりながら、サクラはそこにいた。

――――まるで、誰かを待っているかのように。

「バカ、なんでこんなとこに……!」

賢はしゃがみ込み、サクラに傘を差しかけた。
その瞬間、サクラは小さく身を寄せた。

その温もりに、賢ははっとした。
自分が守りたいと思う存在が、ここにいる。

「ニャァ」

「もう……絶対、置いていかないから」

自分がどれだけ誰かを欲しがっていたのか、そのときはっきりとわかった。

そして、誰かに必要とされることが、こんなにも自分を強くすることも。

雷の音の下で、サクラの体は少し震えていたけれど、賢の心は不思議と静かだった。

    *

 ――――そして、ある日の午後。

サクラは突然、賢の膝の上で眠った。

初めてだった。

いつも少し距離を保っていたサクラが、自分からぴたりと寄り添ってきたのだ。

その毛並みに、そっと指を滑らせながら、賢は目を閉じた。
波のように押し寄せる不安や恐れが、少しずつ、静かに引いていく感覚。

サクラの体温が、心の隙間に染み込んでいくようだった。

「……ありがとう」

ただ、それだけを伝えた。

    *

サクラとの日々は、賢にとって、特別なことばかりだった。

一緒に空を見て、一緒に風を聞いて、一緒に静かに時間を過ごした。

けれど、その日々が、確かに賢を変えていった。

心の傷が完全に癒えたわけじゃない。
けれど、自分の存在を否定するばかりだった日々から、少しだけ――前に進める気がしていた。

賢にとって、サクラはただの猫じゃなかった。

言葉も持たない小さな命が、自分の心に触れてくれた。
そして何より、信じることを、もう一度思い出させてくれた存在だった。
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